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事実は小説より奇なり―2


 狩りと剣術など――戦うことが得意だったレアンドラは、対人戦はさておき、対動物戦はたくさん経験してきた。

 その多くは一対一か、一対多だった。その戦う土地に生息する動物との戦闘を想定して、レアンドラは作戦を立て、実行し、勝利を得てきた。

 こちらの山地なら虎、あちらの山地なら鹿、そちらの山地なら猪といったように。

 けれども、実際は蓋を開けてみれば、想定外のことの方が多かった。

 猪が他の動物に追われ別の山地にいたり、大量繁殖していたり、凶暴化していたり――その度に、用意していた作戦がご破算になる。

 ご破算になる度に、レアンドラは臨機応変に対処していくこととなった。


 ――貴族の長子は、常に泰然とあれ。


 危険に陥る度に、レアンドラの脳裏に浮かび上がるのは、アウデンリート公爵家に伝わるあの語句。

 男女関係なく、貴族の長子は常に落ち着き払い、何事にも動じずにいなくてはならないという教えだ。

 それが、だった。

 レアンドラを形作る根元のひとつといっても過言ではないそれは、やはり窮地のレアンドラにも影響を与えた。


「おーほっほほ! あたくしに不可能の文字などなくってよ! おーほほほほ!!」


 レアンドラは、窮地さえ糧にする貴族令嬢だった。否、規格外だからこそ……これは当たり前のことだったかもしれない。




☆☆☆☆☆




 薫子は、カルツォーネ乙女物語の作者に会うその時には、全力を持って対峙するつもりであった。

 そして、その時は意外と呆気なく訪れた。不意討ちといえるタイミングで。

 薫子は、いきなり襖が開かれるとは想定はしていなかった。もう少し普通の登場の仕方をすると思っていたのだ。


「行方アリー、姉です」

「行方シズル、妹です」


 そして現れた行方姉妹は、淡々と名乗っておじぎをした。前方にいるのが姉、やや後方にいるのが妹のようだ。

 行方姉妹は、三十路前後の物静かな華奢な女性たちだった。彼女たちは全く同じ顔で、全く同じ声の一卵性双生児であった。

 音次郎の後ろから彼女たちを見た薫子は――予想外の答えを得た。


(……違う。あちらからの生まれ変わりではない)


 薫子がレアンドラとして生きた「あちらの世界」を舞台にした作品だからこそ、薫子は作者があちらからの生まれ変わりだと断定していた。仮定ではなく断定だ。

 カルツォーネという国の名、学園の名、地名の名、人物の名――作品はストーリー以外はすべて、薫子の記憶の中と一致している。

 だからこその断定だった。だというのに、実際蓋を開けてみれば全く違った。

 そんな現実を前に、薫子は祢々子との会話を思い出していた。


『あれは絶対生まれ変わった誰かが書いてるんじゃあないの』


 薫子はここへ来る前日に、同じ生まれ変わりの祢々子と会話した。もちろん本日のことが主題であり、お互いの持つ意見の。


『ストーリー以外はぜーんぶ同じ。あたしの癖までみっちり再現されて……あそこまで一致したら、偶然ではすまない』


 偶然ではすまされないたくさんの一致。

 アーシュの育った背景を始め、たくさんの数えきれない一致。


『だからといって、“この物語が先”じゃあないわよ、……多分』


 多くある異世界転生のファンタジーのように、物語が先で、その物語を読んだ経験を持つ読者なりが転生した――そんなパターンではない。

 ふたりはあちらの世界の、物語の舞台の世界の記憶を持ってこちらへ生まれ、育ち、この物語に出会ったのだ。

 そうして、意見を交わしたふたりが行き着いた結論は、「やはり作者は生まれ変わりだろう」ということだった。

 それは確信だった。

 なのに、確信は塵と消え、白紙に戻った。


 ――ならば、どうする?


 脳裏で今後の対策等をめぐるましく考え始めつつも、薫子はふたりから目を離さないでいた。


「あなたが、協力してくださる方……?」


 アリーがぽつりと呟いた。まるで微かな風の音のような囁きだ。


「方々、だよ姉」


 それにシズルが突っ込んだ。姉より妹の方が普通の声量だ。


「そうね……、そうだったわね……、妹」


 どこか呆けたようにアリーが呟いた。まるで心ここにあらずといった雰囲気に、薫子は不安に感じた。何だろう、見ていて不安になってしまうというか、「このひと大丈夫か」と疑心を抱いてしまうような危うさがある。


「どうするのよ、姉」


 ふわふわと足が地につかないような姉に、シズルはしっかりとはきはきと突っ込んだ。姉はボケ担当で妹はツッコミ担当だというのか。


「どうしよう、かしら、妹。どっちが、いいかしら」


 こてん、とアリーは首を傾げ――後方に首を傾げ、首もとを薫子たちに晒した。やけに体が柔らかいらしく、状態まで後方に反らしている。

 普通なら振り向くだろう、と薫子は内心で突っ込んだ。

 同じ顔が逆さまの状態でこちらを向いている――下手したらホラーな光景に、シズルは呆れ果てた表情で大きな溜め息を吐いた。

 若くして作家として活躍する姉作家は、天才と何は紙一重を体現しているようである。


「いや、決めるの貴女だから。当人だから、当事者貴女だから」


 残念な空気を漂わせる姉に、シズルは――律儀にツッコミを忘れずに――姉の姿勢をたださせる。


「えー」

「えーでない、姉。ほらほら、きちんとして」


 シズルに押され、アリーが薫子たちの前に進み出た。


「……改めて、まして行方、アリー、です。……、……、本は一日何冊読まれます、か」


 そして、初対面に対して開口一番その質問はどうなの、という質問を口にした。

 ――蔦村兄が顔に手を当て、やれやれとばかりに首を振ったのを薫子は見た。妹も、同時に全く同じ動作をしていた。

 普通ではない登場の仕方をした作家姉妹の姉は、何で首を振るのかと、腑に落ちない顔をして首を傾げたのだった。




 ――しばらくして、本日の目的を達するために皆が席についた。

 あまりにも出会いが衝撃的ではあるが、まだ薫子が彼女らに出会って五分も経過していないのだ。

 行方姉妹と蔦村兄妹、そして薫子たち嶌川兄妹がようやく向かい合って腰を落とした。

 ――会話は、弾んではいた。


「作者の、わたしより、……詳しいわー……」


 あらら〜と、呑気にアリーが呟いた。両の頬に手を当てて、目をぱちぱちさせて。その熱い視線は音次郎に向いている。というより音次郎“だけ”に向けられている。

 音次郎はアリーの「何冊読みますか」の質問に、「貴女の著作物なら全て、いつまでも」と答えた。アリーの目を見つめて、アリーの手を握った上で、だ。

 周囲――驚いた三名を除き、蔦村はむっとした雰囲気を放ち始めた――をよそに、ふたりは一気にふたりだけの世界に入ってしまった。

 重度の妹大好き症候群も、大好きな作家を前に一時的に封じられてしまったわけであった。

 音次郎のこの反応は薫子の想定内だった。音次郎は行方アリーの大ファン。大好きな作家を目前にして冷静でいられない大ファンはいないだろう。

 けれども、やはり日頃より猫可愛がりされている薫子としては、ちょっぴり面白くはなかったけれども。

 ……それでも、薫子は兄を止めるべく動く。

 そして、その動きは重なった。


「兄さん、音次郎兄さん」

「ちょっと、姉! 空気読む、空気読む!」


 そんなふたりを止めたのは“妹たち”であった。


 ぴったりと同じタイミングで、薫子とシズルは兄と姉を止めたのだ。


「あらら〜……」

「あららじゃない、目的忘れない!」


 アリーは妹に激しく突っ込まれ、


「…………」

「兄さん、珍しいね」


 音次郎は――妹大好きと自認するだけあって――守るべき大好きな妹を放置した自分に対し、激しい自己嫌悪に陥っていた。その兄を「面白いのが見れた」と思いながら、薫子は兄を宥めていた。

 宥めながらも、薫子は警戒や注意を怠ってはいない。

 あちらからの生まれ変わりでなかった、ぽやんぽやんとしたアリー、しっかりしたシズル。

 アリーと音次郎の間で交わされる空気に、気が気じゃない蔦村。

 薫子の知らない誰かの生まれ変わりの蔦村の兄。

 何事にも想定外はつきもの。

 今は、まさしくその想定外の真っ只中。

 薫子は内心でにんまりと笑みを浮かべた。


「アリーさん、兄はアリーさんの作品なら全て網羅しています」


 薫子はアリーを見て満面の笑みを浮かべた。

 いま、この状態で音次郎を売り込む。どのような対応をするかわからない蔦村の兄が、驚いているこの隙に。


「デビューしてから、ずっとずっと兄はアリーさんの作品を追い続けています。未収録の短編さえ、雑誌の掲載時の状態でスクラップしています」


 あらあらと、アリーは目を大きく見開いた。その顔が次第に綻んでいく。

 シズルはそんなアリーの反応を見つつも、見極めるべく薫子から視線を離さない。

 そんななか、薫子は微かな舌打ちを耳にした。貴族令嬢としてのレアンドラの豊富な対人経験や、狩人としてのレアンドラの感をそのまま受け継ぐ薫子は、それが蔦村の兄のものだと直感で理解した。

 そのことを、薫子はひとまず深く考えずに横においた。

 今は、アリーの興味をこちらに引きつつ、シズルを納得させなくてはいけない。

 ……蔦村の兄が、何かしらの妨害の行動をとる前に。


「アリーさんの作品に関して――いえ、行方アリーという作家に関しては、兄ほど詳しい人はいません。ねぇ、兄さん」


 ぽん、と薫子は兄の背を叩いた。

 このタイミングで、兄を舞台に引き摺りあげたのだ。

 そして、兄は。


「僕は、アリーさんのお役に立てます!」


 妹の横で誉め殺しされていた兄は、いつのまにか復活していたのだ。

 そして、いきなりの音次郎の会話の参加は、シズルも蔦村の兄も想定していなかったこと。

 ふたりの警戒は、薫子に向いていたのだ。薫子はふたりの隙をついたことになる。

 その隙こそ、薫子の作戦の中で一番の肝だった。


「あらぁ……わたしをスランプから、救ってくれる王子さま、みたいねぇ〜……」


 のほほんと、アリーは嬉しそうに照れた。

 それが、答えとなった。


「姉、決めたのね?」


 シズルが呆れたように呟いた。


「妹、わたし決めたの。ジョージくんにも文句は言わせないわぁ」


 うふふ、とアリーは微笑む。


「ジョージくん、そういうこと、だからね?」


 蔦村の兄は黙ったままだ。能面のような無表情からは、彼の考えは読めない。けれども、薫子は彼の敗けだと確信している。


「行方アリーは、自作の停滞を王子さまに助けてもらうの。だから、ね? ひとまずは軌道に乗るまで……ジョージくんはぁ、お留守番?」

「姉、調子乗りすぎ……蔦村くん」


 はあと溜め息を吐き、シズルは蔦村に向き直る。


「あたしたち専任編集者の貴方としては面白くないかもだけど、貴方は姉をスランプから出せなかった」


 一息おいて、シズルは告げたそれは――


「だから、貴方はしばらく専任をはずされる。面白くないとは思うけど、これも作家としての姉を死なせないためには必要なことだから、理解はして」


 ……実質の、関わるなという宣言だった。


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