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デスティネーション

 東海大会において三位に入った私たち宮床中バレー部は、その日から来るべき全国大会までの十日間を猛練習に費やしました。なお、優勝は柚木さんを擁する富士二中で、準優勝は藤尾さんが率いる明王台でした。いずれも全国常連の強豪、そして三位には新参の私たち。まあその分お気楽な立場と言えない事もないのですが、やっぱり出場するからには早々と負けるのは嫌ですし、ここが中学生活最後の頑張りどころと考えて練習に精を出しました。


 思えば三年なんてあっという間だったように思えます。一年生の頃は試合にもほとんど出られずレシーブやトスの練習に明け暮れました。ようやく試合に出られるようになった二年生の頃は、しかし負けてばかりで、それに慣れきっていました。


「私たちは力がないから負けるのは当たり前」

「元々そんなに才能がなかったんだからあの人たちと違っても仕方ない」


 そんな「常識」が打ち破られたのが今、三年生になってからでした。美しい転校生、辻原さんのお陰で私は、そして私たちバレー部は生まれ変わったのです。「やるからには負けたくない」と頑張り続けた結果、気付いたら全国大会出場なんてまるで夢物語のようです。


 しかしここがもう私たち三年生にとっては終着駅である事はもはや確定しているのです。辻原さんがいなければ三重県だけで終わっていたし、東海大会も様々な要因があって突破できましたが、ここまでのどこかで敗退していても何の不思議もありませんでした。そう考えると私のこれまでのバレー生活は幸運に恵まれたものだったと言うしかありません。ああ、まるでもう終わったみたいな総括をかましていますが、少なくとも私の中学バレーはこの大会で終わるのです。だからこそ後悔しないようにすべてを出し尽くしたいと、今はただそう思っているのです。


 そして八月二十日。気付いたらもう夏休みもカウントダウンになってしまいましたが、この日から東京にて全国大会が開催されるのです。新幹線を使って東京に降り立つと、人が多すぎて気持ち悪いほどでした。横浜を越えて東京に入ってからの、都会の中をゆっくり走ってるあたりは凄くロマンがありましたが、まあエネルギーに満ち溢れた物騒な街という事なのでしょう。


 でもそんなのんきに観光をしている暇などなくて、今日は開会式があるので代々木に集合しました。テレビや本でしか見たことのなかった例の変な屋根の中に私たちがいるのです。それを実感するとぞくぞくしてくるほどですが、冷静に考えると中身は体育館ですし、変に意識し過ぎないように務めました。


 さて、抽選の結果、私たちが最初に対戦する相手は群馬県の赤城中に決まりました。この赤城中は片桐御園さんという雑誌でも特集が組まれるほどの実力派アタッカーを中心にしたチームだそうです。


 この情報を私たちに授けてくれたのは武智さんでした。武智さんは東海大会には来ませんでした。その理由について、私たちが東海大会の開催地である静岡県へ向かう前日に語ったところによると「俺の実家は関東のほうにあってな、今日から帰省する。しばらくは向こうにいるつもりだから、全国大会に出場してくれればまた会えるだろう」との事でした。


 つまり、武智さんは私たちが全国大会に行けると信じていたのです。県大会と同じですね。「もっと上を目指せ。お前たちはそれだけの力を既に備えている」と婉曲的に伝えてくれるパターンは。実際その通りに突破できたのですから武智さんの見立ては正しかったとしか言いようがありませんが。


 さて、私たちがその武智さんと再会したのは開会式が終わって体育館を出てすぐの道でした。県大会の時と同じキャップを被っていたのですぐに見分けがつきました。武智さんとしてもとっくに気付いていたはずなのに私が名前を呼ぶと大袈裟に腰をひねり、手のひらを目の上に乗せてきょろきょろと辺りを見回す仕草をしつつ「おお、君たちが来ているとは思わなかったよ!」とでも言わんばかりのわざとらしい驚いた表情を作りながら、でも笑いながらこちらへと歩いて来ました。


「おっ、どこかで見た顔だと思ったらお前たち、やっぱりここまで来たのか!」

「はい! これも武智さんのお陰です」

「まったく、天沼君はキャプテンだけあって相変わらず人を持ち上げるのがうまいな。しかし大事なのはこれからだ。単なる東京見物で終わるかバレーで爪痕を残すかのな!」

「もちろん! まあ浅草のアレとか見てみたいって気持ちは正直あるけどさ」


 自分に正直な園山さんの言葉に私は思わず口をすぼめて名前を呼びましたが、武智さんは「まあまあ、いいじゃないか」と私をなだめてきました。厳しさ一辺倒だった宮浦海岸では決して見せなかったタイプの声色でしたが、武智さんとしても帰省中だから心身ともにリラックスしていたのでしょう。服もサンダル履きで緩い感じですし。


 まあ本音を言うと私だって観光したいって気持ちはないでもないです。浅草名物と言えば例の口に出す事さえはばかられるいかがわしい形状のオブジェ、なんかじゃなくて雷門とか最近出来たタワーとか。でも決してそれはメインにはなりませんから。皆が皆、欲望に忠実だとまとまるものもまとまりませんし、誰かが頑張らないといけないのです。


 まあこんなもので話を戻しますが、馴染みある故郷に戻った事でゆるゆるモードな武智さんですが、しっかり全国大会に出場するチームのデータを取っていたあたり、やはりただ単にぬるぬると休んでいただけではないようです。前述の赤城中を初めとしたそのようなデータがぎっしり詰まったメモを武智さんから受け取り、今日は別れました。


「あら、あそこにいるの辻原さん?」

「本当! 友里ちゃんよあれ」


 武智さんを見送って私たちも宿舎へ戻ろうとしたら人ごみのどこかからこんな声が聞こえてきました。その方向を振り向くと上下ともに赤で揃えたユニフォームを纏った、いかにも強豪らしいどっしりとしたオーラを放った集団がこちらに向かって指を刺していました。左胸には小さく光国中と書かれています。


「愛甲キャプテン! お久しぶりです!」

「こっちこそ久しぶりね辻原さん。と言うか私は今はあなたのキャプテンじゃないでしょ。普通に愛甲さんでいいのよ」

「そうですか? じゃあ、愛甲さん、それに皆さんもお久しぶりです」


 私の記憶が正しければ光国中と言えば全国大会をここ十年で六度も制している中学バレー界における強豪中の強豪で、辻原さんは元々ここにいたはずです。その辻原さんがキャプテンと呼んだ愛甲さんはくりんくりんと真ん中から左右の外側に向けてカールしている前髪が印象的で、穏やかそうな垂れ目と、その印象をより強固にさせるゆったりとした喋り方は「強豪チームのキャプテン」という事実から思い描かれるイメージとは違っていました。身長も意外と控えめですし。


「それにしても、家庭の都合で転校した時は残念だったけどこんなに早くまた会えるなんてね。今は確か三重県だっけ?」

「はい。三重県の鈴鹿と津の間にあるって言ってもどの辺か見当つきます?」

「ああ、全然。三重県なんて行った事もないしその辺が北か南かも知らないわ。鈴鹿ってサーキットのあるところでしょう? 津は、名前しか知らないわ」


 まあ東京人に三重県の話なんて分かるはずもありませんものね。私だって東京の地理、例えば適当に思いついた名前を挙げると赤坂と青山と下北沢と池袋と原宿の位置関係とかさっぱりですし。でも東京はこんな感じで知った名前を次々と出せますが三重県は、どうでしょうね。


「ああ、でもここにいるって事はあなたもこの大会に出場するって訳なのね」

「ええ。東海大会では三位に入ってどうにか出場出来る事になったんです。今は宮床中ってところにいて、そしてこの人が私の今のキャプテン、天沼笙さんです」


 いきなり私の名前が振られたのでちょっと戸惑いつつも辻原さんの横に並びました。何となく「偉い人」みたいに見られているっぽい視線がこそばゆいです。


「ええ、何と申しましょうか。とにかくこの辻原さんのお陰で私たちはこんな所に来てしまったわけで、ええ、まあ対戦できればどうぞお手柔らかにお願いします」


 緊張状態の中で「とにかく何か言わないと」とだけ思いつつ、まとまりのない言葉を発しつつ右手を差し出しました。「こちらこそよろしく」と、辻原さんに対するものと同じ柔らかい口調とともにさっと握手を返してくれた愛甲さんはこのようなイベントに慣れているようでした。さすが東京の強豪、私のようなお上りさんとはレベルが違います。


「そう言えば、そっちは一回戦どことやるんだっけ?」

「はい。群馬県の赤城中です」


 辻原さんの口から発された「赤城中」という単語を耳にするや否や、愛甲さんのとろんとした垂れ目がにわかに緊張の度合いを高めました。普段は穏やかでもさすがは強豪を束ねるキャプテン、バレーの話となるとその本性が剥き出しとなるのでしょう。ただぼんやりしているだけではこんな地位には立てません。


「なるほど。なかなかに厄介な相手と当たるのね。あそこのエース、片桐さんはいいわよ」

「そうなんですか。ところで愛甲さん、その片桐さんとはどういった選手なんでしょうか?」


 流れからして明らかに辻原さんと愛甲さんの会話だったのですが、私の好奇心が点火したので会話の流れを破壊してまでも思わず尋ねずにはいられませんでした。愛甲さんはおっとりした垂れ目の奥にどっしりした鋭さを湛えた茶色い瞳でこちらを見ると、それでも変わらないゆったりとしたリズムで話してくれました。


「あら、天沼さんでしたっけ。うーん、身長はそっちの、あの一番大きい選手の右にいるショートボブの……」

「斉藤さんですか?」

「ええ、その人と同じくらいね。プレースタイルは、まあ基本的には何でも出来るけど、それ以上に闘争心の強さが特徴ね。まあ言っちゃうとワンマンチームなんだけど、その分だけ自分が自分がって意識が強いわ。それに野心も強くて全国大会ともなると相当気合入ってるでしょうね」


 気合という点に関しては、正直私たちは自信がありません。チームの根本として「一回戦負け当然」というメンタリティーがあるので、どれだけ「自分たちは力をつけた」と自覚しても心の奥底では「こんな所にいるのは場違いなのでは」「もう十分にいい夢を見た」という想いが無自覚のうちに溢れてしまうのです。


 本当なら「もっと勝ちたい! もっと上へ行きたい!」という欲望が目覚めてもいいのですが、そこまではっきりと強者のメンタルを会得しているのは私たちの中では辻原さんだけなのです。そんな事を考えているうちに、おそらく私の表情が曇ったのでしょう。それを察した愛甲さんは励ますような声で言葉を続けました。


「まあ要は、赤城中に勝つには片桐さんを止められるかどうかよ。そっちがどういうチームかは知らないけど、辻原さんがいるんだからきっと大丈夫だと思うわ。まあ、頑張ってね」

「はい! ありがとうございました」


 貴重な情報を惜しげもなく提供していただいた上に励ましの言葉さえかけてくださった愛甲さんは間違いなくいい人です。私は深々と頭を下げてお礼をしてから光国中の皆さんと別れると、今度こそ宿舎へと踵を返しました。


「あーっ、明日から本番なのね。ここまで来て一回戦敗退だと交通費ももったいないし、ちゃんとペイしないとね」

「ここの宿泊費もね。最大三泊だから、最後までお世話にならないとわざわざ東京まで東京まで来た甲斐がないわ」


 園山さんと三上さんは普段から仲が良くて今もこんな風にぺちゃぺちゃおしゃべりしてますが、その舞台は東海大会のような旅館ではなくホテルになりました。夕食も洋食で、前みたいに変な漬物とかああいう食べられないものが減ったのは個人的にはありがたい話でした。漬物は、はっきり言って嫌いです。梅干しは当然論外として、カレーに乗っかってる赤い奴とかたくあんのせいでご飯がその色に染まっているとその部分は残しますし、ハンバーガーもピクルスを抜かないと食べられません。


 それは私がまだ子供だからなのでしょうか。でも大人になっても食べられるようになる気がしません。同様にからしやわさびも本当に駄目で、「この味が分からないと大人じゃない」と言うのなら一生大人になんてなりたくない! とか相当に青臭い主張を口には出さないものの密かに抱いています。なんて子供じみた反抗心でしょう。でもどうしようもないものはどうしようもないんです。分かってとは言いませんが、そこで嘘はつきたくありませんからって前も言った気がしますが。


 まあそんな事はどうでもいいとして、明日の赤城中対策は結局辻原さんに頑張ってもらうしかないのでしょう。しかし春より夏、夏の中でも県予選より東海大会、そして東海大会より全国大会と、私たち辻原さん以外の部員は練習を積み重ねたお陰で大幅な進境を示しています。東海大会までは出来なかった事も今ではやれるという部分も持っているのです。最後は辻原さんでも、辻原さん「だけ」のチームではなくなったと自負しています。


 もっとも「それで大丈夫」と胸を張って言えるわけでは決してありませんが。練習の中で出来ても本番で成功させなければそれはいわばガラスケースに並んだ飾りでしかありませんから。柔らかいベッドで一人、黒い天井を見上げても答えは浮かんできません。結局本番を迎えてベストを尽くした結果でしかそれは得られないのです。


「もう今から出来る事なんてないし、余計な事は考えないでいよう」


 今の時点で私が出せる「答え」はこれが精一杯でした。しかしそれで十分だと自分で自分を納得できました。明日になればおのずと得られるもの、あえてフライングゲットに走る意味はありません。負けるのが運命ならそれでもいいんです。どうせ元々勝ち残れるはずのなかった私たち、ただがむしゃらに体当たりで生きようと結論が出たところで、私にしては異様にすんなりと眠りに落ちていきました。

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