宣言
「………」
それは揺西と長い口づけを交わした後。
その帰り、揺西がコンビニに立ち寄った(ずぶ濡れでも入っていった…)時だった。
「海値さん」
通り雨でびしょぬれなので外で待っていたら声がした。
辺りを見回しても聞きなれした声の持ち主である田崎さんの姿はなかった。
「……」
最初は空耳だと思った。
田崎さんに告白された後で、後ろめたい気分があったから。
でも、違っていた。
「海値さん…」
海値は闇に覆われた気がした。
しかし、それは風のように一瞬で消えた。いや、目の錯覚。無意識に目を閉じていたのだろうと海値の頭はそう処理した。
見渡す限り、辺りはコンビニを囲む住宅以外何も見えないのだから。
「……」
しかし、海値は気配を感じ取っていた。
「今宵…」
気配は真後ろにあった。男の吐き出す息がうなじに触れ、耳元で低い声が届いたのだから。
「今宵、あなたを迎えに来ます」
「海値」
ささやきが終わるのと同時に揺西に呼ばれていた。
「…あ、揺西」
海値は慌てて振り返ったが、何もない空間が目に映るだけである。
「海値?寒いの」
揺西に言われて初めて自分が震えていることに気がついた。
「新薬MM-m68は外夢に比べられないほど進化した生物を作り上げますよ」
戸立は携帯から聞こえてくるUEVコーポレーション開発部長の声に痛みを感じた。
「モンスターが『負の思想』つまり『執念』を生み出し、それが憎悪のエネルギーAngとなって体外に放出される。
放出されたエネルギーは、装置から出る二酸化炭素と融合し、後は原子力と変わらず、核分裂による高エネルギーから蒸気を作りタービンを回して電気を作るのですよ」
「私が聞きたいのは新薬の効力です」
車両禁止区域内に入った戸立は携帯を耳と肩で挟み、開いた左手で『特別許可証』の紙をフロントガラスに貼りながら、苛立ちの声をあげた。
車は規制された住宅エリアにあった。
エネルギー施設という特別な施設だけにあてがわれている許可証を乱用しなければ、海値の危険は大きくなる。
連絡を取れた海値たちを回収したところでモンスターに襲われればひとたまりもなく、出くわした時、どう対応すれば良いのかわからないでいた。
モンスターが出現したが、それは町によって大切なエネルギーであり、殺す事はできない。
麻酔を使って眠らせようとも肝心のモンスターは身を潜め、人目にさらけ出す事はなかった。異様な姿を見ればたちまち騒動が起きるはずなのに。
「とにかく、みっちゃん達を回収しなければ」
戸立は揺西から、海値が危険にさらされている事を聞き、車を飛ばし合流しようとしていた。
日は暮れて、闇は刻一刻と濃度を深めている。その闇の色が戸立に不安を掻き立てる。
「効力ですかMM-m68は、外夢より0.5縮小するはずですよ。しかし容器に閉じ込めるのは惜しいほど俊敏な動きを見せてくれます。Angを放出する能力は当社比1.5.倍…」
聞きたい情報を得たのと、事件を知らないから言える呑気な声に付き合っていられないので、戸立は通話を切り、エンジンをかけた。
「上から指示が出ているけれども、それは2人、特に揺西君に任せるわ」
自宅に戻った海値と揺西を回収した戸立は、バックミラーを覗きながら『特別許可証』を取り除いた。
2人から言葉は返ってこなかった。
「………」
あの日の出来事を体験した海値は田崎の行動を読み取ることができた。
だが、それを2人に話すことはなく、足元にうずくまる闇を見つめ、こみあげてくる不安を必死に隠していた。
時間の猶予がない戸立は1人で話を引っ張った。
「上からの指示は、モンスターの捕獲。特殊処理班が麻酔銃で眠らせる案がほぼ決定したけれども」
足元を見つめていない揺西はバックミラーから覗く戸立の視線に気づき、後の言葉を聞かず気になっていることを口にした」
「それはモンスターは海値がいないと呼び寄せることができないから、海値をおとりに使うことですか?」
目の前にさらされた危険に気づき、海値もバックミラーに移る戸立を見上げた。
戸立は右折するため、車道に視線を向けていたが、ちらりとバックミラーから向けられる視線を確認する。
「みっちゃんか、揺西君のどちらか、囮になってほしいの」
「囮…」
「祭りに使われたアイテム覚えているかしら。涙羽が人間である事を隠すために作られた人形を」
2人は暑い夏の日と織姫の姿をした海値そっくりのアンドロイド…風の機械を思い出した。
「あの人形に今、みっちゃんが着ている服を着せて、揺西君と歩いてもらおうと、いう、意見が出ているのよ」
「海値そっくりのなら田崎さんも寄ってくれる、という事?」
「ええ。でも、モンスターの前にさらす危険に変わりないわ」
「危険だよ、揺西」
海値の警告には揺西以上に知っている、田崎が持つ嫉妬に恐れていた。
もし、モンスター化した田崎が海値の姿を判断をできるのならば、揺西も判断できる。田崎が持つ憎悪が向けられることは目に見えている。
「だけど海値を危険にさらすことはできない」
揺西も口づけの現場を見られた事による暴走行為と推測できたので、田崎の危険性は判断できた。
しかし、その底は知らない。
「大丈夫だよ、海値」
伸ばされた揺西の腕に海値は素直に絡まったが、危険を告白しようか迷っているうちに、戸立は作戦を決定してしまった。