新緑に誓う
春の大会は毎年ゴールデンウィークに県営体育館で行われます。今までは出れば負けだった私たち宮床中バレー部も、今年はそれまでとはまったく違う心持ちで勇躍体育館へと乗り込んで行きました。
「さあ行くわよ皆。今年は今までと違うってところを見せようじゃないの!」
「ええ!」
体育館にはすでに赤青黄色とユニフォームの百花繚乱! その誰もが「この冬に鍛えた私たちの実力を発揮してやる」と言うはちきれんばかりの気迫をその全身から発散していました。今までならこの気迫に気圧されて、心は早くも敗北への道をひた走っていたでしょう。しかしもう一度言いますが今年は違います。なぜなら、私たちは辻原友里さんという強力な新入部員をチームに加えたのですから。
開会式の長い話もそこそこに聞き流し、一回戦で当たるのは県大会準優勝に輝いた実績のある五十嵐中でした。この実績からも分かるように県内においてもどちらかと言うと強いチームで、私が一年生の時に対戦しましたがこっちが合計で9点しか取れずに完敗してしまいました。その時私は試合に出られませんでしたが、えりのついたオレンジ色のユニフォームのまぶしさが印象的でした。
私たち宮床中バレー部のユニフォームは上半身が赤、下半身は黒。えりはなく、胸には黒い文字でゼッケンナンバーが書かれています。割とシャープなデザインで個人的には結構気に入ってます。さて、私たちのポジションは以下の通りです。
BR 6 柳
FR 1 天沼
FC 2 園山
FL 7 辻原
BL 4 斉藤
BC 3 三上
「さあ試合開始よ! しまっていきましょう!」
「おう!」
「柳さん、しっかり頼むわよ!」
「もちろん! サーブでミスったら私の存在意義がなくなりますから!」
サーブ権は私たち宮床中が得ました。よって、バックライトのポジションにいる柳さんのサーブから試合は始まります。柳さんはボールを叩くと言うよりも押し出すように打つ事によって不規則な変化を生み出すサーブが得意です。本人の言葉を借りると「普通に打とうとしても届かないから。こうやらないと駄目」との事ですが、そのお陰でレギュラーを掴んでいるようなものですから立派な武器です。
試合開始の笛が審判によって吹き鳴らされると、「ええーい!」という柳さんの掛け声とともにサーブが放たれました。あまり威力のないボールは相手コートにふらふらと侵入すると、オレンジ色のユニフォームから突き出た両腕がいざ己を受け止めんとする瞬間にぷいと方向を変えて、そのまま地面に落下しました。
「やった!」
「ナイスサーブよ柳さん! その調子で行きましょう!」
「はいキャプテン! さあ、どんどん行きますよ!」
幸先のいいスタートを切った試合ですが、柳さん伝家の宝刀である無回転サーブは根本的に威力がないのが泣き所で、相手も数回受けるとある程度慣れてくるようです。今日の試合でも五十嵐中の皆さんは三回ほどで対応してきました。今までならここであっさり失点していたでしょう。しかし今の私たちには辻原さんがいるのです。
「園山さん、辻原さん、ブロックよ!」
「はいよー!」
「ええいっ!」
五十嵐中のスパイクは辻原さんの高いジャンプから繰り出された完璧なブロックに阻まれ、逆に私たちの得点となりました。相手は「宮床中のくせに何でこんなにうまい選手がいるの!?」と戸惑っているようでした。結局、柳さんがサーブのコントロールを誤ってネットにぶつけるまでに六点も積み重ねる事が出来ました。こんなにリードしたのは初めての事でした。こうなるともうあらぬ期待をしないほうが嘘でした。
その後も辻原さんはレシーブ、スパイク、ブロック、サーブと獅子奮迅の活躍を見せました。とにかくその技量は相手を含めても圧倒的で、中学生の中に一人だけプロが混じっているようなものでした。まさに無人の野を行くが如きスピードで得点を積み重ね、ついに第一セットを25対14で奪ったのです。
「凄いわ辻原さん! あの五十嵐中学を完全に圧倒してるじゃない!」
「いやあ、うまいうまいとは思ってたけど本当にうまいなんてもんじゃないわね!」
セット間のベンチにて、私たちはもう有頂天でした。「このまま行けば勝利間違いなし! いや、もしかすると優勝だって出来るかも」という異様な熱気がある一箇所を除いて盛り上がっていました。
「ありがとうございます。でもそれは相手が警戒していなかったから。これからはそううまくいくとは思えません」
「またまた澄ましちゃってからに! あんたぐらいうまけりゃ相手だってどうしようもないって!」
「第二セットも頼むわよ辻原さん! これも奪ったら一回戦突破なんだから!」
ただ一人冷静だった辻原さんは相手のベンチを静かに眺めていました。そこにはいかにも真剣そうに何やら話し合っている五十嵐中の選手と監督がいました。その成果でしょう、第二セットは相手も辻原さん対策を練ってくるようになりました。具体的に言うとあからさまに避けられるようになったのです。
辻原さんは周辺半径5mぐらいに来たボールははまず確実にレシーブしてくれるという安定感があります。よって、例えば辻原さんが右にいれば左へ、左にいれば右へ、後ろにいれば前に、前にいれば後ろにと徹底的に辻原さんから遠いところへサーブやスパイクを放ってきたのです。
こんな安易な手法、逆にワンパターンと化して命取りになりそうなものでしたが、実際の得点を見ると効果覿面でした。なぜか。それは私たちがあまりにも下手だったからとしか言いようがありません。それはもう次に狙ってくるであろうコースは「辻原さんから一番遠い場所」とバレバレです。しかしそのどこに飛んでくるか見え透いたスパイクを辻原さん以外の選手はまともにレシーブさえできないのです。
「来たわよ! 柳さん、レシーブを!」
「駄目、遠い!」
相手のスパイクが私たちのコート内に次々と落下して、これで得点は5対16になりました。たまらず要求したタイムアウトでも心を落ち着かせるどころか「どうしよう」「このままじゃまずいのにどう対策を練ったら良いの」などと混乱状態を助長するだけでした。顧問の小西孝子先生はバレーの経験はほとんどない名前だけの監督なので、ここで作戦を授けるなどという展開は期待できません。私たちでどうにかするしかないのですが、悲しい事に私たちだけでどうにかできるほどバレーに習熟していないのです。
「とにかく、辻原さんに預けるのよ! 辻原さんならどんな相手にだって勝てるんだから!」
「そうね。それしか手はないわね。みんなミスをしないように頑張りましょう!」
「おう!」
三十秒は瞬く間に消え去り、私たちは再びコートに散らばりました。しかし、辻原さんに預けると言ってもそのためのレシーブやトスが出来るわけでもなし、つまり頑張るにしても頑張り方が分からないのです。五十嵐中が「この調子よ。とにかく相手の7番から遠くにボールを集めれば相手は自滅してくれるわ」などと監督を中心に盛り上がっているのとは対照的でした。
結局このセットは、辻原さんがレシーブしたボールを私がトスしてまた辻原さんがアタックという戦法で多少は巻き返しに成功しましたが、さすがに点差は開きすぎていたので19対25で落としました。勝負は次の第三セットで決まります。しかしこのような「ここぞ」の場面で盆暗ぶりを発揮したのはやっぱり私たちでした。
ここまで第一セットを取るなど格上の五十嵐中を相手にいい試合をしているので(とは言ってもその九割九分九厘が辻原さんの驚異的なパフォーマンスによるものですが)、私たちも下手なりに全力でプレーしており、疲れは普段以上にたまっていました。それに加えて、これも私たちが弱小ゆえの悲しい性ですが「もしかすると勝てるかも」みたいな色気も出てくるとそれが「ここでミスしたらどうしよう」というプレッシャーに繋がってしまうのです。
とにかく、運命の第三セットで私たちは一番酷いクオリティのプレーを披露してしまったようなのです。その内容たるや、本当に悲惨でした。どれくらい悲惨だったかと言うと、今となっては内容をまったく覚えていないほど悲惨でした。つまり、自己防衛本能が働いて具体的な内容は頭の中から消え去っているのです。それでも点差だけはしっかりと覚えていて、10対25でした。私たちがどうやって10点も取ったのかは知りませんが、おそらく辻原さんが頑張ったのでしょう。それ以外考えられません。
試合終了の挨拶は口だけはどうにか動かしたもののおそらく声は出ていなかったでしょう。視線はうつろに体育館中をさまよい、なぜか今更のように灯君を探していましたが、どれだけ探してもそこにはいませんでした。
「で、でもあの五十嵐中を相手にひとつセットを取れたんだから大躍進よ、ねえ!」
「そ、そうよ! 今回は相手が悪かったけど、次はきっと勝てるわよ!」
「それにしても、五十嵐中は今回もいいところまで行くんじゃないかしら。だからあんまりしょげちゃ駄目よキャプテン」
惨めなオーラを四方八方に撒き散らす私を見かねて、園山さんや三上さんが声をかけて励ましてくれました。しかしこの時の私にはその善意を酌む余裕はありませんでした。
「躍進も何も、全部辻原さんの力でしょう」
怨念さえもこもっていた私の低い声に園山さんたちは絶句しました。実際、今日の試合で一番傑出していたのは辻原さんでした。そんな辻原さんを擁していながら私たち宮床中が負けたのはなぜか。この問いに「それ以外の選手が駄目だから」以外の答えを求めるのは不可能でした。辻原さんと比べて力が劣っているどころか完全に足を引っ張っているのは客観的に見るまでもなく、コートの中でプレーする私たちが一番理解できていたのです。
「辻原さんは私たちには過ぎたプレーヤーだわ。実力もそうだけど、テクニックや知識は今すぐプロでもやっていけるほどよ。そんな辻原さんがいながら一回戦で負けるなんてよっぽどよ! 私たちにせめて足を引っ張らない程度の力さえあればこんな結果にはならなかったのに! 私は今それが悔しくてたまらないのよ!」
こうも感情的になったのはキャプテンに就任してから初めてでした。そもそも私がバレー部に入った理由ははなはだあいまいで、楽器には興味がなかったから吹奏楽部はパス、足はあまり速くなかったので陸上部もパス、テニスかバレーかとなりましたが、じゃあなぜテニスじゃなくてバレーなのかと問われると正直答えることは出来ない程度の由来でしかありません。だからそれなりにプレー出来ればいい、全国に行くような人たちとは違うと最初から決め付けていたのです。
そんな私でもキャプテンになれたのは、他の部員も大体そんなレベルのモチベーションしか持っていなかったからです。その中で一番人当たりが良くてキャプテンらしい性格の私に白羽の矢が立ったというだけの話。元々勝ちに行ってないのだから負けても仕方ない、その程度にしか思っていませんでした。
でも辻原さんは違います。彼女はバレーボールが好きで、だからもっと努力してうまくなりたいという明確な目標があって、それを達成できる才能も持っている人です。それが何の因果か、交わるはずのない線がクロスしてしまった。辻原さんほどのプレーヤーならばそれこそ私立の学校から三顧の礼で迎えられても不思議ではないはずです。それがなぜこんなしがない公立中学に来てしまったのか、私はこのどうにもならない運命をその時は恨みさえしました。
でも来てしまった以上はそれを認めるしかないのです。本当は私なんかより辻原さんにキャプテンをやってもらったほうがチームは強くなるでしょう。かりそめの、名義だけと言っていいキャプテン。しかしこうなってしまえばもう無責任ではいられません。
「私たちがもっと強くならなきゃ、辻原さんに申し訳ないじゃない……」
最後は力なくつぶやいていました。無意識のうちに私は泣いていたようで、その感情が音叉のように皆にも共鳴して、私たちはロッカールームへ至る暗い廊下でボロボロと涙をこぼしながら敗戦という名の傷にのた打ち回っていました。
「分かるわキャプテン。私だって悔しいもの」
「私もよ。今日は絶対勝てるって思ってたのに、あんなプレーしか出来ないなんて……」
「そもそも辻原さんだけに頼ろうとしたのが間違いだったのよ。バレーは六人でやるものなのに、すべてを一人に任せようとしたなんて、どうかしてたんだわ!」
「私ももっとうまくなりたいです! このまま負け犬のまま終われません!」
園山さんが、三上さんが、斉藤さんが、柳さんがそれぞれ声を上げました。負けの込んだ生き方を続けていれば感覚も鈍りますが、勝ちたいと思うようになったならば痛みを覚えます。こんな痛みはもうたくさんだと、何度も傷ついた末にようやく心の奥底に眠った激情が覚醒したのです。そしてそのきっかけとなったのは辻原さんの加入である事は間違いありませんでした。
私たちは互いに手をかざしあい、次こそは勝利のために戦う事、そのためにもっと練習して辻原さんに少しでも近づく事を誓い合いました。そこに涙はもうなくて、瞳には闘志だけが溢れていました。
「やあごめんごめん予定より遅れちゃったわ笙ちゃん! 今アップ終わったばかりですぐ来たけどもう試合やった? どうだった?」
すべてが終わり、体育館から外に出たところで同じ敷地内にあるグラウンドで開かれた大会に出場している灯君が今更登場しました。ちょっと遅かったようです。しかしあんな試合は見られなくて正解だったかも知れません。私たちバレー部はあの場所で死んだのですから。そう、私たちはこの敗戦によって一度死に、そして今、新たに生まれ変わったのです。
そう言えば、ちょっと関係ない話ですが私と灯君が付き合っているかのように勘違いしている人もいるようです。具体的に言うと園山さんと柳さんの事ですが、もう一度繰り返しますが私と灯君は幼馴染以外の何者でもありません。それなのに「あっ、あの人がキャプテンの」「しっ、私たちは引っ込んでないと失礼でしょ」とかいかがわしい物言いは止めなさい、と注意したくもなりましたが今はそんな時間ではないのでまずは灯君の質問に答えました。
「ふふっ、来てくれたのは嬉しいけどもう試合はないわ。負けたから」
この答えに対して灯君は「あっ、まずい事聞いちゃったかな」みたいに顔をしかめましたが、私の表情に悲壮感がみじんもないのを見ると、それにつられて表情をいつものものに戻してくれました。
「ああ、そう。まあ何と言ったらいいか、とりあえずお疲れ様でいいのかな?」
「ありがとう。でももうこんな日々は繰り返さないと誓うわ。今日と言う日のお陰で次は絶対に負けたくないって思えるようになったの」
「ふうん、何だか知らないけど負けたって言うのに雰囲気が今までと違う気がするな。何か吹っ切れたみたいだ。じゃあ俺はグラウンドに戻るから、何なら俺たちの試合も観に来る?」
「そうね。私たちはこれからダウンするから、それが終わったら行くわ」
「うん。じゃ、待ってるよ」
灯君は軽く右手を揺らしながら振り向き、そのままカンガルーのような軽快さでぴょんぴょんと走り去って行きました。私はその背中を見つめていましたが、完全に消えたところで首の向きを正反対の東へと切り替えると五月の若やいだ緑が山を覆っているのが目に飛び込んできました。夏まではまだ時間があります。私たちもあの緑のように強く輝きたいと改めて誓いました。