海岸への道
ゴールデンウィークが明けると、バレー部はそれまでより活気が溢れるようになりました。先日の試合では手痛い敗北を喫してしまいましたが、逆にそれが良かったのです。辻原さんはそれはもうとてつもなくうまいプレーヤーです。でもそんな辻原さんでさえも一人だけでは勝利を手にする事は出来ないと私を筆頭に部員全員が深く悟る事が出来たからです。
言うまでもなく、私たちが今すぐ辻原さんのようになれるものではありません。しかし今、少しでも辻原さんのレベルに追いつこうと頑張らない限り夏の大会でも悔しいだけの結果に終わるのは火を見るより明らかです。私たちはもうそんな破目にはなりたくないのです。せめて辻原さんの足を引っ張らないようになりたいし、負けるにしても「もっと頑張れば良かった」と後悔しないようにしたいだけなのです。
もちろん練習メニューもそれまでと変わりました。ボールを触る前に行うランニングではロードワークを取り入れるようになりました。先日の五十嵐中戦の得点を見ると第一セットは辻原さん大暴れで25対14と私たち宮床中が制しました。続く第二セットは相手に対策を取られて19対25で落としました。そして第三セットは無残な戦いとなり10対25と大きく離されました。つまり、セットを重ねるごとに私たちの数字は悪化しているのです。
それはなぜでしょうか。慣れない勝利のプレッシャーで足が止まったから? 対策を練られたから打つ手がなくなった? 残念ながら私たちはそこまでのレベルにすら達していません。答えはもっと単純で、つまり体力がなかったのです。例えば第二セット、終盤に多少追い上げられたのは私による辻原さんへのアシストがまだ機能していたからです。
私たち宮床中バレー部のセッターは一応私と言う事になっていますが、まあ自分で言うのも何ですが他はともかくトスに関しては多少は自信があります。特にアタッカーへのオープントスは「打ちやすい」と評判で、先日の試合でもそれが効果的に作用したからこそあんな強引なやり口でもある程度は通用したのです。しかし第三セットはトスすら満足に上げられなくなった事で辻原さんは完全に孤立して、その結果壊滅的な敗北を喫するに至ったのです。
技術もメンタルもその根本となる体力がないと大して意味を持たないものです。まずは体力をつける。それが安定したプレーに繋がります。集中すればうまくいくプレーも体力不足ゆえに集中が長持ちせずに精度を落としてきたものが、しっかりと肉体を鍛える事によって集中力を長く保たせられるようになれば技術を長く発揮できるようになるし、ここぞという場面でも頑張れるようになります。大体、そんな脆弱な肉体のくせに勝てると考えていたのがそもそもおこがましい話だったのです。
ランニングのルートはまず校門を出るとすぐに左折し、少し進むと道が二手に分かれるので左側へ進みます。そっちは山側に続く道で、そこそこアップダウンもあります。ほとんど車も通らない一本道をしばらく進むと右手に小さな池が見えてきます。ここで折り返しとなり学校へ戻ります。
これは陸上部の長距離選手が愛用しているルートを拝借したもので、生まれてからずっとこの町で生きてきた私からしてもあまり使わない道なので新鮮な気持ちで走ることが出来ます。特に池、そんなものがあったとは今の今まで知りませんでした。
「さあ行くわよ! 宮中ファイトー!」
「おう!」
キャプテンである私が音頭を取っての掛け声もけたたましく十数名の部員は一丸となってアスファルトを駆け巡ります。最初は小一時間ぐらいかかってしまったのですが、十日ほど続けていったところ、しだいに三十分ぐらいで体育館まで戻れるようになりました。体力だって一朝一夕にドンとつくようなものではありません。変な薬を使っているわけでもないし。日々の積み重ねが大事で、それはランニングのタイムが短縮されている事からも効果が出始めているようでした。
五月の途中には中間試験があったので全体練習は中断しましたが勝手に走るのは別に禁止されたわけでもないので、私などは家に帰ると運動する服に着替えて毎日走ってから勉強をしました。大事なのは切り替えであって中途半端な気持ちで勉強以外を禁止にしても結局他の事に気が散って集中できなくなり、勉強と称して保健体育の教科書を眺めるだけという無様な姿を晒しては意味がありません。
まあ基本的に授業を真面目に聞いていれば一定の点数は取れるわけで、今回もまあそこそこは点数を稼げました。これでも「勉学でも真面目」という評判の私ですからね、もっと行けたかも知れませんがまあ一定のラインを裏切らないレベルにはしっかりと出来たので十分でしょう。
さて、そんな日々も終わってようやくバレー部としての練習が出来るようになったまさにその日、職員室から部室の鍵を取って来てからいざ開けようとしたところ、扉に封筒が挟まってあるのに気付きました。差出人は不明ですが宛名の部分に「宮床中学校バレーボール部へ」と筆で書かれていました。
「何かしらこれ? キャプテン分かる?」
「さっぱり見当もつかないわ。誰からかしら」
「封はしっかりとされているのね。バレー部へって事だし、ここはキャプテンが責任を持って開封するべきでしょ」
「そうね。それにしても部への話なら小西先生に送られるもんじゃないかしら普通は」
疑問に思いつつも私は筆箱の中からはさみを取り出して封筒の上側を真っ直ぐに切りました。中には手紙が一枚だけ入っていました。そしてそこにはただ一行だけ、宛名と同じ達筆でこのように書かれていました。
「勝ちたければ宮浦海岸へ来い」
宮浦海岸は中学校から少し離れた場所にあります。地図を取り出して確認したところ、前述のランニングルートで言うと今までは池の地点で引き返していましたが、それをせずにもう少し直進します。池が見えなくなったところに十字路があるのでここを右折し、もう少し進むと海に突き当たります。海沿いの道をさらに北へ進めば目的地が見えてきます。もう隣町まであとわずかの距離になっているのですが、決して行けない距離ではありません。
「どうするキャプテン。行く?」
「でもこれいたずらかも知れないんでしょう。実際行ってみて何もなかったらとんだ無駄足じゃない?」
「それも確かに一理あるけどさあ、気になるじゃない。それにもし本当だったら手紙出した人に悪いし」
ともに三年生の三上加恋さんが積極派の中心で、斉藤七海さんが慎重派の筆頭でしたが「どうせ途中までは同じルートなんだし、いたずらならいつもよりちょっと長く走ったってだけで引き返せばいいじゃない」という私の意見が駄目押しになった形で、行く事に決定しました。それに、もし本当ならば、勝てるようになるならそれにすがりたいという気持ちもありました。万が一を考えて部員には先の鋭いシャープペンシルやはさみ、コンパスなどをポケットに忍ばせて、いつもより少し長いランニングを開始しました。
「やっと池まで着いたわ。ここから後どのくらいあるんだっけ?」
「ここからだと大体1kmぐらいだったはずよ」
「ひゃー、やっぱり結構遠いですね」
「でもまだまだ体力はあるでしょう柳さん」
「そりゃあまあ。鍛えられている最中ですからこのぐらいなら全然ね!」
「じゃあもう一踏ん張りよ。ファイトー!」
「おう!」
太陽を背に受けて走りきった先には、伊勢湾が穏やかにたゆたっていました。防波堤の間にある階段を見つけて砂浜に降り立つと、その真ん中には男が一人立っていました。見た目は多分大学生ぐらいで、小さな頃から体育会系一辺倒という雰囲気がある顔つきでした。下半身はジャージですが上半身はまだちょっと寒いだろうに白いTシャツ一枚で、程よく鍛えられた腕を海風に晒していました。
「ふふ、来てくれたか。ようこそ、宮床中の諸君」
「あなたは?」
「俺は武智宗吾。ゴールデンウィークには君たちの試合を拝見させてもらったが、一人を除いてまったくなってないな。宝の持ち腐れとはまさにこの事だ」
「それは、私たちも分かっています。辻原さんはこの春に転校してきたんです」
「ほう、転校か。それで、前はどこにいたんだ? 相当練習が進んでいるように見えたが」
この問いに対して辻原さんは「東京の光国中です」と答えました。そういえば、私も「東京から転校してきた」までは知っていても具体的に東京のどこからとはあまり聞いていませんでした。だから「へえ、そんな所があるんだ」程度にしか思っていませんでしたが、武智さんはただでさえ大きな瞳をさらにギョロリと見開いて驚きをあらわにしていました。
「なるほど、だからか。しかしそうなると他のメンバーは気の毒だな。あまりにも差がありすぎる」
「あの、武智さん。光国中ってそんなに凄いところなんですか?」
「おいおい、中学バレーやっていながら光国中を知らないとはどういう精神構造をしているんだ。ここ十年で六回全国優勝に輝いている強豪中の強豪じゃないか」
「ええっ! そんなに!?」
私たちは強いスピードで辻原さんのいる右斜め後ろに顔を向けました。確かに普通にバレーをやっていただけであそこまでうまくなるはずがないとは思っていましたが、そこまで恵まれた環境でやっていたとは。驚きはしましたが同時に納得する部分もありました。「やっぱり根本的に違うんだ」と、体感と実態が一致した感じでした。
「去年は確か準優勝だったかな」
「はい。静岡の富士二中に敗れました。私は怪我をしていたのでスタンドで応援をしていましたが、相手の二年生アタッカーが強力で」
「柚木か。あれは傑出した選手だったな。現役中学生では彼女がトップだろうな。それに北海道にもいい選手がいたな」
「清河さんですね? 余市の」
「ああ、そうだな。あれも小柄だが俊敏な動きが出来るからな、あのディフェンスは中学レベルで突破するには骨だな」
「でもジャンプ力もありますから。確か二回戦の倉吉戦では半分以上が清河さんのアタックでの得点でしたよね」
辻原さんと武智さんのバレートークはなおも続きましたが、きっと全国的には有名人の名前が連発しているのでしょうが私たちにとっては「誰それ」の連発でした。県大会の一回戦が関の山である私たちに全国の情勢など見えるはずもなく、ただぽかんと口を開けて聞き入るしかありませんでした。それも大体終わったところで武智さんは私たちのほうを向くと、大声でまくし立てました。
「お前たちが相手にするべきなのは五十嵐中なんかじゃない。今の話で出てきた奴らが本来の相手だ」
「そんな! 辻原さんはともかく今の私たちにはあまりに遠すぎる目標です」
「まあそうだな。100m走で言うと辻原や全国の連中は十二秒台だが、お前らは二十秒かかるようなものだからな。この差を埋めるには並大抵の努力では無理だ」
「それでも武智さん。勝ちたいならと言って私たちをここまで連れてきたのならどうにかする方策でもあるんですか?」
「俺がどうにかするんじゃない。やるのはあくまでもお前たちだからな。話としては単純だ。勝つためにはお前たちが上達すれば良い。最低でも辻原のパートナーとしてやっていけるレベルにはなってもらう。それまでは鍛えぬく。夏の大会までにはある程度の形にするが、期間は短いので相当厳しくなるぞ。覚悟はあるか?」
覚悟! 勝ち抜くにはそれ相応の覚悟が必要なのは言うまでもありません。今までは「結果的に勝てると良いな」という程度でしたが、そんな気概では春の大会の二の舞を演じるだけでしょう。あの悔しさは今も私の胸の中に息づいています。「今度こそは」と執念を持って勝利へ邁進するか、これまでと同様に過ごすか。同じ負けるにしても全力を尽くして負けるのと何となく試合をして何となく負けるのではその価値も違うものです。
私たちはその価値に気付かず、あるいは気付かないふりをして見過ごしてきました。しかし一度それを痛感したからにはもう無視は出来ません。私たちの運命は辻原さんが現れた瞬間からすでに動き出し、もう後戻りは出来なくなっていたのです。
「私はやります。勝つためにはどんなに厳しい練習でもついていきます」
これ以外の言葉は頭の中にありませんでした。キャプテンである私の発言に続いて、「私もやります」「このまま負け続けたままで終わりたくないもの」「一泡吹かせたい」などと志を同じくする部員の声が打ち付ける波を押し返さんばかりの勢いで海岸に響き渡りました。
「うむ。それなら話は決まったな。早速今日からやってもらうぞ!」
「はい!」
こうして武智さんとの日々が始まりました。長い夏がもうすぐ訪れる五月の終わりでした。六月、そして七月は練習に次ぐ練習の中、駆け足で過ぎ去って行きました。期末試験の期間においてさえ部員全員が自主的な運動を怠りませんでした。バレーは単なる部活であってすべてではないなどと知ったような言辞を弄しつつ結局は何もしなかった日々を塗り替えるように、ただひたすら運動行為に打ち込んだのです。
学校から砂浜までの道を走るのがいわばアップです。それから軽く体操などして、砂浜を強く踏みしめてのダッシュを行います。伏せた状態からスタートの合図とともに素早く立ち上がり、20mほど先にあるゴールラインを超えるとすかさずダイブするというビーチフラッグスのようなやり口でした。
次にジャンプの練習をします。まず一人がコンクリートで出来た擁壁の上に海側を向いて座ります。すると当然足がプランと砂浜のほうに垂れ下がるわけですが、壁の下ではその足に触るようにジャンプするのです。ジャンプする側はもちろん土台が砂浜なので普通より踏ん張りが利きません。その分力がつくという話です。
これが終わると学校へ引き返します。そしてようやくボールを使った練習に移るわけですが、部活にも時間が決められているのでそんなに長く長く練習を続けるという事は出来ません。その代わりに一球一本に対する集中力が高まりました。サーブにしても漫然とアーチを作り続けるのではなくどこのコースを狙うか、威力はどうか、回転はなどと考えながら打てるようになりました。
六月などは梅雨とぶつかるので外では練習できなくなります。そんな時は海岸に行く代わりに器具を用いた筋力トレーニングを採り入れました。ダンベル、バーベル、それにチューブを引っ張るようなトレーニングもしました。当初は一番軽いプレートを載せただけのバーベルでもまるで動けなかったものですが、回数を重ねて力がついた事でプレートをある程度連ねても持ち上げられるようになりました。
力がつくとバレーだって、今までよりもっと動けるようになるとよく分かるのです。ジャンプ力が上がれば高いところからスパイクを放てるようになり、それだけでもう威力はアップしています。サーブもそれまでは届くか届かないかで力を入れすぎていましたが、逆に力を抑えることで細かいポイントを狙えるようになってきました。
「今度こそ必ず……」
私も皆も前回の痛みは未だに癒えておらず、それゆえに口に出す事はしませんでしたが心の中では今までにない予感が広がっていました。今度は本当だといいですね。