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胡蝶の夢  作者: みなきら
胡蝶の夢、我となれるか
29/34

動くこと雷霆の如し

 事態が動いたのは亥の刻の頃。丑三つ時には全てを片付けると宣言されているので、短期決戦になると思われた。


 対峙したのは夜の食国と根の堅洲国の境となる平原で、互いの陣地の松明の火がゆらゆらと風に揺れて揺らめく姿が見える。


 天津甕星が馬という馬を黄泉へと売ったが故に月読命の軍は徒歩(かち)で根の堅洲国と対峙せねばならず、もうその時点でかなりの兵の士気は下がって見えた。


 しかし、向こうはどうやら違うようで素戔嗚尊がいるせいか、ピリピリとした雰囲気を感じる。


(あの中に帰るのか・・・・・・。)


 須勢理は根の堅洲国を留守にしていると聞かされている事もあり、とても気が重い。


(大己貴の分も叱られるんだろうな・・・・・・。)


 いや、叱られるくらいならまだマシかもしれぬ。


「そろそろ時間だ。真ん中くらいまで行ったら火矢を放つ。天津甕星がそれをきっかけに鳥の子をいくつか草むらに投げる算段だ。」


 ヒーロー戦隊もののようにどうやら爆煙をバックに走り抜けねば、命がないと言いたいらしい。


「お主の親父殿がどのように来るか、我らも分からぬゆえ全力でやる故、逃げ延びよ。木花知流比売を未亡人にするつもりまではない故。」


 その生暖かい眼差しが素戔嗚尊が大己貴命を見る時と同じであったから、八嶋士奴美神は内心半泣きになりながら、平原の真ん中へと一人向かった。


「よう、湿気た顔してんのな。」

「お前は逆に良い顔してるな、おい。」


 口裏を合わせて来たというのに、これから起こることを思うと胃が痛い。天津甕星は「じゃあ、おっ始めるぞ!」と言うと、癇癪玉をひとつ空へと打ち上げた。


 それを合図に八嶋士奴美神は根の堅洲国の軍の方へ走り出す。空には一筋、火のついた矢が放物線を描いて飛んできて、先程まで八嶋士奴美神がいた辺りに落ちた。


「ほいじゃ、次々行くぞーッ!」


 やんちゃな声を上げて、月読命の放った火を火種に焙烙火矢を取り出して導火線に火を付ける「はいよ!」と八嶋士奴美神に投げつけて来る。


「んなッ!?」


 倒けつ転びつ必死に逃げるすぐ後ろで、ドーン、ドーンと花火が上がるかのように爆発が起きる。やがて、秋の枯れた草に火は燃え移り、左右から火が迫ってくる。


 だから、八嶋士奴美神が根の堅洲国の陣地に着いた時にはあちこち泥だらけの上、頬には煤をつけた状態で、倒れこむようにして帰還した。


 そして、八嶋士奴美神が戻ってきたのを横目に、素戔嗚尊は腰に佩いた天叢雲剣を抜く。途端にあたりは暗くなり、月も星も消え失せ、初めはポツポツと、だんだんと勢いを増してザアッと音を立てて雨が降り出す。


(た、助かった・・・・・・。)


 そう思いながら、ゆるゆると火が消えていく様子を眺めていると「八嶋士奴美神よ」と声を掛けられた。


「よう、戻った。怪我はないか?」


 送り出してくれた時の心配そうな表情とは違って、労ってくれているのに労ってもらえた感がない。


「はい、無事にございます。」

「よいか? 大己貴は須勢理毘売が夫ぞ? 今後はそこをよく考えて付き合うように。」


 須勢理毘売命にはじゃじゃ馬で手を焼かされるほど可愛い娘だが、周りの者は否応なしに振り回される。そして、世の中には「似た者夫婦」という言葉がある。


 妹である須勢理にさえ手を焼くのに、況や、その夫をや。


 素戔嗚尊にそこまで言わせる須勢理も大己貴も大概だが、平原を三キロ近く動き、その内半分はほぼ全力疾走だったから、八嶋士奴美神はへろへろだった。


 雨で火が消えた頃には、安全に月読命の軍は夜の食国へ退却しており、素戔嗚尊は「逃げの一手か」と残念そうにした。


「向こうは歩兵部隊だけでしたから、致し方がありませぬ。」

「歩兵だけ?」

「ええ。馬は全てこちらに。」

「なるほど、道理であっさり退却したわけだ。」


 そこへ夜の闇に紛れて烏が一羽舞い降りた。三本足でないところを見ると普通の烏らしい。


「どうやら妙白らも無事に黄泉軍を引かせたらしい。」

「あちらは爆煙に巻き込まれるような事態になってませんよね?」

「爆煙はないが、無数の霹靂と馬の嘶きで阿鼻叫喚もかくやと言っている。」

「大己貴め・・・・・・。」


 ひとまず猿田彦は無事にこちらに戻り、雅はあちらに戻った。猿田彦を助けた事を奏上すれば、ひとまず高天原に翻意なしは伝わる算段である。


 正直、まだ「どうしてこんな目にあってるんだ」と思わないでもないが、終わってみれば怪我人はいるが死者はおらず、穏当な解決なように思われた。


「明朝、猿田彦と姉者のところへ行ってくる。片が付いたら、須勢理を迎えに行ってくれるか?」

「ええ、もちろんにございます。伯母上によろしくお伝えくださいませ。」


 そう言い切ると、素戔嗚尊と八嶋士奴美神は二人とも「はあ」と溜息をつき、似たような顔で笑みを交わした。


 ◇


 その頃、黄泉では夜の食国の軍馬を戦利品にして、雅は常闇の御門へと戻った。黄泉の国の軍馬は漆黒が多い中、夜の食国から連れてきたのはの葦毛の馬で、馬鎧をつけているからか常闇にあって神々しさを放っていた。


「戦いの最中に抜け出すとは剛毅なこと――。」


 朱塗りの大門からは、まだ胡乱げな表情の将門を連れ立って長い髪を揺らしながら伊邪那岐命が出てくる。


 馬の首筋を優しく宥めた後、馬番に引き渡して伊邪那岐命の元に片膝をついて頭を垂れた。


「根の堅洲国に働きかけ、夜の食国からの進行を食い止めて参りました。」

「こちらへは戻りたくなかったのではないの?」

「滅相もないことにございます。あのまま残れば、素戔嗚尊に再び火攻めにあっていたでしょう。」


 すると、伊邪那岐命はころころ笑い「あれは見ものであったわね」と可笑しそうにした。


「御方様にはこの地には珍しい葦毛の駒を一頭連れてまいりました。」


 「きっとお気に召すでしょう」と言えば「この地に馴染むかしら」と心配そうな顔になる。


「さあ、どうでしょうか。夜の食国で育てられた馬と聞いております故、この地でも生きられるとは思いますが。」

「そう。それであれば、飼葉を与えて世話をすれば、存外馴染むかもしれないわね、この将門のように。」

「御方様、三ノ宮殿はお戻しくださいませ。」

「そうねえ、それはお前がこの戦を見事やり遂げた時に考えるのではダメかしら?」

「そのお話はお受け致しかねます。」


 すると、本来の姿のまま、伊邪那岐命は口先を尖らせて「大己貴のケチ」と拗ねて言う。それは火産霊神の姿に似ていた。


「これより建御名方の軍と合流致します。」

「ええ、高天原軍の一部が引き込まれそうで引き込まれず難儀していると聞いてるわ。」

「後ろで轟が来ているのでしょう。私が狙いですから、打って出ればこちらへ引き込まれてくるでしょう。」

「分かったわ。」

「夜の食国側はもう塞がりましたから、刺客に気を付けていただければ、御方様に置かれましては常闇の御門で今まで通りにお過ごしいただいても差し障りはないかと。勝鬨の時をお待ちください。」


 伊邪那岐命は鷹揚に頷き「時が満ちたら、伝令を」と告げる。一方、雅も黒い風を纏って、建御名方の元へと急ぐ。そして、戦場近くになると、辺りを見回せる洞穴の天井近くで辺りを見回した。


 すぐ近くに建御名方の陣を見つける。高天原軍は思っていたのよりまだ遠く、建御名方は鶴翼に転じられずにいるようだ。


「あと半里、いや一里と言ったところか。」


 淤加美神があたりは八雷神を向かわせたので、稲妻の光がいくつも見える。そして、ほぼ真反対の位置にある殯宮にも警備を引いた。約束の時刻となり、闇に紛れて使いの虎鶫(とらつぐみ)が近付いてくる。


 脚に巻かれた紙を解きみれば、殯宮の辺りに高天原軍は見当たらず、こちらの陣形としてはまずまずと言った所に思えた。


「では、もうひと暴れしますかね。」


 虎鶫に先程とは別の紙を付けて建御名方に飛ばすと、雅はひとり、敵軍を越えて挟み撃ちにする位置へと降り立った。


 入ってこぬなら追い込めば良い。


 そして、大鎌を生み出すと柄の先を地面に付けて、神祇官のようにして伊邪那岐命への祝詞を上げる。


 やがて薄紫の光で足元に大きく一つ魔法陣が浮かび上がり、その四方にさらに小さく四つの魔法陣が立ち上がる。


 そこに至って敵軍も雅の姿に気がついたようで、無数の矢が天空へと放たれた。


 雅が大鎌を持ち上げればさらに上空に層になって、魔法陣が二つ、三つと立ち上がる。


 矢は紫色の稲妻の護りに弾かれて、雅の周りを残して地面に刺さる。敵が矢を番え、二番矢を放った頃には、控えていた左右の軍のすぐ傍に戻ってくる程の大風が辺りに吹き荒れる。


「風よ、(あからしま)に吹け」


 どうっという音と共に高天原軍に向かう竜巻が生まれる。自軍の所まで影響はないはずだが、敵軍が後退するには十分過ぎる威力で、場は混乱を極めた。


「ちょっとやり過ぎましたかね。」


 右往左往としている歩兵の姿を眺めながら、きっと加代子なら「《ラスボス過ぎるでしょ》と評しそうだな」とか呑気に思う。


 五分ほどして竜巻が消えた頃には、敵軍は約半数ほどに減っており、それも建御名方の指揮であろう、左右から現れた黄泉軍に囲まれつつある。もう半刻も経たずにおそらく自軍が勝つのは見て取れた。


 しかし、そうした状況にも関わらず、自らのすぐ側にやってきた男に、雅は表情を険しくさせた。


「動くこと雷霆の如し、とはいったもんだな。」


 血塗られた鎌は元の色よりもくすみ、暗い色をしている。


「吹き飛ばしたと思ったんですが、存外しぶとい人ですね。」


 雅が言うと目を青黒く輝かせ轟は、くっと笑った。


「あんなのは今の我には微風に過ぎない。」

「伊邪那岐命の力にでも溺れましたか?」

「いいや、これは己の力そのもの。気が付いているんだろう。大己貴命よ? だからこそ、そなたはここに居る。」


 そう言われると、雅が心底、嫌そうに「お会いしたくはなかったです」が前置きして、「建御雷命ですよね」と訊ねた。


「分かっているなら話が早い。須勢理毘売をこちらに引き渡せ。あれは危うい。」

「それはお断りしますと申し上げたはずですよ。」


 以前も、先日も、と付け加える。


「そうか、では仕方あるまい。力づくで奪うまで。」


 轟は嬉しそうにそう言うとふわりと跳躍した。

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