表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/43

これが晴天の霹靂というものか



「ねえ、レアン」


 ある晴れた日の昼下がり、木の下で読書をしていたイーリスがレアンドラを見上げた。


「どうしたのかしら、イーリス」


 剣の素振りをしていたレアンドラは、汗を拭いながらイーリスの横へ座った。


「恋って、遊び?」


 基本無表情のイーリスの真面目な表情に、レアンドラは少し驚きながらもずばっと即答した。


「遊びでしょう」


 貴族たちは結婚していてもしていなくても、恋愛事を――火遊びのように――遊びと割り切って行っていた。レアンドラの一族は違うが、他の貴族では「遊びの結果生じた庶子」がたくさんいる。

 カルツォーネを含め、諸外国の貴族はだいたいこのような倫理観だった。恋は馬鹿げたこととみなすアウデンリートの考えも、この倫理観の影響が皆無とはいえないだろう。

 そして、貴族の令嬢として規格外なレアンドラとイーリスは、全く色恋沙汰のいの字さえ見当たらなかった。

 この日、イーリスの口から恋という単語が出るまでは。


「そう、遊びよね」


 イーリスはそう呟いてから、すぐに読書に戻った。レアンドラはとくに気にとめずに、素振りを再開した。




 ――その翌日、レアンドラに弟弟子ができる。ハーキュリーズ・レザンスカ、イーリスの弟である。

 イーリスのあの日の質問の意図は、結局レアンドラはわからないまま最期を迎えた。

 恋を馬鹿げたこととみなしていたレアンドラが、もしもあの日に質問の意図を確認していたら――、その未来は変わっていたかもしれない。

 彼女に恋した少年と、その姉によって。

 しかし、「もしも」は起こり得なかったからこそ描ける想像だ。

 もしも、あの時こうしていれば。もしも、この時ああしていれば。

 悔いは先にはできず、後になってからするもの。

 遊びではない恋に身を落としたレアンドラ、遊びではない恋を叶えられなかったレアンドラ。

 ただし、叶えられなかった恋はもうひとつ。

 レアンドラが知らなかった恋が、もうひとつ。


「レアンディ!!」


 暗い牢にて、恋した相手の亡骸を抱いて、もうひとつの叶えられなかった恋は終焉を迎えた。


 ――もしも、があるならば。


 彼は、亡骸を抱きながら望んだ。


「次があるならば、必ず――」


 それは、恋を叶えられなかったレアンドラが知らない、別の恋を叶えられなかった話。。




☆☆☆☆☆




 薫子の次兄・音次郎は、薫子の兄たちの中で唯一薫子と同じ趣味であった。

 長男は家事が趣味。

 次男は読書が趣味。

 三男は調理が趣味。

 長女は読書が趣味。

 同じ家で育ったというのに、見事に男三人は趣味が違った。共通点はインドア派という点くらいだろうか。そもそも長男の趣味がおかしい。

 そんななかで、音次郎にとって妹が唯一同じ趣味だった。

 趣味が同じ、それは一緒に過ごす時間も自ずと多くなるということだ。つまり、他の兄弟よりも長い時間妹をひとりじめできるのだ。

 妹ひとりじめ――それを意識したとき、シスコン重症患者がひとり発症したのであった。

 実際に幼い頃の薫子は、音次郎の部屋――蔵書の多さに図書室化しかけている――に入り浸っていた。

 趣味が同じということが、音次郎の妹への溺愛っぷりを加速、より重症化させることとなった。


「音次郎兄さん、寒いね」


 日曜日、薫子は次兄・音次郎とともに駅前広場にて人を待っていた。

 ――兄妹ふたりが手を繋いで、である。

 土日の午前中の駅というたいへん人の集まるなか、成人した兄と思春期の妹が。

 一般的な思春期の妹ならば、衆人環視の前で成人した兄と手を繋ぐのを嫌うだろう。

 しかし、そこは薫子である。「一般的な」思春期の妹ではないし、厳密には二度目の人生、二度目の思春期だ。

 だから、「年頃の妹が兄と手を繋ぐときの」薫子の反応はこうである。


「兄さん、寒い」


 スルーである。意に介していないのである。見事なまでのスルースキルである。

 ただし、「お兄ちゃんと手を繋ぐなんて!」的なスルーではない。

 薫子は「兄とは妹に対して無条件にデレるものであり、目の中へ入れても痛くない存在」だとたいへん誤った「兄妹関係」の認識をしている。

 なので、妹大好きすぎる兄たちにドン引きすることなく、穏やかな関係でいられるのだ。穏やかなスルーである。


「何か飲みますか」


 音次郎は近くのコンビニエンスストアを指差した。

 既に三月に入り、暦上は一応春である。けれどもまだまだ外は寒く、厚手の防寒具も手放させない。

 なので、薫子も音次郎もコートにマフラーといった冬装備である。


「うん、飲む」


 こうしてふたりがコンビニエンスストアに入り、しばらくして缶コーヒー等の暖かい飲料を持って外へ出てくると――


「さ、さ、寒いです!?」


 ――薄手の春物コートに身を包んだ待ち人、蔦村が待っていた。





「先輩、相変わらずズレていますね」


 嶌川兄妹と蔦村の三人は、電車を何本か乗り継ぎ本日の目的地に向かっていた。

 単線の私鉄に乗り換えた三人の他には乗客はいなかった。そんな車内にて、音次郎と蔦村の間は外気温のように冷え冷えとしていた。

 隣で繰り広げられる痴話(?)喧嘩に、薫子は止めに入らない。今は、あの時の本屋のような「人目は」無いからだ。今の音次郎と蔦村が、「脅す側と脅される側」にしか見えなくとも。


「何で春物なのですか」

「だって、だって……予報では春物で大丈夫だって……」

「だからといって、実際は寒いでしょうが」

「で、でも、この服、買ったばかりで、き、着たかった、し……」


 音次郎の巨体が小柄な蔦村に、覆い被さるように迫る。なかなかの迫力なのであるが、迫られた蔦村はといえば、顔を真っ赤にして音次郎から視線を逸らしたり、見つめたり、あたふたしたりと実に忙しない。

 ――そして、段々と真っ赤っかレベルがあがっていく。


(……面白い……)


 レアンドラとして生きていた頃、薫子はたくさんの恋の鞘当てを見てきた。もちろん貴族の恋の鞘当てであり、貴族というものは恋愛を遊戯、つまりはゲームの一種として見なしていた。恋多きあの女、アーシュ・チュエーカは本心だったのかゲームのつもりだったのかは、今となってはわからないが。

 なので、本心からの恋心というものを薫子は見たことがなかった。蔦村が音次郎に対して好意を抱き、妹以外眼中外の音次郎は見事に鈍く、全く気付いていない。あれはわざとではなく、見事なにぶちんというスルーモンスターだ。

 ともかく、薫子となってからはたくさんの恋愛を見てきた。

 こちらの世界は、レアンドラとして生きていた世界とは違い総じて早熟であり、薫子は小学生の頃には既に目が肥えていたのである。……二次元ではなく、現実の恋愛事に対して。

 その経験を踏まえなくとも、蔦村の気持ちはわかりやすいものだが――とにかく、蔦村が音次郎へ向ける気持ち、そしていまも発揮されている音次郎の見事なスルースキルに薫子は内心にやにやが止まらなかった。

 結局、薫子のにやにやは目的地につくまで止まることはなかった。




 薫子たちは無人駅に降りたあと、しばらく田野の間にのびる道を歩いた。どう見ても、自動車が対向できない農道であった。

 田んぼにでは堆肥などがまかれる様子が見られ、またあちこちに鳥が何羽も降り立ち、地面のあちこちをつついている。その様子は何とものどかであった。

 歩き続けて半時間が経過した頃、林の中にぽつりと立つ一軒家が見えた。


「あちらです」


 ぐきゅるる、という大きな音ともに、蔦村が一軒家を指差した。その顔は、電車内で見られたものとは違う意味で真っ赤だった。

 蔦村のそんな様子に、音次郎はからかいかけて――すぐに止めた。


「十二時近いですからね」


 薫子も、ぐきゅうという音ともに応じたからだった。




 空きっ腹の薫子は、一軒家に近づくにつれてより空腹感が強くなってしまっていた。それは辿り着いた今さらに強い。

 蔦村も同じようで、こちらはまだ赤面したままであった。音次郎を直視できないのもそのままである。

 随分と長い間真っ赤で疲れたりはしないのだろうか、と思いながらも、薫子はその一軒家から目が離せない。

 門部屋のある塀に囲まれた鈍く光る瓦葺きの平屋、門の間から覗く白い漆喰に、庭に面した長い縁側。

 どこからか鶏の鳴き声が聞こえるこの建物は、古き農家の一軒家といった風情だった。

 ただ、門に飾られたのは表札ではなく、同じくらいのサイズの木製の看板だった。


 ――“農カフェ・四季郷”


「農……、カフェ?」


 この一軒家は、どうやら一般家庭ではなく飲食店のようだ。


「でも、……貸し切り?」


 表札サイズの看板の下には、“本日貸し切り”のプレートがぶら下がっていた。


「ああ、私たちですよ」


 薫子の呟きに、蔦村が反応した。


「“たち”、ですか、先輩」


 蔦村は胸を張り、どや顔で大仰に頷いた。


「ここで、お会いするのです!」


 ――薫子と音次郎は、今日誰と会うかは知っている。

 けれども、次の瞬間ふたりとも表情がぴしっと石化した。


「行方先生姉妹と!」


 ふたりがこれから会うのは、姉作家こと行方アリーだけではなく、妹作家こと行方シズルも、らしい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ