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それは虎穴というものか


 恋愛を鼻で笑い、凛乎とした規格外令嬢のレアンドラにも、仲のいい友人はいた。イーリス・レザンスカ侯爵令嬢である。

 彼女もまた、レアンドラとは別の意味で規格外な令嬢であった。

 レザンスカ侯爵家は、書記官を多く輩出する家系だ。

 書記官とは貴重な書物を読み解き、管理することが生業である。代々この職業につくことが多いレザンスカ侯爵家は、「書物中毒の一族」と異名をとる家系であったのだ。

 イーリスも、書物を読みふけるあまりに寝食の時間を忘れてしまうほどの、一族の異名からもれない筋金入りの本の虫であった。

 そんなイーリスは、一族きっての中毒者だった。

 まず、寝食を忘れる。ここまでは(一族基準で)通常範囲内の中毒症状である。

 次に、常に書物を抱き締め話さない。このあたりから(一族基準で)変人の域の中毒となる。

 とどめとして、書物から離れれば虚ろとなり廃人のようになる。もうすでに一般的にも一族基準的にも色々とアウト過ぎである。

 そんな一般的な令嬢と一線を画していた娘の将来を、もちろん両親が心配しないことはなかった。

 しかし、一族きっての中毒者の娘に対し、両親は無茶苦茶心配して心労をきたし、ついに「うちの娘の将来の前に親の体調やべぇ」状態となり、みかねた王妃(※侯爵の従姉)が一肩を脱いだ。

 王妃の紹介で、レザンスカ侯爵はアウデンリート公爵と誼を通じることになった。

 アウデンリート公爵家も、レアンドラが個性的すぎたゆえに同性の友人がいないことに苦悩していたのだ。

 両家は利害が一致し、娘二人を会わせてみた。


「あたくし、恋に恋する女性は嫌いですの」


 レアンドラが開口一番どきっぱりといえば、


「……わたしは書物さえあればそれでいい」


 とイーリスは答えた。イーリスは書物以外どうでもよかった。


「でも、皆わたしから書物を離そうとする」


 イーリスはどんよりとした濁った緑の目でレアンドラを見た。

 その目の下の隈は幅広く、血の気のない顔色と相まってなかなか凄みのあるものになっていた。


「貴女も、わたしと書物を離すの?」


 どろんとした目でじっとりと見上げてきたイーリスに、レアンドラは子供らしくもない自信に溢れたていた。


「あたくし、恋に恋する阿呆が嫌いですの」


 レアンドラの黒い夜の瞳が濁った緑の目を見下ろし、ふたりの視線がかち合う。レアンドラは口角をあげて微笑み、ばっと扇子を開き目から下を隠した。

 黒い目がにんまりと細められ、レアンドラはぱちん! と勢いよく扇子を閉じ、その先端をイーリスに向けた。


「貴女は書物と離れたくない。あたくしは阿呆と友達になりたくない。なら、答えはひとつではなくて?」


 レアンドラは「向かうところ敵無し」という顔だった。かなり自信満々だった。

 そして、イーリスは濁った目をぎらんと輝かせた。


「わたしは貴女の嫌う阿呆ではない。そして貴女とわたしの利害は一致している」

「そのようでしてよ。ですから」


 レアンドラは絹の手袋を外し、素手を差し出した。

 一般的な貴族の女性は年齢に関係なく、デビュタントを迎えた後は手を手袋で覆う。

 貴族の女性の素手を握れと差し出すのは、未来の旦那様。

 もしくは己が生涯の友と認めた相手だけ。

 そして、生涯の友と認められた相手は、己も素手で握り返すのだ。


「あたくしの手をお取りなさい」


 イーリスはレアンドラの手と目を交互に見た。


「あたくし、貴女の不利益になるようなことは致しませんわ」


 イーリスはレアンドラの手をとった――もちろん、素手で。

 こうして、一般的ではない令嬢ふたりは、やはり一般的ではなかったので、やはり一般的ではないやり方で交誼を結ぶこととなった。

 何故なら、貴族の女性の生涯の友の儀式なんて――遥か百年前を最後に途絶えた文化だったのだから。



 それから、ふたりは何かにつけて一緒にいた。

 ふたりはいつも、アウデンリート公爵家の私設演習場にて、レアンドラが剣の稽古をする傍ら、イーリスは木立の下で書物を静かに読みふけるという時間を過ごした。

 それがふたりのいつもの風景だった。

 レアンドラが薫子として生まれてから、本を読み漁り読みふけるのも、きっと彼女の影響を少なからず受けているからだろう。

 極端な出不精だったイーリスも、レアンドラの側にいるときは外に出た。

 そんなイーリスの外出時の定位置は、レアンドラの背後だった。

 レアンドラがいるところには、必ずイーリスの影があった。

 レアンドラが嫉妬から度の過ぎた悪戯をしたときも、側にいた。

 イーリスはどぎっぱりと諌めはした――あの女にかまけていたら、いずれ身を滅ぼすと。あの女は悪魔だからと。

 イーリスは、恋を否定するレアンドラが恋に溺れたことを否定はしなかった。レアンドラはイーリスの書物狂いを否定はしなかったからだ。

 イーリスはレアンドラが不幸になりさえしなければ、レアンドラが恋に溺れてもよかった。

 けれどもレアンドラがあの女にはめられ、度の過ぎた悪戯をするように仕向けられたときには「駄目だ」と思い、諌めたのだ。

 ――イーリスの諫言にレアンドラが目を覚まし、レアンドラが自省したとき、それは既に遅かった。

 レアンドラがあの女の奸計にはめられ、処刑が決定した。

 レアンドラから、取り巻きが離れていった。

 でもイーリスはレアンドラの側にいた。

 イーリスは、レアンドラの冤罪を知っていたから、奔走した。

 結局力が足りずレアンドラが処刑台の露となっても、イーリスはレアンドラの名誉の回復のため、晩年まで汚名返上の活動を続けた。

 そのことはもちろん、レアンドラは知らない。




☆☆☆☆☆




【――ある人の執筆した作品の確認してほしいのです】


 簡潔にいえば、メモにはそういった文面が記されていた。もう少し丁寧に、けれども切迫した様子がひしひしと伝わってくる文体で。

 蔦村のいうモニターとはとどのつまり、作家の作品を読んで確認して感想をくださいということであった。

 薫子も、普通の作家ならば喜んで受けたかもしれない。活字中毒の薫子からすればたいへん美味しいお誘いではある。

 それに、蔦村とは――書店員と来店客という関係ではあるが――付き合いが長い。

 なのでモニターという話も、変な犯罪臭のするお誘いではないなとは思っていたし――レアンドラとして生きてきた勘からも――その辺りは安心はしていたのだ。

 でも、メモに書かれていた名前が、素直に喜べる名前ではなかった。


「……………」


 薫子は思わずリビングのソファーで眠る次兄を確認した。次兄はいまだ眠っている。

 次兄はの○太のようにひたすら寝入る子なので、起きる様子はない。

 それでも確認してしまうくらいに、薫子と次兄にとってメモの中身は触れただけで爆発しかねない爆弾のようなものだった。らしくもなく「もし次兄が起きていて、このメモを見られたら」――と思わず思考してしまうくらいには。


【その人は私の兄が担当する作家さんで――】


 薫子の次兄、音次郎は薫子と同じく読書が趣味だ。

 ただただ活字に溺れたい活字中毒で、ジャンル雑食の薫子とはまた違い、音次郎は作者買いの本の虫だ。

 音次郎にはジャンルは関係ない。ときめき惚れ込んだ作者が書いた、ただそれだけで、その作者の作品を全て網羅するのである。

 普段おっとりおとなしい次兄が、惚れ込んだ作者の作品を語り出すと、まるで別人のように熱くなるのはとてもギャップが激しいものがあった。

 メモには、その次兄が愛してやまない作家の名前が書かれていた。次兄が起きていてこのメモを見たならば、それはそれはすごいことになっていたに違いない。

 しかし、メモに書かれていた名前が、薫子にとって素直に喜べないのはそれではない。

 薫子の次兄を狂わせるこの作家は、姉妹作家として有名であり、その妹の方が薫子にとって「素直に喜べない」のだ。

 姉妹同じ作業部屋にて執筆するという、行方なめかた作家姉妹。

 姉作家とあだ名される行方アリーは、全てのジャンルにわたり作品を出すことが特徴だ。

 かわって妹作家と呼ばれる行方シズルは、姉作家とは正反対に同じジャンル一本でいくことで知られる。

 妹作家のジャンルは、恋愛。それも十代から二十代の女性向けの、ファンタジー色が強い恋愛物を得意とする。

 そして、「カルツォーネ乙女物語」の作者であった。

 ……つまり。

 悪嬢嫌いの薫子にはとことん鬼門で、次兄にとっては天国になりえるモニター依頼だった。

 薫子は悩んだ。

 蔦村は悪くはない。

 頼んだ作者も悪くはない。

 作者を愛してやまない熱狂ぶりの次兄はもっと悪くはない。

 なら、何が悪いか。

 タイミングが悪い。

 運も悪い。

 誰の、といえば当事者すべてのだろう。

 蔦村が薫子を選ばなかったらこうはならなかっただろうが――そもそも過去を「もしも何々だったら」なんて振り返るなんて、起こってしまった現実から逃避する一手段だ。

 だから薫子は、過ぎ去ったことへの「もしも」は考えない。

 もしもは、未来にたいしてするものだ。もしもこういう場面に遭遇したときにどう対処するのか、と。

 だから薫子は考える。

 この状況で、いまどの道を選ぶのが最善か。そして最善の道を選ぶためにしなければならないことは何か。

 薫子はひとつひとつ整理し、情報を整え、ひとつの結論に達した。


 ――虎穴に入らずんば虎子を得ず。


 それが薫子がとる最善の道。

 薫子は知りたいのだ。

 カルツォーネ乙女物語を書いた作者・行方シズルが、この物語を書いた理由を、世に発表した理由を。

 そして、作者はあの世界を生きたのなら、誰なのかを。

 薫子は虎穴に入るにあたり、しなければならないことを早速行動に移した。


「起きて、音次郎兄さん」


 ――虎穴に入るための最強の助っ人を起こしたのだった。


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