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前の冬

303号室の掃除に入った。別段変わったことはなかった。机の上においてあるグラスを片付けているとき、机の下に定期入れのようなものが落ちているのが見えた。手に取り中身をみると、定期と学生証が入っていた。

 無表情で前を向く彩夏が写っていた。僕はそれを後ろポケットに入れ、事務所に帰った。レジに置いてあった伝表には、さっきの男の名前と携帯の番号があった。

 電話をとったが、ふと考えて受話器を置いた。おそらく定期だから、もう少ししたら彼女から連絡がかかってくるだろうと思ったのだ。ただそれよりさっきの男にあまりいい印象をもっていなかった。なによりもあの女子高生の容姿とあの男とのどこか陰鬱な様子を比べて、自分の勝手な願望だが、できるだけ接点を持ってほしくなかったのだった。すでに彼女に恋心を抱き、あの男への嫉妬が芽生えていた。妄想が肥大化していったが、午後になり徐々に客が入り、その対応におわれそんな余裕もなくなっていった。後ろポケット入れっぱなしにしていた、彩夏の定期のこともいつしか忘れていた。

 バイトを終え店を出た時には10時をまわっていた。折れそうなほど細長い三日月が冬空に輝いていた。それはまるで冬の夜空に寒さで亀裂が入り、そこから光が漏れているかのようにも見えた。

 暖房のきいた店内で暖められていた体は、一瞬でその体温を奪われてしまった。自転車にまたがり、なるべくゆっくり、冷たい逆風に抵抗することなく自転車をこいだ。


定期入れの存在に気付いたのはアパートに着きズボンを脱いだときだった。

「やべえ、持って帰っちゃった」

定期入れを見つけてから既に11時間は回っていた。

しかし、あれから店には何の連絡もなかった。時計をみると10時半だった。もしかしたら今頃来ているかもしれない。11時間気づかなかったのか、それとも親に迎えにきてもらっているのか。いづれにしても帰宅手段なんていろいろあるだろうから大丈夫かと自分を納得させた。適当にコンビニ弁当をかき込み、シャワーを浴びた。

 

部屋着に着替えベッドに横になった。普段は大学の授業が終わってから4時間程バイトに入っていたのだが、今日は一日中働いていた。社会人になればこれが当たり前になるのかと思うと、自分の将来に何の希望も持てなかった。しかし、将来の夢というものなど特になかった。どうせ三流私立の文学部なんてこの世の中で役には立てるはずはないのだ。

 

 寝ころんだまま煙草に火を付け、持ち帰った定期入れを開けた。彼女の証明写真は実物とのギャップはあまりなかった。顔には黒子のひとつもなく、その肌のみずみずしさと張りは、証明写真からでさえ伺えた。少しだけ茶色い髪を後ろで一つに束ねていた。その感じがより落ち着いた雰囲気を出し、色香を感じさせた。部屋着の毛玉だらけのスエットを下ろし股間にその学生証をあてた。


そのときいきなり携帯が鳴った、時間をみると12時前だった。あわててズボンを上げ出てみると

「優也おつかれ、寝てた?」

その声は店長だった。

「ああ、お疲れさまです。大丈夫です。なんとか起きてます」

「あのさ今、店にな今朝、来店されたお客さん来てて。ほら、あの…」

というと店長は声をひそめて

「ほら。援交の」

と聞くと、肺を誰かに握られるような鈍い衝撃に似た感覚を覚え、すぐには返事が出来なかった。

「優也?聞いてる?」

「あ、ああ聞いてます」

「なんか定期をどっかに落したみたいやねん。優也たしか今日、あの部屋掃除してくれてたやんな?落ちてなかった?」

やはり事務所においてきたら良かったという後悔とした。また彼女に会えるという期待感が同量、湧いていた。

「あ、すいません。今日忙しかったからエプロンのポケットに入れっぱなしです。すいませんでした」

とっさに嘘をついた。

「そうなんや、ちゃんと忘れ物は届けなあかんで。いまから来れる?」

「すいません。すぐ行きます」

「頼むわ。なんか終電近そうやんねんて。あの女子高生にな、俺が車で送ったるちゅうたらな。完全に拒否られたわ。俺、そんなにエロい顔しとったんかな。まあ、ちょっと咥えてもらいたいなぁ。なんて思ってたんやけどな」

というと馬鹿笑いをした。おそらくレジではなく事務所の中で電話をしているのだろう。

「まあ、ええわ。とりあえず早よ来たりぃや」

僕は携帯で電話をしながら、定期入れを鞄の奥にいれ部屋を出た。

自転車のペダルを思いっきり踏み、10分で店に着いた。今までで最短記録だった。

息を切らし、店内に入ると彼女はレジの横にあるソファに座っていた。

「ごめん、今すぐ持ってくるから」

と彼女の返事も聞かず、事務所に駆け込み奥の更衣室に入った。わざとらしくロッカーを開け、またすぐに彼女の前に飛び出した。

「はい、これ」

定期入れを差し出すと、彼女はなかなか受け取らず腕時計をみて目線を上げることもせず

「今、終電でたとこやわ」

といった。時計を見ると12時10分だった。彼女は特にうろたえることもなく落ち着いていた。

「家の人に迎えに来てもらうことできないの?」

「できひんから、困ってんねやろ」

いらついた感じで彼女は答えた。

「やっぱり店長に送ってもらったら?」

「いややわ。あんなおっさん!てか、電話まる聞こえやちゅうねん」

というと立ち上がり、店の外に出て行った。


「ちょっ、これからどこ行くん?」

と後を追いながら言った。彼女は無言のままつかつかと歩いていった。

「よかったらうち来る?」

というと彼女は振り返り

「なんやねん、あのカラオケ屋、エロい奴しかいてへんのか?」

「いや、そういうつもりじゃぁ…店長ああ見えてええ人やで」

「どこがやねん」

どんどん歩いていく彼女に僕はただ連いていった。

「どうするの?家どこなの?」

彼女は完全に無視していた。

「俺にも責任あるから」

というと彼女は振り返りながら

「わかった、ほな、あんたのとこ泊めてもらうわ」

と言った。

「え?でもさっき嫌やって言ってやん」

「アンタと二人で泊まるんちゃうわ。うちが1人であんたんとこに泊まんねん」

「じゃあ、俺はどこで寝るんだよ」

というと彼女は口を尖らせながら、ふざけた感じで

「じゃあ、俺はどこで寝るんだよ」

俺の口真似をした。

「なんやねん、その標準語」

「仕方ないだろ、東京出身なんだから」

というと

「仕方ないだろ、東京出身なんだから」

とまた、からかうように言った。

「いいだろ別に」

と言うと、彼女はプッと吹き出しくすくす笑いながら

「初めてあったわ、関東の人に」

「とにかく、うちがあんたんちに泊まるから、あんたどっか他で泊まったらええやん。近くに一人暮らしの友達くらいいてんねやろ?」

「いや、でもこんな時間やで。起きてる奴いないよ。」

「じゃあ、カラオケ屋で寝たらええやん」

「ええ、イヤだよ」

「ええ、イヤだよ、ちゃうわ。さっき責任あるっていうたやん。とにかく行くで。もう眠いねん」



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