4話 報告
「それじゃあ、あらためてようこそ――――ノルン精霊学院へ」
アリスィアは執務机に座りながら悠然と告げてくる。
さきほどまで『お腹があついよー』と机につっぷしていたと同一人物とは思えないほどの貫禄があった。
幼い少女という外見からは想像できない風格や雰囲気がにじみ出ているのがわかる。
……まあ、外見どうりの年齢じゃないんだろうけどね。
前に一度、質問したことがあったがのらりくらりと受け流されてしまった。
再度問いかけたとき、今度は完全なる作り物の笑顔を貼り付けて無言のプレッシャーを放ち言外に『年齢にふれるな』というのがヒシヒシと伝わってきたのでそのときは閉口したのだ。
「どうもよろしくお願いします」
思考を打ち切り、深くお辞儀をする。
「くすくす。大袈裟だなー。別にそんな感謝しなくてもいいのに」
そんな信道をみたアリスィアは可笑しそうに笑った。
「はじめに会ったときにいったじゃないか。ボクはキミの行く末がただ視たいだけなのさ。いわばこれはギブアンドテイクなんだからね」
「そうですけど。いちおうお世話になる身ですから、……礼儀の問題ですよ」
「かたくるしいなー、もー」
一般論を口にしたがアリスィアは唇をとがらせ、応接用のソファーにもたれながら不満そうに呟き。むくれる。
「それに、アリスィアさんっていう他人行儀な呼びかたもやめて、こうもっとフレンドリーな感じで、……ね」
「フレンドリーって……。じゃあ、たとえばどんな風な?」
「うーん。…………あっ! いいのを思いついたよ!」
「どんな?」
「義母さん」
「………………は?」
自信満々に言い放ったビックリワードにポカンと口が開く。
聞き間違いかと我が耳を疑う。
そのためもう一度確認する。
「……冗談ですよね?」
「え、ジョークとかじゃないよ?」
子供っぽく小首をかしげ、当然のことのように返された。
そのキョトンとしぐさが演技でないとすると……本気でよい案だと思ったようだ。
「でも、ボクが考えた呼び名はあながち間違ってないよね? いちおうキミの保護者なんだからさ」
「それは…………。そうだけども」
たしかに保護者という点は間違ってない。
くわしいことを省くが、目の前に座る童女(年齢不詳)はいちおう自分の保護者と扱われている。
どちらかというと僕のほうが保護者のようにみえるが、現実は違う。
書類上で信道は彼女の義息として扱われてる。
いろいろな面倒事がこうすることで綺麗サッパリと解決すると聞かされたがどういう意味かは見当もつかない。
「……保護者は、保護者だけど、義母さんと呼ぶ必然性はまったくないですよ、アリスィアさん」
「えー? 別にいいじゃんなにかが減るわけでもないんだしさ」
「いや減ります。精神的な耐久値がガリガリと削られていきます」
「そんなこと気にしない、気にしない☆」
「いや、気にしますから」
「ほら遠慮しないでさっ」
「謹んで遠慮します」
やんわりと、そして断固として拒絶する僕。
対して、笑顔で無邪気さをよそおいながら迫るアリスィア。
いったい何が彼女を駆り立てるのかが甚だ疑問だが、こちらも徹底抗戦の構えをとる。
子供同士がやりとりするような言葉の応酬がしばらく続く。
しばらくすると「いやです」「ほら呼んで」という無限ループ状態にまで発展した。
……途中で冷静になってみるとなんでこんなムキになってるんだろう? と、内心で首を傾げる。
「アリスィア様、信道様。いい加減よろしいでしょうか?」
慇懃で静かな言葉が傍らから響いてきた。
この不毛な争いに終止符を打ったのはいままで、部屋の隅に影のようにとけ込み控えていたヘルが静止を促してきたのだ。
「ヘル。邪魔し――」
「――アリスィア様?」
「……。いやなんでもないよ。うん」
「そうで御座いますか」
抗議の声を上げようとしたアリスィアだったが、ヘルの言葉に秘められた絶対零度の怒気を感じたのか言葉を飲み込んだ。
さきほど打って変わって、悄然となり。
まるで借りてきたネコのように大人しくなった。
しかも、見間違えでなければプルプルと震えている。
……おそらく給仕室らしき扉をヘルが一瞥したのを見て、トラウマが刺激されたのだろう。
あの劇物ドリンクを思い出すと背筋に悪寒が走った。
飲んでない自分でこれなのだ。
無理やり飲まされた彼女の恐怖は計り知れない。
「信道様もわかりましたでしょうか?」
「すみませんでした」
「わかればよろしいです」
冷たい眼差しを向けられたのでおとなしく謝る。
その視線には、『あなたも同罪ですよ』という意味が込められているのがわかったからであるためだ。
謝罪したのは、僕もムキになったところを自覚していたのもあるが、目の前で震えるアリスィアを見たからでもある。
下手すると僕も劇物ドリンクを飲まされるかもと危惧したからだ。
……この部屋のヒエラルキーの頂点は男装執事であることを心に深く刻み込んだのは言うまでのことはでない。
「はい。アリスさん、これです」
懐から四角い板切れのような物を彼女に手渡す。
手渡された物を受け取ったあと、手馴れた動作でソレを起動させる。
ちなみに、あの後せめて愛称で呼んでくれと頼まれたのでいちよう承諾した。
「うんうん☆ やっぱりこれは面白いなー」
嬉々とした表情を浮べ、まるで新しいおもちゃを貰った子供のような反応をするアリスィア。
「……って。なに遊んでるんですか」
彼女が別の作業をしていることに気が付いた僕は夢中に操作をしているアリスィアからソレを取り上げた。
「あーっ! なんで取るのさ」
非難の眼差しに意に介さず、ソレを確認する。
そこにはゲームアプリが起動されたスマートフォン
僕には馴染み深いタブレット端末。
だが。
「それにしても携帯型でそこまで高性能の高い機械なんて、帝国でも……。いや世界中探しても存在しないんじゃないかな?」
そのとおり。
コレはこの世界に存在しないもの。
なぜなら――――
「――さすがは異世界とも言うべきかな? この科学技術は帝国の技術水準よりも先を行っているよ。ハハハッ、もし帝国がこんな物を所持しているのがバレたら殺してでも奪おうとする一品だね」
あっけらかんとした口調で彼女は呟く。
……後半、物騒なことをサラリと口にした気がするが、精神衛生上あまりよろしくないので深く考えることをやめた。
「はい。どうぞ。……今度は勝手に弄らないでくださいよ?」
画面を何度か指でタッチし素早く操作する。
そしてある動画ファイルを選択して彼女にまた差し出した。
「ハイハイ。わかってるよ」
渡しながら注意を述べたが返事はなんとも軽薄である。
本当にわかってるのか、非常に疑問があったが端末を受け取ったあと画面に表示されている『再生』ボタンをタッチした。
「――――――――――――――――」
かすかな音声が流れるを確認し問題なく再生されたのがわかった。
すると。
先ほどとは打って変わって静かに画面を覗き込み。
別人かと思うほど雰囲気も一変させ。
彼女には珍しく、瞳に真剣さが満ちている。
「――うん。オーケー、問題ないよ。ご苦労様」
一分程度の動画であったため再生はすぐに終わった。
先ほどまでの雰囲気を霧散させると、またいつもの小悪魔めいた笑みを浮べこちらに浮かべてきた。
そのいつもと変わらない表情を見て、無意識に緊張していた身体から力を抜く。
「そうですか。動画のほうは問題なかったですか?」
高性能であるが、撮影した信道自身がうまく撮れたかどうか解らず、少しだけ心配していたのだ。
「問題ないよ。それにコレは念のために確認しただけだから」
アルスィアからスマフォを受け取り懐にしまう。
◆
報告をおえた後、不意にアリスィアは口を開いた。
「……そういえば。なんで遅れたの?」
「それは、すみません……」
「いや。別に責めてるワケじゃないよ? ただなんで一週間も帰って来るのが遅れたのかなー……って。いま頭に浮んだからさ」
こともなげに呟きながら。傍らに控えていたヘルに紅茶のおかわりをもらい、熱いのかティーカップに息をふーふーっと、吹きかけ冷ましていた。
アリスィアの言葉は事実だ。
約一ヶ月前に信道はアリスィアから依頼をされた。
その時、学院はちょうど春期休校であり、休みが明けるまでにまだ二週間ほど時間があったのでヒマをもてあましていたのだ。
内容も単純、往復しても一週間ほどの時間で済むものである。
日数にも余裕があったので帰路の途中に色々見て回ると良いよ、とアリスィアに言われ旅に必要な道具や資金を用意してもらい出発したのだ。
そしてつつがなく依頼を完遂。
そのまま一直線に戻れば余裕を持って帰れたのである。
なのに、なぜギリギリどころか一週間もオーバーしたのか?
それにはちゃんとした理由がある。
だが、
「…………………………」
「どうしたの? なんか理由があるんでしょ?」
「……いえ、……それは、まあ」
「むう、ほらハキハキしゃべりなよ」
「ちょっと『人助け』をしてたんです……」
信道は歯切れ悪い言葉とともに視線をアリスィアからそらした。
「ふーん。『人助け』か、キミらしい行動だね。……で、なんで顔をそらすのさ?」
その露骨な態度を確認したアリスィアは小首をかしげながらテーブルに身を乗りだして訊いて来る。
あどけない笑顔を浮かべてはいるが瞳からは好奇心の色が見え隠れしている。
新しいオモチャを見つけたような、期待のこもった視線がヒシヒシと伝わってきた。
別に悪いことをしてないと胸を張って断言できるが、すこし事情があるため報告してもいいのかと迷っているのだ。
ジリジリと迫ってくるアリスィアを視界のスミに捕らえながら逡巡していると、
「――アリスィア様。少々私に心あたりがあります」
「うん? なんだいヘル。……なにか知っているのかい?」
怪訝そうにアリスィアは背後に控えるヘルに振り返った。
「はい。じつは噂話――というより郊外などで起きた事件ともいうべきものです。……それがおそらく信道様が行った『人助け』だとおもわれます」
「ふーん。事件とは穏やかじゃないね?」
「ええ。商人など達が道中でその事件を聞いたことを取引先などや記者に話をしたらしく。……数日前の伝聞紙にも掲載されたものです」
「へー。伝聞紙に載るほどのネタか……、それは興味深いね」
ヘルの言葉に感心したようにあいづちを打ちながら先をうながす。
伝聞紙というのは地域内のちょっとした事件から国内外の政治の動向など幅広く紙にまとめ出版社が発行したものである。
手頃な価格ということもあり民間に広く普及しているものであり。人々のなかでは貴重な情報源として認識されている代物だ。
元いた世界で新聞にあたるものと認識している。
その紙に記載されている内容は膨大な情報から選び抜かれておりそこに載るということはすなわちとてもインパクトのある内容か重要なことであることがわかる。
「……で。その事件にシンがなんで関係してると思ったの? きっと当事者なんだから名前でも載っていたのかな?」
「いいえ、信道様と判断できそうな情報はなに一つ記載されておりません」
「? おかしなコトを言うねヘル。シンのコトがなにも書かれてないんならその事件になんで関係していると思ったの? きっとなにか根拠があって話をしているかとボクは予想してたんだけど」
もっともなことを口にする。
「根拠があっての発言ですので予想は当たっています。詳しい事はこれからご説明いたします。……では少々失礼」
その言葉とともにどこからとりだしたか不明だが四角く折りたたまれた紙の束をテーブルの上に広げてめくりはじめる。
紙には端から端までビッシリと文字が埋め尽くされていた。
それを見たアリスィアと信道はこれが例の伝聞紙だと理解する。
「……ありました。このページです」
目的のページはほどなくして探しあてた。
件の事件が書いているとところらしきところをヘルは指でさし示す。
その一面には数種類の事件が記載されていた。
「なるほどなるほどそういうことか」
その内容を目に通したアリスィアは納得したようにうなずき。
信道が関わっていることが確かだと確信した。
理由な三つ。
一つは起きた事件の日にち。それが信道が遅れた日にちと符号したこと。
二つ。それぞれに信道が関係する共通点があること。
そして。
最後の三つめは――――。
「……………………」
一緒にのぞきこんだ信道が心あたりがありすぎるのか文章に目を走らせたあと無言になっている。
その様子を見ただけでこの事件は信道自身が関わったことを雄弁に物語っている。
「でもわかったよ。キミが言いたくなかった理由がね」
アリスィアは笑いながら一つの事件に指を走らせながら。
「たしかにコレは大事だね……。言いずらそうにしてたのは出発まえにトラブルを起こさないように、っていう忠告を破っちゃたからなんだね?」
「……そうです。でも後悔はしてません。見捨ておけませんでしたから」
「いやいや別に責めてるワケじゃないからソコは誤解しないで欲しい。悪事に加担してるワケでもないんだしね」
アリスィアは目を楽しげに細めながら続ける。
「ボクが感心してるのは見かけによらず、結構ハデなコトをしでかすんだなとおもったからさ」
「見かげによらずって……。少しひどいですよ」
憮然とした表情で返事をする信道。
「でも、あのときはその方法が一番だと信じてます」
だが一転して毅然とした表情に変わる。
その変化にヘルは僅からながら驚きの色を見せる。アリスィアはわかっているといわんばかりに変化はない。
「『正義の味方』ね、……。ボクらにはなじみない言葉だけど、確かにその言葉はキミに合ってるかもしれない」
「いちおう褒め言葉として受けとっておきますよ」
「褒め言葉さ、キミの行動は賞賛に値するよ」
その言葉を告げたあと、おもむろにニヤリと小悪魔めいた笑みを浮かべ。
「お姫様にご執心なのはやはり『正義の味方』としてかい?」
「確かに『正義の味方』としても思う所はありますが、違います」
「へえ?」
「僕自身が彼女を守りたい――――ただそれだけの理由です」
優しげな表情を浮かべながらも静かにそして力強い言葉であった。
「ハハハハッ! 彼女は本当にいいナイト様に巡りあえたようだね」
「ちゃかさないでくださいよ」
笑い声をあげるアリスィアに少し恥ずかしそうな信道が抗議する。
ひとしきり笑ったアリスィアは「ゴメンゴメン」と軽いノリで謝罪してきた。
「なに。少し懐かしい気分になっただけさ」
だが一転して大人びた――親が子に向けるような視線を向けてくる。
「守ると言葉をクチにしたんだ。――――それならその思いを貫きとおしなよ? 後悔が残るようなことだけはするな」
その意思のこもった言葉に信道は驚いたが一瞬後には言葉を返していた。
「わかってます。僕も、もう後悔はしたくない」
続けて言葉を紡ぐ。
「『正義の味方』として、そして僕自身の意思で彼女の味方とあり続ける」
一呼吸置き。
「それが彼女との――――『約束』ですから」
力強く言い切った。