運命の一日
旧暦7月7日
「外夢が放出する総エネルギーが40パーセントまで現象しました」
機械のように表情がないアナウンスがエネルギー管理施設に響き渡る。
「各エリアにじり自力発電に切り替える『注意』を送信します」
「全てのエリアから承諾、切り替え終了のメッセージを受信」
「外夢のエネルギーが10パーセントまで減少。さらに5パーセント4、3、2、1…
外夢、エネルギー放出を停止しました」
「外夢を睡眠誘導に進行します。
外夢の睡眠誘導終了。
外夢は24時間の休止に入ります」
「了解」
制御管理室にいる戸立は、階下にいる職員たちに了承の言葉、休止中の指示を通信で伝え、自分の仕事に取り掛かった。
外夢がエネルギー排出を停止したとはいえ、エネルギー施設内にある自力発電機があり施設内の運営に支障はない。
「エネルギー制御装置、休止に入ります」
宣言を終えると、キーボードを叩く静かな作業が始まる。
キーボードからプログラム、機械語を打ち込むと正面にあるモニターから実行後の返答が出てくる。
涙羽に生命維持水の排出警告…了承
制御装置の生命維持水の排出を全て排出…完了
排出後、涙羽の外見状態…異常なし
脳波、心拍数…異常なし
前年までの旧暦7月7日のデーター平均値の誤差…基準範囲内
「オールクリア。涙羽を装置から開放します」
「了解」
了承の返答を聞いた戸立は立ち上がった。次の作業に取り掛かるため。
エネルギー管理室
がらんとした空間に戸立の足音が響き渡っていく。
万が一に備え数人が管理室で待機し、他の職員達も何かあれば駆けつけられる状態になっていた。
この町にある唯一のエネルギー。もし機能しなくなれば、エネルギーに頼りきった町は生きることができなくなってしまうのだから。
3日間に見せた『湯水のように使っても有り余るエネルギー都市』も一日で変わり果ててしまう。なんとも皮肉な話である。
大切なエネルギーを制御する少女もただ1人しかいない。重要性も外夢と変わらない。
「涙羽」
平日は織姫、揺西しか入れない空間に戸立は足を踏み入れる。車椅子を押して。
白い空間にあるメタル色の巨大な装置を通り過ぎる時、戸立は足を止めて無表情に見上げた。
「……」
すぐに視線を透明なる装置に向かった。
「涙羽、開けるわよ」
ガラスの器に閉じ込められていた涙羽は、座り近づいてくる戸立をじっと見上げている。
生命を維持する水が排出されてしまったので体にくっついてしまった髪とワンピース姿は、みすぼらしく見えてしまう。
しかし目は、待ち続けていた日がついに来たので、熱っぽく爛々と輝いていた。
「やっと来たんだね。織姫と揺西と会える日が」
涙羽の声が戸立の耳に届く。純粋な外見とかわらない透き通った声が。
「えぇ」
短い返事を聞き取り、涙羽は立ち上がる。
ぴったりとくっついた白色のワンピースは涙羽の体の線を捉えていた。
力を加えたら折れてしまうのではと思えてしまう華奢な体型で平均より細いが、緩やかな曲線を描いている。
「………」
24時間ほとんど動かず、食事も生命維持水でまかなっているのにみっちゃんと変わらないのは…
戸立は思考を消したが、別の思考が戸立の頭を占領する。
祭りの日に現れた初老の老人、素宇野UEVコーポレーションの創始者
涙羽の生命維持を始め様々なる開発をこの町に送った者。この町を創ったと言っても過言ではない。
納得できるわね。
「戸立さん?」
涙羽の呼びかけに我に返った戸立、ポケットからカード型のキーを取り出して、しゃがみ、足元に取り付けられている装置にカードを通した。
それから読み取り装置横にあるキーボードに10の指を置き、文章に近いほど長いパスワードを打ち込み、最後に円ターキーを押した。
了承を伝える電子音が短く響いた後。
円柱をした、鳥かごのようなガラスの壁が、ゆっくりと下がり始めてゆく。
その様を戸立は無感情に、涙羽は喜びの表情を作ることすら忘れ、ただじっと物のように見続けていた。
壁が全ての床下に収納された瞬間。
涙羽は開放された。
涙羽を支え車椅子に座らせるため、腕を伸ばした。
ほとんど動かないはずの涙羽にも平均に近い筋肉があるのは、彼女の空気となる『生命維持水』によるものだろう。
ただ、それを使い慣れていない涙羽にとって歩くことはできても遅く、車椅子に頼らなければならない。
水浸しなのでバスタオルに包まれた涙羽を車椅子に乗せると、2人はエネルギー室を出て職員たちが使用するシャワー室に向かう。
「………」
戸立さんが車椅子を押してくれる間、通りすがる人たちは、みんな、目を凝らして私が見えなくなるまで、ずーっと見ていた。
めずらしいのかな
でもいい。ジロジロ見られてもいい。
織姫に、揺西に会えるのならば、他の事は耐えられる。
でも、その前にたくさんの検査をしなければならない。
戸立さんは言ってた。
これは涙羽のためにやっているのだと。
私の体に異常はないか
来年と比較するためデーターを得るためでもあって
あと…どれぐらい彦星として外夢のエネルギー制御ができるのか。
「………」
ガラスの器に1人っきりでいる事には、もう慣れた。
ただ辛いのは揺西に会えないこと。
外夢が眠りにつく、この日だけしか揺西と直接話せないこと。大きな揺西の手に触れられないこと。
…。こんな日に考えるのはやめよう。
今日は待ちにまった『運命の日』なんだから。
織姫と彦星が会える1年でたった1日なんだから。
「涙羽、終わったわよ。ご苦労様」
涙羽は、眠っている寝台から起き上がった。
「終わったのね。じゃあ、会えるんだね。揺西に会えるんだね」
「ええ」
再会の場所は毎年、Eエリアの休憩室になっていた。
「揺西」
連れてこられた涙羽は車椅子からゆっくり立ち上がった。
特別な日に用意された1日だけの服は、シャツにミニスカートという普段着だったが、涙羽にとって普段着こそが特別服である。
「揺西…本当に揺西なんだね」
ガラス越しで会い続けているのに、感激のあまり言葉を選ぶ余裕がないようだ。
「………」
俺も、なんて言葉を返せばいいのかわからず、車椅子に歩み寄って両膝を床につけて涙羽を見上げた。
「じゃあ、涙羽、揺西君。時間になったら携帯で呼ぶわね」
「はい」
涙羽を連れてきた戸立さんは、俺たちを交互に見つめてから背を向けて開かれたエレベーターに消えていく。
「…」
空間から音が消えて、本当に涙羽と再会した感がわいてきた。
揺西は涙羽の手を両の手で握った。
「涙羽、別の場所に行こう」
海値より少し冷たい涙羽の手は、柔らかくて小さなものだった。
「うん…揺西がいるなら、どこでも、いい」
純粋に言い笑みを向ける涙羽に心が痛んだ。
俺が場所を変えたい何よりの理由は、ここが海値と待ち合わせしている待ち合わせの場所だから。
涙羽と海値、2人に見つめられているような気がして、後ろめたい気分になった。
後ろめたい?
そうだよ俺は、別に二股をかけているわけじゃない。これは織姫と彦星になったからのこと。
孤独なる涙羽を助けるために
「………」
助けるために…。
運命の1日。
この日だけは見慣れた建物の中も違って見える。
漂う空気。どのエリアにもある休憩所のソファー。同じメーカーの自販機。踏みしめる床ですら、まるで初めて中に入った時のような感覚になる。
揺西は涙羽の歩調に合わせてゆっくりとエネルギー施設内を進む。
再会後、ビルを出ても構わないが治安の問題で涙羽にもしもの事がないように、毎年、今年も例外なく施設内で過ごした。
「涙羽、大丈夫?疲れない?」
ほとんど体を動かしていない涙羽にとって、何でもない動作すら大変な事で歩行も重労働だった。
涙羽がいつでも座れるように空の車椅子を押しているが、彼女は首を横に振る。
「大丈夫」
その純粋なる笑みや動作に疲労といったものを感じ取ることはできないが、彼女は拒否をした事がなく揺西は心配でならない。
拒否できないからこそ、ガラスの器に、それも永遠に近い時間をこの町のために閉じ込められなければならない。
「本当に大丈夫?」
ただ単に俺が心配になりすぎているだけなのだろうか。
ガラスのように、水槽から取り出した魚を扱うかのように接してしまうのは仕方ないと思う。
「大丈夫」
まっすぐに帰す瞳は強い目をしていた。
彼女は、この町のエネルギーを制御しているのだから。
「涙羽、どこに行きたい?」
「世界が見られる所」
毎年、同じ事を聞いて、毎年、同じ言葉が返ってくる。
涙羽が言う『世界が見られる所』というのは、世界中のあらゆる映像を納めたドキュメンタリーもののDVDを見ることを指していた。
涙羽のリクエストに答えるため、揺西は人がDVDが見られなおかつ誰も入ってこない会議室に向かい。小さな部屋から世界旅行を楽しんだ。
俺にとっては見飽きてしまった映像も涙羽には斬新なものが集まった宝箱にちがいないだろう。
とはいえ運命の日が毎年恒例のDVD観賞で終わってしまうのは何か悲しいものがある。
今年は今日一日だけなのだから、涙羽が喜んでもらうような特別な事をしたい。
「涙羽。屋上にいかないかい?空を見よう」
DVDを見終わってから提案してみたが口にした事を後悔した。
特別なんてほど遠い。これじゃあ去年と変わらないじゃないか。いや、もっとつまらなくなってしまう。
そう反論する声が頭の中で響いたが、それに反論するよりも早く涙羽が答えてくれた。
「どこでもいい。揺西がいてくれるんなら、どこにでも」
屋上に出るには階段を使わなければならなかった。
たかが数十段とはいえ、車椅子の涙羽にとってはされど数十段で、揺西は申し訳なさそうな表情をとった。
「ここを上がれば空が見えるんだね」
諦めるか、頑張ってくれるか問おうとした揺西の口よりも早く、涙羽は上り始めた。
涙羽の健気な姿を見て、揺西は手助けするために先に上がる。
歩きなれない足で上がるには、かなりの時間を有した。それでも涙羽は一歩一歩懸命に上がっていく。
「涙羽、大丈夫?少し休もうか」
揺西の言葉に涙羽はにこっと笑ったが足を止めようとはしなかった。
涙羽は決して首を横に振らない。
揺西は天井に張り付いている蛍光灯をいまいましく見つめた。
どうして、ここの蛍光灯は暗いんだ?足元が見にくくて涙羽が上がりづらいじゃないか。
照明も照明だが階段も階段だ。最新の町にあるエネルギー施設なのに、どうして手すりもないんだ?
涙羽になにもできない苛立ちを建物の不満にぶつける揺西だが、ぶつけたところで改善されるわけではなく、揺西は確実に減っていく段に視線を移した。
数がゼロになった。
最後の一段を上り終えたのを確認すると揺西は嬉々として踊り場奥にある扉のノブに手をかけた。
『カタカタ』と、回らない事をドアノブが音で答え、揺西はさっと表情を変える。
「どうしたの?」
「鍵がかかっている…。
ちょっと待ってて、今、警備員室に行って鍵をもらってくるよ」
今までの苦労を水の泡にしたくない一心で揺西は涙羽に背を向けて駆け下り始める。
「………」
後ろに立っている涙羽の悲しそうな表情は揺西の視界に入らなかった。
「……」
しかし、揺西の足は止まり、振り返る。
遠く離れていても呼び出せる声が揺西の頭に届いたのだから。
「私も下りる。1人は嫌。揺西と一緒に行く」
「大丈夫だよ、すぐに戻ってくるから。それに涙羽、下りたら、また上がらないと」
「………」
涙羽は何も言わず了承の笑顔を作った。悲しそうな目で。
「うん、そうだね。私、待っているね」
涙羽は否定することができない。
それは長い時間、あの狭い空間に閉じ込められていた環境のせいだ。
自分のワガママ一つで、この町に影響を与えて与えてしまう。その考えが圧迫となって涙羽を押しつぶしている。
この町のせいで涙羽は、自由を唱える力を奪われてしまった。
涙羽が唯一、唱えることを許された呪文は織姫に選ばれた俺を呼ぶものだけ。
涙羽の一つだけのワガママ。それに応えてあげたい。それが涙羽の生きる力でもあるのだから。
「涙羽…ごめんね」
謝罪を伝えた揺西は、階段を一段一段上がって涙羽のところに戻った。
「……」
ほっとした涙羽から2本のスジが頬を伝ってゆく。
「涙羽を1人にはしないから」
たどり着いた揺西は、今にも泣き出しそうな涙羽の背中に腕をまわし、軽く包み込んだ。
別に物を取りに行くなど、他の者にとって大した事ではないだろう。
しかし涙羽にとってそれ以上のものはない。人のいない特別な環境にいた涙羽には、見知らぬ場所に取り残される事を恐れていた。それに離れてしまうのが他ならぬ揺西こと、織姫なのだから。
「………」
涙羽の僅かなぬくもりが腕に伝わってくる中、俺の方は汗ばんできた。
今は真夏。空調管理された建物とはいえ屋上に上がる階段まで設置されていない。
「…」
涙羽の後ろに忌々しい扉が見えた。ドアの上の方にガラスが組み込まれていて、薄灰色の空を見ることができた。
「…………」
何を考えているんだろう、俺は
この日はエネルギーが停止しているんだから都市を覆っているのはドーム天井しか見えないっていうのに。
「………」
涙羽は青い空を見ることが出来ない。
その言葉に気づいた時、儚げで弱々しい涙羽の存在に気づいた。
「涙羽、ずっと側にいるよ」
涙羽のためになりたい。彼女が望むものは何でも叶えてやりたい。