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それは驚倒というものか

驚倒……非常に驚くこと


 貴族の長子は、イコール嫡男ではなかった。

 けれども、貴族の長子は嫡男とはまた別に、長子の責任というものがあった。

 家長がいないときの代理としての責任、そして弟妹を導く責任。

 レアンドラは長子であるがゆえに、弟たちと比べ両親たちとよりビジネス的な繋がりであった。

 家族の親愛といった愛情は確かにあれど、弟たちに比べればあまりそれは深くはなかったのだ。


「レアンドラさん、お願いしますわね?」

「はい。心得てございます、お母様」


 これが、母と娘の会話であった。父ともよく似た会話であった。

 両親との愛情は希薄ではないけれども、深いわけではない――つまりは広く、浅くであった。

 また、弟たちを導く責任もあったため、レアンドラは弟たちに対して教育するときは厳しくしつけた。

 その結果、やはりというのか、レアンドラと弟たちの間には広く浅い愛情関係が築き上げられた。

 だからこそ、だったのだろう。


「レアンお姉さま!」


 レアンドラと七つ離れた三男のリベンツィオからの、疑いようのない真っ白で真っ直ぐな愛情表現を向けられる度に、レアンドラはくすぐったいような、照れ臭いような、何だかもったいないような気分になり、戸惑うことが多かった。

 その戸惑いは、三男だけではなく他の存在にも適用された。

 それは、たったひとりの少年。


「レアンディ」


 三男と同じように、レアンドラに真っ直ぐな気持ちを向けてきたのは、彼だけだった。

 彼は、イーリス以外にレアンドラを愛称で呼ぶ唯一の人だった。

 彼が向けてきた気持ちは、果たして姉の友人への親愛の情だったのか、それとも剣術の姉弟子への尊敬だったのか――レアンドラは知らない。

 レアンドラはその答えに気付くことなく、知ることもなく、若い命を暗い牢獄で散らせたのだから。


「レアンディ!」


 だから、彼女の愛称を狂おしく呼ぶその声が幻でなかったことも、知るよしもなかった。




☆☆☆☆☆




『ちょっと、待ちなさいよ』


 薫子の耳に、記憶に新しい声が届いた。

 薫子の足が止まる。

 一般常識で考えたならば、ここは振り向くのが普通だろう。

 振り返って対処するか、振り向いても対処せず、再び背を向けこのまま歩を進めるか。

 これが声の主でなければ、薫子は一般常識での答えを選んだだろう。

 しかし、その声の主が口にした言語は、レアンドラの故国・カルツォーネの言語。

 そして、声の主と声が話す言語とを考えて、薫子はひとつの選択肢を選んだ。

 突然声をかけられた薫子は――


『ちょっと、無視しないでよ?!』


 ――無視した。

 薫子は、もう二度とあの女に関わりたくはないのだ。

 薫子は穏やかに暮らしたい。


『ちょっと?! あんた、クラスメートを無視するっての!』


 だから、声の主が喚いていても気にかけなどしない。

 声の主は季節外れの転入生、五百祢々子。

 ――生前のままなのか、それとも違うのか。

 その疑問に答えを見いだしていないときならば、煮えくり返りそうな心中を隠し通して「普通に一般常識内で当たり障りない」コミュニケーションをとっていただろう。

 ただし、答えは出た。答えは白ではなく、黒。五百祢々子はアーシュ・チュエーカに相違ない。

 なので、薫子は五百祢々子が黒だったときに用意した答えを選んだ。

 つまり、「生前のままであったなら徹底的に関わらない」ということ。振り向かずに無視したのはその一環だ。

 学校や人目のある場所ならば、それこそ表面上は波風立てずに、クラスメートとして必要最低限以外は関わらない。

 今は人目はあれど、また状況が違う。ここには、薫子と祢々子の関係を知るクラスメートなどいはしないのだ。


『あんた、さっきあっちの言葉話してたじゃあないのよ、名乗ってたじゃあないの、レアンドラ・ベルンハルデ・アウデンリートッッ!』


 今はまだちらほらと人がいる。

 そのなかで、異国の言葉を喚く少女。彼女が話すのは異国ではなく「あっち」、異世界の言葉で地球上の誰もが知らない。だから理解などされないし、喚いていてるだけだから、薫子を呼び止めているなどと誰も思わない。

 五百祢々子が、立ち続けたまま喚いているならば。


『ちょ、まち――』


 五百祢々子が、動いた。痺れを切らし、薫子との距離を縮めんとする。

 けれども、薫子は泰然自若とし、不動の岩の如し。

 その薫子の態度に、五百祢々子がかっとなって手を拳にし、薫子により近づき――


「ねぇ、君。ちょっと交番まで来ようか?」


 あと少し、そこで五百祢々子は自転車に乗ったお巡りさんに声をかけられた。


『な、な、なっ……』


 去る薫子、後ろのお巡りさんを順番に見た五百祢々子は、悔しげに「あの女っ」と呟いた。


「君、日本語で話してくれないかなぁ。お巡りさん、日本語以外は英語しかわかんないんだよね?」


 ――呟きもあっちの言葉だったため、町内の平和を維持することに熱心なお巡りさんは「交番できっちりお話しよう」という意気込みを深めたのだった。

 そのやり取りの間に、薫子は去っていた。

 つまり、五百祢々子は自分で自分の首をしめて、薫子を見失ったのだった。




 薫子は帰宅したあと、やはり心配でまだ家にいた次兄・音次郎の執拗な「あの男は何ですか」攻撃をうけた。

 その後どうにかまいた薫子は、自室にて片手を顔に当て溜め息を吐いていた。

 この仕草も、レアンドラの癖だった――弟たちに呆れたり、情けなくなったりして少し途方に暮れたときの仕草だ。

 薫子は次兄の妹大好き症候群の重症さに呆れていたのだった。

 薫子も家族は大好きだし大事だ。けれども、次兄の妹大好き症候群は時に「これ、妹じゃなくてそれ恋人か嫁に対する態度じゃね?」的な感想を抱く行動に出る。今回はそれが執拗な質問攻めだった。

 薫子はそれは嫌いではない。むしろ慣れず、いまだに戸惑う。

 そして、その溺愛の深さに薫子は戸惑いつつも、まだ兄離れができないだろう自分を自覚するのだ。

 薫子は――レアンドラは、裏のない純粋な深い深い愛情に、慣れていなかったから。

 それは地球の現代日本に生まれ変わって、自身の見た目やら生活環境ががらりと変わっても、中身がレアンドラのまま変わらなかった証だった。




 週が明け、学校へ通い家へ帰宅するというルーチンワークが再び始まった月曜日。

 いつも通り、他の生徒より早めに登校した薫子を待っていたのは、下駄箱に入れられた一通のお手紙としかいいようのないものだった。

 おそらくは、コピー用紙あたりの真白い紙を用いて、即席でつくられたものだろう。小さく折り畳まれたそれを開けば、紙面に記された文面が視界に入ってくることだろう。

 下駄箱にお手紙、それは告白のお呼びだしの王道パターンなのに、だ。もしくは「喧嘩上等!」とばかりに、裏校舎辺りに来いやぁ的なお呼びだしか。どっちにしろ、対象をドキドキさせるには十分な効果を発揮するだろう。

 しかしそこは薫子である。

 幼子の手のひらほどもない小さなそれを見て、薫子は何も反応を示さなかった。仕掛けた側からすれば、何とも悔しい場面だろう。全く意識すらせず、完全に眼中外なのだから。


「……………………」


 下駄箱に入れられた封筒というイレギュラーに遭遇しつつも、泰然自若を発揮した薫子は戸惑いも見せずに、そのイレギュラーを鞄の中に仕舞い込み、さっさと下駄箱を後にしたのだった。

 イレギュラーを前にしたというのに、この一連の流れのどこにも不自然さは見当たらなかった。

 その手際は、日南子なら――今は留学中なので無理だが――きっとこういっただろう。

 フラグをさりげなく潰すなんて、それ何回目? と。

 薫子は、自覚ありのフラグ破壊者だった。それもこれも、穏やかに暮らしたいから、それにつきる。

 なので、誰もいないであろう図書室にて、さっさと読んで証拠として残しておこうかなと思った。レアンドラの頃、徹底的に陥れられた経験を持つが故に、薫子はこういったときに必ず物証を残すようにしていた。……もちろん、「こういったとき」自体はいまが初めてである。

 そんな薫子は、このときまで疑っていなかった。

 このイレギュラーなお手紙が、昨日思い切り無視したお隣さん関連だと。散々罠にはめられ徹底的に陥れられたので、疑うなという方が不可能だった。

 つまり、アーシュ・チュエーカである五百祢々子が昨日のことを恨みに思い、何かしら行動に出たのだろうと。

 嶌川家の新しい隣人・五百家は、両親に息子ふたり娘ひとりの家族構成だった。

 その娘こそ、五百祢々子だった。

 レアンドラを陥れ、婚約者を奪ったアーシュ・チュエーカは、今世では皮肉にもエドヴィン・カシーリャスの妹として生まれたようであった。

 そのお隣さんは、あの時間帯ならパトロール(自転車)していたお巡りさん(真面目)に職務質問された。

 ――放置すればあの場に居合わせた誰かが呼ばずとも、トラブルの臭いをかぎつける特殊技能を持ったお巡りさんが必ず駆けつけると、薫子はわかっていたのだ。

 あの女である五百祢々子が、さらに薫子へ恨みを募らせても仕方ないだろう。あの女は、薫子がレアンドラだった頃から、狂った敵意を向けてきていたのだから。


「あ……え?」


 しかし、お手紙を開けた薫子は瞠目した。泰然自若がどこかへ逃げた。


「は、ぁ……?」


 今の薫子をあの女である五百祢々子が見れば、おそらく溜飲をさげたことだろう。

 それまでに、薫子は間抜けな顔であった。


【親愛なる鷹の公爵令嬢さま】


 お手紙の文面はそれで始まっていた。明らかに薫子――レアンドラに宛てたお手紙である。アウデンリート公爵家の家紋は鷹だ。そう何人もアウデンリート公爵家の令嬢が生まれ変わってははいないだろう。だからレアンドラ宛で間違いなかった。


『嘘でしょう……』


 薫子は信じられないあまり、あっちの言葉が口を衝いて出た。

 薫子の魂に染み付いた、アウデンリート家の家訓のようなものが所在不明になるくらいの驚愕は、レアンドラ宛であったこといがいにも、あとひとつ。

 思わず手のひらを口に当てた薫子の目に映る文面の文字、それがもうひとつ。

 あっち――異世界のカルツォーネで使用されていた文字で、お手紙は書かれていたのだった。


【放課後、古書店の休憩スペースでお待ちしています】


 そう締め括られた、送り主のないレアンドラ宛のお手紙。

 愕然と固まる薫子をよそに、学校の始業時間は刻一刻と近付いていた。


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