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胡蝶の夢  作者: みなきら
胡蝶の夢、我となれるか
14/34

鬼殺し

 血の匂いがする――。


 伊邪那美命は目を覚まして、寝台から降りると、「五十穹(いそら)、近う」と呼んだ。


 しかし、いつも控えているはずの五十穹は姿を現さず、違和感を感じて伊邪那美命は部屋の外へと出た。


「姉・・・・・・ま、逃げ・・・・・・て・・・・・・。」


 扉の傍に腹に血を滲ませ、血塗れな五十穹が倒れていて、真っ青な唇で、声を震わせながら話す。


 当たりを見回せば、一瞬、雅かと見間違いかけたが、大きな真っ赤な鎌を手にした男が立っていた。その周りにも血溜まりが出来、鎌の刃先と服の裾からぽたぽたと血が滴っている。


「随分な訪問ね――。」


 伊邪那美命が声を掛けると、男はこちらを向いた。


「おや、まだ生き残りがいましたか。」

「ここに居るということは、牛頭馬頭も倒してきたのかしら?」


 伊邪那美命が力を解放し、ゆらゆらと黒い気配を立ち昇らせると、男はニヤリとして「牛頭馬頭というのは、門の所にいた牛と馬の化け物ですかね?」と訊ねた。


 黒いローブに胸元には銀の鎌の刺繍。


 その姿は雅と同じ出で立ちのはずなのに禍々しく、その癖、闇の気配はなかった。


 首元には青々と輝く勾玉が掛かっていて、この男が高皇産霊神の加護を受けているのが分かる。


 鬼と化した雅信よりも《恐ろしいモノ》。


 目の前の男の目は爛々と輝いて《正義》を振り(かざ)狂戦士(バーサーカー)と化した死神の姿に、大抵のものには強者である伊邪那美命にも関わらず、背筋が凍るような思いになった。


「貴女が伊邪那美命でいらっしゃいますか?」

「だとしたら、なんとする――。」

「高皇産霊神が仰っていましたよ。我らが高天原の父、伊邪那岐命には人を喰い殺す恐ろしくも美しい奥様がいらっしゃるって。」


 返り血を滴らせ、血溜まりを進んでくる男の様子に、伊邪那美命はじりじりと後退りする。と、不意に黒い旋風が起き、鎌を構えた姿で雅が姿を現した。


「御方様、ご無事でいらっしゃいますか?」


 紫色の雷と伊邪那美命の加護の唐草を纏い、深紅の瞳と牙を露に威嚇する雅の姿に、血塗れの男は可笑しそうに笑った。


「ああ、こんな所に隠れているとは。道理で死神界でお前を探しても、見付けられぬわけだ・・・・・・。」


 出で立ちだけは、よく似た二人が対峙する。


「轟、どうしてここに? それにその力は貴方が嫌う高天原のものではないですか。」


 雅が問えば、轟は勾玉と同じように瞳を青黒く光らせて、雅のとは比べ物にならない数の雷の珠を次々と生み出した。


「力に高天原も黄泉も関係ない。この勾玉はこれ以上ない程の力を与えてくれる。それだけで従うには十分さ。」


 恍惚もした顔で轟は雷電の中で微笑むと、「伊邪那美命と大己貴命、淤加美神を誅せよ、と伊邪那岐命と天照大御神より仰せが下ったと高皇産霊神が仰っている」と話す。


 そして、一気に雷電の玉を雅に差し向ける。


「く・・・・・・ッ!!」


 複数の雷が襲い来るのをギリギリで躱したり、いなしたりするものの、その一つ一つが重く腕が痺れる。


「雅信よ、しばし持ち堪えよ。」


 伊邪那美命は雅が現れた事で少し落ち着きを取り戻したのか、いつかの加代子のように複数の魔方陣を起動させる。


黄泉軍(よもついくさ)に命ず、あの痴れ者をこの城から追い出せ。」


 号令と共に、至る所から無数の手が現れ、轟を捕らえて常闇の御門の入口へと引き摺り出していく。


 轟は煩わしそうにしばらく鎌と雷で払っていたが、畳み掛けるように伊邪那美命が魔法詠唱を続けるとその姿は暗闇の中に引きずり込まれていった。


八雷神(やくさのいかづち)よ、奴を捕らえよ。生かしてこの黄泉の国から出すな。」


 そして、どこからともなく複数の「御意」という声と共に黒い影が壁を伝って飛んでいく。


 伊邪那美命は振り返ると、目を開けたまま事切れている五十穹のすぐ脇に蹲る。そして、空を虚ろに見つめる目を手を翳して閉じた。


「五十穹は可哀想な事になってしまったわね。」


 そう呟き、ゆらゆらと青白い鬼火に変じた五十穹に手を翳すと、再び立ち上がり、その灯りを頼りに当たりを見回した。


「それにしても、お前が私の盾となるとは思わなかった。」


 伊邪那美命のところへ誘導してくれたり、肩巾を渡してくれた侍女の変じた魂の火に照らされて、伊邪那美命の憂い顔はとても美しく見える。


 雅は彼女の足元に片膝を着くと、「私も御方様の眷属の端くれにございます。ご命令くださいませ」と促す。


「妾の眷属だと思うてなどいない癖に。」


 伊邪那美命がそう言えば、雅は「ただ一つ、須勢理の魂を除いては、今の私は御方様の忠実なる下僕」と話す。伊邪那美命は小さく肩を竦めた。


「貴方も彼女をこちらに引き入れようとしていたのに、いったいどこで心変わりしたのかしら。」


 そして、雅の傍に立つと「あの娘を手っ取り早く助けたいなら、私を殺すがいいわ。そうすれば彼女の呪も解ける」と囁き、優しく雅の頬に触れる。雅は片膝をついたまま、「私がそうせぬことを、貴女ご自身が一番ご存知のはずです」と答えた。


 黄泉の唐草に囚われている状態では、伊邪那美命を《愛しき者》と思うように刷り込まれている。伊邪那美命は「それもそうね」と笑みを湛えたまま、静かに口を開いた。


()()()()()に命ず――。」


 甘く心地よい命令と共に身体中に這う唐草を介して、しばらく拒んでいた伊邪那美命の声ともに力が溢れて来る。雅は「御心のままに」と一言返事をすると姿を消した。


 ◇


 その日、黄泉の国では門番たる牛頭馬頭が深手を負った他、常闇の御門の三分の一程度の者たちが鬼火と化した。


 黄泉軍に追い出され、八雷神に追われた轟は淤加美神の邸を襲った者達と落ち合い、両軍は膠着状態を迎える。


「伊邪那美命が八雷神と黄泉軍に命を出したならば、高天原と事を構える事は明白。」


 淤加美神の神威に当てられて、傍に伏していた瑪瑙はたらりと脂汗をかく。一年前から橋姫の行方は失せ、瑪瑙の主である清姫も滅された今、淤加美神の陣営は、攻撃力、防御力のいずれを見ても万全とは言い難かった。


「今、動かせる駒はお主ぐらいしかおらぬ。」


 そう言うと、角を隠すための頭巾を渡し「根の堅洲国の八嶋士奴美神を訪ねよ」と命じる。


「根の堅洲国と和議を結ばれるおつもりですか?」


 瑪瑙が訊ねれば、淤加美神は「余計な詮索はするな」と一喝した。


「お主は黙ってこの書簡を渡してまいれ。」


 そう言って渡された書状は呪が掛かっているのか、手にするとやけに重たく感じた。


「万が一、お前が屠られた場合や期限内に届けられぬ場合には、その書状を手にしている者ごと消し去る呪を掛けてある。必ず期限内に届けよ。」

「御意。」

「また、これは伊邪那美命にも知らせるつもりはない。夜乃食国と道を繋ぐ故、夜の闇に紛れ中つ国を抜けて行け。期限は根の堅洲国にて次の朝日が昇るまでだ。」


 淤加美神の科した刻限は、徒歩(かち)だと夜通し駆けて間に合うかどうかと言ったところだ。


「疾く、行け。」


 瑪瑙は唇を噛み締めて書状を懐に忍ばせると、頭巾を引っ掴み庭先へと飛び出る。そして、夜乃食国へと繋がる門へと急いだ。


 疾く、疾く――。


 夜乃食国の門へ向かう途中にも、血溜まりやら青火やら争いの爪痕があちこちに見えている。


 瑪瑙が淤加美神に仕えて、既に七、八百年経つが、よもやこんな風に高天原が攻め入ってくる日が来るなど思いもしなかった。


 あの瑠璃色の魂を持つ女を、主である淤加美神が連れて帰ってきた日から、平安だった日はすっかり失せてしまい、不穏な事態がずっと続いている。瑪瑙は門の近くまで来ると、頭巾を被り、自らの頭に生える角が見えぬように隠した。


 ここよりは敵地――。


 夜乃食国は高天原にありながら黄泉寄りの国だったはずなのに、今は衛士の焚く火が見える。幸い、近くにいるのは高天原の軍の後衛部隊なのだろう、前衛のような緊迫感はなく、酒など酌み交わしてのんびりとしているように見受けられた。


「それにしても、今回の件、月読命の具申だそうな。」

「その月読命は葦原中国から具申されたそうな。」


 互いに持ち寄った噂話をしているのが漏れ聞こえてくる。


「聞いたか? 素戔嗚尊の娘が戻られたらしいぞ。月読命が加護したらしい。」

「素戔嗚尊の娘を、か?」

「ああ、その代わりにこの遠征を素戔嗚尊に飲ませたとか何とか・・・・・・。」


 博打でも打っているのか、そこまで言うと「来い、来い」「張った、張った」と騒ぎ出す。


 瑪瑙は話の続きが気にはなったが、衛士たちが騒いでいる間にその横の草むらを走り抜けると、夜乃食国と葦原中国を繋ぐ所を探して飛び込む。


 出た先は稲荷鬼王神社の境内だった。


 新宿ゴールデン街の少し行ったところにあるこの神社の辺りは静かだが、少し進むと眩いばかりの摩天楼が幾つも建っていて、黄泉の国から出る事の無かった瑪瑙は立ち尽くした。


 自分のような出で立ちの者はおらず、それなのに誰も自分をさほど気にしない。暮六つ近い街中は人がごった返していて、酔いそうになる。


 瑪瑙は危険だとは感じたものの坂を探すと、駆け登り高天原へと出る。


 人、人、人――。


 一日千人殺されても、溢れている人混みに気が滅入る。


 高天原へ出てみれば、中つ国ほどでは無いものの、やはり色々な者達が溢れていて、こんなに目立つ頭巾を被っていると言うのに、誰も見向きもしない。


 瑪瑙が心細くなりながら歩んでいると、不意に「もうし」と声をかけられた。


「道に迷われましたかな?」


 どこか異国の血が入っているのだろう。他の人よりも鼻の長い老人に声をかけられる。そして、振り返ると老人はその目を見開いた。


「ほう、そなた、黄泉の国の者か――? このような所で珍しい。」


 赤酸漿(あかかがち)のような眼をした瑪瑙と同じ色の目をした老人は、まじまじと瑪瑙の事を覗き見てきた。一方、瑪瑙は警戒を露わにした。


「安心せい。元は同郷の者。此度の件、伊邪那美命はご無事であろうか?」

「伊邪那美命は無事と伺ったが・・・・・・。」

「そうか、それはひと安心だ。」


 それから老人は「猿田彦」と名乗り、素戔嗚尊の所まで案内してくれると言う。


「天照の嬢ちゃんは昔から人遣いが荒くてのう。瓊瓊杵尊を案内せよとか、葦原中国を守れとか煩くて適わぬ。」

「では、なぜ黄泉に戻らないのですか?」

「奥がいるのだよ。鈿女というのだが、愛い女での。生粋のダンサーだ。」


 リオのカーニバルも真っ青よと楽しげに話す老人の様子に、瑪瑙も絆されて、一時的に淤加美神からの文遣いに急いでいるのも忘れて歩みを弛めた。そして、右へ左へと巧みに道を選び、一番近いと言っていた須賀の地まで来ると、赤い鳥居を指さす。


「ここから根の堅洲国に行けよう。」

「向こうはどれくらいの時間だろうか。」

「そうだのう・・・・・・。根の堅洲国は明け六つより小半刻ほど前と言ったところか。」

「急がねば、夜が明けてしまう。八嶋士奴美神をお探し出来るだろうか。」

「む? 素戔嗚尊に会うのではないのか?」

「その息子の八嶋士奴美神に合わねばならぬ。」


 早く戻らねば彼を見つける時間が足りない。


「なんじゃ、八嶋士奴美神に会いたかったのか。それならばこちらに着いてまいれ。」


 そう言うことは早く言わぬかと言うと、本殿には向かわず、不思議な赤目の老人は「こちらだ」と言って異空間への入口を開くとその中へと消えてしまった。

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