これが虎視というものか
虎視……虎のような鋭い目付きで見回すことをいう
また、機会、チャンスを狙い定め、形勢をうかがうことをいう
武の一族とも謳われたアウデンリート公爵家は、性別年齢を問わず必ず剣を学び、ものにする。それは仕える王家の盾となり矛となるため、誰よりも強くなるためだ。王家を狙う不遜の輩より、お護りする側が弱くてはその任さえ果たせないのだから。
例えいつか嫁ぐ身であっても、アウデンリートの名前に恥じぬように、必ず師事して剣を振るう。
レアンドラたち姉弟も、その例に漏れずひとりの師匠につき、剣を手に取った。
「馬ッ鹿モォオオン!!」
姉弟の師匠はそれが口癖だった。
挨拶などの礼儀に厳しい人だった。挨拶が及第点でなければ、その日の剣の講義がないときもあった。
「寝て、食べて、動け! 健康的な生活が根底にあってこそ、剣は振るえるのだ!」
そして剣は体が資本、体力作りが重要不可欠だといって、健康的な生活を送るように徹底して教育を受けた。師匠はヘルシーな食事と、疲労に効く食べ物などを姉弟に教え込んだ。
「はっはっは、実戦なくば王族の方をお護りすることはできん!」
姉弟の師匠は、定期的に実戦も行った。
レアンドラは他の貴族令嬢がピクニックをしていたとき、領地の原っぱや心理的地帯で、実力者の冒険者に混じり魔物狩りをしたりしていたのだ。
また、何泊もサバイバルという名の野宿――いな、屋外での宿泊体験もした。国軍見習い兵士も顔負けの計画だった。
敵襲の実戦という名の、師の不意打ちによる真夜中の奇襲されたときの対処法も、その逆も、野戦も行った。
見習い騎士も、一般冒険者も顔負けの実戦をこなしていったレアンドラたち姉弟は、万が一敵襲を受けても対処できる腕前を身につけた。
そんなパワフルで豪快な姉弟の師匠の座右の銘は、虎視眈々であり、「馬鹿もん」に次いでの口癖だった。
「獲物を狙うときは、誘い込め。油断させろ、隙を作らせろ! そしてこっちは平静を装いながら油断するな、睨みをきかせろ、ハンターになれ!」
そんな師と、レアンドラは齢みっつの頃より師事していた。
みっつの頃より聞いていたその座右の銘は、長じてからはすっかり耳にタコであった。
規格外と謳われるレアンドラではあったが、その凜乎とした佇まいと勇猛心に溢れた雰囲気の大半は、絶対にこの師の影響である。間違いない。
レアンドラたち姉弟が師事したのは、アウデンリート一族の一番の剛の者と異名をとった、元国軍将軍ディダック・アティエンサ卿であった。
剛骨で、豪快で、雄熊のような大きい巨体を誇った老将は、レアンドラにとっては第二の親だった。
やがてレアンドラに親しい友人ができ、レアンドラが剣の稽古の傍ら、友人が側で読書をするというパターンが出来上がった。
そのパターンにも、やがて新たな参加者が増えた。
「レアン、今日からこいつも鍛えたいと来たぞ? 俺様は今さら弟子がひとりふたり増えても関係ねぇが、あんたはどうだ?」
――イーリスの弟、ハーキュリーズが自分も一緒に鍛えてくださいと、師匠とレアンドラに頭を下げに来た。
この日以来、レアンドラが投獄されるまで彼らの剣の稽古は続いた。
☆☆☆☆☆
五百祢々子が、正義感に強いお巡りさんに捕獲された翌日である本日。
五百祢々子は、欠席だった。
五百祢々子の欠席に、クラスメートたちは驚きを隠さなかった。何しろ、転入して二日目の欠席だ。
「五百さんは、まだおうちの引っ越しで忙しいそうだ。ほらほら、静かにして座れー」
担任は飄々と欠席理由を告げ、ざわめく生徒たちを静めていく。
ざわめく生徒たちは、「当たり障りのない表向きの理由」を信じ、なんだー仕方ないよなーと納得して静かになっていく。
薫子はおくびにも出さなかったが、内心驚き、肩透かしな感じを抱いていた。
昨日の件で、色々突っかかってくると予測していたからだ。
(なら、やはりあの女ではない?)
薫子は静かに思考していく。
図書室でのらしくない動揺のあと、薫子はすぐさま沈着さを取り戻した。このあたり、やはりアウデンリート家の影響だった。
沈着さを取り戻した薫子は、すぐにあの字の癖と、記憶の中の知る範囲での字とを比べ、照合した。対象は親しくしていた身近の存在だ。
結果、得た答えはひとつ。
(該当者はいない)
あの字を見たときは驚きを隠せなかったが、すぐに沈着として再び見れば、この字の違和感がよく伝わってくる。
この文面は日本人の誰かがカルツォーネの字を書き写したものだと、薫子はみている。
カルツォーネの言語には独特のルールがある。
文法の並びこそ、英文と同じ主語・述語・目的語と同じであるが、一字一字綴るときにそのルールが発生する。
例えば、人名は全て最初から最後まで一筆で書き上げねばならない。
それは個人名でも、ミドルネームでも、ファミリーネームでも同じ。
また手紙を書くときなどに、相手の名前を途中で書き終わるなど、赤っ恥もので、裸も同然で衆目の前に出ると同義だ。
そんな赤っ恥ものの痛恨のミスをしているわけである。
習い始めた幼児でさえやらない、あまりにも馬鹿馬鹿しい失敗。
他のルールも、同じ。続けて書かなくてはならない単語を、改行していたりする。
カルツォーネの文字は、刺繍のように繊細で、その滑らかな緻密さは典雅な雰囲気を醸し出す。ゆえに、典雅文字や優美紋様文字といわれていた。
続けて一行におさめるところを、現代日本のように意味が変わるところで改行してしまえば、綺麗さも優雅さもとたんに無くなってただの紋様になってしまうのだ。
お手紙の文面は、ぱっと見たところはあちらの言語。
しかし内実は、ルール違反だらけの、典雅の欠片もない雑多な文字。
この文面の手蹟を見れば、文面の意味がわからないものが書いたソレと判断できる。もっといえば、典雅文字と呼ばれた所以の理由を知らない輩だ。
カルツォーネでは国全体の識字割合があまり良くなかった。一般世代では簡単に読み書きできる崩し文字、中流以上の家庭になってようやく典雅文字が使われる。
それでも、崩し文字でさえどことなく素朴でのびやかで美しい。
カルツォーネの国民は、やたらと字を美しく書くことにこだわる国民性をもっていた。文字は書くのではなく描くもの、そんな暗黙の了解さえあったのだ。
よって、「カルツォーネの国民ではない日本人が書き写した」という答えが得られたのだ。
(これを書かせた、もしくは写させた輩は、何が目的?)
その輩は、レアンドラのという名とその身分を知り、かつレアンドラ=薫子ということを明らかに知っている。これはあの文面を薫子に宛てている時点で、黒のはずだ。
そして、その輩は自分が直接出てこないつもりなのかもしれない。もしくは、正体をばらしたくはない。
つまり、協力者がいる。
また、土日は学内の工事の都合上、生徒と教師は立ち入り禁止だった。
そのために、朝早く入れるしか手はないし、最初から薫子の下駄箱の位置を知らなくてはならない。
つまり、協力者は明らかに学校関係者であり、今朝早く登校もしくは出勤している。
目的が何かは、情報が少ないため推測さえできやしない。
それでも、薫子は――レアンドラは逃げない。
生まれる前の世のしがらみなど絶ってしまうつもりの薫子は、敵地に堂々乗り込んで小火のうちに消化してしまうつもりであった。
レアンドラは声をかけられたら、もしくは喧嘩を売られたら無視はできない真っ正直さで、見事に罠にはまり墓穴を掘った。
薫子はその経験から、もう罠にははまらないし、墓穴も掘らないつもりだ。
今回は、自ら罠にはまりにゆく。
薫子になったレアンドラは、もうあの頃のレアンドラとは同じではない。開き直り、知恵をつけた元悪役令嬢を敵に回した輩に対し、薫子は内心でにやりと口の端をつり上げた。
それに、あちらに協力者がいるというのなら、こちらも協力者を用意するまで。
――薫子は、単身で敵地に乗り込んだ。
そんな薫子は、獲物をこれから仕留めにいくハンターの雰囲気をにじみ出していた。そう、レアンドラの頃のように。
古書店に入った薫子は、蔦村とすぐに合流した。
薫子はあのお手紙を見たあと、すぐに蔦村に連絡をとった。実は、今日はモニターの件で打ち合わせも兼ねて会う予定だったのだ――お休みの蔦村に。
その打ち合わせの集合場所も、偶然にもあの休憩スペース。
「薫子さん!」
蔦村はあの日の同じベンチに座っていた。私服姿の蔦村は、薫子を見つけるなり嬉しそうにブンブン手を振る。そんな蔦村は、とても二十代後半に見えず、やはり二十歳前後にしか見えなかった。
(日南子だったら、間違いなく“リアルトリップ大人女子”と喜びそう)
リアルトリップ大人女子、それは異世界(西洋風)にトリップした実年齢成人の女性が、若く見える東洋人の見た目ゆえに、幼さく見られ、かつそれを利用して物語を進めていくパターンである。
こういったパターンには悪役令嬢がつきものということを、そのときはまだ知らなかった薫子が、その手の話を読んでしまったという黒歴史も思い出に新しい。
「薫子さん。近くに美味しいカフェがあるんです。そちらでお話をしましょう」
姓で呼ぶのは兄と被るので、薫子は下の名前で呼んでくれるように、あらかじめ蔦村に頼んでいた。
薫子は蔦村と話ながらも、鷹のように鋭く獲物を探していた。
――探すのは、薫子という言葉に反応している不自然な人物。
薫子としては初めての、レアンドラしては久しぶりの狩りが始まった。




