幕間〜強き想いを胸に抱き
折り畳み携帯が真っ二つに折れましたので、慣れない代わりの携帯で投稿となりますので、短くなりました。
カルツォーネ国とその周辺国では、“運命の恋に落ちる”という意味の「クピドの恋患い」といった故事が存在する。
いつから存在していたかわからないその故事は、恋に現を抜かし、「運命的だ」と感じて行動するにも全て情動的になり、平静さを失う様を指すのだという。
そして、恋というものを神の悪戯による病と見なしている点に特徴がある。
恋に我を見失っても、「クピドのせいだ」と逃げられるようにも思えるが、実際は逃げようもない。
クピドの病にかかった=どうしようもない阿呆というレッテルを貼られ、見下されるのがオチ――長い時間を経て、そんな流れになっていったのだ。
ひとめで恋に落ちたレアンドラも然り、そのレアンドラを捨てアーシュとの恋に走ったエドヴィンも然り。
つまり。
聖女の再来と担がれたアーシュでさえも、「阿呆者」というレッテルからは逃れはできなかった。
カルツォーネ国とその周辺国の後世では、レアンドラとアーシュ、エドヴィン達の一連の悲喜劇が「恋の戒め」という故事になっているのだから。
とくに、偽聖女アーシュの「政略とはいえ、定められたが相手がいるのに横恋慕をし、挙げ句奪った」行為はさけずまれ、一番避け忌まれる愚行の極みとして伝えられていく。
後世ではその傾向が特に強まるが、レアンドラが生きたあの時代でも、運命の恋を感じたものは、相手の幸せを祈るものが多かった。というよりも、例外を除き――最たる例がアーシュ――誰もがそうだった。
誰も彼も、恋慕う相手を、運命の恋などに巻き込み、不幸になどしたくはないのだ。
「レアンドラさえ、幸せならいい」
――イーリスの年子の弟、ハーキュリーズもその一人だった。
恋慕う相手と結ばれるのではなく、恋慕う相手の幸せは言祝ぐべき、そんな一人だった。
そんなハーキュリーズの恋慕うレアンドラは、悲劇としか言い様のない一生を送り、最悪の終焉をもってその短い人生に幕をおろした。
ハーキュリーズはレアンドラの最期を看取ったとき、思ったのだ。
――自分なら、こんな目にはあわせなかったのに、と。幸せにしたのに、と。
「次があれば」
次があれば、俺ならば――その想いを、ハーキュリーズは失うことはなかった。
恋は、人を変える。それが悪い方向でも、良い方向でも。
また、想いは糧となる。恋慕う気持ちが強ければ強くなるほど、大きな糧となる。
ハーキュリーズは、恋慕う相手の最期を看取り、その想いをより強く変貌させた。
来世で、再び巡り会う日が来るぐらいに。
「探し物が、見つかった」
想いは、世界でさえ渡らせる。ハーキュリーズは、そのことを強く実感した。
「今度こそ」
次があれば、と願い叶ったハーキュリーズは、迷うことなくその強い想いを遂げようと胸に抱いた。
――生まれ変わったレアンドラを見て。
「貴方を、幸せにする」




