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真実は時に残酷で



 レアンドラにとって、書物は貴重な代物だった。

 というよりも、レアンドラが生きたあの世界、あの時代の当時の文化の水準では紙がたいへん貴重だったのだ。

 レアンドラが生きたあの頃は、宝石や金銀財宝に次いで紙が贅沢なものに数え上げられていたのだ。

 そんな紙で作られた書物は、もちろんかなり値が張るものであり、一頁で一般庶民の年収に相当するとまでいわれているのだ。

 そんな書物を愛してやまない、レアンドラの親しい友人イーリスとその一族。

 レアンドラが書物を手に取り読み始めたのも、イーリスがきっかけだったといっても過言ではない。

 書物中毒の一族と異名をとる一族の者でさえ、書物が無ければ生きていけない程の、書物の廃人とまで言わしめたイーリス。

 彼女は規格外令嬢レアンドラの親しい友人だけあって、やはり類を見ない――一族屈指ともいう――規格外の活字中毒者だった。

 類は友を呼ぶというように、規格外は規格外を呼ぶのである。


「いろいろ読んでいますのね」

「わたしは、貪欲なの」


 イーリスは書物であれば、何が書かれていても必ず一度は手に取っていた。活字があればとにかく何でも良いという、かなりレベルの高い雑食スタイルなのである。

 そして、じっくりと、数日をかけて端から端まで読み尽くすスタイルのイーリスは、いつも書物を穴でも開けるかのように見つめる。

 子供向けの字が大きく挿し絵の多い童話でも、専門家向けのお堅く難解な専門書でも、少女向けの甘々な砂糖菓子のような恋愛小説でも、宗教の教えや戒律が書かれた宗教の教本でも、隅から隅まで一字一句漏らさずに読みふける。

 そんなイーリスの誕生日に、レアンドラは必ず書物を送った。

 書物はやはり高価で希少で、流通する量も、種類もあまり少なくはなかった。

 そして、イーリスの読んでいない書物となれば、なかなか探すのは骨が折れたけれども。

 ――ついに、本当になかなか見つからなかった年があって、レアンドラはあまり悩まずに、贈り物の趣向を変えてみることにした。


「……白紙の、帳面?」


 それは、題名の場所が空白で、“イーリス・レザンスカ”と著者名のところに彼女の名前が記された装丁の、中身が白紙の帳面だった。

 見た目は、イーリスが好んで読む書物と何ら変わりはない――題名と著者名の点を除けば。

 金粉や銀粉、カラフルな石の粉末がふんだんに織り込まれたたくさんの頁は、やはりどれにも何も文字が――イーリスが愛してやまない活字が全く見当たらない。


「これは……?」


 イーリスの誕生月の石と同じ深い青色の装丁、きらびやかな白紙の頁たち。レアンドラは無意味な贈り物はしない。けれども、贈られた側は、贈った側の意図が全く読めなかった。

 意図が読めない、けれども美しい一冊の書物のような帳面。


「わたしの、負け」


 イーリスが旗をあげれば、レアンドラは楽しそうにくつくつと笑った。


「次のあたくしの誕生日に、物語を贈ってくださらないかしら?」


 常日頃から新しい書物を求めるイーリスは、年々己のまだ読んだことの無い書物が少なくなっていくことに不安を抱いていた。

 希少であまり流通量も限られた書物を、読み漁っていたならばいつかは辿り着く問題点だった。それが来る日を彼女が危惧していたことを、レアンドラはよく知っていた。

 ――だから。


「貴女はたくさんの活字の世界を、書物の世界を読んできていますわ。次は、そんな貴女が筆をとればよろしいのよ」


 イーリスは目を見開いた。


「姉さん、俺からはこれを」


 ――照れ隠しから視線を逸らす弟からは、飾り羽が美しいペンと深い青色のインクが贈られたのだった。



 これらの贈り物を贈られて後、イーリス・レザンスカは自分で文をたくさん産み出してきた。

 そして、イーリスはレアンドラの汚名返上の為にも彼女の生涯も字に起こすことになる。

 ――皮肉にも、文を産み出す喜びと楽しさを知るきっかけを与えてくれた、唯一無二の親友の生涯を描くことでイーリスの断筆とするとは、このときの誰もが想像出来なかった。



 ――それでも、イーリス・レザンスカは確かにレアンドラ・ベルンハルデ・アウデンリートの短い人生に決して小さくはない影響を与えたのだ。

 ……何しろ、生まれ変わったレアンドラを書物の虜にしてしまったのだから。

 そして、イーリス・レザンスカの中毒の程度までとはいかなくとも、確かに本の虫――しかも同じ「活字とあらばジャンルは問わない雑食」の本の虫となったのだから。

 例え、本人が気付いていなくとも。




☆☆☆☆☆




 活字中毒者の薫子にとって、図書室という場所はまさに天国だ。

 図書室や図書館といった場所に来る度に、レアンドラとして生きていた頃の唯一無二の親友・イーリスなら、この場をして何というだろうと薫子は考えてしまう。


(やはり、天国というかしらね? それとも楽園?)


 あちらの世界には、専門書等を集めた資料室という概念はあれど、様々なジャンルの書物を一ヶ所に集め、かつ多くの人々に向けて開放するといった概念はなかった。

 それだけ書物は贅沢品であり、また貴重かつ希少で、書物を売買するのも書店ではなく、専門の売買を行う商売人から書物を買い取るシステムだった。

 イーリスが生まれ変わっていたならば、きっと中毒レベルはどこまでも深くなっていたはずだ。

 この世界――地球という世界は、地域や各国で格差はあれど、簡単に書物が入手できるし、それこそ星の数以上に書物に溢れているのだから。


(……いつか会えるといいわね)


 かつての婚約者と敵対者が生まれ変わっているのだ、会える可能性はある。


「ちょ、レア……じゃなかった、薫子、薫子!」


 珍しく思考に耽っていた薫子は、祢々子に袖を引っ張られて我に帰った。どうやら立ち止まってしまっていたらしく、祢々子が困惑気味に薫子を見上げていた。

 立ち止まってしまっていた薫子は、祢々子を先導して再び歩を進めた。




 大多数の生徒たちが、帰路についたり部活に精を出す放課後の今、彼女たちが向かっている場所は第一図書室だ。汐見姉弟との接触する場所である。

 平良島第二高等学校には図書室が二つある。

 主に第一図書室には、教科の専門的な本やら辞典やらの蔵書がおさめられ、試験の前後にしかあまり利用もされない場所だ。

 対し第二図書室は、第一図書室以外の蔵書――新聞だとか、小説だとか――がおさめられている。普段はこちらの方が利用者が多い。

 今は学期末試験も終わり、受験も終わってあとは終業式を待つだけの春休み前。

 なので授業もあまりなく、調べものの生徒もおらず、利用するのはよほどの勤勉家くらいなもので、室内は閑散としていた。


「やっぱり、閑古鳥が鳴いてる」


 まさに閑古鳥が鳴いている、という状態であった。ふたつの気配――おそらく汐見姉弟――以外、全く人の気配が見受けられなかったのだ。

 活字中毒という嗜好から、よく利用する常連の薫子は堂々と、転入してあまり日も経っていない祢々子はおどおどと入室した。

 第一図書室と第二図書室は、司書管理室という部屋を間に隣り合っている。だからなのか、第二図書室の方から賑やかな声が伝わってきていた。図書室というのに、ずいぶんとうるさい。


「くっらーい……」


 祢々子は、きょろきょろとあちらこちらに視線をさ迷わせている。明らかに挙動不審で、心なしか顔が青い。


「苦手なの」


 何が、といわずに薫子が声をかければ、無言で泣き出す一歩手前の表情で、祢々子が薫子の方を見た――おそらくでなくとも、暗いのが駄目なのだろう。


「……無理、……ょけいまでいた牢獄を思い出すから」


 小声でもごもごとしているが、薫子の耳には確かに「処刑」と聞こえた。

 薫子は祢々子の手を強く握り、以降は無言を貫いた。

 向かう所恐れなど抱かない精神のレアンドラでも、牢獄という場所は嫌だったし、直視はできなかなった。レアンドラはあの場所で発狂し、病を得て獄中死をしたのだから。




「……お待ちしていました。かけてください」


 目的地、Sの書架は一番奥だった。Sはさ行の作者を表し、つまりはSの書架はすべてさ行の作者の蔵書となる。

 そして、偶然にも一番人気――というのか、特に利用のない書架なのか、いつも人が集まらないというか寄り付かない書架でもあった。


「生物のグロテスクな図鑑やら辞典やら専門書を監修した鈴木っていう著者の本ばっかだから……また、知る人ぞ知る場所をよく知っていることね」


 このSの書架前に人が近づかないことは、この第二図書室を頻繁に利用しないと知り得ないだろう事実だった。


「背表紙が悪趣味過ぎて、印象が強くてなかなか忘れられないんですよ」


 汐見姉弟は、幾つかの参考書を開き、文房具を広げていた。「勉強中」の振りをしているようだった。


(……端から見れば姉が弟に勉強を教えている真っ最中と見える。けれども、やはり不自然)


 薫子は、レアンドラとして貴族の古狸やら狐やらと渡り合ってきた。その経験から、どうしても姉弟の手段が詰めが甘く見えるのだった。

 そして、そんな薫子を見て他の三名は、奇しくも同じ感想を抱いた。

 ――女王さま降臨、と。

 薫子は三名の感想を知ってか知らずか、じっと姉弟を見つめ口を開いた。


「あそこまで手を混んだ手法でお呼び出しいただいたのだから、大切な内容でしょう……ね?」


 汐見姉――那由多は、空気がピリッとするのを肌で感じていた。薫子が纏い、放つ威圧感が半端ないのである。

 前回は耐えきれなかった。なので、今回こそはと思っていた。

 けれども、耐える姉に対し、やはり弟の景虎は耐えられなかったようで、


「大切だけど大切じゃなかったらすみません!」


 薫子に頭を勢いよく下げた。あまりにも勢い良すぎたのか、ごちんと痛そうな音をたてて、彼の額が机の表面と衝突した。


「………………お話する前に、そちらの方をご紹介いただけませんか」


 那由多はちらりと祢々子を見た。


「彼女は協力者よ。クララさんとやらに対抗するための」

「信用できますか」


 那由多の問いに薫子が口を開きかけ――


「大丈夫よ、あたしクララ大っ嫌いだから」


 薫子が何かをいう前に、祢々子がずばっと主張した。


「見たとこ、あなたたちも嫌いでしょ」


 目を見開いた那由多に、祢々子はさらにずばっと指摘した。

 薫子は何もいわずにふたりを見守っている。


「でも、仕方なく従ってる。それはもっと嫌。だから現状を打破したい」


 祢々子の言葉に、那由多は「お手上げです」と両手をあげ、降参のポーズをとった。


「……嶌川さんが連れてきただけあるってことですか」


 深く息を吐いた那由多は、広げていたノートのページの間から、一枚の写真を取り出した。

 その顔は、確かな決意に満ちていた。


「彼女が、クララ・ジスレーヌを名乗っています」


 那由多は、薫子と祢々子に写真を見せた。


「……そんな、まさか」


 祢々子は、絶句した。

 薫子でさえ、目を見開いた。


「「……本人……?!」」


 レアンドラである薫子と、アーシュである祢々子は同時に呟いた。

 彼女たちは驚愕を隠せなかった。

 彼女たちは、自分たちの例から見るに、クララ・ジスレーヌを名乗る者は、本人の生まれ変わりもしくは、本人の生まれ変わりを偽称する何者かだと仮定していた。

 しかし、違ったのだ。

 写真に映っているのは、現代日本の服装をしたクララ・ジスレーヌ、紛う方なしに本人であったのだ……カルツォーネ国に生きた、彼女本人がそこに映っていた。……先日薫子が、行方作家姉妹と会った、木製の看板――“農カフェ・四季郷”を背景にして。


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