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胡蝶の夢  作者: みなきら
胡蝶の夢、我となれるか
15/34

後攻「6二金」

 瑪瑙は目の前の老人が「猿田彦神」とは知らぬままに、後について異空間へ渡った。


 闇の中に見えてきたのは、鬱蒼とした森でさらに付いていくと急に目の前が開け、山荘の築地横に出た。


「こちらだ。」


 言われるままに進むと、やがて築地は切れて、邸の中へ誘われる。


「こちらは?」

「我が家よ。丁度、八嶋士奴美神が坐している頃であろう。ここには誰も来ぬし、八嶋士奴美神も黄泉の者にはさほど抵抗感を抱かぬ。頭巾を外して相対しても差し支えぬであろうよ。」


 その言葉に瑪瑙は少し眼を泳がせたが、赤酸漿のような猿田彦の目を見ると恐る恐る頭巾を取った。猿田彦は頭に生えた角を見ても、全く動じる気配はない。そして、誘われるままに、猿田彦の邸へと上がる。一方、猿田彦は邸に上がると訝しげに片眉を上げた。


「どうやら八嶋士奴美神以外にも客人(まろうど)がやってきているようだな。」


 厳しい表情になり、瑪瑙に「万が一もある、少し離れて歩め」と促した。部屋へ進むと先んじて猿田彦神が声をかける。


「ただいま戻りましたぞ、八嶋士奴美神。」

「おお、やっと帰ってきたか。一体、どこへ行っていたのだ?」


 歳若い、それでいて和やかな声が聞こえてくる。


「少しばかり、散歩をな。それはそうと、我はお一人か、和多利といらっしゃるものだと思っていたのですが、何故、ここに大己貴命らしき方がいらっしゃるのです?」


 呆れた声を上げながら、話しているのを聞きながら、どうやら、もう一人の客人も猿田彦神の見知った顔だったのだと推察する。しかし、次の瞬間、大己貴命と呼ばれた男の声に瑪瑙は戦慄した。


「お久しゅうございます。かなりの間、ご無沙汰してしまいましたね。」


 全身に鳥肌が立ち、じんわりと汗をかく。瑪瑙は紅玉の首が飛び、清姫が目の前で消された瞬間を思い出して「ひっ」と悲鳴をあげそうになり、慌てて手で口に蓋をした。


「なんじゃ、お主、しばらく見ぬ間に雰囲気が変わったの。」

「この状況を《雰囲気が変わった》で片付けられる猿田彦神を尊敬しますよ。」


 大己貴命のくすくすと柔和な笑い声を聞いても、猿田彦神の気を許した表情を見ても、瑪瑙は身体の震えが収まらなかった。先程外したばかりの頭巾を被り、再び口元まで覆う。


「ああ、そうだ。八嶋士奴美神、お前に客人だぞ。」

「客人?」

「ああ。もう良いぞ、入って参れ。」


 しかし、瑪瑙の足はその場に縫い付けられたようにぴくりとも動かず、猿田彦神が訝しんで声を掛ける。


「どうした?」


 瑪瑙は「何でもございませぬ」と答える。


「そうか? それはそうとまた頭巾を被ってしまうのだな。 」

「はい、八嶋士奴美神以外もいらっしゃるご様子ですので。」

「ああ、大己貴命か? 大己貴命も異形の者には寛容ぞ?」


 すると、大己貴命と呼ばれた男は「何せ自分が異形な状態になってるからな」と苦笑いをする。それでも、瑪瑙は頑なに首を横に振った。


「このような出で立ちで、非礼をお詫び申し上げます。」


 恐る恐る奏上すると、懐から書状を取り出す。


「八嶋士奴美神に我が主よりお渡しするようにと、お申し付けなさいました。」


 闇は緩み、空は日がまだ登る前の薄青の空。


 まだ手元は薄暗いから灯火を近付けて、淤加美神からの書状の封を解いた。


 中身を読み進めると、八嶋士奴美神はあからさまに難しい顔になる。


「どうかしましたか?」

「お主が言っていた《一大事》が本当だと裏付けられたよ。」

「おや、信じて頂いてなかったのですか?」


 不服げな表情の大己貴命を前に、八嶋士奴美神は肩を竦めてみせる。


「いかがした?」


 猿田彦神も訊ねれば、八嶋士奴美神は「高天原が黄泉に攻め込んだ」と話す。猿田彦神は文字通り目を皿のように丸くした。


「小競り合いかと思いましたが、よもや常闇の御門まで何故、今になって・・・・・・。」

「それには心当たりがある。」


 八嶋士奴美神が苦虫を噛み潰したような表情をすると、大己貴命は「加代子さん絡みですね」と納得した。


「ああ。月読命のところに加護を求めに行った時、晴明が黄泉を叩くのを奏上した。」

「そこから天照大御神に話がいって、黄泉に軍が送られたという事ですね。」

「ああ、時期的な事を考えてもそうだろう。晴明の奏上は良い切っ掛けになったに違いない。だが、我らは黙認するしかなかった。」


 須勢理毘売命の魂は伊邪那美命に囚われかけ、今は何とか素戔嗚尊と大己貴命の力、そして、月読命の力で持ち直している。


「我も力を借せれば良いのだが、木花知流比売の分で余力が無くてな。」


 月読命から木花知流比売を隠すのに、八嶋士奴美神はその力の三割程を割いている。普段はさほど問題ないが、他に割くだけの余力がない。


「月読命の分を誰かが肩代わりするか、伊邪那美命が呪を解くかだな・・・・・・。」


 しかし、大己貴命は首を横に振る。そして、「御方様は呪を解く事は無いだろう」と言い切った。


「何故、そう思う?」

「それが御方様に残された唯一の《希望》だからだ。」

「希望?」

「ああ。」


 大己貴命は「御方様は可哀想な方なのだ」と話した。誰よりも愛した伊邪那岐命に、愛する我が子を殺され、一番見られたくない姿を見られ、荒御魂と化して怒りに駆られて追いかければ、千引石(ちびきのいわ)で封じ込められた。


「御方様が《須勢理毘売命》に呪を掛けたのは、彼女が万人に愛されているから。」


 「一人で黄泉にいる母上の傍に行きたい」と言ってくれて根の堅洲国を築いた素戔嗚尊も、自分の子どもとして引き取り黄泉に置いた淤加美神も、眷属に率いれたはずの自分さえ、須勢理毘売命を大事にする。


 それを羨ましく、妬ましく、それでいて彼女に注がれる愛情を欲しているのが伊邪那美命なのだ。


「今回、月読命までもが須勢理毘売命を助けた事、折り悪く天照大御神が攻め込んできた事、お気に入りの侍女の五十穹が滅された事もあり、御方様の機嫌は今までになく悪い。」


 それに八嶋士奴美神が「それで逃げ出してきたのか?」と問えば、大己貴命は「おおよそそんな感じです」と笑って答えた。


 その笑顔は、とてもあの日の淤加美神と対峙していた男には見えない。


 瑠璃色の美しい魂と、驚いた瞳のまま転がる紅玉の首。


 紫の雷と黒い風の中、太刀に串刺しにされた清姫の魂。


 その向こう側でにぃっと笑っていた夜叉のような男。


 その男が今は柘榴石のような眼を細め、柔和に話すから瑪瑙は困惑した。


「須勢理毘売命が戻ったというのは、真のことだったのか?」


 横から猿田彦神が口を挟む。


「ええ。ここ二、三日ほど前の話ですよ。」

「それはお主が異形の姿になったのとも関わるのか?」

「愛妻を護るためなら、たとえ火の中、水の中、闇の中と言うではないですか。」

「闇の中とまでは聞かぬな? 本当に大己貴は須勢理の事になると人が変わる。」

「そうおっしゃいますが、八嶋士奴美神は木花知流比売、猿田彦神は天鈿女の事では人が変わるではありませぬか。」


 そう言うと大己貴命は懐を探り、一本の簪を取り出した。


「こちらに見覚えはございませぬか?」


 大己貴命が訊ねれば、猿田彦は顔色を悪くする。


「これをどこで・・・・・・?」

「伊邪那美命より下賜されました。やはり鈿女姉さんでしたか。」


 猿田彦がそっと手を伸ばして簪に触れようとすると、大己貴命がそれを制した。


「今はなりませぬ。触れれば私の二の舞を踏みますよ?」


 そう言って袖をまくって見せたのは、刺青のような大小様々な唐草であった。


「それは・・・・・・。」

「伊邪那美命による呪です。」

「鈿女はどうなったというのだ?」


 大己貴命は目を伏せ、静かに青い珠の付いた簪を見た。


「奇稲田姫同様、恐らく御方様に簪に封じられていましょう。」


 猿田彦神は「そんな」と呟いてそのまま押し黙った。


「何度か鈿女姉さんと意思疎通を取りたくて、人型に戻せないか試したのですが、解こうとすればその端からこちらが喰われる有様。服で見えていないだけで、見えてない所はおおよそこの唐草に囚われています。」


 猿田彦神は「道理で下界を探しても見つからぬわけだ」と淋しげに話し、声を震わせた。


 鈿女が居なくなったのは、ここ三、四年前の事。


「あの日はやけに興奮気味に《捜し物が見つかった》と騒いでいた。何でも《瑠璃の珠》を見つけたと・・・・・・。」


 その言葉に他の三人はハッとした表情になる。


「確かに加代子さんは烏森の近くで働いていてその近くの神社によく言ったと聞いています。」

「では――。」

「おそらく鈿女姉さんが見つけたのは、十中八九、加代子さんでしょうね。」


 大己貴命が八嶋士奴美神と話し込むと、猿田彦神が横から訊ねた。


「《加代子さん》とは誰のことだ?」

「《須勢理毘売命》ですよ。」


 猿田彦神は「では鈿女も一連の話に巻き込まれているという事か?」と言い、八嶋士奴美神は「参ったな」とぼやいた。


「月読命を再度説得するしかなさそうだ。」


 天照大御神も天鈿女が魂が掛かっているとなれば、兵を引いて下さる可能性はある。八嶋士奴美神がそう漏らすと、瑪瑙は初めて「恐れながら」と口を挟んだ。


「今回、話を持ち込んだ《晴明》とやらに手を引いて貰えないか交渉できぬのですか?」


 依頼元が依頼を取り下げれば、月読命も天照大御神も手を引かねばなるまい。


「なるほど、その方法がありましたね。」


 大己貴命はにこりとすると「知り合いにこういう事に長けた方がおりますが如何しますか?」と話す。


「また物騒な事を思いついた顔をしているな・・・・・・。」

「根の堅洲国、出雲国、東の国といずれをとっても天照大御神とその子孫に虐げられ、息を潜めて生きてきたではありませぬか。なぜ我らが天照大神の意に即す必要がありましょう?」


 八嶋士奴美神は「はあ」と大きな溜め息を吐き「ゆめゆめ須勢理毘売命が魂がかかっている事を忘れるな」と大己貴命に諭した。


「根の堅洲国としては表立っては動けぬが、こちらも最善はつくそう。瑪瑙もお前の主にそう伝えよ。」

「御意――。」


 空は白み日が昇る。


 大己貴命は簪を懐にしまうと「鈿女姉さんの事も助ける手立てがないか探ります」と言い、「これにてお暇を」とお辞儀をして庭に出ると黒い風になって消える。


 後には呆れ顔の八嶋士奴美神と、沈んだ猿田彦神、そして、頭巾を被ったままの瑪瑙が残された。

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