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マチガ沢の約束

作者: 陽炎埜夜

 小学校高学年になった二人の息子を連れて、初めての本格的な日帰り登山に、親子三人で挑戦。インドアクライミングも経験させ、それなりに準備も積んできた。さて本番当日、早速、次男が車に水を忘れて来た。さらに目に見えないものの、登山道には獣の気配も……。そして、最後に待ち受けていたのは、意外な結末だった。

 7月下旬の金曜日、午後10時。東京の家を、愛車の4駆で出発。翌日の土曜日、午前1時。谷川岳“マチガ沢出合”の駐車場に到着。すでに3台ばかりの車が止まっている。どの車も寝静まっている。到着後、すぐに後部座席を倒し、二人の息子たちにシュラフを被せ、眠りにつかせた。タッちゃん十二歳、シンちゃん十歳の夏である。

 私も助手席と運転席を利用して、何とか眠る場所を確保した。すると、眠ったはずのシンちゃんが後部座席の窓から夜空を見上げて、

「星が見える」

 と呟いた。夜空には、満天の星が輝いていた。マチガ沢の駐車場から見える谷川岳オキノ耳は、星明りの中に黒く、その縁取りを浮かび上がらせていた。

 翌朝午前4時。車の座席の中で目が覚めた。タッちゃんもシンちゃんも、まだ眠っている。外の様子をうかがうと、オキノ耳がスポットライトのような早朝の太陽の光を受けて、光り輝いている。他の2台の車からカメラを手にした登山者が外に出て来て、その雄姿をカメラに納めていた。

午前5時。タッちゃんとシンちゃんを起し、サンドイッチとりんごジュースで朝食を取った。私達の右隣りに止まっている車の後ろでは、20歳台後半と思われる若い男性二人が朝食をとりながら、岸壁登攀の打合せをしている。ザイルやカラビナ、ハーケンが、彼らの廻りに散乱している。左隣の車の後ろでは中年の男性が、小型のストーブでミルクティーを作っている。

 午前5時半。マチガ沢駐車場を、私たち三人は出発。駐車場のすぐ先に、巌剛新道の入り口がある。そこから、緑のトンネルが始まっている。緑のトンネルの登山道を歩き初めて10分ほどしたとき、私は車の後部座席に転がっていた500ミリリットルのペットボトルのことが気にかかり、シンちゃんに聞いた。

「シンちゃん。水は持って来たかい?」

「うん。持ってきた」

 とシンちゃんは答えたものの、それでも、

「ちょっと、バック・パックの中を見せろ!」

 と、無理矢理バック・パックに手をかけ、中を調べた。すると、ペットボトルは無かった。

「シンちゃん、水がない。どうする。このまま歩くか、それとも取りに行くか!」

 歩き始めて十分。かなりの距離は来たものの、取りに戻れない距離ではない。

「シンちゃん! 水を取って来い!」

 とシンちゃんを車まで戻らせた。最初は一人で行かせようと思ったが、やはり十歳の子供を一人で戻らせるには距離がある。そう判断して私も、その後を着いて行くことにした。タッちゃんも、無言で私の後から着いて来た。

 車までシンちゃんの水を取りに戻り、再び3人は歩き始めた。まず、沢沿いの登山道を歩く。沢の水音が涼しげに聞こえて来る。さらに10分。沢から離れ、わずかに登山道の傾斜が増す。そのとき、私の左後方から、人間のものとは思えないクシャミの音が聞こえた。獣のクシャミ? 私は、登山道入り口の『熊出没』の立て看板を思い出した。まだ、クシャミの発信源からは距離が有る。まず、姿が見えないうちに、こちらの存在をクシャミの発信源にさとらせることだ、と感じた私は、いきなり、

「ファイト!」

 と、前を歩くタッちゃんとシンちゃんに向かって、声をかけた。タッちゃんも私の声にこたえて、

「よいしょ」

 と、小さいながら声を出した。それから10分あまりの間、三人で掛け声を出しながら、登山道を歩いた。歩き始めて30分。本来なら、ここで休憩を取るべきなのだが、クシャミの発信源のことが気にかかり、さらに10分、掛け声を掛け合いながら歩き続けた。そして、歩き始めて四十分立った頃、最初の休憩を取った。 

 三人はペットボトルをバック・パックから取り出し、水を飲んだ。出発前に飲んだりんごジュースが、一気に汗となってあふれ出てきていると思えるくらいに、汗をかいている。タッちゃんは、あごから滴り落ちるほどの汗をかいている。

 歩き始めて1時間。私達は、沢筋から離れ、斜面を登り始めた。しばらくするとマチガ沢の雪渓の見える場所にでた。そこから雪渓までは、歩いて2、3分の場所である。ちょうど駐車場で分かれた2人の男性が、登山道の脇で登攀の準備をしていた。私は、声をかけた。

「こんにちは。今日は、このまま天気は持ちますかね?」

 山の経験の長そうな一人が、

「今日は大丈夫でしょう。こんな感じで、一日持ちますよ」

 と答えが返ってきた。私は別れ際、これから危険と隣り合わせになるであろう二人に対して、

「それじゃあ、気をつけて」

 と声をかけた。するとリーダーと思われる男性から、

「ありがとうございます」

 と言葉が返ってきた。私たち三人は彼らにお辞儀をして、再び歩き始めた。タッちゃんとシンちゃんは、私とリーダーの会話を黙って聞いていた。

 先頭を歩いているタッちゃんは、シンちゃんと私のペースを気にしながら、時折振り返る。距離が開いていると、そこで二人を待っている。その間に、ニッカボッカからずり落ちているニッカホースを直している。タッちゃんのはいているニッカボッカもニッカホースも、私が中学生のころに使っていた物だ。次男のシンちゃんは、黒のジャージとティーシャツ姿。靴は子供用の軽登山靴である。

 私の中学時代のニッカボッカは今、小学校六年の長男が履いている。そして、長男のタッちゃんはトップを歩き、次男はセカンドとなり、私はシンガリを勤めている。これが我が家、親子三人の谷川岳登山パーティーの陣容である。

 タッちゃんは幼稚園年長さんの5、6歳のとき、丹沢の塔の岳に登った経験があり、小学校4年で大菩薩峠に登った。そのとき、次男のシンちゃんも一緒に登った。それが、シンちゃんにとっての初めての登山だった。もう一つ。二人にはフリー・クライミングの経験もさせてある。1年前、埼玉県の高麗にある日和田山という、日本のフリー・クライミング発祥の地といわれる岩場で、はじめてのフリー・クライミングを経験させている。 

 そういう意味では、軽い岩場の多い谷川岳巌剛新道からトマノ耳への登頂ルートに関しては、事前の準備はそれなりに整っていたといっていいだろう。ただ心配なのは、走りこみをしていない点。体力面の不安が、多少はあった。

 不安材料がもう一点。それは、シンちゃんが前日の夕方、牛乳と麦茶を飲みすぎて下痢ぎみの体調だということ。朝には、なんとか体調は戻っていたようだが、それでもタッちゃんもシンちゃんも3時間あまりしか寝ていない。寝不足である。シンちゃんにいたっては、出発前に下痢止めの薬を一粒飲んでいた。

 登山道は急峻を極めてきた。そして、最初の小さな岩場にさしかかった。高さ3メートルほどの岩場。表面は一枚岩で、一歩目の足場が高い位置にある。左側には、足場がない。登れるのは右側のクラック。斜め右上に向かって、岩の裂け目が走っている。タッちゃんが無言のままそのクラックにそって登って行き、中ほどでルートを見失って、右往左往している。

「タッちゃん。そこを左にトラバースだ。左横に進んで」

 タッちゃんは多少のためらいを見せながらも、岩場の中ほどから左にトラバースし、上り詰めた。その後に続いたシンちゃん。同じくクラックに沿って右斜め上へと進んだ。しかし、タッちゃんがトラバースした地点で、

「登れないよ!」

 と早速、弱音を吐いている。

「大丈夫だよ。左足をもう少し下」

「ええ、届かないよ」

「大丈夫だから、少し下に左足の足場があるから」

 そう言い聞かせても、左足は、すぐ下にある足場に降りてこない。

「シンちゃん! 大丈夫だって。そこ、そこだよ!」

 シンちゃんは、私の声に怯えたのか励まされたのか定かではないが、意を決して足を伸ばした。

「そこで、脚を踏み変えて。そう、左足の足場に右足を乗せて」

 シンちゃんは弱音を吐きながらも、難関を突破した。その岩場の上ではタッちゃんが、

「シンちゃん、そこに右手をかけて、次は左手をその岩の左側。そうそこ」

 とアドバイスを送っている。“兄貴らしいじゃないか”、と私は思った。普段は無口なタッちゃんだが、しっかり、兄としての貫禄を身につけて来ている。一方のシンちゃんは、口ほどにもない奴。普段は、親の一言に対して次から次へと反論して来る奴だが、ここぞという所では次男坊の甘えが出て来ている。まあ、これも仕方がないか。順調に次男坊として育っている証拠だろう。

 3人は、岩場の上で小休止を取った。私は自分のペットボトルを、半分近く飲み干していることに気付いた。そこで、シンちゃんはと様子を見ると、シンちゃんも、やはり3分の2ほどを既に飲み干している。タッちゃんに至っては残り4分の1。これはまずい。

「タッちゃん、シンちゃん。水をあまり飲むと、帰りまで持たないよ。頂上に着いて帰りの水がなくなっちゃうよ」

 そういうと、シンちゃんは、

「そうか。こんなに飲んだんじゃ、帰りの水がなくなっちゃうね」

 と素直に反省。タッちゃんは、

「こんなに飲んじゃった」

 と、残り4分の1のペットボトルをかざして、微笑んで見せている。そのはにかんだタッちゃんを見て、緊張しながらも3人は顔を見合わせて笑った。まだ余裕が感じられる。

「さあ、西黒沢尾根の尾根筋まで、もう少しだ。頑張ろう」

 と私は二人に声をかけ、出発した。トップはタッちゃん、セカンドはシンちゃん。そしてシンガリは私である。相変わらず急登が続くが、空が広くなってきた。尾根筋が近い。 

 しばらく登って、道が広くなったところで、追いつかれた三人の中年女性のパーティーに道を譲った。すれ違いざま、

「こんにちは」

「こんにちは。ぼくたち、お父さんと一緒でいいわね」

 と言葉が返ってきた。二人の息子たちは、はにかんで私を見ている。私は、

「いやあ、無理矢理、連れて来たんですよ」

 と答えた。三人のおばさんたちは、

「ハハハハッ」

 と笑って、先へと進んで行った。タッちゃんもシンちゃんも、はにかんで見せた。私達も先を急ぐことにした。尾根筋まではあとわずか。30分ほどして、西黒沢尾根のラクダのコルに出た。三人のおばさんたちが休憩を取っていた。その前を私達は、

「お先に」

 と通り過ぎ、少し先の岩陰で休憩を取った。

「水を飲んでもいいけれども、少しだけだぞ。わかったかあ?」

 といいながら、バック・パックの上に腰を降ろした。再び、三人のおばさんたちに、追い越された。

一人のおばさんが、

「いい所で休んでいるわね」

 と岩の裏の日陰で休んでいる私達に声をかけてくれた。子供たちは、またはにかんで見せている。元少女三人パーティーを見送った私達も、すぐにスタートした。見上げると、尾根筋に小さなピークが見える。頂上付近の様子もうかがえる。急峻な岩場の尾根筋を、アリの行列のように人々が登って行く。

「沢山の人が登っているね」

 とシンちゃん。

「うん」

 とタッちゃん。

「よし、もうひとガンバ」

 と私。3人は頂上目指して歩き始めた。小さなピークをシンちゃんが越えたときである。

 岩場を越えて上に立ったシンちゃんが、いきなり、

「ええーっ、まだ先があるー!」

 と岩場の上で、叫び声を上げた。すると、姿は見えないが岩場の上から女性たちの笑い声が聞こえた。さっきの元少女隊の笑い声だ。楽しげに笑う元少女隊の声に私の気も緩んだが、シンちゃんの声に、意外な響きを感じた。それは、思っていたよりも早く、 “シンちゃんは疲れている”という不安だった。しばらくして、その“不安の予感”が的中した。次の小ピークはザンゲ岩になるのだが、その手前でシンちゃんが、

「お父さん、おなかが痛い」

 といいだした。

「どんな風に、痛いんだ?」

「ギューっと締め付けられるような感じ」

 私は胃痙攣を思った。寝不足と疲労から、登山ではよく起きることだ。準備の段階で、そのことを頭に入れて、胃痙攣用の薬を買っておこうと思っていたのだが、忙しさにまぎれて買いそびれていた。このままでは、だんだんと胃の痛みがひどくなり、シンちゃんは一歩も動けなくなってしまう、と感じた。胃腸薬は準備していたが、車の中に忘れて来てしまっていた。このシンちゃんの危機を脱するのは、他の登山者に協力を要請するしかないのか、と考えあぐねた、その時、ふと思った。胃痙攣なんだから、まず精神的に落ち着かせて、しかも、胃の粘膜に膜を張れば急場はしのげるかもしれない、と思った。そこで、チョコレートをシンちゃんのバック・パックから取り出した。アーモンドチョコレートだった。

「シンちゃん。アーモンドを残して、チョコレートだけを食べて」

 というと、素直にシンちゃんはチョコレートを食べた。一粒、二粒、三粒。

「シンちゃん、どう、痛みは?」

「うん、痛く無くなった」

 と、様子が一変して、笑顔になった。どうも、お腹が空いていただけのようだ。私は一安心した。小休止のあと、出発。

「よし、下りはロープウエイで降りよう。ロープウエイの駅まで行けば、売店もあるから。そこに着いたら、シンちゃんは何が飲みたい?」

「うーん。ジュース」

「タッちゃんは?」

「うーん。お茶」

「お茶? お茶ね。よし、もうひとガンバ。タッちゃん! シンちゃんの体調に注意しながら、ペースはゆっくりめに!」

 とトップを歩くタッちゃんに声をかけた。

「わかった!」

 とタッちゃんの声。ちょっと声に、元気がない。そんなタッちゃんを追い越して、シンちゃんが前に出た。

「こらっ、シンちゃん! お前が先に行くと、走ったり歩いたりでペースが乱れる。元に戻れ!」

 と私がいうと、タッちゃんが、

「そうだ、そうだ」

 と、シンちゃんの前に出る。疲れているのは私だけなのか。前方を仰ぎ見ると二つのピークが見える。手前のピークは〝ザンゲ岩〟。そして、奥のピークが谷川岳のトマノ耳である。ザンゲ岩にたどり着くと、その下には、小さなお花畑が広がっていた。そこで、再び小休止。黄色い花を見ながらシンちゃんがいった。

「あの花は、4つあるつぼみのうち、一つしか咲かないんだよね」

 と、ぽつりといった。

“どこで、そんな知識を仕入れたのだろう”

 と不思議に思いながら、私は声を掛けた。

「シンちゃん、体調はどう?」

「お腹が空いた」

 時計を見ると、午前9時半を廻っている。早朝5時半から歩き始めて、すでに4時間がたっている。その間、食事らしい食事はとっていない。通常のパーティーとしての行動なら早めの昼食か、もしくは間食を取っていてもいい時間である。

「シンちゃん。おにぎりを食べてもいいよ。ただ、全部じゃなくて、一個だけ」

「食べてもいいの」

 というが早いか、シンちゃんはバック・パックから“お握り三個パック”の包みをだし、

「沢庵。これがいいんだよね、しょっぱくて」

 シンちゃんは、黄色い沢庵から食べ始めた。

「タッちゃんも食べていいよ」

「うん」

 と、タッちゃんも食べ始めた。私も、お握り1個を取り出し、やはり、シンちゃんと同じように沢庵から食べた。沢庵の塩分が疲れた身体にしみていくように感じられた。お握りを食べ終えたシンちゃんが、タッちゃんと楽しげに、何かを話している。

「シンちゃん、体調はどう?」

 と聞くと、

「うん、大丈夫。お腹が空いてたんだね」

「ただの、シャリバテだったのか。水は飲んでもいいけど、少しだけだぞ」

〝シャリバテ〟の意味を理解できていないのか、シンちゃんは苦笑いをしながらうなづいた。

「よし、ロープウエイのジュースを目指して頑張ろう」

 3人は、再び歩きはじめた。シンちゃんは歩き始めて、

「お父さん。水がこんなにも貴重に思えたのは、初めてだよ」

 と、殊勝なことをいった。その言葉を聞いて、今回の山行の重要な意義の一つを達成したように思えた。

 ザンゲ岩からしばらく登ると、左側に雪渓が見えた。雪渓の周りには休息や食事を取っている人々の塊がいくつか見える。中には、雪渓から溶けた水を汲んでいる人の姿も見える。私たちは雪渓の上の端を廻って、頂上直下に出た。『トマノ耳まで150メートル』の立て看板が目に付いた。

「ここで食事にしよう」

「お父さん、頂上まで行って来てもいい?」

 好奇心旺盛なタッちゃんが私に、一刻も早い頂上制覇を進言してきた。私は、

「バック・パックをここに置いて、行って来ていいよ。頂上はすぐだから」

 そういうとタッちゃんは、小走りで頂上を目指して行った。シンちゃんはというと私の隣りで、腰を降ろしている。私は残りのお握りを食べ始めた。シンちゃんも私に習って、お握りを食べ始めた。私は、シンちゃんの残り少ない水の量を気遣って、私のペットボトルの水を飲ませた。そんな父親の気遣いを知ってか知らずか、シンちゃんは自分の水も私の水も、なんのためらいもなく全て飲み干してニコニコしている。私が2個目のお握りを食べていると、頂上アタックに行っていたタッちゃんが帰って来て、お握りを食べ始めた。私は、2個目のお握りが喉を通らない。そこで私は、頂上アタックから戻ってお握りを頬張っているタッちゃんに、

「たっちゃん、水を一口」

 と頼んだ。息子の貴重な水をせがむ私は、自分自身親として情けなく思えたが、背に腹は代えられない。タッちゃんはなんのためらいもなく、自分の貴重な水を私に差し出した。そのとき“我が子ながら、なんと立派に育ったことか”と内心涙した。一口だけ貴重な水を口に含み、水の残っているボトルをタッちゃんに返した。タッちゃんは自然な仕草で受け取った。結局、途中までは一番水の消費量の多かったタッちゃんが、最後まで水を持っていたことになった。親ながら、

“こいつは、すごい奴だ!”

 と感心した。いつの間にか、親よりも自制心の強い男として成長していた。

 食事を終え一息ついていると、稜線を挟んで西と東の空気が混ざり合い、目の前でどんどん雲が湧き上がって行く。さらに、その雲が、私たちの周囲にも立ち込め、霧となって視界をさえぎり始めた。挙句の果てには、風も冷たく感じられる様になった。

「二人とも、身体を冷やさないように、雨合羽の上着の部分を羽織るように」

 と防寒対策を二人の子供に取らせた。私も雨合羽の上だけを羽織った。そして早々に頂上を目指して出発した。

「お父さん。トマノ耳の先にオキノ耳があるけど、そこまで行くの」

 と、既にトマノ耳を偵察してきたタッちゃんが、私に聞いた。

「いや、今日はトマノ耳でお仕舞いにして、そこから下山する」

「オキノ耳の方が高いけれども、それが頂上じゃないの」

 タッちゃんの鋭い質問に私は、答えの言葉を失った。私の疲れきった肉体は、すでに下山へと向かっている。

「谷川岳は、二つのピークから成り立っていて、どっちでもいいんだよ」

 と、意味不明の“谷川岳2つの頂上論”を展開していた。

 ついに三人は、頂上に到着した。そして、二人の息子を頂上の標識の前に立たせ、記念写真を撮ろうとしたとき、見知らぬ男性が声をかけて来た。

「シャッターを押しましょうか?」

 私は、渡りに船と、気軽に頼んだ。そして、撮影を終え、頂上を立ち去ろうとしたとき、その男性は、自分の奥さんの頂上記念写真のシャッターを押そうとしていた。私は、やはりシャッターを押して上げないわけにはいかず、

「じゃあ、私がシャッターを押しましょう」

 と快く、男性からカメラを預かった。見知らぬ人々との他愛のない会話。人と人とのコミュニケーションの取り方、楽しさ。これが、子供たちに教える、山行の2つ目の重要なポイントだった。二人の子供は、そんなことを自然に感じ取ってくれたに違いない。下山の道すがら、雪渓の溶けた水をペットボトルに補充した。最後まで水を我慢していたタッちゃんも、ほっとした表情になった。とりあえず、ロープウエイの駅までの水は確保した。下山道は、1時間50分のコースタイムである。

 家を出る前日の夜から、シンちゃんは右足の親指付け根の水ぶくれが、「衝撃を受けると痛くなる」、といっていた。それが下山時になって、

「水ぶくれが靴に当たって、下り始めると痛い」

 と、いい出した。

「バンソウコウを張り直そうか」

 と私が提案すると、シンちゃんは、

「大丈夫」

 と、何故か、いうことを聞かない。ここで無理をさせたくないが、彼は彼なりに我慢しようとしている。

 登山道に時折、木道が現れる。

「木の道だと水ぶくれは、そんなに痛くないんだ」

 シンちゃんは、そういって私に見栄を張ってみせた。シンちゃんも成長したものである。

 しかし、そんな気丈なシンちゃんにも弱点が一つある。それは、“虫”である。登っている最中も、危険な岩場であろうが、断崖絶壁の端を歩いているときであろうが、虫が現れるたびに、

「ひゃー、虫、虫!」

 と、所構わず逃げ回ろうとする。そのあまりの怖がりように、父親の私もびっくりさせられた。しかし、大事に至ることなく、無事下山にまでこぎつけた。

 東京に向かう車の中で、疲れて眠りこけている二人をバックミラーで見ながら、がんで亡くなった妻とのことを思った。

 結婚する前に二人で“マチガ沢出合”の駐車場に来たとき、『今度は、子供たちと一緒に』と言っていた妻との何気ない会話。

『みんな元気だよ、お母さん。二人の息子たちは、こんな成長したよ』

 と、心の中で呟やいた。


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