物事は移り変わりゆくものか
短いです
レアンドラが生きたカルツォーネという国の貴族社会というものは、親しい間柄という概念が希薄だった。
どこの家と接するにしても、横や縦の権力関係を常に意識しなければならなかった。
つまり、友人さえ気軽に選べなかった。「あの子と仲良くなりたい」ではなく、「こちらの家の子は大丈夫、でもあちらの家の子は派閥から考えて無理、またそちらの家の子は要相談」といった具合で、友人を作るにも一苦労であった。
貴族としての地位が高ければ高いほど、その傾向は顕著だった。
レアンドラも例外ではなかった。
レアンドラの場合、その背景に加え本人の「規格外さ」もあってなかなか友人ができなかった。レアンドラは貴族令嬢としては規格外すぎたのである。
しかも本人はといえば、「あたくし、恋に恋する阿呆が嫌いですの」といったように作る気すらなかった。とことん規格外であった。
レアンドラの短い生涯で、友人と呼ぶことができるのはただふたりだった。たった、ふたりだった。
一般的には、貴族令嬢は十人以上は親しい「同性の」交遊関係のグループを持っていたなかで、かなり少ない――しかもうちひとりは異性である。
そのたったふたりは、姉弟であった。
レザンスカ侯爵家の姉弟――イーリスとハーキュリーズである。
☆☆☆☆☆
――もし、敵対していた相手が罪を償いといってきたら。
――もし、敵対していた相手が和解を求めてきたら。
薫子は一切そのようなことを想定していなかった。そもそも、敵対していた相手と和解をするという考えが全く思いもつかなかったし、償いたいと自ら申し出るような相手ではなかった。
誰だって、自分を死に追いやった人物と和解などしたくはないだろう。
しかしその人物が生まれ変わり、次の人生できちんと猛省して、悔やんで、和解を求めてきたら。全うな思考ができ、常識もあり、罪を償いと申し出てきたら。
もはや別人として割り切って考えなくてはならなくなったら、どうするか。
薫子は「罪を償いたい」といわれて、「ならばその心意義を見せなさい」と、示せと告げた。狂気などない澄んだ目で決意と覚悟を胸にした相手に、薫子は否とは言えなかった。変わろうとしている相手に、否とは言えなかった。
薫子は過去に囚われるつもりはない。穏やかに暮らしたい。
そして、復讐も望んではいない。前世の「あの女」が、「あの女」のままなら関わりたくないだけ。
改心し変わった「あの女」ならば、関わってもいい。
けれども、友達になりたいといわれたら……さすがの薫子でもすぐに答えは出なかった。改心したとはいえ、かつて敵対した相手と友達になる――そんな流れなど想定していなかった。
祢々子は「友人になってください」宣言をしてから、緊張した面持ちで薫子を見ている。
絆されかけている五月子も、緊張した面持ちで薫子を見ている。
ふたりの視線を受けた薫子は、手を顎に当てて考える素振りを見せた――あくまでも素振りで、実際の思考は甚だしく鈍い。
薫子の雰囲気はあくまでも「女帝降臨」、貴族令嬢モードである。
貴族たるもの、いつでも泰然でなければならないとそれを実践してきた過去があるからこそ、薫子は見た目は「いつも通り」を保ってはいた。
しかし、思考はいつもの速度で動かない。鈍い。亀までとはいかないが、鈍い。
五月子と祢々子が見守るなか、薫子はゆっくり口を開いた。
――いや、開こうとして右手、通路側を見た。
「薫子、お友達か」
地を揺るがすような地響き――いや、重低音が薫子たちの頭上に響いた。
角刈りに眼鏡、そしてラグビー部のような体つきのの助三郎の登場である。
泣く子がさらに泣きわめく強面の助三郎は、可愛い可愛い妹のピンチをかぎとり、すぐさまに駆けつけたのだ。
薫子の兄三人は、とてつもなく精度の良い「妹ピンチお助けレーダー」を持っているのである。まさにシスコンの鑑である。
「助三郎兄さん」
薫子は首をぐっとあげ、兄を見た。無表情の強面が、微かに笑った。泣いていない子を泣かす必殺・キラースマイルである。スマイルキラーではない、攻撃的な武器になった笑顔・キラースマイルである。
「…………」
祢々子は青ざめぷるぷる震えていた。これが助三郎への初対面の相手の反応である。ちなみに百人中九十九人はこの反応をする。まさに助三郎に遭遇したときの一般的な反応である。
「こんにちはー、助三郎さん、お久しぶりでーす」
対し、五月子はさらっと挨拶をした。全くぷるぷるなどしていない、堂々たる態度であった。
ちなみに五月子は初対面時からこのノリである。
五月子は、初対面で助三郎を恐れなかった数少ないひとりだ。百人中ただ一人の、たった一パーセントの確率の反応をしたのである。
「注文は」
助三郎は(本人的には)接客スマイルを浮かべた。本人以外にしたら見ただけで失神しそうな殺人クラスの凶悪な笑みでも、本人は心の底からおもてなしをしているのである。
「助三郎兄さんのおすすめ、みっつ」
ぷるぷるする祢々子はまだ正気ではないし、五月子は助三郎の作るものなら何でも好きなので、薫子は自分で注文を決めた。決して独断ではない。
「任せろ」
助三郎は八重歯を見せて嬉しそうに笑った――ただし、絵面的には猟奇サスペンスの犯人面であるが。
「楽しみだね」
「五月子は助三郎兄さんの料理のファンだから」
のほほんとする二名に、解凍し始めた祢々子が「信じられない」という表情を浮かべた。
「兄は凶暴な見た目だけど、根は桃太郎のような正義漢で、泣き上戸なの」
三人の兄の中でも一番外と中のギャップが激しいのが助三郎である。
「あに?」
祢々子は厨房に消えていく助三郎と薫子を交互に見た。
「兄。一番下の兄」
紛い方なし薫子の血の繋がる兄である。例え全く似ていなくとも、きちんと血縁がある。
「……似てない」
思わず呟く祢々子に、五月子も同意して頷く。
「兄だから。きちんと兄だから」
ふたりに突っ込みながら、薫子はふと思い至った。
――今のやり取り、既に友人ではないのか。
薫子は意外と自分はぬけているなと、内心で苦笑した。
苦笑しながらも、薫子は鈍っていた思考がゆっくりと動き出したのを感じていた。
贖罪をしたい、距離を狭めたい祢々子。改心した、あの女――もはや、あの女とは別人。
薫子の脳裏に、祢々子の兄の姿が過った。
エドヴィンだった、今は別人の五百龍雅。
たったふたりだけれど、どちらも変わってしまっている。どちらも、前世のままではなく、イコールで結べない。
昨日の敵は今日の友。敵対していた相手でも、友人の間柄になるという故事があるように――実際、もうすでに友人のようなやり取りをしているではないか。
「よろしく」
薫子は、祢々子に手を差しのべた。
「……っ」
祢々子は、一瞬目を瞠目し――嬉しそうに破顔した。
こうして、かつて敵対したふたりは友人となった。
レアンドラは友達と呼べる存在はたったふたりだった。その因果なのか、薫子も友人が少なかった。
――経緯や相手はどうであれ、実は友人が増えたことが嬉しかったりする薫子であった。
レアンドラだって、薫子だって、友人に憧れはあるのである。




