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その再会は吉となるか凶となるか



 レアンドラ・ベルンハルデ・アウデンリートは、愛されることに慣れていなかった。

 愛を向けられる――家族愛や友愛などと愛のつく感情とは、ほとほと無縁だった。


「ではレアンドラ、頼んだぞ」


 レアンドラの父であるアウデンリート公爵は、王家に過剰なまでの忠誠心を捧げている武人だった。その忠誠心の深さは、公爵家としての仕事――内政よりも、アウデンリート一族としての仕事に重きを置かせるまでだった。

 当主たる公爵本人が半ば放り出したアウデンリート公爵家の内政は、


「かしこまりました」


 ――長子であるレアンドラの仕事だった。


「レアンドラさん、フランセスクたちの事も頼みますね」

「はい、母上」


 当主夫人の母も父とともに王家に以下略な思考であり、三人の弟たちの教育もレアンドラが行っていた。

 多忙で屋敷にいないとき、両親にかわり内政を行い、両親にかわり弟たちを教育すること。

 ――それがレアンドラの日常の主だった役割であった。

 他の貴族家の長子と比べれば、おかしいくらいな比率で、内政と弟たちの教育に携わっていた。

 だいたい他の貴族家の長子はイコール嫡男であり、長女であってもここまで携わることはない。もちろん、貴族令嬢としても、だ。

 レアンドラと両親の関係は、たいへんビジネスライクであり、家族としての情愛は淡白なものだった。


「さあ、フランセスク、ジャシント、リベンツィオ。書道の時間ですわ。皆、揃いましたか」


 カルツォーネ王国の貴族家では、王立の学園に通うまでは家庭教師を屋敷へ招いて教えを乞う。また、学園に通っていても招く場合もあった。

 ――カルツォーネ王国の文字は、刺繍のように繊細で、その滑らかな緻密さは典雅な雰囲気を醸し出し、ゆえに、典雅文字や優美紋様文字といわれるものだ。

 書いた文字ひとつひとつに、優雅さや美しさを求められるので、貴族家の子女はその文字の練習のために家庭教師を招くのだ。文字を今よりもよりよく、誰よりも美しくかく――それが貴族のステータスともいえた。


「姉上。兄上、逃げました」


 淡々と、次男・ジャシントがレアンドラに告げた。

 レアンドラは軽く溜め息を吐きつつも、にたりと人の悪い笑みを浮かべた。


「……またですの。まあ、いつものことですけれども、ねぇ……うふふ」


 勉学の前に逃亡する嫡男、それはアウデンリート公爵家の“いつものこと”のひとつ。

 それに対処するのが長子である姉というのも、いつものこと。


「あたくしから逃げられると思い、逃亡するなど阿呆の極み」


 レアンドラは、どこからともなく鞭を取り出した。色々と規格外なレアンドラは、実は鞭も扱えたりする。


「ジャシント、リベンツィオ。あなた方は先に教えを受けていなさい。よろしくて?」


 鞭を片手に艶然と笑む姉に、弟ふたりは頷き返す。ジャシントはほんの少し口を引きつらせながら、リベンツィオは目を輝かせながら。


「いい加減に逃亡癖を治さないと……今日も身に刻み付けませんといけませんわね」


 ぶつぶつと呟きながら去っていく姉、ふたりの弟たちは見送る。それも、いつものこと。


「フランセスク兄上、馬鹿ですね。姉上を怒らせるなんて……多忙な姉上の手を煩わせる以上に許せません。ああ、姉上さえ許可を下されば、この僕が」

「リベンツィオ。それ、六歳の子供の発言じゃないからね」

「ジャシント兄上。フランセスク兄上が弟である僕にダメ出しされてしまう時点で、十二歳の貴族嫡男として失格です」

「君、六歳だよね。ダメ出しって言葉どこで聞いてくるのさ……」


 あきれながら、淡々と弟に突っ込む次男。これもいつものこと。

 ――数分後、悲鳴が屋敷に響くことも、屋敷内でぼろぼろの嫡男の弟を引き摺る姉のレアンドラという構図が見られるのも、いつものこと。

 これが、レアンドラの、ひいてはアウデンリート公爵家のいつもの日常だった。

 両親とは家族としての親愛はあれど、淡白としたものだった。

 長男のフランセスクからは恐れられときになめられ、次男とはまあまあ普通の、そして末弟には深く(おかしい方向だが)慕われ。

 十五年という短い生涯で、レアンドラに一等の愛を向けたのは、末弟だけだった。……方向性は、若干どころではなく普通ではなかったけれど。

 末弟が向けてくれた深い愛情が、レアンドラの知る最大で最高の愛情だったかもしれない。

 ――望んだ相手からは、愛情を向けられることはなかったけれど。

 恋を馬鹿にし鼻で笑っていたレアンドラは、恋に落ちて堕ち、最期まで恋を得られなかった。

 だから、レアンドラは恋という感情を向けられても、全く気づくことができなかった。それ以外の感情に関しては、向けられたならば即座に反応し、対処できるというのに。

 そんな恋愛感情に疎いレアンドラの感性は、もちろん嶌川薫子になってからまあ失われていない。

 平和な環境に精度は多少落ちても、確かにレアンドラが培った感覚は健在だった。

 ――それはすなわち悲しいことに、レアンドラの向けられる恋愛感情に鈍感で疎いという欠点も、しっかり残っているということだった。




☆☆☆☆☆




 薫子がぽつりと漏らすように呟いた名前に、祢々子は瞠目した。


(ハークって)


 ハーキュリーズ・レザンスカ。

 レザンスカ侯爵の嫡男であり、レアンドラの唯一の友人であるレザンスカ姉弟の弟で、かつ同じ師を仰ぐ弟弟子。

 レアンドラ亡き後、姉のイーリスと共にレアンドラの汚名を雪ぎ、名誉を回復させることに尽力し始めた人物。

 彼ら――レザンスカ姉弟たちが活動を開始したことで、間接的にアーシュの処刑に繋がったともいえた。

 そのことに対し、アーシュでもある祢々子の内心は複雑だった。

 アーシュ・チュエーカが刑死したきっかけであり、五百祢々子として長じていくなかで自省し、謝罪を重ねていった相手。

 ――もし出会うことが叶うのならば、謝罪をしなくてはならず、かつどれだけ謝罪の意を重ねても足りない相手の一人だ。

 そして、別の意味でも色々言い足りない相手。


「あんたも生まれ変わってたんだね?」


 驚きを隠せない薫子を背に庇うように、祢々子はふたりの間に割って入った。ハーキュリーズの生まれ変わりの少年の視界から薫子を隠すつもりだったが、悲しいことに身長が足りなかった。


「再会の一時を味わうほど、ここはいい場所じゃあないよ。説明は後でするから、別の日にしよう。ね、薫子」


 薫子の手を引き、祢々子は一言告げた。


「薫子。あんた、自分が病人ってこと忘れてるでしょう。おまけに、いま作戦中ってこと」


 後半小声で呟く祢々子に、薫子はようやく我に返った。

 珍しく“らしくなく”取り乱しかけていた薫子と違い、祢々子は冷静だった。


「こっちも話したいことあるし、そっちも色々あるだろーけどっ」


 祢々子はびしいっ、とハーキュリーズに指を突きつけた。


「後はそこのあたしの従弟の金太郎にでも連絡先聞いて! いま、立て込んでるから、じゃっ!」


 祢々子はびしっと敬礼のしぐさをして、薫子を引っ張って退場していった。




「……祢々子」

「な、何よっ」


 那由多と合流するべく、ふたりは軽食店メルヘンに向かっていた。


「ハークと一緒にいた彼、知ってるの?」


 先ほど出会った、薫子と同年代の少年ふたり。

 片方の背の高い体格の良い少年がハーキュリーズの生まれ変わり、もうひとりはどうやら祢々子の知り合いのようだった。

 ――落ち着いてから考えてみれば、薫子はその彼に見覚えがあった。

 蔦村の店で、買い取りカウンターにて祢々子の横に立っていた少年だ。

 その友人がハーキュリーズの生まれ変わりとは、何とも世間は狭いものであった。


「従弟よ、従弟」


 祢々子の従弟で、遠山金太郎という名の、隣町の男子高校に通う一年生らしい。


「アドレスも電話番号も知っているから、すぐにも連絡とれるわよ!」


 スマホを片手に持ち、片手を腰に当てて何かのポーズをとり、祢々子はどやぁっと笑った。


「……」

「え、ちょ、残念そうな目で見ないでよ」

「あら、着いた」

「えっ、無視ーっ!?」


 店内に着いたふたりは、先に到着していた那由多の席に案内された。ちなみに、ジャックと豆の木をテーマにした席である。


「お疲れ様です」


 先に着いた那由多は、どことなく疲れきった雰囲気を纏っていた。こころなしか顔色も悪い。


「どうしたの」


 薫子の問いへの答えは、ふたりを黙らせるには十分だった。


「あの後、あの女からメールが来まして。貴女に会わせろと……」


 続いて差し出されたスマホの画面には、汐見八重歌からのメールで、“レアンドラを連れてきなさい”という画面が表示されていた。


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