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真夏の夜の悪夢

 東海大会二回戦も無事勝利した事で本日の対戦日程をすべて終えた私たち宮床中バレー部。次の準決勝は明日行われます。そしてその準決勝で私たちと対戦する相手はどこになるのかという試合が今から行われるので、私たちは観客席の一角に陣取って次の試合を見学する事にしました。


「で、一回戦ではどことどこが勝ち残ったのさ?」

「ちょっと待ってくださいね。ええと、まずは五十嵐中ですね」

「ああ、やっぱりあの馬鹿ガキは勝ち上がってるわけね。それで、相手は?」

「ちょっと待ってくださいね三上さん。これは静岡県の、富士二中って所ですね」


 富士二中。どこかで聞いた言葉だと思いましたが、この単語を聞いた瞬間に辻原さんが見せた表情、それまでは柔和に笑っていたものがにわかに引き締まった様子を見てはっきりと思い出しました。そうだ、ここは確か去年辻原さんが所属していた東京の光国中を破って全国大会で優勝したというあの……


「ともちゃん、一回戦のスコアはどう?」

「えっと、あっ! これは凄い!」

「どうなの柳さん」

「圧勝ですよ圧勝! 相手は岐阜県代表の高山中ですけどね、第一セットが25対4で第二セットは25対3ですから!」

「ひええっ! 東海大会まで出場する相手にそんなに!」

「まるで大人と子供ね」


 全国優勝するチームだけにそれはよっぽど強いんだろうとは思っていましたがまさかこれほどとは。さすがに私も園山さんや柳さんたちチームメイトと一緒に驚愕の声を上げるに至りました。


 こうしているうちに両チームが出てきました。一回戦を驚異的な成績で勝利した富士二中とはどのような人々なのかと注目していましたが、なるほど選手を一目見ただけで「他と違う」と思わせる雰囲気をプンプンと漂わせていました。まず身長が五十嵐中と比べてはっきりと高いのです。確かに五十嵐中はあまり高い選手がいないのですが、それを差し引いても富士二中には男子バレーでも通用するのではというようなビッグな選手ばかりが集まっているのです。


 そんな大物揃いな富士二中の中でも頭一つ抜け出しているゼッケン1番の選手。彼女こそがこのチームのエースであろうと容易に推察できるような絶対的オーラが遠くから見ていてもはっきりと放出されていました。


「彼女が柚木明日香さん。富士二中のエースよ」


 私の目線を察したのでしょう、辻原さんがすかさずこのような注釈をつけてくれました。そんな柚木さんは青いノースリーブのシャツに黄色いパンツというユニフォームからすらりと発達した四肢が伸びており、特に足はとても長く見えました。くっきりとした二重まぶたに高い鼻、全体的に彫りが深くて頬にはラインが入った白人を思わせる顔立ちは凛々しく、ナチュラルな茶髪を後ろで括った髪型もよく似合っていました。


「さあ、いよいよ試合開始ね。五十嵐中にも頑張って欲しいけど噂の柚木さんがどれほどのものなのかってのも興味があるわね」


 私がつぶやき終えたのと大体同じタイミングで試合開始のホイッスルは吹き鳴らされました。まずサーブを打つのは富士二中でした。かなり威力のあるサーブですがそこは守備に定評のある五十嵐中、しっかりとレシーブして和光さんのスパイクまで繋げました。ただでさえ一年生、しかも大柄な相手に囲まれてその小ささが一層際立っている和光さんですが、富士二中の山脈のようなブロックを掻い潜ってスパイクを決め、五十嵐中が先制しました。


「さすがね和光さん。ブロックはかなり高かったけどものともしないジャンプ力!」

「そうね。富士二中は確かに大きいけど決して突破不可能ではなさそうね」

「でも相手はまだ本領を発揮していない感じですよね。これからどういう試合になるのか、もっと見ないと分かりませんね」


 試合序盤は五十嵐中がリードしていました。富士二中の、特に柚木さんの動きが意外なほど鈍く、逆に和光さんを中心とした五十嵐中のアグレッシブなオフェンスがうまく機能していたのです。しかし富士二中の高さとパワーはさすがで、和光さん以外のスパイクだとあっさりブロックするし、その高さを生かしたスパイクも強烈で、「バシィ!!」と破裂しそうなほどの凄い音が響きます。しかし大本命である柚木さんはここまで一本もスパイクを放っていませんでした。


「おお、五十嵐中いけるじゃない!」

「本当ね。それにしても、柚木さんはどうしたのかしら。全然プレーが目立ってないけどまさか不調?」

「いいえ、今まではほんの慣らし運転。彼女が本領を発揮するのはこれからよ」


 辻原さんが言うには柚木さんは元来スロースターターな選手で、しかも気持ちが乗ってこないとその実力をフルに発揮しないという気分屋な一面を持っているようです。この試合も、もしかすると来るべき全国大会に向けてあまり本気を出したくなかったのかも知れません。しかし点差は3対7と五十嵐中リードの中、富士二中は一度目のタイムアウトを要求しました。


「来るわ、そろそろ柚木さんの本気が」


 辻原さんのつぶやきを裏付けるように、タイムアウトを終えてコートに戻った柚木さんはそれまでの戦況を遠くから観察するような冷徹な目つきではなく、鋭さは同じながらも真剣味が増していました。そして響き渡る「さあ、行くわよ!」というドスの利いた低音! この戦慄さえ感じさせる張り詰めた一声によって体育館の空気は静止しました。五十嵐中のサーバーは和光さんでしたが、彼女でさえ一瞬ひるんだ様子を見せたほどでしたから相当なものです。


「ふん、それでもリードしてるのは私たちなんだから! これでも、食らえっ!」


 気を取り直して繰り出した和光さんのサーブはスピードも変化も申し分のないものでしたが富士二中の選手は素早くレシーブして、やけに高いトスを上げました。このボールに合わせるべく飛翔した人こそ柚木さんでした。ブロックは二枚。しかし本気を出した今の彼女にとって、それは阻むべき人間が誰もいないのと同じでした。


「はああっ!!」


 右腕から放たれたスパイクは五十嵐中のブロックをいともたやすく弾き飛ばし、まるで威力を減じないまま「ドン!」と力強い音を立ててコート内に突き刺さりました。スパイクをもろに受けたほうのブロッカーは顔をしかめて床にのた打ち回りながら叫び、この試合にはもう戻ってきませんでした。


「破壊よ! これはバレーじゃなくて破壊だわ!」

「これが、これが柚木さんの真の姿なのね……」

「ええ。私が前にいた光国中もあの殺人的な威力を誇るスパイクによって次々と選手が倒されていったわ。しかもあの頃より威力を増している」

「ちょ、ちょっと冗談じゃないわ辻原さん! そんなの勝てるわけないじゃない!」

「私もあれを受けきれる自信なんてとてもないわ……」


 ディフェンスが得意な五十嵐中ですらこの有様では私たちではなおさらどうにもならないという恐怖が私たちのディフェンス要員である三上さんや園山さんを襲い、早くも怖気づいていました。口にはしなかったものの私も心は二人と同じでした。もう見た目からして同じ中学生とは思えない富士二中の皆さんですが、バレーの実力に関しても見た目と同様なのですから。


 この後の試合展開はと言うと、柚木さんの猛烈なスパイクが終始猛威を振るうという凄惨な状況になりました。最初の何発かはギリギリでレシーブできていた和光さんもその犯罪的なボールを何十発も受けられるほどの力はなく、彼女が気を失って倒れた後の五十嵐中は完全に打つ手がなくなりました。結局試合は第一セットが13対25で、第二セットに至っては5対25という圧倒的な大差であえなく玉砕の憂き目にあいました。


「あの五十嵐中がこんな結果になるなんて……」

「でもあれは相手が悪かったとしか言いようがないわ。私たちだってあれと当たっていたら今頃は電車の中だったでしょうね」

「柚木さんのスパイク、あれはどうにもならないわよ。あれを連発されたらもうその時点で敗北は決定だもの」


 大会初日の日程を終えた私たちは染葉旅館に戻り、今日の結果と明日の試合について話し合っていました。物静かな雰囲気のまま進行しているのは何も五十嵐中の皆さんがすでに三重県に帰っているからだけではありません。その五十嵐中を破った富士二中、特にエース柚木さんの実力を考えた途端に真夏の夜とは思えない寒々とした風が背中を撫でました。


 対策を考えようにも単純にパワーの差があって、そしてその差は私たちがいかなる小細工を仕掛けようとも全部吹き飛ばしてしまうほどに大きいのです。考えれば考えるほど絶望的な気分が室内に蔓延するだけの、非常に暗い話し合いとなりました。


「ふふっ、皆は考えすぎなんですよ」


 沈黙が支配しかけた室内にこだました辻原さんのなぜかソフトな肌触りの声に私たち部員全員が期待のまなざしを一点に集中させました。「辻原さんなら何とかしてくれるかも知れない」という信頼感はそれほどに高く、逆に言うと辻原さん以外ではどうにもなりそうにないと認識していたからです。そしてその視線を向けられた辻原さんは、まったく思いがけない提案をしたのです。


「まずは事実関係からはっきりさせましょう。富士二中ははっきり言って強いわ。私たちが持てる力をすべて発揮しつくした上で相手に何らかの問題があったとしても、勝率はまあせいぜい1%あるかないかってところでしょうね」

「それは分かってるわ。その1%をどう掴むべきかって事で絶望してるんだから」

「別に掴まなくてもいいんですよ。トーナメントは普通負けたらそこで終わり。でもこの試合に関してはそうではありません。負けたとしてもまだ次に繋がる可能性は残されている、そう考えることも出来ませんか?」

「一体何が言いたいのさ?」

「つまり、この東海大会から全国大会への切符を手に入れられるのは三チーム。もし次の準決勝で負けたとしても三位決定戦に勝てば全国には行ける。そういう事です」


 辻原さんがこう言い切った瞬間、私たちは互いに目を合わせあいました。しかしこのお話、確かに一理あります。一度見ただけの私ですら富士二中と柚木さんのレベルの高さには鳥肌が立つほどでした。ましてや私たちよりバレーについての知識が深く、富士二中についても私たち以上に知っている辻原さんの見立て「どんなにうまくいっても勝率は1%程度」というのはおそらくは正しく、間違っていたとしても「0.01%」などと低く訂正される事はあっても高くなる事はないでしょう。


 その上で要は「富士二中戦は負けてもいいから三位決定戦に全力を尽くしましょう」と言うのです。まったくもって合理的。こうすればこの大会で一番強いチームである富士二中と戦って勝利するよりも全国大会へ行ける確率は高いでしょう。しかし、しかしです。


「辻原さんの言いたい事は分かるわ。でも、そんなのあんまりじゃない。ここに挑んで散った五十嵐中の無念は何とするのよ」

「キャプテン、私もその気持ちは同じです。本当です。でも今は、今の私たちの力では、悔しいけど五十嵐中の二の舞になるだけです」


 理解は出来ても納得しがたい部分を持ったお話に対する私の追及に対して辻原さんはうつむき、声もか細いものでした。


「それに、この大会が敗退に終わればキャプテンも三年生の皆も引退するでしょう? でもまだ私はキャプテンや皆と、このメンバーでバレーをしていたいんです!」


 引退。かくも重く寒い言葉は私の、そして園山さん、三上さん、斉藤さんといった三年生の心に強く突き刺さりました。確かに、本来はとっくに引退していたはずの私たちが幸福な出会いに恵まれた事でこの東海大会に出場しているという現状。もちろん私だって辻原さんたちと一緒にもっとバレーをやっていたいのはその通りです。私の心は揺らぎました。


 それに追い討ちをかけるように、辻原さんの瞳には潤んだものが浮かんでいました。思い出すと辻原さんは感情を露にする事はほとんどありませんでした。特に涙など、思えば初めて見ます。逆に言うと、それまで見せなかったものを見せてしまうまでに今の辻原さんは感情的になっているのです。しかも自分のためではなく私たちのために涙が溢れ出さんばかりの情熱を紡いでいるのですから。場に重い沈黙が流れました。


「そ、そりゃあ私だってもっとやっていたいわよ。ねえ、そうでしょう」


 沈黙を破ったのは園山さんの一言でした。その声色は心なしか低く震えていて、すべてを納得した上での言葉ではないようでした。しかしたとえ迷っていたとしても、私たちの方向性を決定付けたのは間違いなくこの瞬間でした。


「そうね。東海大会まで来られたんだから、全国だって行けるなら行くに越した事はないわ」

「全国が高望みって言うなら、その前に今の時点で十分すぎるほどに高いものね。毒を食らわば皿までよ。それに辻原さんの言った事は理論的に何も間違ってはいないわ」


 三上さんと斉藤さんもそれぞれが深く考えた結果、このような意見を示しました。続けて下級生の皆もその方向による賛同の表明が相次ぎました。


「じゃあそういう事で、決まりね。明日は、まあ出来る限りの事をして、全国へ行ければ行きましょう」


 私がこのようにまとめて今日のミーティングは終了しました。私も皆も「とりあえずこれでいいんだ」と思い込もうとしました。しかし、しかし、それでも心の中から湧き出てくる「本当にそれでいいの?」という疑問を振り切る事は出来ませんでした。今日は昨日みたいにはしゃぐ気力もわかずに、さっさと消灯しました。


 明日は準決勝で負けても三位決定戦があるから、そのための体力を養うためにさっさと寝ようと布団の中で目を瞑りました。しかしやはりなかなか眠れず、じっとしているとどす黒い嫌な感情が次々と噴出してとても寝苦しい一夜でした。


「ああ、もうこの話は終わった事なのに。今更どうこう言うもんじゃない。私だって納得したじゃない。もう寝ないと明日に影響しちゃう。だから早く眠ろう、眠れ、眠れ……」


 眠れない夜という事は決してありませんでした。私も今日の試合で疲れていますから。明日の行く当てがないのは幸せな一日の次の日も悪い一日の翌日も同じですから。でもこんな夜ならないほうがましでしょうね。キャプテンをしていて初めて下したとてもハードな決断でした。

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