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胡蝶の夢  作者: みなきら
胡蝶の夢、我となれるか
28/34

知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如し

 常夜の国でも日は登り、常夜の国でも日は沈む。そうと知らないものは初めは驚くが、分かりやすく言えば、毎日、極夜のような現象が起こっていると思えばいい。


 木花知流比売の事を狭夜と名付けたかったと月読命から聞いてはいたが、確かに日の沈む直前の薄暮とした雰囲気といい、輝く夕星の光の風情といい、この景色がいつでも見られたら良いのにと思えるほど美しい景色であった。


「そろそろ準備は大丈夫か?」

「ええ、猿田彦は上手くやって下さると思うているのですが、大己貴命と天津甕星はどうでしょうか。少彦名命にも声をかけたのですが。」

「少彦名命は気を辿るのに集中すると仰ったので、先程、別の局にお通ししている。」


 月読命はそう話すと「武装もあらかた整った」と話した。


「天津甕星の方も素戔嗚尊から()()()()と連絡が来た。」

「という事は、些事はあったようですね。」

「おそらくな。」


 八嶋士奴美神と月読命は困惑しているだろう素戔嗚尊を思い、互いにククッと喉を鳴らして笑う。


「あとは大己貴命が根の堅洲国に入れば良いのだが・・・・・・。」


 と、不意にとたとたと足音が聞こえてきて、槐が「来る」と言った。何がと訊ねる前に、庭先に一陣の風が巻き起こる。


「ああ、先程、追ってきていたのは少彦名命の気でしたか。」


 のほほんとした雰囲気で真っ黒い出で立ちの雅が現れると、月読命も八嶋士奴美神もポカンとした顔になった。


「今晩は。」

「《今晩は》とか言っている場合か。何故ここに来た?」


 八嶋士奴美神が呆れたように言えば「根の堅洲国に行く前に月読命にお願いがございまして」と言い出す。


「おそらくこの後は自由に黄泉を出られません。御方様にも釘を刺されましたし。」

「それでもここに来るあたりが大己貴命だな・・・・・・。」


 少彦名命の言葉に大己貴命ははにかむように笑った。


「それで、何用だ?」

「まずは御礼を。加代子さんを助けてくださりありがとうございました。」


 深々とお辞儀をする雅の様子に、みんなして目を丸くする。


「それとこちらをお持ち致しました。」


 そう言うと雅は弓矢を献上する。紅色の漆で塗られ、金で装飾の施された、見た目も美しい弓矢を見て、月読命は「なぜお主がこれを持っている」と訊ねた。


天之(あまの)麻迦古弓(まかこゆみ)ではないか?」

「はい、天若日子の形見です。その妻の下照比売は娘ですので、無理を言って借りて参りました。」


 そして「戦場に出られるのに、緊迫感は必要でしょう?」とおっとりと話す。


「天津甕星が黄泉に駿馬を売り捌いたと聞いた時も《敵に送る奴がいるか》と思ったが、よもやここにも居るとはな。」

「へえ? そんな面白きことがあったのですね。では、その神馬で黄泉の国とは対峙する事と致しましょう。黄泉は八雷神が控えている状態に致しましたので、神馬の騎馬隊があるのは助かります。」


 にっこりと夕飯の献立を決めるかのように雅は話すと、「素戔嗚尊がその状態でどう受けられるのか今から楽しみです」と話す。


「な、お前、父上には話を通していないのかッ?!」

「ええ。ですが、災いを収める神ですから本領発揮して下されば問題ありますまい。」


 それを聞いて、サッと八嶋士奴美神から血の気が引く。そして「少し失礼する」と慌てた様子で席を外した。


「素戔嗚尊はお前の味方ではないのか?」

「味方ですよ?」

「では、何故?」

「目には目を、歯には歯を、火には火を。それだけです。」


 月読命がキョトンとすると、少彦名命は「こいつはこういう奴なんだ」と「はあ」と呆れ顔でため息を吐く。


「須勢理を奪われた腹いせに、火攻めした素戔嗚尊も素戔嗚尊だが・・・・・・。」


 雅は変わらずに穏やかな表情のまま「眼前に火が迫ってくる恐怖、あれを分かっているのは他に倭建命くらいかもしれませんね」と話す。


「合図は各々人質交換が終わったタイミングから。」

「終わりは?」

「それは素戔嗚尊に決めてくださるようにお伝えしています。根の堅洲国と黄泉軍の話は通してありますから。」


 雅は赤い瞳に焔を燻らせ愉しげに話すと「確かにお渡し致しました」と言って立ち去ろうとする。


「大己貴命。」


 少彦名命に呼び掛けられて振り返る。


「根の堅洲国まで俺も行こう。」

「良いですけど、私のためには動かないのではないのですか?」

「ああ、これは()()()()だ。お前が無茶をすると、俺に迷惑が掛かる。現に八嶋士奴美神にここまで呼び出されているしな。」


 少彦名命は「再び領有(うしはく)の国と化している葦原中国を高天原がそのままにするとは思えぬしな」とぼやく。


「理想が相容れない方々とは心得ていますよ。」


 心得ているのにこの態度なのかと、少彦名命は思わないでもなかったが、それを言っても雅の態度が変わるとは思えなかったからスルーする。


 そして、庭におり、雅の元まで行くと少彦名命は槐の花を生み出して、雅の黒い風と共に消えた。


 客入り前の場当たりをするかのように、着々と芝居の準備がなされていく。


 客は伊邪那岐命と天照大神だけの三界に渡っての大舞台。それを持ちかけてくる大己貴命も大己貴命だが、それに乗った自分も自分だなと、ただ一人残った月読命は思った。


 ◇


 雅と少彦名命が根の堅洲国の素戔嗚尊に向かうと、妙白が出迎えた。雅の顔を見るなり「お主、また何かやりおったな?」と言い、にやにやと笑う。


「もう少し前に帰ってきていたら、大立ち回りだったろうな。」

「その辺りはちゃんと心得ていますよ?」

「だろうな?」


 そう言うと妙白はカカカッと大口を開けて笑い、雅はくすくすと笑うから、こんな部下と義理の息子のいる素戔嗚尊を少彦名命は不憫に思った。


「いかがでしたか?」

「血相を変えて、夜の食国側の守備の強化に向かわれた。おそらくギリギリまで掛かるからこちらには戻らぬだろう。」

「そうですか。」

「で、何が望みだ? ここに須勢理はおらぬぞ?」


 妙白が、大昔、素戔嗚尊に薬を盛って寝かし付け、須勢理を担いで逃げるのを手助けした時の話をそれとなく匂わすと、雅は「今回は素戔嗚尊の身の安全のためです」と話した。


「彼の方の事です、こうでもしないと《須勢理毘売》が気に掛かって、本気になって下さらないでしょう?」


 妙白は「確かにな」と笑いながら、邸の中へ通してくれる。少彦名命は雅の後ろについて、中へと入った。


「観客に《本物だ》と思わせるには役者が《本物だ》と思わねば伝わりませんし、その役者にそう思わせる演出家はその役者にあった演出をしなくては失礼かと思いまして。」

「こちら側にあると思っていた神器が、敵方に渡り、それを使って火矢を射られるだなんて聞かされる身にもなってやれよ。」

「おや、私は端から妙白殿にはお教えしておいて、少し慌てて貰おうと思っていただけですよ?」


 雅が「ですが、先に八嶋士奴美神がお伝えしたでしょうから、驚いた顔を見損なってしまいましたね」と残念がると、妙白は「本当にどうして姫様はこんな奴を気に入っているんだろうな」と笑った。


「そうおっしゃいますけど、妙白殿は、そんな私の事、お嫌いではないでしょう?」

「まあな。」


 くつくつ笑いながら、妙白は昼間の部屋に雅と槐を通すと、柳舟の描いた戦況図に朱を入れながら現状を説明してくれる。


「少彦名命のご意見はどうでしょう?」


 妙白に促されると、少彦名命はチラリと雅を見てから建御名方命の陣に丸をした。


「ここが要の《戦場(いくさば)》だと思う。ここが落ちれば黄泉が負け、ここを守りきれば高天原の負ける。」


 そして、もう一箇所、と丸をしたのは、小さな宮のあるところだったから、雅と妙白は顔を見合わせた。


「そこは?」

「ここは押さえておいた方がいい《場》だ。水平で見るとそうでもないが、垂直に見れば分かる。」


 その言葉に雅は「ああ、確かにそうですね」と納得する。妙白はまだ不思議そうな顔をしていた。


「この上には、何がある?」

「この上は、葦原中国に増上寺、愛宕神社、東京タワーがあり、近くに私の家もあります。」


 そして、さらにまっすぐ上に上がれば、高天原の天岩戸や天安河原がある。


「黄泉だとこの地には何があるのだ?」

「この地は小さなお宮があります。《殯宮(もがりのみや)》が。」


 普段はひっそりとしている宮ながら、常闇の御門と同じく黄泉にとっては無くてはならぬ宮だ。


「垂直に見ると護りのための陣は同じところに建っているから不思議ですよね。ともあれ、この土地には手練の衛士を手配しましょう。ご指摘下さりありがとうございます。」


 そして、その後は人質交換が終わった後の手筈と、進軍方法について擦り合わせする。少彦名命はその話を静かに聞きながら、雅の中にちらつく大己貴命の事を思った。


 雅も、大物主神も、見た目や物腰の柔らかさは似ていても、在りし日の大己貴命とはどこか違う。


 いや、違っていて当たり前なのだが、それがどことなく淋しい。


(きっと昔の大己貴命なら、こんなに素直に受け入れない。)


 あれやこれやと根比べをし、もっと侃侃(かんかん)諤諤(がくがく)としたものだ。


「先程の宮を護る件、あちらに兵を割くということは、建御名方命がいるという要の部分の護りが薄くはならないか?」


 そう呟いてみれば、ふふっと笑って「どうしたのです? 前言撤回など貴方らしくもない」と言われる。


「確かに押さえておいた方がいい《場》だとは言ったが、そこを護ることは必須ではない。」

「ですが、ここを押さえられれば、三界全てに影響が出るでしょう?」


 永きにわたり死神だった轟が、建御雷命なのであれば、その一挙手一投足で大地震だって起こせる。


「そうなれば、天照大神が天岩戸に再び籠り兼ねませんし、葦原中国も大打撃を受けましよう。それは可能な限り避けねばならぬこと。」


 葦原中国の民が自ら生み出す領有(うしはく)の国を、高天原が介入して統治(しらす)の国として壊すのは何度も起こっているがその度に多くの血が流れてきた。


「あのように血で血を洗うような毎日は考えるだけで嫌ですし、ましてや多くの魂が彷徨い、この黄泉にも来るだろうに殯宮なくば悪鬼にならざるを得ないでしょう?」


 雅は「正直七十年前の再来は勘弁して欲しいんですよ」と悪態を吐いた。

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