鬼より怖い両王手
雅は建御名方神の元へ、加代子と小笹は晴明の元へとそれぞれに向かう。
残された柳舟と妙白は素戔嗚尊に呼び出されていた。
「お主ら二人が付きながら、須勢理が出ていったとは何故ぞ?」
「申し訳ございませぬ・・・・・・。」
「同じゅうございます・・・・・・。」
素戔嗚尊は「謝罪が欲しいわけではない」と言いながら、加代子こと、須勢理の気配を必死に辿っていた。
加代子と小笹の行き先をしれば、素戔嗚尊からもっと大目玉を喰らうだろうと、二人は冷や汗をだらだら掻いていたが、八嶋士奴美神の「父上」という呼び掛けで救われた。
「何だ――。」
「ご相談がございまして参りました。」
「今は取り込んでいる。後ではならぬか?」
「あいにく黄泉に関わることなれば、この場でお暇乞いを奏上したく存じます。」
「何? 暇乞いだと?」
「はい。根の堅洲国を巻き込むわけには行きませぬ故・・・・・・。」
「どういう事だ?」
「大己貴命が助けを求めに参りました。」
その言葉に素戔嗚尊はバッと振り返ると柳舟と妙白を見る。
「須勢理は大己貴命と一緒か?」
地響きのような声に、三人とも思わず固まる。それから、柳舟と妙白が思い切り目を泳がせる。八嶋士奴美神はハッとして「これから向かうところにいるのやもしれません」と話した。
「どこだ?」
「安倍晴明ゆかりの熊野神社にございます。」
「熊野神社? では、伊邪那岐命のところへ行ったのか?」
「いいえ、安倍晴明に会いにでしょう。此度の事態の発端は晴明にありますから。」
八嶋士奴美神が「須勢理を連れ戻してまいります」と言えば、素戔嗚尊は思案顔になった。
「こちらの守りは妙白がいれば何とかなろう。念の為、柳舟は、須勢理を追い、晴明を説得してこい。」
「父上?」
難しい顔をしたままだが「あの大己貴命が無策で須勢理を敵地に送るとは考えにくい」と話す。
「八嶋士奴美神には別にやってもらい事がある。」
「私にですか?」
「ああ、もう一度、月読命の元へ向かってはくれまいか?」
そう言うと凸型の駒を2つ手に取り、柳舟に「先程、式符で伝えた戦況をもう一度伝えよ」という。柳舟は「承知しました」と言うと、雅が朱墨で書き込んだ黄泉の国の図と、夜乃食国の図、それから根の堅洲国の図を広げた。
「我らは夜乃食国を経由して、高天原の軍が黄泉の国に入ることは許可しました。しかし、黄泉の国の入口近くに張っている後方の陣。こちらが我らの地に留まることまでは許しておりません。」
「高天原側が盟約違反をしていると?」
「それだけではございません。この後方の軍ですが向きが我らの方に向き、夜乃食国からもこちらに入ってこられれば、挟み撃ちになりかねない状況です。」
八嶋士奴美神はそれを見ると「伯父上のところに行って和平を結ぶのですか?」と訊ねた。すると素戔嗚尊は凸型の駒を一方は夜乃食国の軍に、もう一方は高天原の後方の軍に向けて、ことりと置いた。
「表立って、和平を結ぶようには動けぬ。しかし、我と妙白が野に出て、双方に牽制を掛ければ、夜乃食国も高天原も簡単には動けぬであろう。」
「しかし、この配置、高天原は根の堅洲国が黄泉の国に寝返ったと見るのではございませんか?」
「ああ、だから、日暮れ前、夜乃食国側が本格的に陣を敷くまでが刻限だ。それ以降は、当初の計画のとおり、夜乃食国の軍が夜討ちのために黄泉の国へ進行しよう。」
そうなれば、高皇産霊神の思惑通り、高天原の軍は休める一方で、黄泉軍は夜乃食国の軍と戦うことになるので疲弊する。その先にあるのは黄泉軍の敗北だ。
「さすれば、次は根の堅洲国の番だ。」
伊邪那美命の加護が薄れれば、この地の安寧は崩れる。素戔嗚尊には建前としては《中立》を守らねばならなかったが、この状況をゆめゆめ見過ごすわけにも行かなかった。
「分かりました。最悪、天津甕星を買収してでも生き延びましょうぞ――。」
覚悟を決めて、そう答えれば素戔嗚尊は「すまぬ」と悔しげな顔になる。
「必ず戻ってまいれ。」
その顔は一人の父親としての表情であった。
◇
その頃、雅は神田明神の三ノ宮にいた。
「これは一ノ宮殿。如何しました?」
「このような姿でも、私を一ノ宮殿と仰ってくださるのですね。」
この将門、藤原 忠平の家人だった時期があり、「夢で見た」と言って、時平の孫であるにも関わらず、幼い自分の事をいつも「一ノ宮殿」と呼んで慕ってくれていた。
やがてそんな彼が義勇に駆られて「平将門の乱」を起こし、常陸国で死したと聞いた時は悲しく思ったものだが、こうして神田明神が建立され、将門とともに「大己貴命」が「一ノ宮」に祀られた事を思うと感慨深い思いがしてくる。
「あなたにお願いがあってきたのです。」
「私にですか?」
「ええ、軍神たる貴方の力をお貸しいただきたくて参りました。」
すると、将門は続きも聞かずに「承知しました」と答える。
「それで我が軍を率いて、何処に迎えばよろしいのでしょうか?」
「話も聞かずによろしいのですか?」
「何を迷うことがありましょう? 貴方の幼き頃に、私は貴方の懐刀になる運命だと申しましたでしょう?」
そうして「どうやらようやくお役に立てる時が来たようだ」と嬉しそうにする。その様子が彬久を彷彿とさせるから、雅は思わず苦笑した。
「まずは伊邪那美命に目通りなさるのがよろしいでしょう。詳しくは道すがら話すので、よろしいでしょうか?」
「伊邪那美命ですか?」
「ええ。今の私は伊邪那美命の眷属なのです。」
「なんと・・・・・・。では、これから向かうのは黄泉の国でしょうか?」
「ええ。その間、この地が手薄になりますから、代わりを留守居させようと思っています。」
そうこう言っている内に、境内から「やっぱり、イヤだあああぁぁ――ッ!!」と叫ぶ声がしてくる。
雅は少し眉根を顰め、それからにっこりとすると「少し諸用が出来てしまったようです。準備出来次第、境内で後ほど」と踵を返す。
そして、境内に出ると大騒ぎしているかつての息子の様子に、大鎌を生み出すとその柄の方で頭をスコーンと叩いた。
「いっ、たあああッ!!!」
「時叙、黙れ。」
頭を抑えてしゃがみこんだ男は「うぐっ」と言う言葉と共に、喚いていたのから言葉を詰まらせる。凛はようやく男の襟を掴んでいた手を離した。
「旦那様、ただいま戻りました。」
「凛、大変だったろう。すまなかったね。」
「とんでもないことにございます。」
雅と凛の短いやり取りの間に、名前で縛られたのを、自力で解呪したらしい男は再び騒ぐ。
「父上、名で縛るなど、卑怯ではございませんかッ!?」
「本当にお前は変わらない・・・・・・。生前は勝手に仏門に下って、こっちの思惑を潰すし、本当に縁を切りたい・・・・・・。」
「それなら切ってくださいませッ!」
「あいにく、お前とも腐れ縁のようで、切りたくても切れないのです。いい加減、観念なさい。」
何の因果か、大己貴命の息子の事代主神は「源 時叙」として、雅信の八男として生まれた。
時叙としても事代主神の怠け癖、うっかり者なのは抜けず、釣りをしていて花山天皇の宴に間に合わなくなってみんなの前で叱責されたり、その当時の流行に乗っただけなのか、自分から逃げ出したかったのかは知らないが、ある日突然、帝近くに侍る侍従の立場を捨てて出家してしまい「寂源」と名乗るなど、何かと頭の痛い息子であった。
それなのに声明の復活と勝林院の復興など、生前の功徳を認められ、うっかり死神として転生してしまったのが運の尽きだ。さすがに時任の名は冠さなかったが、今は「大原 勝」を名乗る死神として雅の部下になっていた。
「やっぱり、俺、喰われるんだあぁぁッ!!」
雅の深紅の瞳と口元から覗く牙を見て、「観念なさい」の言葉に半泣きで腰を抜かす。雅は頭が痛そうに右手をおでこにあてがうと、ため息を吐いた。
「お前など、喰らっても怠け癖が移るだけでしょう。こちらからお断りです。」
「じゃ、じゃあ、何のために呼び出したんです?」
「単に留守番要員を探していただけですよ。」
「る、留守番要員・・・・・・?」
「はい、短ければ一日、持久戦になっても三日という所でしょうね。」
「じゃあ、喰われない?」
「だから、なぜお前など喰わねばならんのです?」
それを聞くと、勝はあからさまに「ほう」と胸を撫で下ろす。
「いや、死神仲間が時任 雅は鬼と化し、人魑魅を喰らっていると聞いたもので・・・・・・。」
「噂を鵜呑みにするなと昔から言っているでしょう?」
雅は「全く」とため息を吐きながら、それでも見限れない自分にも嘆息する。
「お前を遣うとしたら、こういうことくらいしか頼めぬでしょう? 交渉ごとはからきしだし、武力もてんでダメなのですから。そもそも期待をしていません。」
「うッ、酷い・・・・・・ッ。」
「その癖、ちゃっかり功徳は積むのですから、腹立たしい。」
雅が「前世で功徳を積まなければ、お前など輪廻の輪に乗って、再び会う事もなかっただろうに」と話せば、勝は「そ、その手があったのか」と呟いた。
「まあ、しばらくそこの一ノ宮で、バカンスだと思って過ごしてなさい。そして、誰が来ても、《知らぬ存ぜぬ》で返せばいいです。」
むしろ、それ以上をしてくれるなという雰囲気で雅が言えば、勝はそれなら楽な仕事に思えたのか、「留守番しています!」と二つ返事をした。
「おい、さっきから何の騒ぎだ?」
少彦名命が二ノ宮から顔を覗かせ、雅の姿に驚き、そして、その脇にいる事代主神の姿を見かけると「ああ」と納得のため息を吐いた。
「ここに何しに来たんだ?」
「貴方には謝罪をしに参りました。先日は申し訳ございません。お加減はよろしいですか?」
少彦名命は雅の様子に「理性を取り戻したのだな」と言い、「黄泉に戻ったのではなかったのか?」と訊ねた。
「ええ、未だ、この身は黄泉に縛られています。そして、伊邪那美命の眷属のまま。」
それから、加代子の現状と、高天原軍の黄泉の国への侵攻、その阻止のため、将門公に助力を乞いに来た旨も話した。
「まさか、そいつも連れていくのか?」
「まさか。そこまで愚かな事はしません。留守番要員です。」
「連れていかないなら良かったが、そいつ、留守番要員になるのか?」
「お目付け役で凛も置いていくつもりです。」
「それなら安心だ。」
勝は「ええええ、酷い言われ様ッ!」と嘆く。
「それじゃあ、こっちも加代子の元へ行けばいいんだな。」
「ええ、お願い致します。」
「じゃあ、そっちも気張れよ。」
「ええ、そちらもご武運を。」
「ああ。」
そう言うと少彦名命の姿は白い槐の花に変わり空に消える。
「私も三ノ宮殿とそろそろ行かねばなりませんから、凛、引き続き頼みますよ。」
「はい。承知致しました。」
勝はここに至って、雅が何か大それた事をしでかすのが分かってきて、留守番要員になる事を後悔し始めていた。
「父上、何をなさるおつもりですか?」
「無論、戦をするのよ。」
「な、黄泉と戦うのですか?」
「それ以上聞けば、お前の立場も危うくなるが聞くか?」
雅が美麗な笑顔を浮かべると、それが「不機嫌の極み」と知っている勝は首を大きく横に振る。そこに将門が「お待たせした」と境内に姿を現した。
「それでは鎧と刀と分霊された魂を取りに行きましょう。」
「承知しました。ところでこちらは?」
「私の生前の息子、時叙です。今は大原 勝という名で死神をしています。」
「ほう? では、一緒にご出陣なさるのか?」
将門が期待した目で見てくるから、勝はぶんぶんと首を横に振り、「お、大人しく留守居しておきますッ!」と言って脱兎のごとく一ノ宮へ逃げ込んでいった。
雅は苦々しげに「あれは留守番要員です」と呟いた。




