触らぬ悪役に怒りなし
今回は前世パートがありません
トリップといえば、何を連想するだろうか。
きっと、異世界トリップ、もしくはタイムトリップが連想されるに違いない。
そして、異世界と冠するトリップは――とくに“地球人、特に現代日本人”が異世界へ渡ってしまうという展開が鉄板だ。
また異世界トリップは、異世界召喚、異世界転生とよく似て非なる“異世界ファンタジーの王道”であり、すなわちテンプレート中のテンプレート。
――「三大異世界テンプレといっても過言ではないわ!」
と鼻息も荒々しく宣言したのは、四月になれば留学先から戻ってくる日南子だ。
もし彼女がいま戻ってきて、薫子の置かれている現状を知ったならば、さぞかし「リアルにテンプレきたこれー!」と、獲物を狩ったハンターの如く雄々しく叫ぶことだろう。そんな彼女を薫子は簡単に連想できた。
――現在、薫子と祢々子は、そんな異世界トリップを否定したくともできずにいた。
目の前に置かれた、無表情のクララ・ジスレーヌが映る写真を見て、これはただの他人の空似だと言えたら、異世界トリップなどそんなもの、物語の中の出来事と言い切れたらどれだけ良かったか。
ふたりが否定できない理由はふたつある。
ひとつめは――彼女たち自身、どちらも記憶と人格を保持したままの異世界からの生まれ変わりの張本人だからだ。
「………」
薫子と祢々子は、しばらく無言で写真を凝視していた。
祢々子は、あまりにも驚愕し、思考が停止して言葉が出ず。
薫子は、驚愕から後すぐに表情を引き締め、考え込み。
そんな彼女らの次の反応を、汐見姉弟は固唾を飲んで見守っていた。
重苦しく、締め付けるような空気が、四人の間に流れる。
重苦しい空気が漂うなか、くちを開いたのは薫子だった。
「間違いなく、私たちの知るクララ・ジスレーヌだわ」
レアンドラの泰然とした雰囲気を取り戻した薫子は、ちらっと祢々子に視線を送る。
徐々に落ち着きを取り戻し始めていた祢々子は、しかし戸惑いの抜けきれていない表情で小さく頷いた。
祢々子は、薫子の直感を肯定したのだ。祢々子も、薫子と同じように感じ取っていたのだ。
やはり、「あちらの世界に存在しているはずの」クララ・ジスレーヌで間違いないと。
そして――ふたつめ、それは直感であった。
見ただけで、直感で相手が「生まれ変わりかどうか」を判別できる彼女らは、見ただけでクララ・ジスレーヌ本人だと判別できたのだ。
そこに、特に理由はなかった。直感は説明できないもので、「そう感じたから」としか言い表しようがないのだ。
薫子は、祢々子に頷き返し、汐見姉弟を見た。
「汐見先輩、汐見くんお二人に確認します」
汐見姉弟を正視し、視線をロックオン。
「――クララ・ジスレーヌより、私たちのことをどのように、そしてどこまで聞いていますか」
汐見姉弟はクララ・ジスレーヌの関係者で間違いない。
しかしふたりは、薫子たちのことをどこまで知っているのか。
果たして、クララ・ジスレーヌからどこまで知らされているのか。
それとも何も知らされずに、ただただ弱みを握られ脅されているだけなのか。
「――洗いざらいお話ししますっ!?」
精神的耐久力が弱かった汐見弟は、初対面時と同じように薫子に頭を下げた。彼は再び薫子の放つプレッシャーに負けたのだ。
「……バカ虎」
姉はそんな弟を見て、大仰に溜め息を吐いた。その顔は真っ青で、初対面時のときさながらであった。
……汐見姉弟は、間違いなく薫子を「苦手視」しているようだ。
薫子は間違いなく、姉弟に甚大な影響を及ぼしていた。もちろん、負側の。
差はあれど、汐見姉弟はプレッシャーに弱い。だからこそ、クララ・ジスレーヌに付け込まれたのかもしれない。
「お話はします。そのつもりで臨んでいますからね……でも、アホは耐えられないみたいなので、少しおさえてもらえません?」
何を、とは汐見姉は言わなかった。
薫子は、放つ威圧感を少しおさえたが、それは汐見姉の「少し」ではなく、「ほんの少し」のレベルであった。
信用できるかまだ計れない相手に対し、薫子は額縁通りに「はいはい」と言う通りには対応しないし、するつもりはない。
――平穏に人生を送るために、必ずどうにかしなくてはならないクララ・ジスレーヌの関係者だからこそ、手は抜けないのだ。
だから、試す。薫子の視線に真っ向から向かってくるか、逸らすか――。
「……私たちをクララから、解放してくれるんですよね?」
――汐見姉は真っ青になりながらも、薫子の視線を真っ向から迎え撃った。
それに対し、薫子は艶やかに微笑み、きっぱり口にした。
「裏切らなければ」
薫子は一度言葉を切って、さらに笑みを深めた。
「あなた二人は、誓えますか。クララ・ジスレーヌから逃れたいのならば、誓えますか。クララ・ジスレーヌと手を切り、こちら側を裏切らないと」
クララ・ジスレーヌとの闘いは、薫子と祢々子にとってその後の人生を大きく左右する闘いだ。
だからこそ、生半可な覚悟で陣営を増やせない。
だからこそ、薫子は問う。
「あなたたちの弱みが何かは知らない。けれども、現状に苦々しく思っているはず。現状を打破したいと思っているはず」
汐見姉の目の光が宿った。
汐見姉は、プレッシャーには弱いけれども、抗う強さがあった。
「悔いは、残すものじゃない。防ぐの。しないように、立ち回るの」
祢々子が口にした言葉は、後悔をしたアーシュだからこそ出せる説得力があった。
「だから」
薫子は、汐見姉弟に問うた。
「すべて、洗いざらいここでぶちまけて。もちろん、どこまで私たちを知っているか、それから」
薫子は、貴族令嬢として貴族社会を生きた過去を持つからこそ、有利に進めるために圧力やプレッシャーの必要さをよく知っている。
しかし、プレッシャーをまとい相手を屈服させることはあまり好きではない。
例え、まだ信用が置けなくて、これから信用していくに値するかわからない相手でも。
プレッシャーを振り撒き相手を屈服させるだけならば、それはクララ・ジスレーヌと同じということであるし、ただの力任せの馬鹿である証拠だから。
「私たちは、あなたたち姉弟に対して、クララと同じ扱いをしたくはない。だから、話して」
汐見姉は、ぽかんと口を開けたまま目を見開いた。
やがて覚悟を決めたように表情を堅くし、何かをいいかけた弟を制し、淡々と語り始めた。
「貴女がレアンドラ・ベルンハルデ・アウデンリートであり、稀代の悪女だと。そして――」
生まれ変わったこちらの世界で、自身を貶めた相手に復讐を誓い、実行しようとしているのだと。
「けれど、貴女はそんな稀代の悪女には見えませんし、何より」
汐見姉は眉間に深い皺を刻み、眉を逆の八の字に吊り上げて、
「あの女は全く信用できません。だから、あの女をぎゃふんと言わせることができるのなら、例え悪女にでも味方します」
ふんぬっ、と鼻息荒く締め括った。
「……いや、あっちが悪女でしょ」
祢々子は思わず突っ込んだ。そして、横から伝わる噴出する怒気に――思わず謝りたくなった。自分も前世でレアンドラに対し、やりたい放題をしたのを思い出したのだった。
「まずは、悪女ではないことをお教えしましょうか」
……そして心の中で、汐見姉弟に合掌した。




