表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/43

これはテンプレートというものなのか

悪嬢=悪役令嬢


 昨今、“悪役令嬢”と名を冠する物語が流行の兆しを見せ、最近では少女小説の分野では他の作品傾向――俺様だとか陰謀ものだとか、壁ドンだとか、ヤンデレとか――を席巻し、ついにはひとつのジャンルを築き上げたといっても過言ではないだろう。

 また、「悪役令嬢」は「転生」とか「乙女ゲーム「」ないし、「少女漫画もしくは小説」とセットで登場し、もはやテンプレート、お決まりのパターン化している。

 ……例えば。

 乙女ゲームに転生した悪役令嬢が、前世で遊んだゲームを思い出し、死亡ないし没落の未来を回避すべく奮闘する。

 もしくは、転生していない悪役令嬢が、転生したヒロインによって悪役にされてしまうのを回避する。

 はたまた、最近では、悪役令嬢を助けるために、転生したヒロインないし脇役が活躍する。

 ――お決まりといえるパターンも多岐にわたっている。


「もうおなかいっぱい」


 それは薫子の愛読者仲間で友人のひとりの最近の口癖だ。

 薫子の友人、日南子はこのジャンルものに一家言を持つ、もともと恋愛ジャンルをこよなく愛する活字中毒者だった。

 恋愛小説、とみに最近は乙女向けのレーベルをこよなく愛してやまない彼女は、悪役令嬢を基にしたストーリーをたくさん読み、パターンを知りつくし、ついにあらすじをちらっと見ただけで、物語の先を予測、的中させるまでに至ってしまった。

 ……ここまで来たら、もうおまえが書けよ、である。

 きっと――何番煎じかわからないけれど――知り尽くした者だからこそ描ける、新しい悪役令嬢の物語の幕が開く……かもしれないし、開かないかもしれない。

 そんな友人は、少なからず、周囲にもその影響を与えた。

 薫子もその例に漏れなかった。

 薫子自身も、直接読んだことは一度もないのに、乙女ゲームジャンルの王道パターンというのを暗誦できてしまったのだ。

 それは、薫子にとっては誰得だった。少なくとも、薫子には得ではなかった。ジャンルを普及させたい者からしたら、得だったかもしれないけれど、その相手が薫子だった時点で、それは叶わなかった。

 それ以前に、友人には悪いが、薫子は悪役令嬢など知りたくなどなかった。この四字熟語と、二度と関わりになどなりたくなかった。

 薫子は、悪役令嬢なんて――好きでもないのに。

 薫子は、自分からは絶対に悪役令嬢が出てくる物語を、絶対に読まない。

 それは、アニメーションだろうが、小説だろうが、漫画だろうが、ドラマだろうが、避けている。

 最初は悪役令嬢という四字熟語が出てくる気配がなくとも、途中でその気配がしただけで、すっぱりさっぱりきっぱりやめる。

 ――ほら、今だって。


「……面白くない」


 ストーリーに悪役令嬢が絡んだだけで、それまで楽しみに読んでいても、面白い山場であろうとも、そこでおしまい、ハイサイナラだ。

 どれだけ魅力溢れる作品であっても、悪役令嬢という四字熟語のトッピングがされただけで、薫子にとっては塵芥以下に等しくなってしまう。

 だから、悪役令嬢が出てこないか警戒してしまうため、大好きな書物を読む行為がしたいのに、できない。

 ――悪役令嬢の、せいで。

 それは、活字中毒の薫子には地獄だった。

 何の苦行だと、薫子は手元の文庫のページに出てきた四字熟語を、殺気を込めて睨んだ。


「……冷めた」


 悪役令嬢の四字熟語を見るまで、はた目にもわかるくらいに、実に楽しげに読み進めていた推理小説の文庫本を、薫子は未練もなく冷ややかな目付きで閉じた。


「出た。薫子の悪嬢嫌い」


 薫子の友人は、呆れたように肩を竦めた。

 薫子にはかろうじて、文庫本を壁に向かって、叩き付けるように投げない分別はあった。嫌いな内容だけど、薫子の本好きの活字中毒者である部分が、文庫本を粗末に扱うことを許さないのだ――どれだけ薫子自身にとって鬼門であっても。


「じゃ、やっぱり?」


 薫子の隣でやたら分厚い辞書を読んでいた友人の五月子めいこが、あーあ遭遇しちゃったのねーと呆れた表情を浮かべた。


「今日、古本屋に売りにいく」

「はいはい。日南子がいない日でよかったね?」


 五月子は大袈裟に、やれやれと頭と両手を振った。

 五月子の言う通りでは、ある。

 薫子に悪役令嬢の流行を伝えた張本人日南子は、いま国内にはいない。先月、短期間の交換留学生として英国へ渡っていったばかりだ。

 親しき仲にもなんとやら、いくら仲がよくても、相手が好きなものを相手当人の前では、さすがに嫌いとは大手を振って宣言はできないものだ。


「気を付けなよ、道中」

「うん」


 五月子と別れ、薫子は図書館を後にした。

 本好きの熱い愛読者であり、活字中毒者でもある薫子にはモットーがある。

 本を、捨てない。それは本好きで活字中毒者ゆえの薫子のポリシーだった。

 例え嫌いになった本でも、捨てずにリサイクル。

 薫子は嫌いになったけど、別の誰かさんはこの本は嫌いではない、ならばその誰かさんに読んでもらった方が、本のためだと薫子は思っている。

 本だって、何も薫子に嫌われるためだけに、この世に産み出されたわけではないのだから。

 だから薫子は、いつもいつも本を嫌いになったとき――嫌いになってしまったその本を、この本を好きな薫子以外の誰かさんに手にとってもらうための行動に出る。

 つまり、リサイクル。古本屋へゴー。

 薫子だって、好きで嫌いになったわけではない。


「出た。薫子さんの悪嬢嫌い。文庫本にさ、まるで百年の恋が冷めた恋人に対する態度じゃん」


 それは、薫子の友人が共通して抱く薫子の「悪嬢嫌い」が発動した瞬間への印象だという。

 薫子は、悪嬢――悪役の令嬢をことごとく嫌う。徹底して嫌う。それはある意味であっぱれというくらいに、とことん嫌う。

 それは、好きな物語に悪役令嬢が少しでも影を見せただけで――徹底して嫌う。それが「悪嬢嫌い」発動だ。

 しかし不思議なことに、薫子は悪役の令嬢以外の悪役に対し、そんな反応を全く、微塵も、微々たりとも示さない。

 悪役が令嬢身分のときだけ、ひたすら嫌い抜き、毛嫌いし、バイ菌の如く扱う。

 薫子が、なぜそこまで悪役令嬢を嫌うのか。それには海底より深い理由がある。

 「今の」薫子は、令嬢ではない。

 ――けれども。

 「昔の」薫子は、令嬢であった。

 薫子は、自身が厭い、忌々しく思う悪嬢だった「生前の記憶」があるのだ。

 そう、薫子は元・悪嬢だった。何の因果か、今流行りの悪嬢の物語の典型的パターン・悪嬢転生を身をもって体験してしまっている。

 ……いや、厳密にいえば逆パターンだろうか。

 今流行りのパターンは、「生前親しんだプレイヤーないし読者」が、「生前親しんだ世界の悪役令嬢として生まれ変わり」を体験し、「生前の知識をフル活用して、このままでは迎えてしまうであろう暗い未来を回避する」ことに成功し、「ハッピーエンドを迎えて」めでたしめでたし、大団円だ。

 つまり――生前が、「日本人」であることが前提なのだ。

 けれども、今日本人である薫子の生前は「日本人」ではない。薫子の生前は「異世界人」だ。

 ――薫子の場合を物語のあらすじとするならば、こうなるだろう。


【別の世界に生きた悪役令嬢が、生前を後悔しながら、来世では全うに生きようと誓いながら、悲しい最期を迎える。そして悪役令嬢は、別の世界に生まれ変わり、今度こそ幸せに生を全うすることを誓う――】


 だから、薫子は悪役令嬢が嫌いだ。

 せっかく、過去を反面教師として、波風たてずに穏やかで平凡で慎ましやかに生きていこうとしているのに……、過去の自分を見せつけられて複雑だという点がひとつ。

 反省し、改心したとはいえ、誰も昔の黒歴史を思い起こさせるものを、真っ正直からすすんで好んで読まないだろう。精神衛生上、とくに。

 そして、もうひとつ。


「……誰よ……」


 古本屋によるべく歩を進めていた薫子は、道中で書店を通りすぎた。

 そして、足を止めた。

 その書店の窓ガラスには、何枚もの即販用のポスターが貼られていた。人気アニメの原作の漫画の新刊の発売日の宣伝だったり、雑誌の定期講読を呼びかけるものだったり。

 ――薫子の目にとまったそれも、そうして掲示されていた一枚だった。

 破り捨てたくなる衝動をこらえ、薫子はそれを背にして再び歩き出した。

 そのポスターには、こんな煽り文句が書かれている。


【大人気西洋乙女ファンタジーはやくも第二段! 平民だったヒロイン・アーシュが魔法師見習いとして入学した学園にて、はやくも大波乱の予感!? アーシュが心をよせるあの人の婚約者を名乗る貴族の美少女・レアンドラが現れて――?】


 それは、いま人気が出始めたある少女向けレーベルの文庫本、「カルツォーネ乙女物語」シリーズの最新刊の宣伝ポスターだった。

 カルツォーネという中世西洋風の雰囲気を下敷きにした異世界の国を舞台に、珍しい魔法のちからに目覚めた平民の少女が、素敵な様々な素敵な殿方と出会い、恋をし、勝ち組になっていくシンデレラストーリーだ。

 最新刊には、ヒロインの恋の障害となる悪役令嬢が登場する。

 その悪役令嬢の名前は、まだ既刊である一作目にはは登場していない。それもそのはず、最新刊の二巻に登場する新キャラだからだ。

 まだ発売されていないこの時点で、悪役令嬢の名と素性を知るのは作者と出版会社の担当、そしてイラスト担当くらいか。

 けれども、薫子は知っている。作者でもないし、出版会社の担当でもないし、イラスト担当でもない。でも知っている。

 もっといえば、悪役令嬢の歩む道と、歩んだ果ての末路もよく知っている。

 悪役令嬢の名は、レアンドラ・ベルンハルデ・アウデンリート。身分は、公爵令嬢。ヒーローのひとり、エドヴィン・カシーリャス公爵子息の婚約者だ。

 彼女は、ヒロインを苛めぬき、陥れ――結果、最期に幽閉の果てに獄中死する。

 頭のおかしい電波なことを、という内容ではあるが――薫子の生前が、レアンドラ・ベルンハルデ・アウデンリートだ。ヒロインのアーシュ・チュエーカに婚約者を盗られ、様々なことを画策して、二人を裂いて、婚約者を取り戻そうとした結果、悲しい最期を迎えた。

 つまり、何の因果か……薫子の生前の世界を描く物語が実在しているわけだ。

 それは、なぜか。

 薫子の妄想ではない。それははっきりしている。

 だって、この薫子は生まれたときからレアンドラだったからだ。レアンドラは、レアンドラの人格のまま、薫子として生まれたのだ。

 薫子は、レアンドラだ。レアンドラは、薫子だ。

 おそらくこの物語の作者は、薫子と同じようにあの世界を生きて、この世界に生まれ変わった「誰か」だ。

 薫子を、レアンドラの周囲を知っている誰か。

 薫子の、レアンドラの最期を知っている誰か。

 そして、薫子の、レアンドラの最期の後の世界を生きた「誰か」。

 ひとりの「令嬢」を、「悪役」として描くその誰かを、レアンドラである薫子は許さない。

 ただ、恋に酔って溺れて悪いことをしたとはいえ、恋に破れて散っただけの令嬢を、悪役にしたのだから――だから、レアンドラである薫子は悪役令嬢が嫌いだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ