かいわ。
たった数十メートルの距離が、倍以上長く感じる。もつれそうになる足で改札を抜けて、おにーさんから見えない場所まで走った。
肩から掛けているスポーツバッグが、重い。
通知だけここにおいて、いなくなりたい。
浮かれていた。
もしかしたら、おにーさんも私の事、なんて……ありもしない事考えてた。
ホームに入ってくる電車を見ながら、ぎゅ、とスポーツバッグを胸の前で抱きしめる。
恥ずかしい、恥ずかしい。
顔が羞恥で赤くなっていくのが分かる。
こんな顔、おにーさんに見せたくない。
でも――
「あ、ごめん! 待たせた?!」
少し遠くから掛けられた声に、びくりと顔を上げた。改札を抜けて、こっちに駆けてくるおにーさんの姿。食い入る様に、その姿を目で追う。
私の目の前で立ち止まったおにーさんを、スポーツバッグを抱きしめたまま見上げた。
さっきのおねーさんに見せていた苦しそうな表情じゃなくて、いつもの笑顔。私を安心させてくれる、ほわりとした表情。
「大丈夫ですよ、今来たばかりですから」
そう言って笑えば、安堵した様な小さなため息が聞こえた。
「よかった。……それで、その……」
困ったように言葉を選ぶおにーさんの声に、目を細める。
「はい、これ」
私はスポーツバッグを抱きしめている手から力を抜くと、そこから一通の封筒を取り出しておにーさんへと差し出す。
「……」
ごくり、と。
その喉仏が、上下に動いたのが見えた。
緊張、してるんだな。
でも、私と目が合うと、ぎこちなく笑みを浮かべる。
思わず、笑いがこみあげてきた。
私は、一面しか知らなかった。
笑う、おにーさん。
いつもいつも、微笑んでるおにーさん。
――馬鹿じゃないんだから。
喜怒哀楽の二つしか、私には見せて貰えなかったって事。近しい人しか見る事がかなわない、怒・哀の二つを見せて貰えなかったって事。
見せる人が、いるのだから。ただ、それだけの事。
おにーさんは受け取った封筒をゆっくりと開くと、一度私を見る。それに頷いて顔を伏せると、少し緊張した雰囲気の中、紙を引き出した。
かさり
乾いた音がする。
指先で開いたその紙を見た瞬間。
「……やった……、うっわやったな! おめでとう!」
両肩に置かれた、大きな手と温もり。驚いて目を顔を上げれば、満面の笑みのおにーさん。嬉しそうに何度も何度も私の肩を叩くその姿に――
どくり。
鼓動が高鳴る。
好きだ……、好き。
この人が、好き。
でも――
「ありがとうございます! おにーさんの妨害にもめげず、やり遂げました!」
「妨害ってなんだよ、妨害って! 励ましと言え!」
突っ込みながらも笑うおにーさんに、私は頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
「ん、……え?」
丁度ホームに入ってきた電車の音で、私の声がよく聞こえなかったようだ。私はその電車を目で追いながら、もう一度スポーツバッグを抱え直した。
「そろそろ帰りますね、家族が待ってるので」
「あ、え? 時間……」
何か言いかけたおにーさんを遮って、その手から合否の封筒を受け取る。
「すみません、今日はありがとうございました」
そう言って電車に乗り込むと、少し戸惑ったようなおにーさんと目があう。何か言いたそうだったけれど、諦めたのか笑みを浮かべて頷いた。
「分かった。じゃ、また今度な」
「はい、では」
ドアが。
しまる。
――また、こんど
私は、言わない――