第14話
「碌な目に合わねえな……」
「ケープっ?」
血の気が引いた顔でそう言い捨て、意識を失った男性。その周囲には私と兄さんにしか見えない、黄色の霧が漂っている。
まだ加減されているようで、その色は薄い。それでも、この状態だ。
冷たい手で握らされた石に目を落としていると、何度か彼に声をかけていたフランさんが私に向き直る。
「コワルトさん、何か書くものありませんか?」
「あ、はい。これでいいですか?」
その真っ直ぐな目を受けて私は慌てて石をしまい、胸ポケットから普段使っている筆記具を差し出す。
それを受け取るや、すぐさまメモにペンを走らせるフランさん。そのまま口を開く。
「ありがとうございます。ケープのお姉さんは氷姫って呼ばれてるんだけど、コワルトさん、知ってますか?」
「氷……え? あの方ですか! どこか似てると思いましたが」
突然言われた名に、氷のような目つきをした華奢な女性を思い浮かべる。
その美しさに心を奪わぬ者はいないとまで称えられている女性。
確かに流れるように輝く金色の髪と、透き通った白い肌を目の当たりにすると住まう世界が違うのではないかと思える。
その姿を目にしたものは、すぐに虜となるが、心中まで見透かすような凍てつく視線を受けて身の程を知る。
実際、一度だけ目にした私も中々視線を外せなかった。逆に、兄さんは視線を外せない私をからかっていたけども。
「僕は外に出れないから…」
言いながら、フランさんはメモに地図を書いていく。
そう。今、彼は軟禁状態。最近おかしくなった兄さんの命令で、屋敷から出れない。
今までは仕事があるから、と監視つきで外出できていたけれども…
「そろそろ決断してもらわないと」
けれど昨夜、魔術にやられた彼を床に投げ捨て、兄さんはそう言って外出を禁じた。
最近、急激に性格が冷たく、攻撃的になったけれども何かに憑かれてるとは思わなかった。
四代目になった重圧のせいかとばかり思っていた。
過去から戻るとフランさんが書き終わっており、私へメモとペンを差し出していた。
「ケープの家までの地図です。クーラさんなら、その魔鉱石を渡せば分かるから…お願いします」
「わ、分かりました」
彼から筆記具を受け取り、ポケットへと戻す。
今、自由に動けるのは私だけだ。氷姫の弟であるならば、兄さんへの見立ても外れてはいないだろう。
数日前店に来た理由も、そこら辺にあるのだろうか?
「早速行ってきます。フランさん、くれぐれもお気をつけて」
「うん。コワルトさんも気をつけて」
不安げな眼差しを向けて、さらに顔を曇らせて倒れた彼の腕を握り締める。
扉をくぐり、しんとした廊下を歩く。兄さんはフランさんに何を決断させようとしているのか?
それに、彼が言っていた箱……遺物……など、私は目にしたことがない。
一体何が起きているのか分からない。もやもやする気持ちを抱えていると途中、誰かとすれ違った。
「コワルト、朝からお出かけかな」
「えっ? に、兄さん!」
慌てて振り返ると、目つきも鋭くなった兄さんが薄く笑っていた。
まるで別人のような代わりように、憑かれたと言う彼の言葉が強く甦る。
…出来る限り、普段通りの対応を。笑みを浮かべ、頭を掻く。
「昨日店に鞄を忘れて。今気付いたんだ」
「珍しいことだね。気をつけるんだよ」
「う、うん」
それだけ言い、すぐに兄さんは奥へ向かう。
ほっとして、肩を落とすと背中越しに声が投げかけられた。
「ところで、フランは元気かな?」
「う、うん……あの、兄さん。フランさんに何をさせようと」
「お前が知る必要はない」
「っ。そ、そう、だよね………っ」
振り返れば氷点下の視線を受け、私は何も言えなくなる。顔を背け、走って屋敷の外へ向かう。
時間がない。なんとなくだけども、直感する。
「ごめん」
車庫へ向かい、そこで馬車の整備をしていた馭者へ声をかける。
「コワルト様?」
「申し訳ないけど、店まで出してくれないか?」
「え、ええ。構いませんよ」
珍しいですね、といいながらも、彼はテキパキと整えていく。
そのまま馬車に乗り込みながら、何度も地図へ目を落とす。
幸い、店から彼の家は徒歩圏内だ。
ゆっくり流れる静かな景色を、もどかしい思いで目に映す。
十分ほどで店に到着する。
「お帰りはいつ頃で?」
「帰りはいいよ。屋敷に戻って」
「分かりました」
なんとなく好奇が混じる目で走り去る馬車を見送り、目的地へ向かう。
フランさんの地図が正確で助かった。住宅街を歩くのは久しぶりで、迷うかと少し心配したけども…
「ここ、で合ってるのかな」
何度か手元の地図と位置を照らし合わせて確認する。
周囲と同じような形をした何の変哲もない一軒家。氷姫のイメージとはかけ離れた家だけども…
扉の前に立ち、深呼吸すしていると、中からガタガタと音が聞こえてくる。
「お母さん、お茶追加よ」
「やだ! クーラちゃんったら、カレ連れてくるなら先に言ってよ! お母さんどうしよう! お化粧もしてないし、あらやだどうしよう…」
「違うわよ! ああケープ、私一人だとお母さん抑えられないわ」
そんなやり取りの後、ドアノブが内側から回される。
まるで私が来るのが分かったようなやり取りに、驚く。慧眼と言われている氷姫を垣間見た気がした。
扉が開き、細いフレームの眼鏡をかけた冷たい美貌が顔を覗かせる。
「弟…コワルトさんね。私の弟は無事かしら?」
「は、はいっ! あ、いえ、その……今のところは…あの、これを」
まさか、彼女は全て知っていたのか? 私を見て、即座に弟と断じるぐらいに?
驚きつつも、どこか疲れた顔に向けて緑色の石を差し出す。
手のに転がしたそれを、細い指が摘みあげて。
氷の眼差しが鋭く尖る。
「彼からです」
「……中に入って頂戴」
「は、はい!」
私を招き入れた氷姫は外をしばらく見ていたが、ゆっくり扉を閉める。
途端、外で鈍い音が連続する。
「ん?」
何の音だろう、と閉められた扉を振り返る。
けれども、ノブに手を伸ばす私を止めたのは、憂鬱そうな氷姫。
「いつものことよ。お母さん、この間話したグランスの会長の弟さん。コワルトさんよ」
「あっ、その、朝早くすいません」
「いいのよお。あらやだ! クーラちゃんのお婿さんにぴったりじゃない」
「は……?」
出てきた氷姫の母親。見事な巻き毛に、人形かと思うほどの精巧さを誇る姿。
その声も、少女のように快活だ。氷姫とは違った、いきいきとした美しさを感じる。
彼女に見惚れていると、氷姫が凍てつく視線を向けていた。それを見て、急速に意識が戻ってくる。
そういえば、彼女の母親は、私を見て何と言った?
「お母さん、怒っていいかしら?」
「ええっ? どうして?」
「ああもう…席に座って。お茶もどうぞ」
「あ、はい」
そうだ。見とれている場合じゃない! 今は、兄さんと彼らのことを…
何度も頷いて、示された椅子に座る。目の前に、湯気が立ち上るカップが置かれていた。
氷姫と母親は対面に並んで座る。こうしてみると、二人の女性があまりにも人間離れした美貌だと再認識させられる。
妖精か女神かと言われても違和感がないほど、美しい。
座ったものの、すぐさま母親の方が嬉しそうに、両手を合わせて立ち上がる。
「お菓子もってくるわねえ」
「もう勝手にして……これを渡すほど、切羽詰まってるのね」
「っ! すいません…」
陽気に立ち上がった母親とは逆に、氷姫の周囲は冷えていく。文字通り、急速に気温が下がっていく。
あまりにも寒く、思わず両腕をさするほどに。
摘んだままの石をゆっくり机に置き、その凍てつく目を持ち上げて私を射抜く。
「弟は何て言ってたかしら」
「あ、はい! 箱と兄を放せと。兄さんは箱に、遺物に取り憑かれていると」
「そう。コワルトさん、箱の中身を見たからしら?」
「その…すいません。私は兄さんが箱を持っていたということも知らなくて……あの、箱とは、一体なんですか?」
「説明は後よ。他に何か聞いてない?」
「その、貴方が全て知っていると」
私の言葉に答えることなく、氷姫は口を閉ざして目を細める。
虚空に目を向ける氷姫。どうやら思考しているらしい。
「…そういうこと。相性は悪くないはずだけど」
しばらく動きを止めていたが、ゆっくりとカップを持ち上げて傾ける。
ここまで来たものの、私はどうすれば良いのだろうか? 居心地悪い空気が漂う。
と、軽い足音がして、テーブルに何かが置かれる。
「コワルトちゃん、はい!」
「お母さん、初対面の人に少し慣れ慣れしいでしょう」
「将来のお婿さんじゃない! 気にしない気にしない!」
「…ケープ……本当にお願いだから、早く戻ってきて……」
置かれたのは菓子が盛られた皿。氷姫の母親が嬉しそうに、ようやく席へ付く。
一方、氷姫は弟のことが心配なのか、頭に手を当てて暗い顔をしている。
本当に、何の関係もない彼を巻き込んでしまって、申し訳ない…
「遠慮しないでね」
「あ、有難うございます…」
子どものように輝く目で見つめられ、おずおずと菓子へ手を伸ばす。
窺うように氷姫へ視線を向ける。それを察してか、凍てつく視線が返ってきた。
「面倒だから、食べながら聞いて」
「は、はいっ」
「美味しい?」
「ええ、とても美味しいですよ」
「よかったあ。私の手作りなの」
「……事態は切迫してるのだけど?」
「ご、ごめんなさい!」
「あらあら。クーラちゃん、何を怒ってるの?」
額に手を当てる氷姫。
私が彼女を始めて目にしたときは、別世界の人間だと思っていた。けれど、こうしてみると少しお転婆な母親に振り回されている女性にしか見えない。
誰にも振り向かないせいか、あまり良いとは言えない噂は絶えないが、彼らはこんな表情を浮かべる氷姫を知っているのだろうか?
氷点下の視線とぶつかった。
「説明するわよ」
「すいません! お願いします……一体、兄さんたちに何が起きているのですか?」
「それは……」




