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胡蝶の夢  作者: みなきら
胡蝶の夢、我となれるか
13/34

月夜の語らい

 少し時は戻る。八嶋士奴美神は夜之(よるの)食国(おわすくに)にいた。


 黄泉の国が常闇の国なら、ここ、夜之食国は常夜の国だ。その空は常に群青色で、邸近くは冴々とした秋の月の光と様々な星が美しく輝いている。


 昼と夜とを分かったのは伊邪那岐命とも、天照大御神とも言われているが、このどこのプラネタリウムにも負けない星空の国は、根の堅洲国のあえかに魂の欠片の火が燃ゆる景色と比べてもとても美しい国だ。


 しかし、木花知流比売の事を思うと、どうしてもこの地へは足が遠のきがちである。


 それでも八嶋士奴美神がそこへ大きな酒樽を担いでやってきたのは、ひとえに妹姫のために月読命に会う必要があったためだった。


「ご無沙汰しております――。」


 先触れなしに来てしまったので、自ら声を掛けると、部屋の奥から小柄な青年が姿を現した。


「お前がここに来るなんて、どういう風の吹き回しだ?」


 出迎えてくれたのは、やんちゃが過ぎるので有名な天津甕星で、八嶋士奴美神は苦笑いを浮かべた。


「それを言うなら、どうして月読命が天津甕星を野放しにしてるのか、私も不思議で仕方ありませんよ。」

「なんだよ、それ。お前が俺を須勢理毘売命の婿がねに推挙してくれていたら、今頃、根の堅洲国で暮らしてたさ。」


 八嶋士奴美神は「それはこれでご容赦ください」と地元の地酒を樽で渡す。


「樽酒か、確かにここの酒も美味いんだけどさ。」


 天津甕星は「なんでそんなに須勢理毘売命に俺を近づけたくないんだよ」とぼやく。八嶋士奴美神は満面の笑みになった。


「それはよく自分の胸に手を当てて考えてみてくださいね。」


 天津神と国津神には大きな身分差がある。それは昔からだったが、この天津甕星はその境界が危うい。ある時は天津神に、ある時は国津神に与しては物事を引っ掻き回す。


 そんなトラブルメーカーを妹の婿がねに推すなど、八つ裂きにされると言われたとしても嫌だ。いや、むしろ推挙などしたら、父神の素戔嗚尊に八つ裂きにされかねない。


 一方、天津甕星は「身に覚えはないなあ」と樽酒を担いで、いそいそと邸の奥へと戻っていく。そして、よく通る声で「おーい、月読! 八嶋士奴美がきたぞお!」と呼び掛けた。


「そのように大声で呼ばずとも聞こえておる。」


 煩わしそうに木花知流比売と同じように金色の髪、紺碧の眼をした男が奥の部屋に姿を現した。


「お久しぶりです、伯父上。」


 本当は皮肉たっぷりに「義父上」とでも言ってやりたかったが、その思いはぐっと堪える。


「久しいな。斯様なところまでいかがした?」

「我が妹が根の堅洲国に戻ったので、管弦のご招待のためにお邪魔致しました。」

「ほう? 須勢理毘売命が戻ったか。」


 八嶋士奴美神は頷くと「ただ、少しばかり困った事がございまして」と言葉を濁す。


「困った事?」

「はい、須勢理を助けるため、八岐大蛇退治にお力添え頂けないでしょうか?」


 それには月読命も片眉を上げて「八岐大蛇退治?」と繰り返した。


「はい、父が斃したという八岐大蛇が、再び目覚めようとしているようなのです。しかも、戻ってきた須勢理は今や只人も同然の状態。」


 それには月読命も天津甕星も目を丸くした。


「只人?」

「何故、そのような事態になっている?」


 二人とも驚いて、口々に訊ねる。しかし、八嶋士奴美神は首を横に振ると「分かりかねます」と答えた。


「贄のことと言い、神威が弱いのは母方の血筋のせいかもしれませんが、母亡き今、それを確かめる術もなく・・・・・・。」


 複数の呪を重ね掛けされて、上手く神威を使えぬようになった須勢理毘売命が消えそうになっていると話せば二人とも険しい表情になった。


「それは、お前がここまで出向いてくる事案だな。」


 天津甕星が唸るように応じれば、月読命は「ひとまず続きは中で話そう」と八嶋士奴美神を邸に招き入れた。


 奥の部屋に案内してくれていた月読命の足が不意に止まる。月読命の目線の先には白の直衣姿の晴明と、黒の衣冠姿の博雅が庭先に立つ姿があった。


「なぜ、ここに晴明と長秋卿がおる――?」


 咎めるように月読命が言えば、晴明が「須勢理毘売命の《気》が千々に乱れましたので、いずれ八嶋士奴美神か、大己貴命がこちらにいらっしゃるかと思うて参りました」という。


 月読命は横に立つ天津甕星を人睨みすると「天津甕星、お主、また断りなく引き入れたな?」と毒吐いた。


「そう固いことを言うなよ。晴明達が用意した良い肴もあるし、八嶋士奴美神からの酒もある。飲まないか、月読命?」


 天津甕星はウキウキとして酒樽に手をかけて話し、月読命は眉間に皺を寄せたままだ。


 八嶋士奴美神は「一刻も早く月読命と話をつけたいと思ってきたのに」と思いながらも、はしゃぐ天津甕星、冷静沈着な晴明、おどおどする博雅という異色な面々との酒宴の席に渋々と腰をおろした。


 やがて八嶋士奴美神の持ってきた酒と、晴明が持ってきた肴が振る舞われ、博雅が音楽を奏で、天津甕星が連れてきた美妓が舞い、皆で持ち寄りをした宴会が始まる。


「なぜ、我が邸で酒宴を催さねばならぬ?」

「固いこと言うなよ。みんな月読命に用があって集まってんだろう?」


 ひとり不服そうなのは月読命を宥めながら、天津甕星が場を仕切っていく。


「上手い酒に肴、楽師に美姫。これだけ揃ってるんだから、場所くらい貸してくれてもいいだろ? 一緒に飲もうぜ?」


 天津甕星は少しも悪びれる気配はなく「この銘柄、お前も好きな酒だろう」と月読命の腕を引くと、我が物顔で八嶋士奴美神の持ってきた酒を盃に注ぎ「ほれ、一杯!」と手渡す。


 博雅の葉二つが奏でる音色は澄み切った夜空にも似つかわしく、月読命の為の酒宴を盛り上げる音楽としては申し分ないものになる。


 天津甕星は踊り子達を手招きすると月読命の近くに侍させて「ささ、もう一杯」と勧めていく。その様子を見て、八嶋士奴美神は天津甕星の鮮やかな太鼓持ちぶりに、内心、舌を巻いた。


「ほら、晴明の持ってきた肴もお主好みであろう?」


 美味い酒を口にして、少し眉間の皺が緩くなった月読命にすかさず料理も勧める。そして、パンパンッと手を叩けば、博雅はそれとなく月を言祝ぐ曲へとその調べを変えた。


「星合でも名月の祭りでもない宴は久しぶりだから楽しいなあ。」


 さすが何千年と夜之食国の主を持ち上げて暮らしてきた実績のある男だ。しっかりと彼の好みを心得ているらしく、暫くすると月読命の眉間の皺も薄れていて、静かに宴を楽しみ出す。


 そして、少し頬に赤みがさしたところで、月読命は八嶋士奴美神に声をかけた。


「先程の須勢理の件だが、もう少し詳しく聞かせよ。」

「うっわ、お前、いきなり酒の酔いが醒めるような事を言い出すなよ・・・・・・。」

「何を言う。八嶋士奴美神も晴明もそのために来たのであろう?」


 ほろ酔いになると、態度が柔和になるのは、父も伯父も同じなのだなと八嶋士奴美神は思いながら「左様にございます」と話した。


「父も、伯父上に相談して対応を進めたいと申しておりまして、こちらに参じた次第。」 

「素戔嗚尊が?」

「はい。このまま手をこまねいていれば、一両日中に須勢理は伊邪那美命の呪によって封じられるか、八岐大蛇の贄として高天原に囚われましょう。」


 神威は本来、神の持つ神気と信仰によって得られる神気を使う。それゆえ、本来なら神威は幾ばくかの時があれば戻る。しかし、その回復力を上回る量の神威を消費する呪が須勢理毘売命の魂には掛かっている。


「須勢理毘売命が只人のようになって、どれくらいの時が経っているのだ?」

「かれこれ一千年にございます。」


 その答えに月読命は目を見開き、表情を強ばらせた。


「そのように長い間、何故、放置されていたのだ?」


 八嶋士奴美神は「ご指摘、ごもっともにございます」と話しつつ、只人同然となってしまった須勢理の魂を誰もが見失っていた事と、須勢理の魂が素戔嗚尊のところに戻ったのはここ一年の話である事を説明する。


 神威を失い、消滅の危機にある須勢理。


 それを助けるがために黄泉の国に囚われている大己貴命。


 正直、マイナス要因を話せば、幾らでも出てくる。


  月読命は八嶋士奴美神の話に耳を傾けながら、天津甕星に注いで貰った盃の中身をクイッとひと飲みにした。


「淤迦美神の六花の呪、大己貴命の唐草の呪。その二つは辛うじて解かれた様子なんですが、今度は秘されていた逆鱗紋の呪が発動し、今このようにしている間も須勢理を苦しませております。」

「逆鱗紋の呪か・・・・・・。」


 八嶋士奴美神は深呼吸を一つすると、「それゆえ、須勢理に伯父上の加護を与えていただけないかとこうして参った所存です」と話した。


「国津神が天津神に助けを求める、か。」

「ご無理を申しておるのは承知しております。しかし・・・・・・。」

「心配せずとも良い。」


 すると、懐から素戔嗚尊の持つ勾玉よりも一回りほど大きな八尺瓊勾玉を取り出すと、ふうっと息を吹きかける。


 (くゆ)るようにして青白い光が生まれ、八尺瓊勾玉は月光のように柔らかい光に包まれた。その光からはゆるゆると一頭の蝶が生じ、月読命が呪を唱えるとふわりふわりと夜の空へ消えていく。


「これでひとまず時間稼ぎくらいにはなろう。」


 八嶋士奴美神はほっとしたような表情になった。


「須勢理をお助け下さるのですか――?」


 月読命はそう言うと今度は蝋燭の火を吹き消すようにして、八尺瓊勾玉の光を吹き消す。


「当然であろう? だが、我が加護とて素戔嗚尊と同等か、それより劣る程度だ。もし、母上の呪や八岐大蛇の贄としての呪を解くのであれば、幸魂と奇魂で黄泉の国の母上を言祝ぎ、味方についてもらうのがよかろう。」

「御祖父様に鱗紋を施して頂き、相殺(そうさい)するのは難しいでしょうか?」

「それはあまり得策ではない。父上は母上を死に至らせた火産霊神と姉上を見捨てた素戔嗚尊を決して赦さぬ。」


 月読命は「形だけでも姉上に尽くすように見せておれば、助けてくれたかもしれぬが、素戔嗚尊も意固地だからな・・・・・・」とぼやく。


「晴明よ、お主は何か妙案はないか――?」


 不意に話を振られて、晴明がニコリとする。


人魑魅(ひとすだま)に過ぎぬ私めに何をお聞きなります?」

「相変わらず喰えぬ事を言う奴だ。お前とて用があって、ここまで来たのであろう?」


 すると、晴明は笑みを崩さぬまま「伊邪那美命の力を逆手に取るのはいかがでしょうか」と話した。


「八岐大蛇の魂はいくつかに分霊されたと聞いておりまする。」


 宝珠はひとつ、龍は複数。宝珠を助けたいのならば、八岐大蛇の魂を宿りしものを目覚める前に狩ればいい。


「それは、大己貴命や高龗神を誅せと言うのと同義ぞ?」


 八嶋士奴美神が「賛同しかねる」と言ったものの、晴明は「しかし、そちらを制した方が、伊邪那美命を言祝ぎ、解呪するより、より効果的ではございませぬか?」と話した。


「正攻法が上手くいかぬのであれば、別の手も打つ必要がありましょう。」


 晴明の進言に月読命は目を伏せて考え込むようにする。


「伯父上! 大己貴命に何かあれば、須勢理はその魂を賭してでも護ろうとします。また、逆も然り。どうぞ、お考え直しくださいませ!」

「だが、それ以外に手立てがなければ、大己貴命は須勢理を護るためなら、それも考える男であろう? 世界の存続を考えれば、多元的に考えねばならぬ。」


 月読命からの思いもよらぬ言葉に八嶋士奴美神は絶句し、一方、晴明は勢いに乗じてさらに言葉を続けた。


「葦原中国の平穏を考えるのであれば、八岐大蛇が目覚める前に、黄泉の国へ討伐軍を派遣する事を進言致します。伊邪那岐命にお力添え下さるようにお伝え頂けませぬでしょうか?」


 それには八嶋士奴美神が「ならぬ」と遮った。


「晴明、神殺しは大罪ぞ。控えよッ!」

「それは《人魑魅である我らが行えば》にございます。我らは《高天原の総意》に従います。」


 身体がわなわなと震える。今、高天原から黄泉へ軍を送るとなれば、根の堅洲国は両軍と戦う事になりかねない。


「それにこれは八嶋士奴美神にも悪いお話ではございませぬ。《伊邪那岐命の御力による鱗紋》については我らも意見を同じと致しますゆえ、根の堅洲国が《中立を保つ》とすれば容易に望みのものを得られましょう。」


 いつの間にか博雅の曲は止まり、天津甕星もその様子を珍しく黙って見ていた。

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