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胡蝶の夢  作者: みなきら
胡蝶の夢、我となれるか
18/34

ツーク・ツワンク

 夜の食国と根の堅洲国は不思議と似通っている。


 太古に天地に分かたれ、治める神も月読命と素戔嗚尊と異なるのに、一対となっている所が何ヶ所もある。


 しかし、この土地でしか見られないものもあり、それが両側を石垣で囲った石垣の道であった。


「また来たのか?」


 いつもの定位置といわんばかりに、石垣に腰掛けている天津甕星が声を掛けてくる。


「なんだか腹を括った様な顔をしているな。」

「ああ、腹を括ったからな。」


 この夜の食国で恐らく自分に匹敵する者は、この天津甕星で彼には木花知流比売のように庇護する者がない分、一対一で戦ったなら、きっと自分は降伏せざるを得ないだろう。


「今日は何用だ?」


 群青色の常夜の国に八嶋士奴美神は一人やってきた。今日は酒樽もなければ、伴の者さえいない。


「月読命に会わせて欲しい。」

「会ってどうする?」

「この戦を止めに来た。」


 その言葉に天津甕星は「もう黄泉へ進む支度が済んでいる」と答える。


「ああ、知っている。」

「根の堅洲国が邪魔だてすれば、高天原が許すまい?」

「ああ、そうだな。だが、それは止めても止めなくても同じ事だろう。黄泉が敗退すれば、高天原の次の狙いは根の堅洲国になる。」


 すると、天津甕星はくくっ喉を鳴らして笑った。


「月読命のところは住みやすいが、やはりお前といる方が退屈はしないな。」


 そして、ジャンプすると八嶋士奴美神の前に降り立つ。


「それで、どうするつもりだ?」


 いたずら好きの悪童のような顔をして天津甕星が訊ねれば「どうしたら出兵の準備を遅らせられる?」と訊ね返された。


「それは色々だな。兵糧を抜きとったり、馬を厩から放ったり、酒をしこたま飲ませたり。」

「じゃあ、全部やってくれないか?」

「大量の酒を買う元手は俺にはないぞ?」


 八嶋士奴美神は「そう言うだろうと思った」と話すと、ぽんと銭の入った袋を渡した。


「そこに入っている金を好きに使ってくれ。」


 天津甕星は袋の中を覗くと、八嶋士奴美神と袋を交互に確認する。


「こんなにいいのか?」

「ああ、構わない。だが、月読命に捕まったら逃げる時間を稼いで助けてくれよ? それはその駄賃も入っている。」

「なるほど、承知した――。」


 それから「もう俺のものだから、俺用の酒も買っていいだろう?」と楽しげに道を先に進む。八嶋士奴美神は、その後を付いて月読命の御殿へと向かう。


 要所、要所に、金銀、玉、螺鈿を使った御殿は、先日来たばかりだと言うのに、妙に緊張させられた。


「先日ぶりにございます、伯父上。」

「八嶋士奴美神か。如何した。」

「此度の戦の出陣を見送って頂きたく、改めて参りました。」


 先日とは異なり、長い金の髪をひとつに縛っていて、その姿は髪色と瞳の色こそ違えど、父親である素戔嗚尊と双子のようによく似ていた。


「あとは出兵の合図を待つばかりと言う時に。大己貴命が助命ならば諦めよ。」

「大己貴命だけではございませぬ。須勢理や父の助命に参りました。」


 八嶋士奴美神がその場に伏せて奏上すると、月読命は目を糸のように細めた。


「夜の食国が出兵すれば、今の黄泉の国は敗れましょう。しかし、それで高天原の者たちが納得するとは思いませぬ。」


 八雲の一族が苦心して中つ国を統併合させたというのに、それが終わった途端に大己貴命に国譲りを迫り、須勢理を排斥した一族だ。しかも、八嶋士奴美神らがいる「海が近い」と言う理由で、毒虫の這い回る山深い唐王の地に軟禁し続けた。


「黄泉の国が敗れれば、次は根の堅洲国にございましょう。」


 八嶋士奴美神が静かに話す。


「今夜の夜討ちをお考えであれば、父の軍が両軍を迎え討ちます。大己貴命を失えば須勢理が悲しむ。父はそれを良しとはしないでしょう。」


 光と闇、生と死、天と地、昼と夜。


 それらが交わる時、世界は逢魔が時を迎え渾沌す。


 平伏したまま八嶋士奴美神が奏上すれば、「素戔嗚尊はそなたの命は切り捨てたのか?」と訊ねてきた。


「我が軍に相対すと言うならば、そなたは敵軍の将が一人となるであろう?」

「私は一人の将として来たのではございません。貴方の甥の八嶋士奴美神として参りました。根の堅洲国が無くなれば、高天原の次の狙いはこの夜の食国。奴らは好機と見てこの地に攻め入ることでしょう。どうぞ懸命なご判断をお願い申し上げます。」


 ひたひたと月読命の近付いてくる気配がする。身振りで人払いを頼んだのだろう。衣擦れの音がして控えていた者が下がる気配がした。


「甥としてのお主の言い分は分かった。」


 他人の気配が無くなり「そう畏まるな」と言われる。そう言うと顔を上げるように促す。木花知流比売と同じ紺碧の双眸と目が合った。


「八嶋士奴美神よ、木花知流比売は健勝か?」


 ひた隠しにしていた事を訊ねられ息を呑む。


「あの子の母は大山津見神の娘でな。身体があまり丈夫ではなかった。」


 そして「少し昔話に付き合って欲しい」と言うと木花知流比売について話し始める。


 大山津見神には名前が記紀に残っている息子、娘の他にも多くの娘がいて、月読命が娶った娘もその一人であった。


 雲のように咲く桜のような肌に、仄かに薄桃に上気した頬。美しさは木花知流比売から推して知るべしだ。


 最初こそ、夜の食国にて産屋を建ててと思っていたが、情緒不安定になり「一時でいいので、父母の元へ戻して欲しい」と言うので、安定期に入ったところで帰したが、それ以降、戻ってくることは無かった。


 連絡するも、無しの礫。


 待てども待てども、妻も子も戻らず――。


 妻の願いに端を発していたものの、どうやら大山津見神は月読命の元から「身重の身ながら娘が戻された」という事を重く見たようだ。ようやく数多いる大山津見神の子の中に自分の子を見付けた時には、生まれた子は大山津見神の子としての名が与えられてしまっていた。


「あの子の父親が誰なのか、その話は聞いたことがあるのだろう?」

「はい・・・・・・。しかし、聞いた話とは受ける印象がだいぶ異なります。」

「やはり、そうか――。お主が私の《甥》だと強調するから聞いてみたいと思うておった。」


 月読命は、彼にとっての「木花知流比売」は素戔嗚尊にとっての「須勢理毘売」と同義だという。


「つけたかった名前もあるぞ。生まれた子が女であれば狭夜(さよ)毘売と名付く心積りであった。」


 夕星(ゆうづつ)の見える宵の口から、夜の帳が下りる頃の美しい空の景色を冠した名だ。


「だが、それは最早叶わぬ話。しかし、お主が伯父と呼んでくれるのであれば、義理の姪としては縁付く事は出来るのではないかと思っていた。」


 しかし、八嶋士奴美神はそのまま木花知流比売をひっそりと匿った。


「大山津見神や高天原が私の事を悪し様に伝えているのだろうと思う。そして、それを知っているが故、お主の言う黄泉の国の次は根の堅洲国、根の堅洲国の次は夜の食国というのは分かっておる。」

「では、なぜ、晴明の進言を高天原に伝えたのです。」


 非難めいた口振りになってしまうのは、目の前にいる月読命が、並々ならぬ親の愛を木花知流比売に抱いていると感じたからだった。


「伝えねば、須勢理毘売を助けられなかった。」


 須勢理毘売が元へ月読命の加護を付与したとなれば、三界のバランスが崩れる。


「姉上に言わなかったのは、懸命な判断だ。姉上に話していれば、今頃、黄泉だけではなく、全ての界が戦場となっていたであっただろう。それを避けられたのは、晴明が進言があったればこそ。」


 そして、高天原は黄泉だけを攻めた。


「先程の出兵の話だが、準備万端の状態で、出兵をせぬままというのは高天原の目を反らせまい。それゆえ、素戔嗚尊の軍と対峙するのも致し方がないと思う。この旨を素戔嗚尊に告げては貰えぬか。」


 八嶋士奴美神は「戦うおつもりはないのに、戦えとおっしゃるのですか?」と不服げに話す。そこへ「なんか難しい事、言ってんだな」と天津甕星が顔を出した。思わず月読命が呆れ声を上げる。


「天津甕星か――。先程、人払いをしたはずだが?」

「あー、そうなの? 道理で誰もいないわけだ。」

「内密な話をしている、とは思わぬのか?」

「まあ、月読命、俺、八嶋士奴美神なわけだし、固いこと言うなよ!」


 あっけらかんと話す天津甕星に呆れながら、「ああ、そうだ」と袂から「これを持ってきたんだ」と高級酒を取り出した。


 月読命が眉根を寄せる。


「そのように高い酒、どこで買うてきた?」

「厩の馬を売りに出したんだ。そしたら、黄泉の国の者が目を輝かせてな、馬鹿みたいな高値で売れたんだぜ!」

「ほう・・・・・・?」


 月読命は目を据わらせると、天津甕星を見る。


「商売上手だろう?」


 さすがにそこまでやるとは思っていなかったから、八嶋士奴美神は頭が痛そうに額に手を当てる。


「それで、何頭、売ったのだ。」

「え、牧場にいたのをあらかた。さすがに種馬と、あとは子馬を母馬から引き離すのは心が傷んだので残したんだが・・・・・・。」


 天津甕星が「何か、問題だったか?」と空惚けているのか、本気で思っているのか判断が付かなかったがニッコリとした。


「敵に塩を贈るどころか、兵馬を贈る大馬鹿者がいるとは思わなんだ。これも八嶋士奴美神の入れ知恵か?」

「いや、ここまでやるとは思いませんでした・・・・・・。」


 そう言ってから、ハッとして口を手で塞ぐ。


「なるほど、ならば一芝居打つぐらいは、してもらわねばな。」


 月読命が不敵な笑みを浮かべた。

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