2話 白銀の少女
――――少女は暗い鬱蒼とした森の中を走っていた。
走っている少女の年齢は7、8才といったところだろう。
髪は腰まで届く長く艶やかな輝きを放つ白銀の髪。
瞳は神秘的な鮮やかな金色。
肌は陶磁器のような白くなめらかで。
顔は幼いながらも、女神でさえも嫉妬させるであろう美しさ。
服は少女の姿容を引き立たせるような白のワンピース。
もしもしらずに森のなかで出会ったならば現世に降り立った妖精か女神と勘違いしたであろう。
それほどまでに美しい少女であった。
だが、
表情はその少女に似合わない悲しみと恐怖に彩られていた。
少女はしきりに首を後ろにむけて確認する。
そのたびに一定の距離を保ち続け追跡してくる追跡者の姿がはっきりと映る。
追跡者は目元以外を完全に黒い服装で身を包んでいた。
性別はわからないが身体の大きさからして男であると推測する。
そして手には分厚い黒い刃の短刀が握られていた。
その黒衣の男は少女の命を狙う暗殺者であった。
(…………どうして……)
少女は心の中で呟く。
(……どうして、みんなわたしにひどいことをするの……?)
少女はひとりぼっちだった。
両親が死んでから誰も少女に味方するものもいなく。
両親が亡くなったあと始めてあった親戚たちは少女に笑顔で接して語りかけてきたが、どれも作り物の笑顔と言葉の端々から隠しきれない敵意が幼いながらも感じ取れた。
使用人たちでさえ仕事をする以外では少女に積極的に関わってこようとはしなかった。
そして最終的に追いやられた場所は森のなかにポツンとある大きな屋敷であり少女が住むには広すぎる場所であった。
屋敷に住むようになっておもったことはただ静かに暮らしたいという年頃に似合わない切実な願いであった。
だが少女の願いは叶わなかった。
今の状況が雄弁に物語っている。
少女は自分の命が狙われるような身分の存在であることは幼いながらも理解していた。
暗殺、誘拐などいつされてもおかしくない存在なのである。
だが少女に護衛など自分を守ってくれるような存在がいないことはわかっていた。
少女の命などどうでもいいのかのような扱いである。
たよれるのは自分だけ。
だから少女は生き延びるためにただ懸命に自分の足を動かす。
だが逃げ回っている少女の命はまさに風前の灯であった。
相手は殺しのプロであり大人と子供ではそもそもあらゆる点で子供が数段劣る。
まだ少女の命が残っているのはただの暗殺者の気まぐれである。
その証拠にさきほどから一定の距離をおいてピッタリと追跡してくる。
……考えたくはないが少女の怯える姿を眺めるためにこんなことをしてるのではというのが脳裏によぎる。
暗殺者は完全に油断しているがどうにもならない。
幼い少女には逃げるという選択肢しかなかった。
反撃などもできるはずもなくひたすら命を永らえるために走り続けるしかないのである。
まさに少女の生殺与奪の権利はまさに暗殺者が握っている状態であった。
息が切れながらも茂みをかきわけて進み、茂みが抜けたさきは視界一面に広がる湖であった。
湖面には満月が写りこみ月光がキラキラと反射して幻想的な雰囲気を演出していた。
もし追われてもしなければずっと眺めていたいほどの美しい光景であった。
ガサガサッ
後ろから聞こえてくる茂みをかきわける音にハッと我に返りまたとっさに足が動いた。
だが少女の体力の限界はとっくとうにむかえており湖のほうに少し進んだところで足がもつれ転んでしまった。
とつぜんの痛みに涙が目からジワっとにじみ出てきた。
だが倒れたまま少女は顔だけ後ろにむけるとにじむ視界のなか悠然とこちらに歩いてくる暗殺者の姿があった。
体は重くもう動けそうにもない。
もう少女が逃げれないとわかってトドメをさしに来たのだろう。
「――たすけて」
少女は呟いた。
暗殺者に命ごいするためにいったわけではない。
ただ誰でもいいから助けて守って欲しかった。
こんな理不尽な暴力からいますぐ助けて欲しかったのだ。
だけど少女はこの言葉が実現しないとわかっていた。
それは森のなかに人が誰もいないというのもあるが、よしんば声が聞こえたとしても見ず知らずの少女のために命をかける者がいないとわかっていたからである。
それでも、
「誰か――――助けて……!」
道中、心のなかで紡いだ言葉が口からこぼれでてくる。
むかし生前母が読み聞かせてくれた絵本のなかにでてくる。勇者、英雄、騎士などのような存在が都合よく来てくれることはないと幼いながらも幻想だとわかっている。
だけど。
それでも頭でわかっていても願わずにはいられない。
自分の命を救ってくれるような存在がきてくれることに。
「だれかわたしをたすけて!」
その瞬間、暗殺者の歩みがピタッととまった。少女の叫びに圧倒されたわけでもなく、また心がわりしたわけでもない。
暗殺者はなぜか警戒しながらあたりを見回していた。
そして自分の頭上を見たときにあわててそこから後ろに飛び退いた。
その瞬間、
ズドンッッ! と突如その場所に空から高速で飛来してきた少年が地響きをたて着地した。
いきなり落ちてきた少年に混乱する。
「……え?」
その少年は悠然と立ち上がり背をむけたままこちらに信じられないことを語りかけてきた。
「助けにきたよ」
聞き間違いかとおもった。
それは少女がもっとも聞きたかった言葉。
呆然として言葉を返すことはできなかった。
すると少女から返事がないことに心配をしたのかこちらに振り向いてきた。
そこで初めて少年の顔をみた。
歳はたぶん17か16で、鋭い目つきをした凛々しい顔をしていた。
服装はみたことのないような黒い服。
そして少年が振るえる少女を目でとらえると顔の表情を緩めこちらに大丈夫だよ、もう心配ないんだよと、こちらを安心させるように作り物じゃない本物の笑顔を浮かべ。さきほどの言葉をこちらにむけてはっきりと告げる。
「――――君を助けにきたんだ」
――果たして。
――少女の願いは叶えられた。
――その者は勇者、英雄、騎士と呼ばれる者ではなく。
――少女を救うために現われたのは。
――――『正義の味方』と呼ばれる少年であった。