ピン
時は少し溯る。加代子は雅と一緒に溜池山王駅に向かっていた。
雅の事だから、てっきり鏡渡りか、天翔るかすると思ったのに、「心配だし、途中までは一緒ですから」と小笹をネックレスに戻して付いてきたのだ。
「その格好、目立つんじゃない?」
「大丈夫ですよ。堂々としていれば、今の現世は案外この姿に寛容だと分かりました。」
ここに来る前には、新宿界隈にいたらしいが、少しチラ見されるくらいだったと話す。
「うーん、それは新宿、渋谷、原宿あたりだからだと思うけど・・・・・・。」
「そうですね。溜池山王に着いたら、さすがにチラチラ見てくる人が増えたので脇道に入って、咄嗟に加代子さんを目掛けて転移したんです。」
加代子はくすくすと笑い「それで、私を目掛けて転移して目測を誤ったの?」と訊ねれば、「はい」と苦笑いを浮かべる。
「根の堅洲国に行ったのは分かっていたのですから、素戔嗚尊の庭を目指して転移すべきでしたね。」
雅は「本当に怪我をさせなくて良かった」と言いながら、サラリとエスコートして車側から歩道側に入れ替わる。加代子はそんな小さな気遣いが嬉しくて、雅の腕にその腕を絡めた。
「この後は、どこへ行くの?」
「末広町まで。神田明神に用があるんです。」
「末広町ってどの辺だっけ?」
「御茶ノ水と秋葉原の間くらいですね。」
すると、加代子も「まあ、それなら、その格好でも馴染むか」と納得した。
「そんなわけでコスプレ夫だとでも思ってください。」
雅が言うから、加代子は「あははは」と声を立てて「そう思うよ」と笑った。
溜池山王駅までの道程はそんなわけで思ったよりも近くて、地下鉄の階段を降りるのがちょっと勿体なく思えた。
表参道駅に降りた時のように、異形の者と現実世界の人とが入り交じっていく。
そして、現世で銀座線に乗り込むと、このままデートしていたいような気にさせられる。
「あと四、五分くらいですかね・・・・・・。」
雅が名残惜しそうに言うから、加代子も何だか感傷的な気分になる。
「全部片付いたら、ゆっくり遊びに行こうよ。」
「そうですね。今度はスカイツリーにでも行きましょうか?」
加代子は「高い所が好きだね」と話しつつ、くすりと笑う。
「高い所にいけば、少しは息が吐ける気がするんですよ。」
八十神、素戔嗚尊、天照大神。
朝廷、死神協会、そして、伊邪那美命。
いつだって誰かしら、何かしらが柵となって自由には生きられない。兎角、どこの世も住みにくく、「どこへ行っても住みにくい」と悟った時、高い所へと逃げたくなる。
「そんなに息が詰まってるの?」
「ええ、割と。今も本当は逃げ出したくて仕方ありませんよ――。」
すると、加代子は手を伸ばし、雅の髪をクシャリと撫でる。
「雅は頑張ってるよ。」
そして、バカップルな行動だなと思いつつも、他に見えない事をいい事に、キュッと雅に抱きつく。
「絶対に助けるから、ね・・・・・・。」
虎ノ門駅から新橋駅へと電車は進み、「まもなく新橋」とアナウンスが流れる。雅はきつく加代子を抱き締めると「待っています」と囁いた。
その少し寂しげな雅の声は青砥駅についても耳から離れなくて、加代子は決意を新たにして熊野神社前まで辿り着く。そして、鳥居を潜ろうとして「あ、加代子だ」と言う声に気がついて足を止めた。
「槐?」
「よッ! 久しぶり。」
一年ぶりとは思えない気軽さで、槐こと、少彦名命が声を掛けると、加代子は目をぱちくりさせた。
「どうして、ここに?」
「んー、大己貴命がよろしく頼むって言うからさ。神田明神から来たわけ。」
「仲直りしたの?」
すると、少彦名命は目尻を下げて、くくっと気分良さそうに笑う。
「いやー、あいつが謝罪するとは思わなかった。」
少彦名命は「顔を見るなり、こう、腰を九十度に曲げて。立ってなかったら土下座する勢いだったぞ?」と言いつつ、「仕方ないから、美味い酒付き温泉旅行で許してやったんだ」と話す。
どうやら雅は、誠心誠意、少彦名命に謝ったらしい。
「荒御魂には変わりないが、今は《時任 雅》としての意識が勝っているみたいだな。俺に敵意があるようでもなかった。何だか大変な事になってるみたいだけど、《加代子の手伝いなら》って条件付きで、手伝いを引き受けたってわけさ。」
そうこうしている間に今度は反対側から「姫様ッ!!」と呼ぶ声もしてくる。
「柳舟・・・・・・?」
「ま、間に合った・・・・・・。」
「どうしてここに?」
「父上から一緒に行くようにと命が下りました。」
すると、少彦名命は「素戔嗚尊も大己貴命も本当に過保護だよな」と笑う。加代子も「本当に」と苦笑いをした。
「何だか《はじめてのおつかい》をさせられてる気分。」
そうぼやきながら鳥居を潜れば、黒い和服姿の女の子が唐傘を日傘にして立っている。ロングヘアの黒髪は、よく手入れされているのか艶があり、鴉の濡れ羽のようだ。そして、加代子と目が合うと「お前、私が見えるのか?」と訊ねてきた。
「え、ええ。」
そして、加代子に続いて鳥居を潜った少彦名命と柳舟を見ると、眉根を寄せる。
「珍妙な客だな。神域に何の用で参られた?」
少彦名命は柳舟や加代子の様子に「確かに珍妙な客に相違ないな」と笑って、「安倍晴明に逢いに来た。晴明はいるか?」と訊ねた。
「晴明を訪ねに来たのか?」
「ああ、留守か?」
「いや、そこの水神社にいる。」
女の子が指さした先には小さなお社だ。
「そうか、邪魔するぞ。」
少彦名命が水神社へ向かおうとすると、女の子は眉間に皺を寄せ、「ならぬ」と唐傘を畳むとぶんと振り回す。あと少しで当たるという所で少彦名命が避けた。
「何すんだよッ?!」
少彦名命は文句を言ったが「晴明より、我が誰か見破れぬものは誰一人通すなと言われている」と言う。少彦名命は「はあ?」と声を荒らげた。
「・・・・・・ったく、何だよ、それ。」
「スフィンクスのなぞかけみたいですね。」
柳舟も困り顔をする。一方の加代子は小首を傾げた。
「え、八咫烏じゃないの? 普通に考えて。」
「は?」
「え?」
雅に言われていたのもあるが、何を迷う事があるのかと加代子は問うたが、答えの出ない二人に加代子の方が戸惑ってしまった。
「女、お前は晴明の元へ行く資格があるようだな。」
「そうだとしても、生憎、私だけそちらに行くわけにはいかないの。この二人は私のお目付け役だから、お目こぼししていただけないかしら?」
そういうと「できぬ相談だな」と即答される。
「そう、では、これと引き換えではどう?」
雅に言われていた通り、紫の雷のこもった石を見せると、途端に八咫烏の目の色が変わった。
「それは、もしや滝宮殿の護り石か?」
「ええ、ここを通してくれるなら、この石を貴女に渡しても良いと彼に言われているの。」
「何故それをお前が持っている?」
「縁があって、貰ったの。これと交換で通してくれない?」
八咫烏は猜疑の表情をする。そして「それが仮に本物ならば、お主と、そこの男子は通そう」と答えた。
「しかし、もう一人は諦めよ。」
少彦名命が「男子だと」ムッとしたが、加代子は「まあまあ」と宥める。そして、八咫烏には「残念ね。それではこの石は上げられない」と懐のお守り袋の中に石をしまった。
「柳舟も通してくれないと困るの。柳舟が素戔嗚尊に叱られてしまうもの。」
それを聞くと八咫烏は「お主は素戔嗚尊の使いなのか?」と柳舟に問う。柳舟は加代子を見て「使いというか、そこに坐わす、素戔嗚尊が娘、須勢理毘売命のお伴をせよと命ぜられている」と話した。
「須勢理毘売命?」
八咫烏は加代子をまじまじと見て、その顔立ちに在りし日の面影を見出したのかハッとした表情になる。
「雅に八咫烏に会ったら《結びの宮の一大事である。八咫烏よ、我に従い、晴明を止めよ》と伝えて欲しいって言われてるんだけど。貴女であってる?」
そして、晴明が、月読命を介して伊邪那岐命と天照大神に討伐を依頼したが故に、高天原と黄泉の国の均衡が破れた旨を話した。
「貴女が味方になってくれないと、《今夜には夜の食国と黄泉の国で夜戦になるだろう》とも話していた。そうなったら、黄泉軍は疲弊し、伊邪那美命も雅自身の身も危ないとも・・・・・・。」
そして、その先にあるのは素戔嗚尊と根の堅洲国の危機だ。
そう匂わすと、すぐさま八咫烏は「承知しました」と応え、構えていた日傘の先を下ろし「こちらにございます」と異空間の入口を開く。
先に柳舟、それから少彦名命が入ったのを見届けると、加代子は八咫烏の娘に雅から貰った石を渡した。
「もし、従ってくれたなら、これを渡して欲しいと言われたの。そして《丑三つに常闇の御門にて待つ》と伝えて欲しいと言ってた。」
「常闇の御門にて・・・・・・。」
「ええ。雅、つまり滝宮殿は今は伊邪那美命の眷属になっているの。充分な力を発するなら黄泉の国じゃないとダメなんだって。」
そう沈んだ表情で話す加代子に八咫烏は「最善を尽くします」と話して先を促した。
◇
異空間を抜けると桜といろは椛の新芽が美しい庭へ出た。
「ここは常春の庭。晴明の作りし空間にございます。」
博雅の所で秋は堪能できるので、こちらは常春にしているのだと八咫烏が説明する。邸へ入り控えの間へ案内されると、加代子は意識を集中させ、小笹がいつもしてくれるようにTPOに合わせて桜の襲ねへと姿を変じた。
「お、そういう事も出来るようになったんだな。」
「まあ、スピリチュアルな存在だしね。」
「じゃあ、俺もそっちに合わせよう。」
そう言うと少彦名命も水干姿に変じて、頭に着けていたゴーグルを袂にしまう。
「御二方ともよくそんなに簡単に変じられますな・・・・・・。」
思わず柳舟が呆れ声で話す。加代子に至ってはいつの間にか小笹も顕現させ、細やかなチェックをして貰っていた。
やがてお呼びが掛かると、加代子達一行はこちらも居住まいを正した晴明と対峙することとなった。こちらは狩衣姿だが、雅の着ていたのとは違い上も下も白い浄衣を着ている。
「今世ではお初にお目文字致します、須勢理毘売命。」
「ええ、こちらこそ初めまして。晴明」
開口一番から名の縛り合いが始まり、互いに躱す。
「斯様なところまで、如何されましたか?」
空惚ける晴明に加代子はにっこりと微笑むと「我が夫、大己貴命の助命を乞いに参りました」と話した。
「何でも月読命に《八岐大蛇の魂を宿りしものを狩ればいい》と仰せになられたとか。」
すると、晴明は「ええ、お伝えしましたよ」と悪びれずに話す。加代子は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐさま不敵な笑みを浮かべ直した。
「いかに八岐大蛇が魂の容れ物とされていても、大己貴命は我が夫にございます。しかも、そうなってしまったのは、元来、私に刻まれた御印のため。今はその解呪のために、伊邪那美命が元へ向かおうと思っている所存です。」
「それで?」
「ですので、この度の高天原への申し出を取り下げては下さいませんか?」
そう話して「この通りにございます」と頭を下げると、柳舟は座ったまま、わなわなと肩を震わせた。
たかだか人魑魅に過ぎぬ晴明が、自分の仕える姫に頭を下げさせていると思うと、腸が煮え繰り返る思いになる。
柳舟が晴明をギロリと睨み、加代子の横で控えている小笹も心底悔しそうに唇を噛み締めている姿が見える。更には晴明のすぐ傍に侍ている八咫烏の娘さえ、忌々しそうに晴明を見ていた。
「なるほど、あのご主人にして、この正妻。全く、適いそうにありませんね。」
晴明は相好を崩すと「如何様にして紫苑まで味方に引き入れたのです?」と微笑んだ。
「素戔嗚尊は我らが一族の盟友だ。お主は素戔嗚尊まで危険にさらすつもりだったのか?」
晴明は先程の名縛りが上手くいかなかった時から、慎重に話を進め始めていた。
「素戔嗚尊に万一があれば、私は紫苑、お前を素戔嗚尊にお返ししていたよ?」
「どうだか・・・・・・。」
「それよりこの方々をこの地に入れたという事は、須勢理毘売命はお前の本性を見破ったのだね?」
「そうだ。今までお前が名で私を縛ってきたことも、滝宮殿の護り石で破れている。」
「なるほど、彼の方の護り石をお持ちでしたか・・・・・・。」
晴明は、一人、納得したらしく「参りましたね。これは白旗を上げざるを得ないようです」と溜め息を零した。
「観念したらどうだ?」
「そうですね、続きは場所を移させていただきましょう。」
「逃げるのか、晴明。」
「ええ、逃げます。さすがに四対一は分が悪いですから。」
そう言うと晴明はにこりとし「我は春と秋をつなぐ者」と唱えて異空間を繋げる。
「まだ大己貴命に消されたくはないですからね、博雅に間に入ってもらうようにします。それに、貴女も須勢理毘売命や琴姫としての記憶が全てあるわけではないでしょう?」
晴明は加代子にそう言うと「なぜ人の世に生まれ変わったかや、琴姫の時はどうお過ごしだったか覚えていらっしゃいますか?」と話す。
⠀加代子は頷くと「彼は道真公を救いに降りた彼を追い掛けて行ったの」と話した。
「道真公と彼はとても似通っていたから――。」
時の権力者に認められ、一代で成り上がり、そして、非業の死を遂げる。
「道真公をあのままに放置したなら、その魂は伊邪那美命に囚われたでしょう? 私はそれを追い、琴子なった。」
晴明は「そこまで思い出されているのであれば話が早そうですね」と納得しつつ、「それでは御自身、須勢理毘売命としての最期は覚えておいでですか?」と訊ねた。
加代子は首を静かに横に振った。
「では、大己貴命から我が身を守って頂けるよう、私が知る限り、その当時のお話を致しましょう。」
そして「《大己貴命を誅せ》と言った理由をご理解頂きたい」と加代子に話した。




