常識はところ変われば変わるもの
死後は皆魂となったあと、ひとつの場所に向かうという。
その場所は“ここではないどこか”にある死出の泉。
彼の場所は命を終えた魂――貴賤・罪過問わず――が真っ先に向かい、そして集う場所。
ゆえに、魂の最期の旅路ともいう。
また、魂が生命活動を終えた肉体を離れ、“ここではないどこか“にある集う彼の場所は――善も悪も何もない、全てが無に帰る場所といわれている。
生前、栄えある業績を成し遂げ称えられた者も。
生前、罪を犯し断罪され処刑台の露と化した者も。
生前、可もなく不可もな普通に一生を全うした者も。
生前、若く命を散らしたものも、寿命を全うした者も。
善悪、老いも若きも関係無く、死出の泉を潜ることで、全ての魂は等しく生前の記憶や人格・感情などを注ぎ落とし、泉下の住人となるのだという。
死後の世界では、あまりにも全てが無慈悲に平等なのだ。
だからなのだろうか。
人々は、一生きりの人生悔いなく生きようとしたのは。未練などないよう、生を全うしようと。
一般の民は皆その日その日の糧を得、その日も無事に夜を迎えられることを安堵し眠る。
貴族たちは一夜の享楽に興じた。こうして一日の終わりを無事迎えることを宴に興じて騒ぎ、続いて朝日を拝めることを切実に願った。
そして、一般の民も貴族も、誰もが運命の恋などにうつつを抜かすこと無く、伴侶と定めた相手を大切にした。
皆、次の世があるなんて知らなかった。考えもしなかった。
貴賤問わず、皆未練なく生きようとしていた。一日一日を大事にして生きていた。
未練があっても、心残りがあっても――「死んでたまるか」と強い情念を持って落命するのは、よほど無念の死を迎えた者くらいだった。
しかし、カルツォーネ王国の“監視王”の治世の時代はそうもいかなかった。
どこへいっても、王の監視が目を光らせられ。
一般の民たちも貴族も、びくびくしながら夜を迎えられることに安堵するようになり、朝日を拝めても、再びびくびくする一日が始まると恐々し。
一人の貴族の少女が奸計にはまり処刑された後、あちらこちらで粛清が少しずつ始まり、聖女を騙った大罪人が処刑された後、一気に粛清が始まった。
粛清の大義名分は、国家反逆罪。王に仇なし、国家に反逆する大罪。
――それは、実際はただの大量の殺戮だった。
国を治め、民を導くはずの王が主導して行ったのは人非人の行動であり、悪魔の所業だった。
――それは、奸計にはめられ処刑された少女の復讐とばかりに、王が討たれるまで続いた。
そして、王が討たれてのち。
――恨みや怨み、恐々を覚えた魂はあまりにもそれらが強すぎ、死出の泉へ旅立つとことも忘れ、彷徨い始めたと噂が出始めた。
これが、幽霊やアンデッドといった類いの伝承が始まったとされる経緯だ。
後の世に定着するひとつの大きな価値観といったものは、こうして生まれた。
このように、価値観とはいとも簡単に生まれ、そしていとも簡単に変化する。
その原動力が大きく強い想いから来るものであれば、なおさら。
「次があれば」
――次が、あるのならば、必ず。
生まれ変わる、という言葉はなくても。
もし次の機会があるのならば、と強く願った彼が持ったその概念は、後の世に定着する価値観に強い影響を及ぼす。
死生観という価値観に、生まれ変わるという新しい概念を付け加えたのだから。
☆☆☆☆☆
カルツォーネ王国を始めとしたあちらの世界の死生観は独特で、地球上のどの文化とも違った。
生まれ変わりという概念もなかったし、幽霊という概念もなかった。少なくとも、レアンドラが生きたあの時代には。
だから、生まれ変わったという現実を認めるまで、新しい人生なのだと理解するまで、アーシュだった祢々子もハーキュリーズだった漣彌もなかなかすぐには理解できなかった。
レアンドラは規格外であるから、薫子となってもあっけなく新しい人生を迎え入れたが。
だから、まあ。
薫子以外は理解し難いのだろう。
「神社なら、話がはやい。お祓いとかはどうかしら」
扇で顔を隠したいへん愉快そうに笑っているレアンドラ――漣彌はそんな光景を、薫子にダブらせた。
レアンドラは、基本的に変わっていなかった。
順応性が非常に高く、新しい世界での常識にもすぐに適応してしまっている。あまつさえ、利用さえしようとしている。
「レア……薫子?」
祢々子は頭を抱えた。薫子の考えている計画をすぐさま理解してしまっている辺り、アーシュとして敵対していた頃の名残は全く見受けられない。
一方、アーシュを知る漣彌からすれば「頭を抱えるアーシュ」という珍妙な光景を見るはめになり、口をひきつらせることになった。
現代日本の創作物などでよく見かける、ビッチという単語そのものがもし人間になったら――そんな人物だったのだ、アーシュ・チュエーカは。
レアンドラとは違い、彼女はかなり変貌を遂げていた――良い方向に。
けれども、漣彌からしたらとても複雑だ。
そんな漣彌も頭を抱えたかったが、何となく、アーシュであった祢々子と同じことをしたくはなかった。
溜め息も吐きたいのをこらえ、漣彌は口を開いたのだが。
「「お祓いは、現実的に考えて、効果はあるかどうか」」
――奇しくも、ふたりとも同じタイミングで同じ言葉を発言してしまった。
祢々子は思わず両手で口をおさえ、漣彌は額に手をついて俯いた。
ふたりとも、薫子となったレアンドラ並みに順応性はなかったのだ。つまり、お祓いの効果に半信半疑であった。
それは、彼らの生前の世界での価値観をまだ引き摺っている証拠であった。
あちらの世界には、幽霊という概念もないのだから、そもそもお祓いという概念も育たなかったのだ。ちなみに、魔物に対して討伐という概念はあったのだが。
「何をお祓いしたいかはわからない……でもないけどね。アレを見たんだろ?」
漣彌は、苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた。うげぇ、という言葉を言い出してしまいそうな位である。
あの日、漣彌はたまたまあの場所にいた。
友人の金太郎が、「本当に親しい友達が少ないネコが、友人と外出するって男じゃねぇよな!?」と確認すると騒いだ結果だったのだ。
――そんな結果、レアンドラと再会できたおまけにアーシュとまで再会し、挙げ句あんなモノまで見てしまった。
あんなモノ、筆舌に尽くしがたいというか、思い出したくもない存在が。
「見たけど、見たけど! ……理解はしても、信じきれないの。……幽霊、とか」
あちらでは、幽霊や怨霊といった概念が無かった。少なくとも、アーシュが生きている当時は。
別の世界の常識というものを持って生まれたせいか、祢々子はいまだにこちらのホラーやそういった類いの話が信じきれない。
「あら、祢々子。おかしなことをいうじゃない」
薫子は淡々と続けた。
「私たち自身、生まれ変わりという不可思議な実体験の当人じゃないの」
あっけらかんと言いきった薫子に、祢々子は「それはあんただけだから!」とテーブルに突っ伏し、漣彌は苦笑だけにとどめた。
「……?」
ひとり話の展開についていけず首を傾げる那由多に、祢々子は軽く説明した。那由多は、彼女たちのような異世界からの生まれ変わり当事者ではないから、この展開についていけないのも無理な話だからだ。
「あっちでは、幽霊とかの概念がなかったの。生まれ変わる、っていうのも無かったし、死後召される意味での天国というのもなかった」
あちらの死生観は、地球上のどのものとも一致しない。
天上や天、という概念はあったが、それは死後魂が召される場所ではなかった。
「……だから、現物を見た後でも理解しても、頭のどっかでは理解しきれてないんだ」
ただし、と漣彌は続けた。
「……それはレアンドラとアーシュの生前のカルツォーネ王国の話だ」
薫子と祢々子の視線が漣彌に釘つけになった。
「……俺は、ふたりが死んだ後のあちらの世界を、ふたりに話さなきゃならないと思ってる」
レアンドラとアーシュが死んだ後を知っている――よく考えてみればすぐにわかることだ。ハーキュリーズは別に刑死はしていないのだから。
「あの女が何故かこっちにいること、汐見さん? が今ここにいて、俺らの事情を知っていることに関係しているんだろ?」
漣彌の言葉に、薫子と祢々子は彼に事情を説明していないことに、今さら想い至った。
ハーキュリーズの生まれ変わりにであってから、薫子はどうもらしくもなく落ち着きがないようだった。
「あの日、あの女を見たのはたまたまだった。でも、お祓いって言葉が出るっていうことは……まさか」
漣彌の言いたいことを、薫子は肯定した。
「乗り移ってる」
――漣彌は、固まった。




