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それは不敵というものか


 恋は人を変えてしまう媚薬であり、扱いを間違えれば毒薬にもなる。

 レアンドラは十五という年で、その若い命を散らす晩年に恋を知った。

 まるでクピドに導かれるようにして、クピドの罠にはまり、穴に落ちた。

 クピドの罠や落とし穴は、クピドの悪戯といわれ、悪癖といわれる。導く結果は完全にクピドの賭け、遊びなのだという。だから恋は人を愚かにするのだという。

 恋は人を愚かにすると知っていたのに、恋なんてと馬鹿にして鼻で笑っていたのに――……まさかその当人が、恋に溺れて恋に果て、終いには命を散らすとは、なんて皮肉じみた結末なのだろう。

 そして恋は、滅びの恋をも生み出す。

 例えばレアンドラのように、例えばフランセスクのように。

 その反面、恋はめでたしめでたしと終わるお伽噺のような、滅びとは対をなすハッピーエンドをも生み出す。

 例えばアーシュ・チュエーカのように。

 悪戯で遊びだからこそ、常に様々な終わりを求め結果、ハッピーエンドもアンハッピーエンドや悲劇もあるのだという。

 クピドは神の一柱、神は気紛れな気質もあるのだと語る神話のひとつだ。

 また、恋は盲目とはよくいったものである。クピドが面白がって、ターゲットの背後にまわり、ターゲットの両目を手で塞いでしまうのだという。

 恋は両極端だ。一見、どこから見てもハッピーエンドのはずなのに、恋がさめればあら不思議。それはハッピーエンド以外の側面もさらけだす。

 その経緯はどうであれ、結ばれたふたりには、結ばれたあとも試練が待っている。

 その試練で、クピドの悪癖がまた生じるのだという。

 婚約を破棄させ、レアンドラのいたはずの場所を手に入れたアーシュ・チュエーカ。

 婚約を破棄し、レアンドラを遠ざけてアーシュ・チュエーカを横に立たせたエドヴィン・カシーリャス。

 このふたりにも、もちろん試練が待っていた。

 そのふたりが自分の死後に、試練を乗り越えたのか、乗り越えていないのか、はたまたどのような人生を送ったのかを、レアンドラはもちろん知らない。

 そして、ふたりもレアンドラの心のうちを知らないだろう。

 恋を馬鹿にしていたレアンドラが、どのように恋に落ち、いかにして葛藤して恋に落ちた自分を受け入れたか、受け入れたあとにどのように恋をしたのか、どのように相手を想っていたのかを。

 ――知っているのは、悪戯好きなクピドのみ。




☆☆☆☆☆




 薫子は少々驚いていた。


「まさか蔦村先輩だったとは」


 音次郎と蔦村は先ほどから互いを、「先輩」と「嶌川くん」と呼びあっていた。それから察するに、蔦村は明らかに音次郎より年上だ。全く外見はそうは見えず、一般の成人男性より背の高い音次郎の横に座れば、完全に音次郎の方が年長にしか見えない。

 しばらくふたりが挨拶程度の会話をしたあと、音次郎が本題を切り出した。

 本日の来店目的は音次郎に通してある。

 レアンドラを含めた「生きてきた」年齢はさておき、嶌川薫子としての年齢は未成年である。

 なので、蔦村からすればメモの依頼からして――有名小説家の、モニターだ――あまり口外はしてほしくないだろうけれども、薫子としては譲れない一線だったので、遠慮なく兄(保護者)に話を通した。

 薫子はレアンドラだったときと同じようなことは、二度と巻き込まれたくはないし、起こしたくはない。

 だから、全力で回避する。敵地にひとりで飛び込むなど、自ら死地に飛び込むことと同意なのだから。

 そして巻き込んだ兄にも、飛び火をさせないつもりだ。薫子は――レアンドラは、もう二度と親しい人に、大切な人にあんな顔をさせたくはないのだから。


「僕は、薫子さんのモニターに付き添います。それが嶌川薫子の保護者としての条件です」


 モニターに関する話し合いは、完全に依頼した側の蔦村とされた側の保護者(音次郎)のふたりでなされていた。

 それは、古書店への道中に薫子が音次郎と相談して決めたことだ。

 繰り返すが、「嶌川薫子」は未成年である。

 そして、薫子の両親は他界している。よって、薫子の保護者は兄三人となる。とりわけ、次男・音次郎は薫子を溺愛している。

 薫子の敵は、音次郎の敵、ひいては嶌川三兄弟の敵。年の離れた妹の薫子を守るのも、兄たちの役目。


「でも、嶌川くん? これは薫子さんへのお話なのよ? ね?」


 音次郎を挟んで座っているため、依頼した相手と直接交渉ができない蔦村は、必死にその壁(音次郎)を越えようと身を乗り出すが――ものの見事に(物理的に)失敗に終わった。

 二メートル近い長身の音次郎がちょっと動くだけで、平均身長の薫子は兄の背中にすっぽり隠れるのだ。


「嶌川くん、ダメ?」


 蔦村の必殺技・上目遣い(うるうるオプション付き)が発動した。小動物のような蔦村の上目遣いは、一般男性なら文字通り必殺となるだろう。

 しかし、そこは音次郎である。一般男性のようにはいかないことは明白だった。


「いけませんよ、先輩」


 音次郎は見事に流した。

 最強で頼りがいのある兄は、妹を守るそれだけのために、その筆舌に尽くしがたい愛情の深さ(シスコンのパワー)で蔦村に向かい合っていた。

 シスコンは妹のためなら無敵になれるのだと、レアンドラは薫子になって初めて知った。

 その兄が、全力をもって応じれば、果たしてどうなるか。


「蔦村先輩?」


 音次郎は、そっと上体をずらした。そのさりげない動作で、妹に背を向け、蔦村に正面を向ける形となる。

 ――ついでにいえば、身長差からいやでも見下ろしていた形が、「真横から首だけ動かし見下ろす」から「上体を捻り、真正面から直接見下ろす」形となった。

 音次郎は、でかい。

 蔦村は、小柄。

 よって、蔦村が音次郎に真正面から見下ろされたなら、どのような効果が出るのか。


「し、嶌川くん、それは酷いよ……っ!」


 ――蔦村は涙目でぷるぷる震えながら、白旗を降った。

 答えは、「とてつもない威圧感に震え上がり、怯える」であった。

 その様はまるで、獰猛なキリンに追い詰められたネズミだった。




 蔦村は、考えているように見えて考えなしだそうだ。中身も見た目通りの小動物であり、計算なしに無意識に「計算したような」動きをとると、音次郎は薫子に教えてくれた。

 音次郎と蔦村は、大学時代の読書サークルの後輩と先輩だったのだ。やはりあの音次郎の様子から、後輩が先輩を下克上していたらしい。

 薫子が、シスコンで穏やかな次兄の意外な一面を垣間見た瞬間だった。

 兄よ、いったい何をしたんだ――……と、薫子は心中で兄に呆れるのを忘れずに。

 そんなかつての後輩と先輩との話し合いは、常に音次郎の優勢で帰着を見た。やはり下克上効果はいまでも健在らしい。本当に、音次郎は蔦村に何をしたのだろうか。

 音次郎は、蔦村に圧倒的体格差で押したことを何とも思っていなかった。見ていた薫子の良心が、ほんの少し疼くくらいには暴力的に見えた。実際には全く暴力の欠片もなかったために、少ししか疼かないのだけれど。

 薫子としては、十歳の頃より蝶よ花よとべったべたに育て上げてくれた兄に対して恩義がある。家族としても大好きで大事で、だからこそ音次郎が「そういう風に」見られてほしくない。

 ――なので。

 帰路の途中、薫子は音次郎に告げた。


「音次郎兄さん?」

「何ですか、薫子さん」


 手を繋ぐ音次郎は、妹に話しかけられてでれっでれに微笑んだ。


「音次郎兄さんは優しいよね」


 音次郎は突然の誉め言葉に胸を撃ち抜かれた。ダメージでいえば、RPGの中ボスを一撃で倒せる威力があった。

 薫子の騎士、ひいては薫子という(三兄弟にとって)至宝を守るラスボスを自負する音次郎だ。まだまだライフポイントには余裕があった。


「ふ、何を突然に。僕が薫子さんに優しいのは当たり前ですよ」


 突然の愛する妹のデレに、音次郎はでれっでれに答えた。相手が妹でなければ、逮捕されていてもおかしくはないデレさ加減である。


「でも、音次郎兄さん。私に、だけ、は駄目だよ」


 薫子は、音次郎のライフポイントを一撃でゼロにする言葉を放った。

 固まり石像と化す音次郎に、薫子はさらなる追い討ちをかけ――


「音次郎兄さん、他の女のひとにも優しくしなきゃ。……音次郎兄さんが誤解を受ける様子はみたくないから」


 ――なかった。

 ぴく、と音次郎の耳が動いた。


「だって、大切な兄だから」


 音次郎の笑みのでれ具合がその日の新記録を更新した。


 ――秘技、上げ落とし上げ(全兄対象版)。


 薫子は、三兄弟全員に通じる秘技を放ったのだった。

 文字通り上げて、落として、上げる。つまり誉めて貶してフォローするの三段階である。

 上げるは飴、落とすは鞭。

 レアンドラは得意としていた飴と鞭(対象:弟三人、特に長男)を、薫子になってから秘技(対象:兄三人)までに昇華させたのだった。




 薫子が、最強の盾とともに行って得た交渉の結果は、薫子にとって「良」であった。

 可でもなく、不可でもなく、良。

 まずあのまま鬼門――あの女の生まれ変わりである転入生と接触しないで帰れた、つまり無傷だったので良。

 つぎに、こちらの不利益となる交渉ともならなかったので、良。

 ――そして。


「音次郎兄さん、良かったね?」


 交渉にて、音次郎は良以上のカードを得ることができた。

 妹大好きで、三人の兄の中でも一番に妹命の音次郎ではあるが、妹の次に大好きな小説家がいる。

 此度の交渉で、大好きでたまらない妹のためという必勝の理由もあったが、別にも理由があったのだ。


 ――行方アリーに会いたい。


 大好きでたまらない作家に会えるとなれば、熱心な愛読者としては、精魂を傾けないわけにはいかなかったのだった。




 ――此度の交渉は、行方アリーが現在執筆中の作品を読んで、意見をもらいたいという非公式のもの。多作で有名な行方アリーは、初めてのスランプに陥っていた。

 現在執筆中の作品を他言しない、漏らさない人材を行方アリーは欲していた。

 行方アリーの現在執筆中作品の担当が、実は出不精な行方アリーに代わり、解決の糸口となる人材を探すことになった。

 その担当のたったひとりの協力者が蔦村であり、蔦村は担当の妹であった。

 内容が内容であったため、協力者はひとりしか得られなかったという。故に、立場は部外者であるけれど、読者たる顧客に接する機会があり、口の固い彼女が選ばれた。

 そして、蔦村は人材となる品定めをし、ジャンルに関しては雑食であり、何より本を一冊一冊大切にする薫子に白羽の矢を立てた。

 蔦村としては、行方アリーの愛読者の音次郎を無意識に――学生時代の下克上のトラウマ故に――避けていたため、愛読者の彼を薫子が連れてきたのは完全に誤算だったらしい。薫子が苗字で気付けと思ったのはいうまでもない。

 それが嬉しい誤算か、悲しい誤算かはあえてはっきりさせない方がよいだろう。世の中にはそっとした方がいいことがたくさんある。

 とにもかくにも、こうして薫子は厚い守り(音次郎)とともに敵の本拠地――行方姉妹の共同の作業部屋に赴くことになった。




☆☆☆☆☆




 恋は媚薬になり、毒薬にもなりうる。

 レアンドラの頃に痛い目を見た薫子は、嶌川薫子として恋をするつもりはなかった。

 けれどもまたクピドの罠にはまってしまった。

 それでも薫子は振り切った。

 ……だと、いうのに。


「……音次郎兄さん、誰かいる」


 玄関先まで来て、薫子は自宅の前をうろうろする人影を視認した。

 薫子はすぐに音次郎の背中に隠れた。無意識に音次郎の服を摘んで引っ張ったので、音次郎のシスコンのパワーメーターが振り切った。

 切れ長な明るい茶色の目が印象的な、爽やかな好青年。包装紙に包まれた小さな箱を片手にうろうろするその様子は、はっきりいって怪しい。

 そして悲しいことに、薫子はその彼に見覚えがある。

 先日、薫子が乗用車に接触しかけた時に助けてくれたあの青年だ。


「うちに何か用か?」


 音次郎は薫子を背に庇いながら、相手を見下ろした。相手は音次郎よりあたまひとつぶん小さいが、彼が小さいのではなく、音次郎がでかすぎるのである。

 音次郎に声をかけられた青年は、一瞬きょとんと固まり、すぐに合点がいったようで、にっこりと微笑んで音次郎に箱を掲げた。


「はじめまして、お隣に引っ越してきた五百です」


 ――続いて紡がれた名前に、薫子は泣きたくなった。

 空き家の隣家に引っ越してきたのは、五百と書いている「いお」と呼ぶ家族だった。

 その苗字に、薫子は笑いがひきつるのを感じた。

 あの転入生の苗字ではないか――……?

不敵(大胆であり、恐れを知らない様子)は音次郎でした

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