旅立ち
早朝のメルナ村。いつものように水汲みに向かう子供たちを背に大きなリュックを背負った透き通るような金髪をポニーテールにした美しい娘が馬車に乗った商人らしき人となにやら話している。
「ユーノさん、別れの挨拶を済ませましたか?」
「え?はい、終わりましたよ」
「そうかい、それじゃあ行こうか」
あたしはマルクさんの馬車へ乗り込む。
今日からあたしはこの人のもとで商人見習いとしてこれから暮らすのだ。村長のもとで読み書きや簡単な計算法を学んだあたしは村の外に出ていくことになる。
それでも、見送りがいないのはさびしく感じる。アドル君が選別であたしに弓を渡してくれたぐらいしかない。アドル君曰く、この弓はなんでも特製らしい。
メルナ村で取れるしなやかなレノン杉をアドル君が魔力と機材で加工して弓幹にした一品らしい。
弓には幼いころ迷った洞窟で採れた綺麗な石英のような魔石がはめ込んであり、
矢筒にはたくさんの矢が入っている。護身用にと渡してくれたけど、大事に使いたいな。
それはそうと、マルクさんにあいさつしなくきゃ。
「マルク様、今日からよろしくお願いします」
「こちらこそ今日からよろしく、ユーノちゃん」
「今からどちらに行くのでしょうか」
「今から行く都市は城壁都市『ゲルググ』だ、うちの看板娘として頑張ってもらうから、ゆっくりと馬車で休んでいてくれ」
「はいっ、わかりました!」
しばらく休んでいるようにマルクさんに言われたあたしは荷台に入り休む場所をさがす。
マルクさんがメルナ村で買い取ったビーツや小麦などの農作物や干し肉をかき分け、藁を積んである場所を避け、荷台の壁に背を預ける。
荷台から見える遠ざかっていくメルナ村を見て少し泣きたくなった。
さようなら、メルナ村。
いつか商売で来ることはあるかもしれないけれど、それはいつになるのやら。
そんなことを考えているともう道端の木々しか見えなくなったので少し考えてみる。
そういえば、この国の地理ってどうだったっけ。
あたしは時々、村に来る商人のマルクさんに頼み込んでいつか商人として暮らしていけるように教えてもらった地理を思い返すことにした。
エルネシア帝国は、アミティシア大陸の北西に位置し、北は万年雪が降り積もる永久凍土の地に、氷河が流れる『ウラヌス山脈』はファーレン皇国まで続いている。
『ウラヌス山脈』の南側にはファーレン皇国へと続く征服街道が通る『カイバル峠』が存在し、『カイバル峠』とエルネシアの帝都『イシュタル』の間には『睡眠渓谷』と呼ばれる催眠性のガスや毒ガスが噴出している渓谷が存在している。
他にも何度もいくつもの国々が戦い続ける平原の『古の戦場』、帝都から見て南にある大きな塔の遺跡『ホスメル遺跡』など、歴史を感じる遺跡やダンジョンなどが存在する。
メルナ村はエルネシア帝国の辺境に存在しており、少し北に行くと白い氷壁のようウラヌス山脈が見える村落だ。
山岳地帯にある大きな村で、牛と羊が飼われており、小麦とポンデテレ芋以外は育ちにくい寒冷な気候に包まれた場所。
村の周囲には薄い木の塀で外から来る魔物に対して防御している。
メルナ村では村長のもとで村の基本的な産業と筆記を学び、村で養いきれない子どもたちを村に時々くる商人や帝国の税務官や書記官吏に託して職を紹介してもらって何とか生活をしている村だ。
少し前までファーレン皇国との戦争による難民受け入れを行っていたこともあり、エルネシア帝国政府から多額の財政支援を受けることが多かった場所でもある。
その為、村の財政は健全。帝国から派遣される兵士による見回りと自警団による警戒態勢によって比較的治安が良いため、商売のしやすい土地だ。
ただ、メルナ村は帝国北東部に位置する村々のなかではかなり豊かな村で規模も大きめの為、ファーレンとの戦争や紛争が起こった時の難民の受け入れなどを行っている。
いざ、ファーレン皇国と戦争になれば拠点化によって街に規模が上がるかもしれないチャンスがあり、商売人にとって期待の村だ。
村が街に上がる際に一等地に土地を確保していれば、商会として大きくなれるからムスタファさん
メルナ村から、馬車で2週間ほどかけて南西に街道を進むと北東部の地方中心都市、城壁都市ゲルググは見えてくる。
城塞都市『ゲルググ』はマルクさんの上司、ムスタファさんの治めるファス商会の本部があるところだ。
ゲルググでも二番目ぐらいに大きな商会だからあたしの未来も安泰だわ。
この国、エルネシア帝国の政治体制は専制君主という制度なんだっけ。
たしか、異世界から来たという勇者で現エルネシア皇帝「タツヤ」がもたらした異世界技術の恩恵を受けて急速に拡大した帝国。
製鉄・農業・内政・造船・印刷技術など様々な『科学』という『魔法』やこの世界の『錬金術』とは異なった技術体系を扱う大陸一の軍事大国だ。
その皇帝の直轄領地は最近急速発展しているが情報が全く入ってこない。
教えられたのはただ、このアミティシア大陸の西側の辺境海側領地にあるんだとか。
異世界の技術で建造されたその領都だけはとにかくすごいらしい。
なんでも帝都イシュタルを超える大都会だとかなんとか。
その都市で作られる武器・香辛料・品物は王族や貴族にとても好まれる程高品質だが、なかなか仕入れることが出来ないそうだ。
商人が入ることはとても難しく、長期的な商売を行えた商会はないので既得権益はまだ確立していない。
だからこそチャンスがある土地なんだそうだ。
あたしのような新人を抱えてでも商人はその領都へ行って稼ぎたいとムスタファさんのお話。
うーん。この国がどうかなんてもういっか。
城塞都市ゲルググでどんな新生活が待っているのかな。
あたしは新しい生活に胸を膨らませ、どんどん移り変わってゆく外の景色を楽しむことにした。
※補足
弓幹=弓のリム部分です。