第15話
「……兄さん」
「やあコワルト。こんなところまで来て、どうしたんだい?」
兄さんの左右、背後の壁に、青く光る文様が浮かび、天井には赤い文様が時を刻んでいる。
兄さんは台座に腰掛けていた。遺物の『アルモス』が置かれていた、その台座に。
空間は酷く紅色に染まっていた。兄さんの魔術だ。それが血に見えて仕方ない。
兄さんの足元には、青白いを通り越して土気色の肌をした氷姫の弟、ケープと。
そんな彼を守るように抱きしめる、フランさんの姿が。よく見れば、彼の顔が殴られたように腫れている。
信じられない思いで、手を上げたと思しき兄さんへ目を動かす。
「私に、何か用かな? それも、こんなところまで来るほどの急用でもあるのかい?」
「兄さん! お願いだからその箱を! アルモスを手放してください!」
震える手を握り締め、兄さんではない兄さんへ懇願する。フランさんが僕に気付いて、少し安堵したように肩を落とす。
逆に、兄さんの眉はつり上がる。
「いつの間に名前を? お前に見せた覚えはないけど」
「今朝、氷姫に教えてもらいました」
「氷姫……忘れ物を取りに戻った、か」
小さく笑い、兄さんは上着から小さな白い箱を、この遺跡に封印されていた遺物を取り出す。
説明された通り、白い表面の横一文字に切れ目が入っているだけの箱。
事情も知らなければ、ただの小物入れにしか見えない。けれど、知っていれば…不吉の象徴にしか見えない。
兄さんは肩をすくめて、目を細める。
「全く、私のことを探っている人間がいると思ったらこれだよ。困ったものだね」
「兄さん……いつからその箱に」
「コワルト。折角私の名を知ったのに、呼んではくれないのかい?」
「………」
アルモスの特性。氷姫は魔力の増幅、魔術の強化と言っていた。そして、所有者の記憶を喰らって自分のものとしていくとも。
それなら、例え兄さんが解放されても記憶が戻らないじゃないか。叫ぶ私へ、氷姫は氷の笑みを浮かべていた。
あのぞっとするような笑みを思い返し、兄さんを睨む。
「おっと。そうだ、急用だったはずだ。悪いね」
「っ!」
のうのうと言ってのける!
だけど、今の私は動けない。足元の二人もそうだけど、兄さん自身も人質にされている今の私では。
「それで? コワルト、何の用だい?」
「兄さん……兄さん、フランさんに何をさせようとしているのですかっ?」
「それが、コワルトの用ということかな」
「箱を、手放してください! お願いだから!」
「質問は一つにして欲しいものだね。残念だけど、私はコレがないと落ち着かないのでね」
手放すつもりはないよ、と余裕の笑みを浮かべる。
動けない。今の兄さんは迎撃を整えている。私やフランさんでなければ、一瞬で昏倒するぐらいの濃度で魔術が展開されている。
他の人間が入ってこれないことを知っているからこそ、兄さんは余裕なんだ。
何も出来ない私を面白そうに見回してから、兄さんの視線はケープを抱きしめるフランさんへ向かう。
「そうそう。フラン、そろそろ返事が欲しいのだけども」
「っ」
途端、彼の肩が震える。
「『やる』と言ってくれるだけだろうに。君の親友が……死んでも構わないのかな?」
「嫌だ。絶対助ける」
「そう」
一瞬で冷酷な表情を表した兄さんは、台座から飛び降り、即座にフランさんの体へと足をめり込ませる。
腹部にめり込んだ足。小柄な彼の体が反射的に曲がる。衝撃で、彼の手がケープから離れる。
「うぐっ!」
「彼、本当に死ぬけど構わないよね」
「ケープは……っ、絶対に、死なせない!」
「勝算があるようで結構」
「に、兄さんっ? やめっ……」
再度の蹴り。容赦ない暴力に、体が震える。違う、兄さんは、こんなことをしない……!
顔色一つ変えず暴力を行使した兄さんは、何事もなかったように台座へ戻る。咳き込むフランさんに近づこうとも、兄さんの視線がそれを許さない。
その周囲の色が、一層濃くなる。最早、紅の水がまかれているようにしか見えない。
「君たちの勝算は『氷姫の参戦』なのだろうけど、ご本人の気配はしないね」
「……兄さんは、何を待っているのですか」
「時間稼ぎかい? まあいいか」
肩をすくめて、兄さんは遺物を掲げて横に引かれた線をなぞる。
「簡単なことだよ。この傷を治して欲しいのだよ」
「傷? 蓋ではないんですか?」
「逆だよ。傷がなければ開くのに……全く、私にも封印をかけた人間は、賢いことだ」
皮肉をいい、困ったとばかり首を傾げてみせる。
「コワルト、君からもお願いしてくれないかな? フランが強情でねえ」
「どうして」
「ん?」
「どうしてフランさんが、その傷を戻せると?」
問いかけに、兄さんは嘲笑を浮かべる。いつかも見た、拒絶の笑み。
「お前は知らなくて結構」
「………」
「さて。そろそろ寛容な私の忍耐も限界だ」
「兄さん!」
台座から飛び降り、兄さんはケープを庇うフランさんを蹴り飛ばす。
まるでボールのように体が浮き上がり、床を転がっていく彼を平坦な目で追う兄さん。
それでも、フランさんはケープに手を伸ばす。
「ケープっ!」
「フラン、彼の死は君のせいだからね?」
気味が悪いほどの猫なで声で、なのに冷めた視線を向ける兄さん。
そして、片手で箱を持ち、もう一方の腕だけで瀕死のケープを持ち上げる。
人間離れした膂力で持ち上げられた彼を見て、兄さんは笑う。
「キミも力がないくせに嗅ぎまわったことを、後悔してくれ」
「そう……だなっ!」
「なにっ?」
兄さんも思ってなかっただろう。まさか、長時間魔術に当てられた彼が意識を持っていたなど。
目を開け、声をあげたケープは箱を、アルモスを強奪して私へ向けて放り投げる。
「花屋!」
「はいっ!」
氷姫から聞いてはいたけど、本当に動けるとは思わなかった。けど、心の準備は出来ていたので素早く行動する。
受け取った箱は、まるで人間の肌のような湿った感触で、全身が粟立つ。
続けて、ケープは兄さんと視線を合わせたまま叫ぶ。
「フラン! 石!」
「うんっ!」
「くそっ! 何故だ、何故動ける…」
「香水屋、顔は許してやるよ…」
ケープは死に堕ちかけた体を動かし、兄さんの動きを封じる。
それを横目に私は走り抜け、台座へ箱を押し込める。
「ただの人間に……私が…」
「お前も…後悔、しやがれっ!」
「敗北だと…」
熱が、頬を焼く。
見れば巨大な熱が、青白い炎を腕に纏ったケープが。
勢いよく兄さんの体を打ち抜く。
台座の箱を押し付けたまま、その光景を見て我に返る。
「兄さんっ?」
いくら意識が食われようと、体は兄さんのものだ。
でも、今この手を離すことはできない。絶対に離すなと、兄さんを解放したいならば離すなと言われている。
けど……っ!
「兄さん、兄さんっ!」
「コワルトさん、大丈夫だから」
「フラン、さん……?」
よろよろと立ち上がったのは、ケープの指示を受けて赤い石を投げ寄越したフランさん。
彼は蹴られた箇所を押さえながら、台座にもたれかかるように崩れ落ちた兄さんの下へ。
意識のない兄さんを抱き起こしたフランさんは、床に座り込んだもう一つの影へ声をかける。
「ケープ、大丈夫?」
「ほっとけ……」
辛そうに擦れた声で返事をした彼を見て、固まる。
「頭いてえし、腕も燃えたし……ったく…香水屋、治してやれ」
「魔術の方は大丈夫?」
「匂いは……ないな………」
土気色だった皮膚が、腕が黒い。いや、異臭を放っている。これは、兄さんの魔術とは関係なく……
「ま、さか」
腕が、炭化してる……?
見れば、右腕は肩まで黒くなり、腹部も、首も、顔さえも右半分が焼け爛れている。
これでほっとけと言い捨てる精神が信じられない。
よほど、服が焦げただけの兄さんが無事に見える。
「ケープさん……?」
「んだよ……あとは姉貴がどうにかする……」
「ご、ごめんなさい」
そうして、彼は床へ倒れこんで動かなくなる。一瞬、死んでしまったのかと思ったが、その肩は上下していた。
「すいません……私たちのせいで…」
申し訳なさで一杯。その耳に、複数の足音が飛び込んできた。
ゆっくり振り向くと…
「コワルトさん、無事かしら?」
「ク、クーラさんっ? いつの間に! それに、あの……どちら様、でしょうか」
いつの間に?
驚く私の後ろには、氷姫を先頭として青いローブを身に纏った集団が。彼らは誰? どうしてここに?
驚き理解できないことが続き、頭がついていけない。
「申し訳ありません、私たちが対処せねばならないことに巻き込んでしまいまして」
クーラさんの横にいた初老の男性が頭を下げ、落ち着いた笑みを浮かべる。
「もう手を離して構いませんよ」
「へ? あ、はい!」
誰も何も言わないので、恐る恐る、人肌の感触がする箱から手を離す。すると、台座を囲むようにローブの集団が展開していく。
私はゆっくり台座から離れ、意識がない兄さんの下に駆け寄る。
そしてどうしてか、服さえも綺麗な状態で目を閉じていた兄さんの体を揺さぶる。
「兄さん! 兄さんってば!」
「落ち着きなさい」
「でも、兄さんが……」
声をかけたのは、氷姫。肩に置かれた細い手に、力が入る。
「フランが治したでしょう。弟の方が重傷なのよ」
「っ」
そう言われ、兄さんを抱き起こしたまま死に掛けている彼へ顔を動かす。
目を伏せた私の肩から手を離し、氷姫は彼女の弟の元へ。
「殴るなら、普通に殴って欲しいわ」
「ごめん。でもケープ怒ってたから、仕方ないよ」
開口一番、嘆息から入る氷姫へ、苦笑を浮かべるフランさん。
そんな彼の体は、綺麗なもの……えっ?
あの焦げた臭い、人間が焼けた臭いは? 黒ずみ、ところどころはく離した肌は? 白濁した目は?
「どのぐらいで目が覚めてくれるのかしら」
「三日ぐらいかな。アルモスの魔術が食い込んでるみたいで、あとはケープ次第だよ」
「そう。あと三日もお母さんと二人きり……」
後半は遠い目をして呟く氷姫。
あの可憐な女性と二人きりで、困ることがあるのだろうか? いや、そうだ、女性二人なのだ、大変に決まっている。
こうなってしまったのも私たちのせいだし、何とかしてあげられないだろうか……?
考え込んでいると、氷姫は元の、厳しい目をして僕らを見下ろす。
「フラン、コワルトさん、戻るわよ。ここにいても、儀式の邪魔」
「うん分かった。うう、ケープ重いよ……アルモス……ごめんね…」
当人も相当手酷くやられているのに、フランさんは迷う素振りを見せず、ケープの腕を引っ掛けて引きずるように部屋を出て行く。
最後、台座へ頭を下げて逃げるように速度を上げる。
その後を厳しい表情でついていく氷姫。慌てて僕も兄さんを背に抱えて付いていく。




