偶然が誘発した必然
藤尾さん率いる明王台を破った東霧島中の上別府さんが繰り出すプラズマサーブは私たち宮床中バレー部との対戦においても猛威を振るいました。三上さんを一時的にベンチに追いやったほどの威力はまさに驚異の一言で、このサーブに翻弄された事で第一セットは相手に奪われました。
第二セットは東霧島中のサーブから始まりますが上別府さんには当分回ってきません。だからこそ、今のうちに勝負をかけるべきなのです。上別府さん以外のサーブも確かに威力は十分ですが、プラズマサーブに比べると怪我する可能性が低いという点においては怖さはそれほどでもありません。そして攻撃は辻原さんを中心に斉藤さんと絡めた時間差攻撃や、園山さんも加えたクイック攻撃など私たちが溜め込んでいた技術のストックを一挙に放出しました。
「上別府さんがサーブに回ってくるまでにどれだけリードを広げられるか」
第二セットの私たちはこのような明確なテーマによって動いていました。そのためには例えばサーブミスだとかお見合いだとかのくだらないミスをしている暇はありません。多少の点差であれば上別府さんによってあっさり覆されるのは明白。だからこそ慢心や油断は一切断ち切るべく機会の様に得点を積み重ねようと努力しました。
そのお陰で上別府さんまでサーブが回る頃には14対6という差がついていました。しかしこの程度ではまだハンデと言うには遠い点差。出来れば回ってくるまでに勝負を決めたかったぐらいですから。そして私としても正念場になります。セット開始前、「上別府さんのサーブは私に任せて」などと大見得を切った手前、「やっぱり駄目でした」ではあまりにも情けないし仲間にも申し訳が立ちませんからね。
「上別府さんのサーブは私が受け止めるわ! さあ来なさい!」
私はネットの向こう側にも聞こえるような大声でこのように叫びました。この声が向こう側へきちんと届いた証拠として上別府さんは私を思いっきり睨んできました。「私のサーブを止めるだと! なんと生意気な!」とでも言わんばかりの大迫力で正直ちょっと怖かったのですが、もはや賽は投げられたのですから逃げられません。
「だあっ!!」
上別府さんがサーブを打ち込んだときの掛け声には怒りが含まれているようにさえ感じました! ああ、やはりサーブは私に向かって飛んできました。ここまでは狙い通りです。後は私が恐れを捨てて、ついでに力みも捨ててボールに立ち向かう以外に道はなし。練習でやるのと同じようにサーブカットのポーズを取りました。
「はあっ!」
狙いは当たりました。私の組み合わせた両腕はボールをしっかり捕捉すると、その威力を吸収しつくした上でポーンと高く浮かせる事に成功したのです。そう、上別府さんのプラズマサーブは私によって完全な形でレシーブされたのです。
「ええっ、本当にやったの? 凄いやキャプテン!」
「ボーっとしてないで柳さん、トスを!」
「ああっ、はい! 友里ちゃん、それっ!」
そんなに信じられなかったのでしょうか、口をぽかんと開けつつ視線だけボールを追っていた柳さんを私は一喝しました。すると柳さんは慌てて試合モードに切り替え、まあ悪くないトスを上げてくれました。そしてスパイクはもちろん辻原さん。率直に言って、彼女の技量からするとまったく平凡な一撃でしたが東霧島中もほとんど迎撃体勢を敷いていなかったのであっさりと得点が入りました。相手もまさかいきなり止められるとは思っていなかったのでしょう。
「ははっ、やった、やったわ! 本当に成功するなんて!」
私は笑いを抑えることが出来ませんでした。うまくいったという喜びもさる事ながら、「ここまではまるとは思わなかった」という驚きが私の冷静さを剥ぎ取るのに貢献したのです。一方でネットの向こう側は凍り付いていました。そして慌ててタイムアウトを要求しましたが、見たところ動揺のあまり取っただけでこれと言った対策もなく、混迷に拍車をかけるのみでした。
「いやあ御見それしました! 凄いじゃないキャプテン!」
「本当、どこでそんなテクニックを身につけたのさ?」
「普段の練習では手を抜いてたわけ? いやあなかなかの策士じゃない!」
私たちのベンチではやんややんやの大喝采! いやあ、バレーでこんなに賞賛を受けたのは初めてですから「まだ終わってないのよ。浮かれるには早いわ」とたしなめる声もついついにやついてしまいます。でも実際まだ終わっていませんからね。
そのうち私の異常な興奮状態も治まり、そうするとまた向こうのベンチにいる黒いユニフォームの精悍さが脅威に思えました。相手は強いのだから、まだまだ分からない。それでも油断すると不意に笑いがこみ上げてくるので「まだ油断してはいけない。最後まで勝ちきらないといけない。相手はここからでも逆転できる力がある」という自己暗示を何十回も唱えて身と心を引き締めました。
とは言うものの、切り札とも言えるプラズマサーブを完全に封じられた事ででショックを受けている相手とそれを成し遂げた事で勢いが増したこちら、もはや趨勢は明らかでした。結局第二セットは私たちがここから五連続得点を決めるなどしてあっさり勝負を決めました。上別府さんが意地を見せるスパイク連発などで「やっぱり怖い相手だ」と改めて印象付けましたが、いかんせん点差が離れすぎていたので焼け石に水。25対11という大差でした。
第三セットもやはり私たちの流れでした。特に動きが良かったのが辻原さん。まあこの人に関しては普段から自分以外の五人を合わせた以上の働きをしているのですが、それでも客観的に見て「今日の辻原さんは絶好調だな」と思えるほどに切れ味鋭いスパイクを連発していました。相手はブロックも高いしレシーバーも素早い動きをするのですが、辻原さんはそれ以上に高くて速い一撃を打ちまくるのです。
「こ、こんままじゃまずいけど、どうしょう?」
「もう一度、もう一度向こうのキャプテンにサーブを打ってみよ。あやマグレか、それとも実力か確かめねと」
私たちが得点を重ねるたびにネットの向こう側では焦りの色が濃くなっていくのが分かりました。そしてこの苦境を打開するにはプラズマサーブで私を破るしかないと上別府さんは考えているようです。彼女たちにとって私の存在はどれほど大きく、そして脅威になっているのでしょうか。私が鏡で私を見ても見えないものをネットの向こう側では感じ取っているようでした。
ただ私としても貫禄十分に「さあ来なさい。確実に打ち返して見せるわ」と言えるほど自信はないのです。内心ではまだ「あれはまぐれかも」って思ったりしますし。でも一度止められたのだから絶対止められないわけじゃないのは確か。自身と不安がないまぜになって、そして開き直るしかないのは分かっています。
得点は13対7と大きく差がついていますが、ここに至ってようやく上別府さんにサーブが回ってきました。運命の一瞬来たれり! それまでよりどすの利いた声で叩き出されたプラズマサーブは明確に私を狙っていました。
「来たわね。でもやれる、私はやれるわきっと。それっ!」
しっかり腰を落としてボールの前に両腕をかざすと、私の意図と寸分の狂いもなくボールは上空へと舞い上がりました。やはりあれは偶然ではなかったのです。最初の時と同じく柳さんのトスを経て最後は辻原さんがスパイクを叩き込みました。
一度ならずとも二度まで必殺のプラズマサーブを破られた東霧島中の皆さんはさすがに意気消沈していました。第三セットも私たちが25対10と大差をつけて奪い、準々決勝進出を決めました。
「見事じゃった天沼さん。あたいのサーブがああも決まらなかったんは初めてよ。一体どうやったんやいや?」
「ありがとう上別府さん。あなたのサーブはとても素晴らしかったわ。私がレシーブできたのも偶然みたいなものだったし」
「偶然なら二度は続きん。それもわいの実力じゃっどが」
「そう、かもね。まあ、私にだって分からない事だってあるわ。それよりいい試合をありがとうございました。またいつか会いましょう」
「おう」
結果的に私が上別府さんのプラズマサーブを受け止められたのが勝因と言っていいでしょう。しかしなぜ私が受け止められたのかというとこれは「実力があるから」とはまた別の理由があって、それが何かと考えると「やっぱり運が良かっただけだったんじゃないのかなあ」という結論になってしまわざるを得ないのです。
その前にまず状況を整理しておきましょう。まず明王台の藤尾さんは両手首を痛めて試合からの退場を余儀なくされました。私たちの柳さんはほとんどダメージなく即座に試合復帰、三上さんは多少ダメージがあってそのセットは出られなくなったものの試合中に復帰しました。
つまり、このサーブは受ける人がうまければうまいほどダメージが大きくなるのです。そこで私。私は前回指摘されたように、正直レシーブはあまりうまくありません。つまり、最初からレシーブに微妙なずれがあるので上別府さんが起こす揺れが逆にそのずれを是正してるのです。もちろんもっと下手だとずれどうこうの前にレシーブできないわけで、今より上手でも下手でも受けられないものがちょうどいい塩梅になっていた私だけがプラズマサーブを受けられたのです。
これは私の実力と言っていいのでしょうか。プラズマサーブを私が受け止めたのはこのような必然性あっての事でしたが、その必然性を生み出したのは偶然以外の何者でもありません。しかしそれゆえにこの勝負は私たちが制したのも厳然たる事実。勝負の綾とはまったくもってよく分からないものです。
さて、準々決勝の相手は案の定と言うべきか、富士二中に決まりました。昨年は全国大会で光国中を破って優勝した強豪。今大会でもここまでセットの一つたりとも落とさずに磐石な戦いを続けています。東海大会においては私たちも一度は負けました。いえ、負けるどころか実感としてはむしろ「戦ってすらいない」というのが正直なところです。
「それにしてもやっぱり富士二中ね。前の試合なんて上方大附属中を相手に第一セットが25対9で第二セット25対8のストレート勝ちって話よ」
「やっぱり強いところが勝つものね。他には光国中も勝ち上がってるし、ああ赤城中も勝ってる」
「その一角に私たちがいるなんて半年前の私たちに聞いても誰も信じなかったでしょうね」
興奮気味にまくし立てた柳さんの言葉を否定できる人はいませんでした。辻原さんがいなければ私は今頃どうしていたでしょうか。とりあえずは夏休みの戦いがこんなに長く続くはずもなく、もっと穏やかな日々を送っていただろうとは容易に想像がつきますが。まあ今となってはそんな平穏よりもめくるめくアドベンチャーを体験できた今の生き方のほうが私にとっては良かったと断言できます。だってそのほうが楽しいはずですから。
「本当にそうね柳さん。それにしても、思えば長かったわね。これも辻原さんのお陰だし感謝しなきゃね」
「感謝なんて。むしろ私こそ皆に感謝したいって思っていたんです。色々とわがままも聞いていただいたし」
「わがままなんて聞いた覚えはないわ。今まで私たちが全然なっていなかったものを更生してくれたようなものなんだから」
「そうよね。何となく部活やるよりがっつり練習して、試合でも勝てたほうが楽しいって気付けたのもここ最近の事なんだし」
「感謝してるのはキャプテンだけじゃないんだから。でもこれもそろそろ終わりなのよね」
大会の日程上、今日を乗り切ったとしても決勝戦は明日に設定されているので勝っても負けても明日がリミットなのは確定しています。逆に言うと本当はとっくに終わっていたはずのリミットを最大限まで引き伸ばすことに成功したのですが。しかも相手は富士二中。とりあえず今日本の中学バレー界において最強の名を冠してもいいチームに挑戦できるのですから本当に恵まれています。
どうせこの世にたった一つのチーム以外は負けて夏を終えるのです。だから私も負ける事は怖くありません。これから宮床中バレー部は辻原さんを中心に大きく発展していくでしょう。そういう意味で言うと、私たちは負けの込んだバレー部を知っている最後の世代となるかも知れません。歴史を変えた世代と言い換えることも出来ましょう。まったくもって光栄な話です。
辻原さんという素晴らしい才能はこの全国大会においても十分すぎるほどに見せる事が出来ました。すでに雑誌などでは「中学バレー界に新星登場」などという記事が出ていますし。「私たちなんかがチームメイトだと浮かばれない」という思いから頑張った部分もあるわけで、それで言うと私たちの世代は課されたミッションを十分すぎるほどに果たせたわけです。
相手は最強の富士二中ですが、心の中に不思議と恐れはありませんでした。それは彼女たちのシンボルである青と黄色のユニフォームを目の前にしても変わりませんでした。その存在を前にしてもなぜかどこか他人事のような気がしていました。
「よーし、これからトスとスパイクの確認をしましょう。トスは三上さん、スパイクは斉藤さんで行くわよ! それっ!」
「よっしゃ! それっ、斉藤さん!」
「えいっ!」
「よし、今の流れはいいわ! 次、柳さんと園山さん!」
試合前、コートに入ってのウォーミングアップをしている際に「そう言えば園山さん、三上さん、斉藤さんはどこの高校に進学するんだろう」などと不意に思いました。「試合までは秒読みだというのに何を今更そんな関係ない話を」と振り切りたかったのですが、どうにも脳裏にべったりと張り付いて離れませんでした。でも動き自体は思考ノイズに捕らわれずに案外スムーズなのが不思議です。新たな感覚が目覚めつつあるのかも知れません。
思えば辻原さんと柳さんは二年生ですし、私たち三年生にしても半年もすれば皆バラバラになってしまうのです。小学校の同級生は全員同じ中学に進学、転校生すら稀な社会で生きてきた私にとってそれまでの仲間がいなくなるという感覚はまったく未知の領域で想像すら出来ないのですが、その日は刻一刻と近づいているという世にも恐ろしい現実はそこに横たわっているのです。
そんなことを考えつつふと観客席を眺めると、なぜか灯君によく似た男がいました。しかもその男と来たら武智さんに馴れ馴れしく話しかけて、横の席にどっかりと腰をかけました。ちょっと遠いので私の耳をもってしても会話を探知できないのが悔しいのですが、どうやら本物の灯君が三重からこの東京くんだりまで来てしまったようです。一体何を考えているのでしょうか。
しかもなんかうちの近所のスーパーで買ったと見える白っぽいTシャツと膝に小さい穴が開いたジーンズ、大きな星が描かれたズックという極めて普段着っぽいだらしないファッションを何のてらいもなく東京に向けて晒しているのですから、とても目を合わせられません。この人に「アウェー感」みたいなものは存在しないのでしょうか。ああ、こっちを指差さないで手を振らないで! まだ試合前なのにもう死にそうです。
でもこの恥ずかしさが喉元を過ぎるとなぜかそれまでより集中できていました。強敵を前に笑みさえ浮かべられるほどの意味不明な余裕。これも灯君のお陰だとすれば、それなら後で感謝のメールでも打っておこうかな。まあそれもすべては試合の後で、今の敵は富士二中です。




