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日本平の夜明け

 お茶の甘み! みかんの旨み! 富士山があんなに大きく見えます!


 そう、ここは静岡県! そして私は、私たちはこの静岡まで遊びに来たわけでは決してありません。私たち宮床中バレー部は静岡県掛川市にある体育館において今日から開催される東海大会に出場するのです。のっけから変なテンションで申し訳ありませんが、県外遠征は初めてなので内心ではちょっと、いや、凄く興奮しているのです。


「おはようございます天沼さん。県大会以来ですね」

「あっ、藤尾さんおはようございます!」


 静岡へと向かう電車では私たちと目的地を同じくする少女たちの集団と出くわしました。彼女たちこそが県大会において私たちを破って優勝したのが藤尾さん率いる四日市が誇る三重県最強の明王台中バレー部です。白い半袖のシャツに濃紺のスカート、そして試合中とは違って細身の眼鏡をかけた藤尾さんはやっぱり委員長っぽくて格好良く、思わず背筋を伸ばしてから深々とお辞儀してしまいました。


「あれからまた一段と鍛えてきたみたいね。この前より肌の色が濃くなっているわ」

「ええ、それはもう私たちにとっては県外デビューですから。今までとは一味違いますよ、多分」

「それは楽しみですね。ただ今回は同じ三重県の代表としてひとつでも多く全国大会出場できるように、お互い頑張りましょう」

「はい! そのつもりです!」


 お互いの健闘を誓ってキャプテン同士握手を交わしました。思えばあの敗戦から十日ほど。この期間においては今までより激しい練習を重ねてきました。十日程度で何が変わるだろうかと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、少なくとも私たちに関しては十日もあればドラスティックな変革だって期待できるのです。元々からっぽでしたからね。伸びしろは今までずっと鍛えてきた明王台よりも多いという言い方は出来るのではないでしょうか。


 特に鍛えられたのは私ともう二人でした。それについてはおいおい説明するとして、しばらくすると五十嵐中バレー部の皆さんも同じ電車に乗り込んできました。カラーとスカートが真っ黒なセーラー服で、その先頭にいたのはキャプテンではなくて一年生の和光さんでした。やっぱりあの負けん気は試合中だけのものではなく天性のものなんだと妙に納得できる光景でした。


 そんな和光さん、私と目が合うと競歩のようなスピードでこちらへ向かって歩いてきました。電車内では走らないというマナーとすぐに行きたいという気持ちの鍔迫り合いが感じられるスピードです。表情もあえて感情を押し殺している様子でしたがひとたび口を開くと理性というガードもあっさりたがが外れていました。


「また会ったわね宮床中! はっきり言って安心してるわ。あんたたちがあの明王台にうっかり勝っちゃったりしないで!」

「それはどうも和光さん。でも今は同じ三重県代表だから一緒に頑張りましょう」

「ふっ、一緒に? 甘いわ! 私はまずはあんた達を、そして明王台を破る事しか考えてないわ! はっきり言って準決勝、あの試合は悔しかった。だから! 私たちにはあんた達を打ちのめさないといけない理由があるの! だからそれまでは絶対に負けないでよね!」

「ふふっ、やっぱりコートの外でも元気がいいのね。それは素晴らしいと思うわ。でもいいの? ほら、向こうであなた達のキャプテンが怖い顔であなたを呼んでいるわよ?」


 私の言葉にいざなわれて視線を180度そらした和光さんはにわかに表情を変え、「ま、まあ言いたい事はそんなもんだから! ではさらば!」などと言いつつそそくさと立ち去っていきました。向こうからは「何やってんのあのアホは!」などという声が聞こえていました。もう完全にお怒りモードですね。


 案の定、和光さんが同じ服の集団に吸収された瞬間パコーンと抜けのいい音が響きました。ああもバイタリティが溢れすぎているほどに溢れている人はやっぱりちょっと、簡単に組織と言う枠には収まらないもので、向こうのキャプテンも気苦労が多そうです。


 それともう一つ、私たちとは当たりませんでしたが県大会ベスト4に輝いた南津中も加えたこの四校が三重県代表として東海大会に臨まんとしているのです。全国への枠はたった三つ。それを三重県、岐阜県、愛知県、静岡県の代表四校ずつ、計十六校で争うのです。厳しい道です。しかし私たちだって負けるために戦うのではありません。確かに私たちは今まで三重県を出た経験はありません。しかし今は辻原さんがいます。手持ちの武器の威力は東海地区どころか全国でも通用するはずだから、後はそれをどうチームとして生かすかです。


 電車は名古屋を越えて、三河湾を越えて、そして浜名湖も通過して行きました。その中でやっぱり「静岡に入った」と実感するのは車窓を囲む茶畑で、緑色の畝が山の斜面を覆いつくしている様は感動的でした。私は小学生の頃からジュースが苦手で自動販売機でもお茶ばかり飲んでいました。苦笑されつつ「渋い趣味だね」とか言われても好き嫌いですから、そこに嘘はつけません。だから、お茶の産地である静岡県は今まで訪れた事がなかったのですが、それでも最大限のリスペクトを持っています。静岡の、そして世界各地のお茶農家の皆さん、本当にありがとうございます。


 さて、そんな静岡の風景にも目が馴染んだ頃合、目的地に着いた私たちはまず旅館へと足を進めました。ここで藤尾さんたち明王台の皆さんとは別れましたが、五十嵐中の皆さんとはどうやら同じ旅館を予約していたようで、同じ道を二種類の制服を着た大集団がぞろぞろと移動する事になりました。


「何で同じ道来てんのよ。絶対私たちのほうが先に予約してたしパクらないでよね」

「いい加減にせいやこのドアホ! ああっ、本当にすみません宮床中の皆さん。この和光ってのは見ての通りどうしようもないアホなんで皆さんにどれだけ迷惑をかけるか……」

「いえ、いいんです。そんな頭なんて下げないで下さい。私はこういう人は結構好きですよ」

「遠目から見る分はいいかも知れませんけどね、ずっといてごらんなさいよ! 胃に穴が開きますよ。そういえば電車でもこいつはちょっかいかけてましたよね。ほらっ、和光! あんたも謝りなさいよ!」

「本当にいいんですよそういうのは。今は共に三重県の代表ですし、お互いに頑張りましょう! ねえっ」

「ふんっ、勝手にするがいいわ」


 和光さんはほとんど意地になっていると言うのか、どうしても頭を下げることだけは拒否している様子でしたが、鬼の形相をした向こうのキャプテンにまた頭をどつかれた事で「すみません」と感情の欠片もこもってないぼそぼそ声を発してくれました。まあ顔には不承不満とはっきり書かれていたのですが、そのほうが彼女らしいというものです。


 そんなこんなで徒歩約十分、「染葉旅館」という看板が見えてきました。白い壁の三階建て、中は畳がいっぱいに敷き詰められていていかにもこういう時に使うという感じでした。夜はバレーの自主練と称して枕投げなどをして楽しみつつ、適当な時間で消灯しましたが私はなかなか眠れませんでした。隣ではツインテールを解いた柳さんがかわいらしく目を閉じています。


 普段から寝つきが悪いのは私の悪い癖で、そういう時は色々な事を考えるのですが大抵ろくな考えは浮かびません。今日も今日とて明日の事を考えていましたが、本来の「負けて元々」という感覚も「三重県代表」などという責任あるポジションの前ではうまく発揮できず、「負けたらどうしよう」などと不安になるばかり。考えれば考えるほど悪い予感ばかりが頭の中を埋めてしまうから、それなら何も考えないように努力しました。するといつしか眠りに落ちていました。


「ふわあ、いい朝! 日本の夜明けぜよって感じかしらね!」


 夜の海にかかる眠りというブリッジを経て私が生きる時間は昨日から今日という日に移っていました。午前六時、空は青く輝き、清新な光が私に新たなる時を生きる活力を与えてくれます。窓に向かい、私は大きく伸びをしましたがこんなに天気がいいとまったく気分も良くなるもので、誰も聞かれていないのを前提に何やら上記のような言葉を口走りましたが、その直後、足音と「おはようございますキャプテン」という綺麗なソプラノが聞こえたので私は硬直した表情で音の出所である後ろを振り向きました。


「あ、あら、起きてたの辻原さん」

「今起きたところですキャプテン」


 そこに立っていたのは淡いピンクに花柄があしらわれたパジャマを身にまとった辻原さんでした。まあ声からしてそれは分かりきっていたのですが、聞かれて、ないですよね。


 それにしても朝の辻原さんはおさげを解いた長髪は深山幽谷に迸る滝のようでした。普段の大人しい感じとは違ってこれもまた一興。それに屋外で一緒に練習したはずなのに相変わらずの白い肌! ただでさえ人よりちょっと黒っぽい上に夏なのでさらに肌が濃くなった私と比べると同じ日本人とは思えないくらいです。でも今は同じチームの一員として同じ夢を見合う仲なのですから、そうなれば肌の色なんて関係ありませんよね。


「いよいよ始まりますね」

「そうね。頑張って、そして勝ちたいわね」

「ええ。私もキャプテンや皆と一緒に全国まで行きたいですから」

「辻原さんほどのセンスがあればどこにいても全国へは行けたでしょうね。でも私たちは違うわ。あなたが転校して来なければ全国どころかもうとっくに負けていたわ。これもあなたのお陰よ。ありがとう」

「そんな、違います! キャプテンも皆もセンスがあるからこそここまで来られたんです。本当です。キャプテンなんて日本代表のセッターになれる力を持っていますし」


 辻原さんの熱弁は本当に心に染み入りましたが、さすがにここまで来ると失笑を禁じ得ませんでした。気持ちは本当に分かるんです。不安になっている私を励まそう、盛り立てようという。分かるからこそオーバーな表現におなかを抱えてしまったのですが、そんな私を見る辻原さんの目はどこか困っていました。「言い方間違えたかなあ」という事なんでしょうが、とにかく私にとってはその気持ちが伝わっただけでも十分でした。


「ふふっ、ごめんなさいね辻原さん。まあ今はあなたにとって一番いいトスを上げる日本代表にはなりたいわね。ああ、何だか気分が晴れやかになったし、今日はやるわよ! さあ、そろそろ朝食だから着替えないと!」

「ええ、そうですね。行きましょうか」


 こうして私は意気揚々と元の部屋に戻りました。アレについては聞かれなかったので結果オーライって事でもみ消しつつ朝食を口いっぱいに放り込むと、試合会場となる体育館まではバスで乗り込みました。抽選の結果、五十嵐中とは最低でも準決勝、明王台とは決勝まで勝ち進まないと戦えないと決定。そして一回戦の相手は愛知県の南セントレア中に決まりました。


「さあ、いよいよ本番開始よ! 皆頑張りましょう!」

「おう!」


 円陣を組んで気合を入れた後に9m×9mのコートに散らばった私たちの先発メンバーは例によって例の如く以下の通りです。なおサーブ権は向こうに渡りました。


BR 6 柳

FR 1 天沼

FC 2 園山

FL 7 辻原

BL 4 斉藤

BC 3 三上


 そして試合開始。相手のサーブは何の変哲もないものでしたが、柳さんがレシーブをミスしてしまい、ボールは観客席のほうへと飛んでいきました。あまりにもあっけなく相手に先制点を与えてしまいました。


「はわわ、すみません……」

「ドンマイよドンマイ柳さん! さあ、次を確実に行きましょう!」


 しかし私の声も虚しく、柳さんだけでなく三上さんも斉藤さんも園山さんもまるで何かの呪いでもかけられたかのようにぎこちない動きとまったくでたらめなプレーを連発していました。まあ理由はもう明らかで、皆緊張しているのです。それはそうでしょう。ついこの間まで一回戦敗退がデフォルトだったチームが突然三重県代表として他県まで遠征して試合をするようになったのですから。技術や肉体は大きく底上げされましたが、心に関しては一回戦負けが当然であった頃のメンタルが未だに生き残っているのです。


「私たちがこんなところまで来ちゃったけど、本当にいいのかしら」

「相手はどこも強そうに見える。私たちみたいなにわか仕込みのチームでは通用しそうもない」


 言葉に出す事はありませんでしたが内心ではこのような言葉を発しながら怯えていたのは明白です。だって私もそうですから。相手のサーブは長く続きました。皆の目からは焦りとともに「やっぱり駄目なんだ」「私たちには不相応だったのね」という諦観さえも漂ってきました。


「キャプテン、この流れでは危険です。一度タイムを取りましょう」


 無風状態のまま5点目を取られた時、辻原さんが私に向かってこのように声をかけました。それは私も思っていたので無言のままうなずくとすかさず小西先生に催促して、小西先生は審判にタイムアウトを要求して認められました。


「皆どうしたの? 実力が全然出せてないじゃない」

「ううっ、かたじけないですキャプテン」

「でも実際どうすりゃいいの? このままじゃまずいのはそりゃ分かってるけどさ」

「うまく体が動かないの……」


 皆はうつむき、己の不甲斐なさを責めていました。実際この試合で出たミスはどれもまったく単純なもので、レシーブを受け損ねるとかスパイクをネットにぶつけてしまうとかまるで辻原さんが来る以前に戻ったみたいなシーン連発でした。


「まあね、ここまで何点か奪われたけどもうそれはそれよ! 大事なのはここからで、今からでも普通にやればいいのよ普通に。辻原さんだって皆は全国レベルだって言ってたわ! だから大丈夫よ!」

「えっ、本当に?」

「本当よ。今の皆は私がかつていた光国中の選手より一つ一つの力は上回っているわ。ともちゃんのサーブだってそう。他にも三上先輩のレシーブもそうだしキャプテンのトスだって。力に関しては誰にもはばかる事はないわ。その上で今大事なのは自分が出来るプレーをやり尽くす事よ。特別な何かなんて必要ない。キャプテンがさっき言ったように、いつも通り自然にやればおのずと力は出せるものよ。それだけの練習は積み重ねてきたんだから、絶対に大丈夫!」


 辻原さんの力強い言葉に心を揺り動かされて「うーん、辻原さんに言われるとそんな気もしてきたわね」というムードが高まってきました。やっぱり強豪チームにいたという事実はそれだけで私たち負け組出身者には圧倒的な説得力になります。


「そう。まだ試合は始まったばかりよ! 締まっていきましょう!」

「おう!」


 これでタイムアウトは終了。再びコートに散らばりましたが、皆の目つきがタイムアウト前と明らかに変わっていました。そして相手のサーブは三上さんがレシーブ、私のトスを経て辻原さんが鋭いスパイクで相手のブロックを弾き飛ばし、ようやく得点となりました。これよこれと叫びたくなる、いつもの流れが戻って来ました。


「三上さんナイスレシーブ! やっと乗ってきたじゃない!」

「まあこの程度はね。それよりサーブ頼むわよキャプテン!」

「任せて! ここから一気に追い上げ行くわよ! それっ!」


 気持ちが乗った状態から繰り出したサーブは、実感としては「伸びすぎた」というのが正直な心でした。相手も「アウト!」などと指示が出されて、近くにいた選手は避難しましたが、ボールは意外とラインギリギリに落ちて、判定はインでした。


「おお、ナイスサーブ!」

「凄いじゃないですかキャプテン!」

「お、ああ、まあ、こんなもんよ! さあ、この勢いで一気に追いつくわよ! それっ!」


 正直言って、今回の得点を一番信じられなかったのは私でしょう。正直マグレです。練習でもあんな絶妙なサーブは出来た記憶がありません。しかしこの一撃から一気に流れが変わりました。


 第一セットは私たちがここから十連続得点を加えた事で一気に形勢逆転、結局25対20で勝利を手にしました。さらに続く第二セットでも三上さんを中心に拾い、私のトスを経て辻原さんのスパイクという基本的作戦がよく機能して25対18で奪い、勝利を決めました。冷静に考えると明王台や五十嵐中のほうが強かったのですが他県の代表という事で実力以上に意識してしまい、それが私たちの動きを止めていたのです。自分たちの敵は自分たちの心にあるという、つまりはそういう試合でした。


「ふふっ、私たちって結構いけるじゃない?」

「そうね。冷静に考えると今回の相手より明王台や五十嵐中のほうがきつかったわ」

「それと普段の練習もね。試合やってたほうが楽なくらいよ」

「だから最初から言ってたでしょ、普通にやれば勝てるって。辻原さんだってそれをずっと知ってたんだから。ねえっ?」

「ええ、そうよ。もしかすると自分の力を過小評価して私の力だけで勝ち進んだかのように誤解している人もいるかもしれませんが、そんな事はないんです。本当に皆は強くなっているんです。だから、次の試合もこの調子で頑張りましょう」

「おう!」


 余計なプレッシャーも抜けて私たちの団結は一段と高まりました。そして二回戦では岐阜県代表の伴睦中を下し、ベスト4まで駒を進めました。

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