雪辱の果てに
今までまるで勝てなかった私たち宮床中バレー部。しかし夏の大会において安田中を圧倒的な点差で破り一回戦を突破すると、その勢いに乗ってそれまではまったく歯が立たなかった相手たちを次々と撃破。ついに県大会準決勝まで進出しました。
「なんか大会に二日目があるってのも変な感じよね」
「うん。今まではさっさと帰ってたのにさ。でも準決勝かあ。手ごたえはあったけどまさかここまで来られるなんてねえ」
「しかも相手は五十嵐中! 春のリベンジと行きましょうよキャプテン!」
「そうね柳さん。どこよりも勝ちたい相手よね、ここは」
今東海の朝ぼらけ、私たちは駅前に集まって次の電車を待っていました。試合会場となる四日市の体育館の最寄り駅はここから十駅以上あります。しかもそこも私たちの駅も急行が停車しないので普通の電車で二十分から三十分ほどかかります。
このように部員が電車で移動する場合、基本的に最初に到着するのは私でしたが、私が来る前に辻原さんがもう駅で待っていたので驚きました。次に斉藤さんが来て、皆が次々と集まって最後に走りながらギリギリで到着するのが園山さんというパターンは相変わらずですが。
さて、準決勝の相手は前述の通り五十嵐中です。春の大会において、私たちは辻原さんを過信するあまりに手痛い敗北を喫してしまいました。あれからもう三ヶ月あまり。「男子三日会わざれば刮目して見よ」と言われますが、私たち女の子だって変われます。三ヶ月、三日を三十回繰り返したのだからそれはもう別人のようになっていて当然。そしてそれを明確な形で証明するのがまさに今日この時なのです。
「さあ全員揃ったわね。行くわよ!」
「おう!」
到着した電車に乗り込む直前、プラットホームにて改めて団結を誓いました。正直他のお客さんに迷惑だったかも知れませんが、それほどまでにテンションが高まっていたのです。電車の中で、私は東にきらめく海ばかりを見ていました。ちらりと海岸を見ると練習の日々を思い出します。
「今までよく頑張ってきたな。辻原はともかく、他の皆にとっては今までにないほど厳しいメニューだったはずだが、やりきってくれた。立派だったぞ」
「ありがとうございます武智さん。これで明日、勝てますか?」
これは一昨日、試合を前日に控えて最後の練習が終わった時の問答です。私の問いに対して武智さんは「俺は明日の試合を見に行かない。明後日の試合は見に行く」と言いました。この言葉に私たちは戸惑いましたが、その真意は以下のようなものでした。
つまり、今大会の日程を言うと準々決勝までは昨日行われ、今日の試合に出場できるのは準決勝まで進出した四校だけ。つまり武智さんは私たちが最低でも準決勝まで進出できると確信していたのです。
果たして、私たちは見事に準決勝まで勝ち進みました。しかもほとんど苦戦する事なく、まるで水が高いところから低いところへと流れるように、まるでベイスターズの投手陣が失点を重ねるように、それが自然の摂理であるかのように勝ち進んだのです。まあそのぐらい磐石に勝利を勝ち取れるだけの練習を積み重ねる事がこの期間に出来たからでしょう。
「ねえキャプテン見て! あれ武智さんじゃない?」
「ああ、あの帽子被ってる人ね? じゃあ呼んでみましょうか。おーい武智さーん!」
会場は初日と同じ四日市の体育館なのですが、昨日はいないと分かっていてもその顔を捜してやっぱりいなかった武智さんが今日は体育館前の公園であっさりと見つかりました。半袖の白いTシャツとジーンズにサンダル履き、頭にはCLMと書かれた黒い野球帽を被った、いかにもスポーツマンらしいファッションでした。私の手を振りながら呼ぶ声に気付くとのっそりとこちらへ近づいて来ました。
「ほら言った通りだろう。今日だけで十分だって」
「ええ、ありがとうございます。何度やっても毎回一回戦で負けていた私たちがここまで来られるなんて、自分たちでも信じられないくらいです」
「頭を下げることはない。お前たちがよく頑張ったからここまで来られたんだ。今の俺はあくまでも一人の観客。春からどれだけ進歩したか、観客席から存分に堪能させてもらうよ」
「はい! 見ていてください!」
準決勝は十時から始まりました。私たちの先発は以下の通りです、とは言ってもやっぱり春から変わらないメンバーなのですが。これが現時点における私たち宮床中のベストメンバーなのです。なおサーブ権は私たちが得たので柳さんのサーブから試合は始まりました。
BR 6 柳
FR 1 天沼
FC 2 園山
FL 7 辻原
BL 4 斉藤
BC 3 三上
「しっかりね柳さん!」
「任せて! さあ目に物見せてやるわ! それっ!」
柳さん得意の無回転サーブも本人がパワーをつけた事で今まで以上に進化しました。腕力がついた事でサーブの威力が増し、そのた分減速も急激になって変化量も増したのです。一度対戦した経験のある五十嵐中は、それゆえにより強力になった変化に対する戸惑いも大きかったようです。幸先よく先制点を奪いました。
「よーしその調子よ柳さん! この勢いでどんどん決めてね!」
「もちろん! さあ二点目行きますよ! そーれっ!」
見たところ五十嵐中も前回対戦した時からメンバーは変わっていないようでした。しかし当時は「全員すごくうまいなあ」としか見えていなかったものでしたが、私たちの力が上がった今では相手の選手がどのような個性があり、どんなプレーが得意かそうではないかと言った部分が見えるようになっていました。
その上で言うと、五十嵐中は基本的にサーブカットやレシーブの技術に長けたディフェンス重視のチームです。実力や心持ちの差から春の大会では選手たちがやけに大きく見えていたのですが実際は意外と身長は低く、その分全員が機敏な動きでコート全体をカバーするというスタイルなのです。その象徴が彼女でした。
「頼むわよ和光!」
「任せて! とりゃあっ!」
さて、柳さんのサーブをカットしたのはその一人であるゼッケン10番、和光つぐみさんでした。この和光さんはおかっぱと釣りあがった目つきが印象的な一年生の選手で、私たちで言うと柳さんよりも身長は低いのですが素早さに関しては韋駄天揃いの五十嵐中においてもトップクラス。後衛に回るとかなり広い守備範囲を生かしてボールを拾いまくります。
また、前衛に回るとこれまたチームトップのジャンプ力に加えておそらく手首の力が相当強いのでしょう、小枝のような腕からは想像できないほどに強烈なスパイクを連発して五十嵐中の主要な得点源としても大暴れします。春の大会では私たちの実力が足りないと見られていたようで相手の様々な選手がスパイクを決めていましたが、接戦やピンチになると和光さんにボールが集まるようになります。この和光さんこそ五十嵐中のエースだからです。
「春の大会では7番以外雑魚だったのにずいぶん成長したじゃない。でもここまでよ。食らえ宮床!」
「斉藤さんレシーブを!」
「ああっ届かない!」
「ボールイン!」
序盤こそ私たちの攻撃と五十嵐中の守備ががっぷり四つに組んでの接戦でしたが、中盤以降は「どうやら宮床中は本当に強くなっているらしい」と認識していただいたようで相手は和光さんにボールを集め出しました。高いジャンプ力と強いリストから繰り出されるパワフルなスパイクは簡単に止められるものではなく点差はジリジリと開いていき、結局第一セットは21対25で落としてしまいました。
「くうっ、やっぱり強いわね五十嵐中。何とか春のリベンジをと思ったけど、そううまくいかないのかしら」
「このセットはいけると思ったんだけど……」
リベンジの意気盛んだった第一セットでしたが、逆に五十嵐中の実力を見せ付けられる結果に終わってしまいました。三上さんや斉藤さんはベンチで意気消沈しながら悔しさをにじませる言葉をこぼしていました。このままズルズルと負のスパイラルにはまるとまずいので、私はどうにか励まそうと言葉をかけました。
「まあそう悲観するもんじゃないわ。前は辻原さんの力だけでセットを奪ったけど今日は今のところあまり目立ってなかった。でもあんなに接戦を演じられたんだから私たちだって力がついてるって証拠でしょう。まだまだこれからよ」
「キャプテンの言う通りです。まだ試合は半分も終わっていないという状態にありながら相手は和光さんのアタックに頼っていますから。いわばすでに奥の手を繰り出した状態です。逆に言うと和光さんさえ抑えられたら勝機は見えてきます」
「そりゃあ、それが出来たらその通りだけどねえ辻原さん。あの和光さんをどうやって止めるのさ?」
「大丈夫です園山先輩。私に策がありますから」
辻原さんがかくも自信ありげな態度を見せると「それは本当なの?」という疑問すら挟めなくなります。「とにかく辻原さんを信じましょう」という事でチームをまとめつつ第二セットは始まりました。このセットも序盤は比較的抑え目の展開で、8対8まで来ました。こちらのスパイクが相手に阻まれての得点だったので五十嵐中はローテーションがひとつ回り、和光さんがバックセンターの位置に移動しました。
「さあ、ここからよ! 締まっていきましょう!」
「おう!」
「この第二セットも取って決勝進出よ!」
「当然よ! あんないきなり沸いてきたようなチームにあいつらと戦う権利なんて渡さないんだから!」
私も向こうのキャプテンもこのタイミングでチームメイトに声をかけました。それにしても和光さんはかなり強気な性格のようです。今目の前で対戦している相手に向かって聞こえるように「いきなり沸いてきたようなチーム」とか言えるのですから。しかし今のタイミングこそ辻原さんの言う「策」を実行する時。余計な感情を持たないように、セッターとしてあくまでもクールでいようと努めました。
「そーれっ!」
低音による掛け声とともに繰り出された相手のサーブはそこそこ威力はありましたがコースは素直でした。軽やかにボールの下まで動いた柳さんが受けて、私のほうへと飛んできました。
「ここまでは手はず通りね。辻原さん、頼むわよ!」
トスのターゲットはやはり私たちのエース以外ありえません。その辻原さんは左手から痛烈なスパイクを打ち込みましたが和光さんが横っ飛びしながらもレシーブしました。
「まさか! あんなに強烈なスパイクを止めるなんて!」
「なんて素早さなのあのおかっぱ!」
まるで猫のような俊敏さ! 辻原さんのスパイクは完璧に見えましたが和光さんの動きはそれ以上に見事でした。ここから展開された五十嵐中のスパイクは三上さんが拾い、私のトスを経て辻原さんがスパイクという同じような展開で何度も攻め立てましたが和光さんが右へ左へと飛び跳ねて得点を許しませんでした。和光さんのディフェンスの前には辻原さんのスパイクも通じないのでしょうか。しかし辻原さんは泰然としていました。
お互いディフェンスにミスがないのでラリーは長く続きました。今までの私たちならば根負けしていたでしょうが、今は「辻原さんを信じよう」という形でチーム全員の精神がよく団結されているので苦しい展開も持ちこたえられました。そしてこのラリーでは七回目のトスを辻原さんに向けて上げました。
「今度こそ頼むわよ辻原さん!」
「そうね、そろそろ行きましょう! アタック!!」
「うぐっ!!」
辻原さんのスパイクは和光さん目掛けて一直線に進んでいきました。それまで散々左右に振られていた和光さんは最短距離で突撃してくるボールのスピードに対応しきれず、腹部に直撃を受けたのです。グラリと床へ崩れ落ちる和光さん。どうにかすぐ立ち上がりましたが、ただでさえ消耗していたスタミナを今の一撃で猛烈にすり減らされていたのは唇が震えて左目が半開きになった険しい表情からも一目瞭然でした。
和光さんの俊敏な動きが失われた事で私たちは得点を積み重ねられるようになりました。相手のスパイクをレシーブして私のトスを経て辻原さんという攻撃パターンが次々と決まり、点差を一気に16対8まで広げる事に成功したのです。
「やったわ! 一気に差をつけたわね!」
「和光さんの守備範囲は本当に広いので多少左右に振っただけでは追いつかれてしまいます。でも人の体力は無尽蔵ではないから、動くほどに当然疲労もたまっていくわ」
「なるほど。じゃあ友里ちゃんのスパイクが拾われてたのは和光さんを振り回す意味があったのね」
「その通りよともちゃん。守備範囲ギリギリのところに打ち込めばすべて和光さんの動きになる。和光さんが疲れれば疲れるほどチーム全体の動きも鈍ってくるわ」
「チームの中心である和光さんが倒れれば五十嵐中もって話ね」
盛り上がる私たちのベンチとは対照的に、向こう側のベンチはシリアスな雰囲気が横行していました。聞き耳を立ててみると顧問の先生による「和光、大丈夫か?」という問いかけに対して「この程度、大丈夫です」などと強がっていましたが声は震えていました。ダメージが大きいのは明らかでしたが彼女にも意地があるのでしょう、交代はありませんでした。
「さあ、この勢いでまずは第二セットを確実に取るわよ。そして勝つ! 行くわよ!」
「おう!」
両者の勢いからしてもそうですが、実際問題として戦力の比較でも私たちは優位に立っていました。第二セットは私たちが25対12で制すると、第三セットでも優勢に試合を進めていきました。
「ナイスブロック園山さん!」
「へへっ、こういう仕事は任せとき! さあ、次もいいサーブ頼むわよ柳さん!」
「はい!」
五十嵐中は全体的にディフェンスが強いので押せ押せムードの私たちのオフェンスに対してもある程度は守りきりました。しかしオフェンスに関しては高さがなくて決定力不足。もっとも攻撃力の高い和光さんは顔を歪めて悲壮な戦いを続けていますが、園山さんや斉藤さんにブロックされるほどにジャンプ力が落ちていて、武器としては完全に力不足となっていました。
水際でどれだけうまくレシーブしてみせても次から次へと辻原さんのスパイク、柳さんのサーブなど私たちの強力な攻撃を浴びせられるうちに疲労がたまり、それまではレシーブできたはずのボールさえもが決定的な一撃となっていました。また、疲労とともにミスも増えて点差は開く一方で、試合の趨勢は誰の目からも明らかとなっていました。
そして私たちがリードした状態でマッチポイントを迎えました。サーバーは辻原さんでした。そのしなやかな右腕から放たれたボールは柔らかい弧を描いて五十嵐中ディフェンスの隙間を一突きしました。この瞬間、試合は終了。25対14で、私たちは見事に春の雪辱を果たしたのです。
「ううっ、くそう、こんな馬鹿な……」
すべてが終わった時、床を拳で何度も床を叩きながら泣き叫ぶ和光さんの姿が目に入りました。それほどに悔しかったのでしょう。結局両肩をチームメイトに抱えられながら退場しましたが、彼女の黒い瞳から涙の糸が尽きる事はありませんでした。
「さあ決勝戦ね、キャプテン」
「……そうね。行きましょうか、皆」
「ええ」
私たちは、五十嵐中に勝ちました。しかし和光さんの心意気に勝てた選手はいたでしょうか。負けたのが悔しくて涙を流したのは春の私と同じでしたが、何も出来なかった私とは違って和光さんはチームの中で一番活躍していて、誰にもはばかることのない成績を残しています。それでも己の不甲斐なさに涙を流せるのです。「もっと出来たはず。もっと上を目指せたはず」という強い気持ちがあるがゆえでしょう。
私たちもまた、和光さんのような闘志を持って強く戦いたいと思いました。言い換えると私たちはこの試合、闘志においては負けていたのです。試合結果ではリベンジを果たしたところで喜びがあまり沸いてこなかったのも理にかなっていると言えるでしょう。決勝戦は午後から始まります。