後悔先に防ぐ
はつぼんでゴタゴタしているため、短く申し訳ありません。
捨て台詞、それは去り際に言い捨てる言葉であり、返事を求めないものなのだという。
そして、えてして記憶や印象に残りやすいものらしい。
アーシュ・チュエーカにとって、最後に聞いたレアンドラの言葉がまさしくそれだった。
アーシュ・チュエーカの脳裏から、舞台から降りるレアンドラの捨て台詞が離れないのだ。
『いいこと、おふたかた。あたくしに喧嘩売ったこと、必ずや、必ずや後悔しますわよ……』
大勢の前で、レアンドラを貶めて、罠に嵌めて――アーシュ・チュエーカにとって都合の良いように整えられた舞台の上で、アーシュ・チュエーカの考えたシナリオ通りに、エドヴィン・カシーリャスは婚約破棄をレアンドラに突きつけた。
婚約破棄の言葉は、シナリオを始めるためのトリガーだった。
それを皮切りに、あることないこと――レアンドラを貶めて、貴族の表舞台から転落させ、レアンドラの未来を潰した。
シナリオは、アーシュ・チュエーカの思い描く通りに進んだ……面白いくらいに、上手く行きすぎた。
けれども、恋に落ちて恋に溺れてもレアンドラはレアンドラだった。それが、たったひとつの誤算だった。
――最後、レアンドラらしく嫣然と堂々と放たれた捨て台詞。
アーシュ・チュエーカは、五百祢々子になってもその捨て台詞が忘れられない。
☆☆☆☆☆
薫子は、友人となった祢々子と情報を共有している。
もちろんクララ・ジスレーヌのこともしかり、汐見姉弟のこともしかり、先日会った行方作家姉妹もしかり。
「……ジスレーヌイコール、行方作家のどちらかではなかったわけだ」
本日も、薫子と祢々子は情報の共有も行っていた。
時は放課後、場所は薫子の自室。この場所はどこよりも安全と言い切れる場所だ。情報が漏れる心配もない――妹大好きな兄が守る城(笑)なのだから。
その城(笑)にて、祢々子はノートと鉛筆を手に箇条書きに書きだしていき、さらに要点を纏め上げていく。
――何を、か?
すなわち、現時点での「こちらの」持ちうる情報の、だ。
例えば、薫子と祢々子のふたり分の生まれ変わる前の――「あちらの」記憶。
例えば、薫子が得た汐見姉弟との繋がり。
例えば、薫子が見聞きした行方作家姉妹の情報。
「なら、どうやって行方シズルは“あちら”のことを知ったのか?」
祢々子は、行方シズル、と書いて大きく丸で囲み、近くに纏めてあった「あちら」の情報を書き出した項目群と矢印で繋げた。
あちらの項目群とは、ふたりの記憶をまとめた箇所だ。
「当初予測していた可能性はなくなり」
祢々子は、行方シズルの下に書かれていた一文に、大きく×をつけた。
その一文は、行方シズルがあちらの世界からの生まれ変わりだと仮定する内容だった。しかも可能性大? とも薫子の字で追記されている。
「――新たに対策を練ることになった」
祢々子はノートのページの下の方に、“これからとるべき行動について”と書いた。
「……こんな感じ? ねぇ、こんな感じ?」
祢々子の不安そうな視線に、薫子はゆっくりと頷くことで答えとした。
――意外なことに、祢々子は筆述が得意だった。情報をまとめ、整理していくことに長けているとは……薫子は、ぜひとも今度、授業のノートを見せてもらおうと決めた。
「素晴らしいわ。続けて」
薫子は女帝降臨モードで答えた。薫子は祢々子とふたりきりだと、自然と女帝モードになる傾向にあった。このあたりに、ふたりの力関係――当人たちは“おともだち”のつもりだが――が如実に現れている。
女帝モードの薫子は、強者のオーラを纏い、そして放っていた。
レアンドラは公爵家の姫。
カルツォーネ王国にて開国より続く古き家柄、アウデンリートの姫だ。
カルツォーネという国では、開国より続く古き家柄という言葉は、貴族の上層をそのまま意味した。
開国より続く名家は、両手の指の数を満たすかどうか。そんな名家の中でも、頂点に近い位置にあったのだ、アウデンリート家は。
――そして、数少ない開国の名家の中でも女児はもっと少なかった。
貴族という縦社会で、上層に位置しながらも、レアンドラはその中でもさらに高い位置にいた――同年代の未婚の少女の中で。
レアンドラは高い位置にいることをひけらかすことはなかった。
けれども、高い位置にいる者としての立ち振舞いは心得ていた。
偉そうに振る舞わず、それでいて「高い位置にいる者として」恥ずかしくない振る舞いをする。
……例え、レアンドラが規格外だろうとも。
その本質は、薫子となっても失われてはいなかった。
「するべきこと、それはクララ・ジスレーヌに会うこと」
祢々子の言葉に、薫子は嫣然と微笑んだ。
レアンドラの面影などない全く別人の顔なのに――実にレアンドラらしい笑みだった。
『クララ・ジスレーヌ……あたくしに喧嘩売ったこと、後悔しますわよ……』
――ああ、やはり変わらない――。
そんな薫子を見て、祢々子は改めて変わらないのだなと実感した。
そして、レアンドラに喧嘩を売った経験者として、クララ・ジスレーヌに合掌をしたのだった。
アーシュは、エドヴィンにレアンドラとの婚約を破棄させ、レアンドラのいたはずの場所を手に入れた。
エドヴィンはレアンドラとの婚約を破棄し、変わりにアーシュ・チュエーカを横に立たせた。
彼がレアンドラの捨て台詞通りに後悔したのかは、薫子となったレアンドラは知らない。
ただ、アーシュが後悔していることは……それだけを、薫子は知っている。
そして、祢々子のまだ悔いは消えていない。
「ね、薫子――いいえ、レアンドラ」
「うん?」
祢々子は、薫子をじっと見つめて言った。
「もし、クララ・ジスレーヌと会うその時がきたら。……あたしも必ず連れてって」
祢々子になったアーシュは、もう二度とレアンドラのことで後悔をしたくなかった。
――それが、今の彼女を彼女たらしめていた。




