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胡蝶の夢  作者: みなきら
胡蝶の夢、我となれるか
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胡蝶の夢、我となれるか

 上へ、上へ、下へ。


 また、上へ、上へ、下へ。


 規則的な、それでいて、不規則な動きで、蝶となった加代子は飛んでいき、一輪の蓮の花の元に止まった。


 複眼で見る世界は、万華鏡のようで、美しく見える。


 蓮の葉に朝露が溜まり、キラキラと輝き見える世界。池の下には龍でも潜んでいるのかのように、銀色の鱗が輝かせていた。


(これは記憶・・・・・・?)


 それにしては須勢理に関わる情報がなく、ただただ幻想的な世界だ。


「こちらにおいで。」


 不意に聞こえてきた声を頼りにヒラヒラと進んでいくと、赤と白のグラデーションの袍を着た男の姿が遠目に映った。


「そう、こちらです。おいでなさい――。」


 優しげな声に惹かれて進んでいくと、止まり木のように指先を差し出されるから、加代子は人差し指に止まった。


「ようこそ、()()()さん。」


 声の主が誰なのかに気がついて「雅?」と、一度、問い掛ける。


「ええ、そうですよ。元の姿をイメージ出来ますか?」

「元の姿――?」

「ええ、《人》だった頃の加代子さんを。」


 心配性のお父さんとしっかり者のお母さん。


 口煩いお兄さんと、口喧しい妹。


 そう囁かれると、瑠璃色の揚羽の蝶の姿から加代子は《加代子》に戻れた。


「ここは、どこ――?」


 雅に腰を支えられてふわりと大蓮の葉の上に下ろされる。しかし、その柔らかな笑みを見ると、何故か違和感を感じた。


 自分の知る雅はこんな風だったろうか?


 記憶にある須勢理から見ていた大己貴命とも、琴子から見ていた雅信とも、自分の見ていた雅ともどこか違う気がする。


「貴方は、誰――? 雅だけど、雅とは違う気がする。」


 すると、目の前の雅は少し目を見開き、もう一度柔らかく笑った。


「なかなか鋭い事を仰る。確かに私は《大物主神》と呼ばれしもの。」

「大物主神?」

「ええ、大己貴命に分霊されし和御魂です。」


 そうして、加代子には「貴女の知る雅の双子か何かだと思えばいいですよ」と説明する。


「じゃあ、雅ではないの?」

「同じとも言えませんが、記憶も感情も一つとしていますので違うとも言いきれない。《夢の中の雅》とでも思っていただければいい。」


 言われてみれば、この雰囲気を加代子は知っていて「私が死んだ時にいたドッペルゲンガーな《雅》は貴方?」と訊ねた。


「ええ、私が媒介しました。しかし、荒御魂への伊邪那美命の力が強く、不完全な形で貴女の前に現れることになりましたが。」


 加代子はそれを聞くと、それであったような心地になったのかとようやく腑に落ちて「分かった、《夢の中の雅》だと思う事にする」と笑った。


「綺麗なところだね。」

「ええ。ここは大己貴命の記憶にある幽世(かくりよ)の世界。」

「幽世ってこんなに綺麗なの?」

「ええ。幽世は時の流れはあまりなく、穏やかで静謐な世界なんです。」


 そして、そっと水に触れて「とても幸せで、その癖とても哀しい世界」と付け加える。今更ながら気がついたが、大物主神は水の上に立っているのに濡れておらず、指先だけ水に浸すという、とても器用な事をしていた。


「幽世には生も死もなく、愛も憎もない。貴女がそうなったように、自分が蝶なのか、蝶が自分なのか分からなくなる世界ですから。」


 その言葉に加代子は「じゃあ、私は、今、幽世にいるの?」と訊ねる。


「いいえ。どうやら晴明は貴女に哀しい思い出ばかり見せていたみたいですから、これ以上干渉されないように、意識をこちら側に引っ張りこんだんです。」

「干渉?」

「ええ、大己貴命は貴女に哀しい思い出を見て欲しいわけじゃない。」

「え? でも、私が行くのは《必然》だったんじゃないの?」

「それは晴明の詭弁ですよ。加代子さんが連れて行かぬとも、須勢理は自然と黄泉に行き、素戔嗚と八嶋士奴美は須勢理が黄泉に行ったのを知る。」


 そう言うと、大物主神は哀しげな表情に一変した。


「あの時、大己貴命の私が躊躇ったばっかりに・・・・・・。」


 一瞬の躊躇が須勢理を加羅の地に、そして、黄泉へと向かわせてしまった。


「たとえ天津神どもに国を壊され、この魂を消されたとしても、貴女を手放すべきではなかった・・・・・・。」


 苦しみ、哀しみ、嘆く須勢理をただ見ているだけしか出来ぬ幽世で、どれほど後悔したか分からない。


「けれど、そう出来なかった理由もあるのでしょう?」

「ええ、あの時の大己貴命は私を分霊してしまったがゆえに、戦ごとには強く出られなかったのです。」

「何か理由があって分霊したのではないの?」

「いいえ、これは少彦名命を幽世に助けに行った後遺症のようなものなのです。」

「後遺症・・・・・・?」

「ええ、あの時ももっと良い方法があっただろうに、天津神の甘言に乗せられて少彦名命に八つ当たりしてしまったのです。」


 大物主神から感じるのは深い後悔で、加代子はその沼底に彼が沈んでしまいそうに見えて腕を掴んだ。


 すると、大物主神は驚いた表情にかわり、心配そうに見る加代子に微笑んでみせる。加代子はその笑顔を見ると胸がずきりと疼くように痛んだ。


「ごめんなさい・・・・・・。」

「何を謝るんです・・・・・・?」

「私も、貴方を傷付けた一人だから。過去の私が須勢理であることを止めて、誰よりも傷ついたでしょう?」


 すると、大物主神は袖を引き、加代子を抱き締める。ささくれだった心が幾ばくか凪いでいった。


「加代子として出会うのも、貴方が先なら良かった。」


 そしたら、あんなに心揺れる事もなかっただろうに。


 後暗い気持ちが抜けきれなくて、大物主神から離れようとすると、逆に抱き締めてくる力は強まった。


「貴女と淤加美神が惹かれるのも《必然》なんです。そして、私と彼が貴女を巡って争うのも。だから、貴女がその事に傷付く必要はない。」


 そして、大物主神は晴明が見せてくれたように世界樹の模型を生み出す。それは晴明のものよりもより精密で細やかなホログラムだった。


「今、加代子さんが見ている風景、《幽世》は世界樹の《心の太柱》にあります。」

「この国のエネルギー体の真っ只中?」

「ええ、そうです。そして、ここは原子炉のようなもの。常に融合と分裂を繰り返す世界。」


 そこに閉じ込められるという事は、ほかの思念体と融合し分裂するという事に他ならない。


「それでも稀に《龍》と為る魂と、それが乞い求めて止まぬ《宝玉》の魂が生まれます。」

「それが大己貴命と須勢理毘売命って事?」

「ええ、ご明察です。この《心の太柱》の中で、宝玉を求めて昇り、それを得た後は龍穴より()でて地に栄華と滅びを与えるために降る。しかし、今はその龍穴が閉じられてしまい、龍は降れずにいるのです。」


 大物主神が指さした先には、いくつもの六芒星が輝いている。そして、その手前には黒いシミのある岩に絡み付くように立つ榊の木があった。


「このまま内圧が高まり続ければ、池に棲む龍が岩を砕き、あの神籬の生木を割いて《心の太柱》を駆け昇ります。」

「圧力鍋のように?」

「圧力鍋とは言い得て妙ですね。」

「さっき晴明が言っていたの。私はその圧力鍋の重石みたいになれる唯一の存在だって。」

「ええ、仕組みとしてはその通りです。」

「じゃあ、貴方も私に圧力鍋の重しになれというの?」


 その例えに大物主神は可笑しそうに笑い「ええ、言わんとすることはそうですね」と話した。


「圧力鍋の重石に例えるとは思いませんでしたが、その重石を緩めて上手く中の圧力を散らすのは貴女しか出来ません。貴女は唯一無二、《龍》たる魂に六根一筋(むねひとすじ)に仕える巫女ですから。」

「六根一筋に?」

「ええ、五感の全てとその意識を捧げる事で、龍神祝詞を体現させられる本当の巫女。貴女が望めば世界は火や水で浄化され、貴女が望めば世界は安寧と栄華を極める。」


 大物主神は「東京タワーで、辺り一面、火の海にするなんて朝飯前だと話したでしょう」と言うから、加代子は「だから、それ、なんてラスボス?」と苦笑いを浮かべた。


「それでも大物主神として私を分霊してますから、大己貴命はかなり力は削がれているはずですよ。」


 それを聞いて「分霊してる状態で規格外(イレギュラー)って言われてた気がするんだけど、分霊していない状態だとどうなるんだろう」と頬が引き攣った。


「淤加美神や天津神と渡り合うのであれば、いずれ私との統合も必要だとは分かっているのですが・・・・・・。」


 統合するなら《和御魂同士》でないと難しいと大物主神は話した。


「和御魂同士なら統合出来るの?」

「ええ、幽世は融合もしますから。」


 そもそも大己貴命の魂が二つに分霊してしまったのは、大己貴命が失意と後悔の念を抱いたまま少彦名命を追って《幽世》へ踏み込んでしまった事が原因だそうだ。


「じゃあ、大己貴命は二度も幽世に?」

「それは少し語弊がありますね。大己貴命も貴女も元を辿れば、この地の生まれの神なのです。」


 それゆえ、この地にあっても自我を保てると話す。


「大己貴命が須勢理に渡した玉璽は《幽世への鍵》の合鍵になっていた。」


 だからこそ、天津神はそれを探し求め、素戔嗚尊の邸を襲って奪おうとしたのだ。


 二度と大己貴命が決してこちら側に戻れぬように、と。


「あれ? でも、今、《雅》がいるってことは誰かが《幽世の鍵》で開けたの?」

「ええ、仰る通りです。鍵は流れに流れて、少彦名命の子孫の手に渡りました。」


 そして、神功天皇の御代に新羅が襲ってきたにも関わらず、兵が集まらず、止むを得ず、力技で大己貴命の魂を解放したのだ。


「大己貴命には別名、八千矛神という武神としての名もありますから。」

「八千矛? でも、今、使ってるの《大鎌》だと思ったんだけど?」


 加代子がくすりと笑うと、「色々な武具を嗜みましたが、それが一番の得物なんですよね」と大物主神も苦笑しながら話す。


「元々、田畑を開墾していたものですから、大鎌や鋤、鍬なんかの方がなんだかしっくり来てしまって。」


 それを聞くと加代子はぷっと噴き出し、あはははと声を立てて笑った。


「一瞬、麦わら帽子を被って、首にタオルかけてる雅を想像しちゃったよ!?」

「麦わら帽子にタオルですか?」

「うん、つなぎを着て、長靴を履いてるの。それで大鎌を持って畑の除草してるのを想像しちゃったら・・・・・・。」


 そんな野良仕事姿の雅を想像したら、笑いが止まらない。大物主神もふっと笑みを漏らした。


「いいですね。そんな未来も。」

「いやいや、雅がやると家庭菜園レベルじゃなくて、大農場レベルになりそうな気がするんだけど?」

「ふむ。それも悪くないですね。加代子さんはぜひ、花柄のつば広帽を被って、お茶にしましょうと呼んで貰わねば。」

「ちょっと、花柄のつば広帽って! もう笑わせないでよ。お腹痛い。」


 加代子がまだくすくすと笑いながら、大物主神を見れば、彼はとても幸せそうな顔をしていた。


「ああ、やはり、加代子さんといる時は、本当の自分でいられる気がします。」


 外連(けれん)など必要なく、くだらない、そして、他愛ない会話を交わし笑い合う。


 夢もうつつも、過去も現在も、そして、恐らくこの先も。


 そして、加代子を眩しそうに見ると、大物主神は天鵞絨(びろうど)のように柔らかな声で、「こんな幸せな時間をもたらしてくれる貴女をほかの誰かになんて渡す気など毛頭ないのです」と笑った。


「また、そういうことを臆面もなく言う。」

「いけませんか?」


 口を尖らせていた加代子はふっと笑みを漏らすと、首を横に降り、大物主神のおでこに自分のおでこをコツンと合わせた。


「それなら、もっと幸せになって。 私は貴方に笑ってて欲しいの。」


 おでこを通して伝わる熱のように、この幸せな心地も伝わればいいのに。


 大物主神は目を細め、加代子の事をぎゅうっと抱き締めると「分かりました」と答える。それから、名残惜しそうに身体を離すとニコリと笑って見せた。


「さて、送って上げますから、そろそろ目を覚ましませんか? 」

「え?」

「ずっとここに留めて置きたいけれど、それは貴女の魂に差し障りがあります。それにそろそろ現実世界で再び高天原軍と黄泉軍の両軍がぶつかる頃です。」

「もうそんな時間?」

「ええ、夢の中は時間の流れが不規則ですから。貴女は貴女の守りたい人々のいる世界にお戻りなさい。ご家族のこと、護りたいのでしょう?」

「うん、でも《ご家族》だと、貴方もいないと目が覚めないかも。」


 怪訝そうにする大物主神に加代子はにっこり笑った。


「《雅》はもう、私の一番大事な《家族》なんだよ。つまり()()が、ね。」


 そして「きっと無事に戻ってね」と話す。


 大物主神が「これは、一本、取られましたね」と声を立てて笑うと「晴明の気を頼りに戻しましょう」と話す。


 加代子は、もう一度、大物主神を抱き締めると、「いつか再びこの場所で」と笑った。

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