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一日の始まり

 

 朝の七時。東の空から顔をだした太陽のあたたかな光りをうけ、赤や黄色に塗られた外壁や、街の真ん中に流れるアルモ川がその水面をきらきらと輝かせている。

 ここベネディーレの街はアルモ川を中心に、そこからいくつにも枝分かれした小さな運河が張り巡らされた水の都である。バルケッタとよばれる小舟を列車や車代わりに利用して、人々は毎日を過ごしている。水の都なだけあって昔からこの街は、水は神様からの贈り物、命をあたえてくれるもの、として水を大切にしてきている。

 気候は一年を通して温暖で、六月の終わりぐらいから気温が上昇し夏がはじまる。

 建物はテラコッタに白を混ぜたような暖色系の色を中心としたものが多く、四角くそれでいて窓周りや外構にはアーチ状の曲線が用いられた造りのものが多い。

 全体としても古く歴史を感じさせる趣のある街であり、観光地としてもよく人々が訪れる街であった。



「今日もいい天気だ。絶好の絵描き日和だな」


 街を東西南北に分けた一つ、東に位置するエスト地区の小さな運河に面した住宅地の一角に、一人の男が立っていた。ここはベネディーレの街のなかでも特に住宅が多く密集した静かな場所で、それは文字どおり細長いブロックの様な家と家が密着したものである。

 その中のひとつは最近まで空き家であった。けれど数日前からそこに一人の男が越してきたのである。男の名前はセレーノ・コルディアーレといって、売れない絵描きであった。


「リエッラ、セレーノ。今日も絵を描きに行くの?」


 隣家の二階の窓からふくよかな初老の女性が笑顔でセレーノに話しかけた。


「リエッラ、アローネ。まだ荷物が片付いていないんだ。昼までには片付けて、それから絵を描きに出かけるつもりだよ」

「そう。それは忙しい日になりそうね。朝ご飯はもう食べたの? まだなら一緒にどうかしら」


 いいね、と笑顔でセレーノは答えたが、でも、と少し申し訳なさそうに頬を掻いた。


「朝食は毎日このベンチでとるって決めたんだ。ここからの眺めが好きなもんでね」


 その応えにアローネはクスリと笑い、それはよかった、と言った。


「この街を気に入ってくれたみたいで嬉しいわ。ただ外で食べるのはけっこうですけど、その伸びたヒゲを剃ってからの方がいいわよ、セレーノ。みっともないわ」


 セレーノは照れたように顎をさすり、慌てて洗面台に向かっていった。


 ヒゲを剃ってさっぱりしたセレーノは、トマトとモッツァレラにハムとレタスをはさんで簡単につくったパニーニと、炭酸水のはいったボトルを持ってベンチに腰を降ろした。

 このベンチはセレーノの家の前にだけ設置されていて、この地に長く住んでいるアローネでさえ何故そこにだけあるのか分からないという。

 けれどセレーノにとってベンチがあることはとても都合の良いことだった。なぜなら、ここからなら毎朝目の前に広がる運河をバルケッタにのって仕事に向かう人々を観察することができるし、通りを歩く人なんかが「リエッラ」と陽気にセレーノに挨拶をしてくれるからだ。

 そもそもセレーノがこの街に住むと決めた理由は、この街の人々の陽気さや船を利用して生活しているという、ちょっと変わった部分に魅力を感じたからである。

 手を振る人たちに笑顔で振り返していると、「リエッラ」とこの街ではめずらしく物静かな声で挨拶をされた。声のする方へ振り向けば、そこには自転車の籠いっぱいに手紙をつめた郵便配達員が立っていた。


「めずらしいな。この街には女性の郵便屋さんがいるんだね」


 笑顔で目の前の女性に話しかけたのだが、相手は無表情のままセレーノの言葉を無視して、手に持っていた手紙をつきだした。


「セレーノ・コルディアーレさんですね。あなたに手紙が届いています」

「え!俺にかい!?もしかしてメーラからかい」


 慌てて手紙を受け取り宛名を確認すると、セレーノはがっくりと肩を落とした。


「なんだ。お袋からか……」


 そんな様子を横目に、郵便配達員は自転車に跨がりその場を立ち去ろうとしたのだが、それをセレーノが呼び止める。


「待ってくれよ。どうだい、少し話しでもしないか?」


 郵便配達員は怪しむような目でセレーノを見ると、抑揚のない声で言った。


「あなたにはわたしが暇人に見えるのですか?あいにくわたしは多忙ですので、これで失礼します」

「ああ、ごめん。そんな風には思ってないよ。ただちょっとめずらしいなと思っただけだよ。この街には君みたいな女性の郵便屋さんは多いのかい?」


 そう言いながら少し移動して、彼女が座れるようにベンチを空けた。仕方がないな、としぶしぶ郵便配達員はそこに腰を降ろし、セレーノの質問に答える。


「いいえ。女性の職員はごくわずかで、ほとんどが男性ですよ」

「へえ。じゃあ、数少ない女性職員に会えた俺は運が良いってことだね。ところで、仕事をするにはまだちょっと時間が早いんじゃないかい?それともこの街の郵便屋さんはみんな早起きで仕事熱心なのかな」


 いいえ、と彼女は首を振る。


「仕事熱心なのはこの街の人みんなですし、早起きかどうかはその人の職によります。わたしの時間が早いのは、たんにわたしが勝手に早く仕事を始めているだけです」

「じゃあ、君が仕事熱心なんだね」


 笑顔で愛想よく言ったのだが、郵便配達員はあいかわらずニコリともしない。


「たしかにわたしはこの仕事が嫌いではありませんが、このエスト地区を担当する職員がわたしを含めて二人だけなんです。そのくせこの地区は密集した住宅街ですから、届ける手紙も多いので、わたしは自主的に早く仕事を始めているのです」


 そう言って席を立つと、本当にこれで失礼します、と言って籠いっぱいに入った手紙を配達するべく、自転車に跨がった。けれど彼女はすぐには動かず、ふと思い出したようにセレーノに尋ねた。


「ところで、コルディアーレさんは誰からかの手紙を待っているのですか?」

「ああ、恋人からのさ。この前引っ越したことを報せたんだけど、返事はこないみたいだ。まあ、今までだって一度も返事がきたことはないんだけどね」


 そう照れたように頬を掻くセレーノにそうですかとお辞儀をして、郵便配達員はペダルを踏み込んだ。


「君、ここら辺の担当なんだろう?これからよろしくな!」


 後ろ姿にそう呼びかけて、セレーノの新しい一日が始った。









「リエッラ」とは、「ハロー」のような軽い挨拶です。



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