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6. 常套句はヒロインと共に(後編)

「確か、カローナさんのお家は洗濯屋でしたわね」

そう言うと、表情を硬くしてフィオレッラを見た。

彼女がフォークを握り締めたことで、近くに控える護衛が前に出ようとするのを手で制する。

「別に脅そうとかそういうわけではないから安心してちょうだい。

少しばかり例え話をするのに、確認しただけよ」

変わらぬ口調でフィオレッラが言えば、少し警戒を解いて椅子へと深く座った。


洗濯屋は使用人のいない平民達が、大きな布類や一張羅を洗ってもらうための店で、王都にはいくつもの店舗がある。

カローナの両親が営む洗濯屋は先々代から続いているものだ。

店こそ小さいが、長きに渡ってコツコツ働いていたことから周辺の人から信頼されている。

「そうね、例えばだけれども、」

手を止めたカローナにお菓子を勧めながら話を続ける。

「カローナさんが旦那様と暮らしたとして、ご両親がお年を召して仕事を引退されようとしたときには、跡を継がれないでしょうね。

だって旦那様は城勤めで、洗濯屋のことなんて何もわからないもの。

そんなときにカローナさんの親戚が店を借りたいと言われ、親しい間柄だから信用して貸したとします。

そうして年月が過ぎた頃、カローナさんのお子さんがご両親のされていた洗濯屋を自分もしたいと言い出したとしたら、カローナさんはどうなさるかしら?」

立場を変えただけの簡単な例え話である。

これで親戚に店を譲ると言うならば、目の前の娘が本当に単純でお人好しなのだと思うだけだ。


けれど、答えはフィオレッラの期待した通りだった。

「そうですね、その時は貸していた洗濯屋を返してもらいます」

「当然の行動ね」

フィオレッラが同意するように頷くと、満面の笑みを浮かべる。

「けれど親戚が首を横に振ったら?

だって長らく借り続け、今や自分達の仕事に無くてはならない場所と道具達なんですもの。

急に返せと言われても、今更という気持ちがあるかもしれないわね」


「それはおかしいです!だってお店は私達、家族のものだもの!

貸しただけなのに返さないなんて、酷いです!

喧嘩はだめですけど、ちゃんと話し合って返してもらいます!」

そう声を上げたカローナの目が見開かれた。

どうやらフィオレッラの言いたいことには気づいたらしい。

「そうね、借りた物を我が物顔で奪うなんて、卑劣な行為だわ」

フィオレッラの言葉の意味を理解した瞬間、カローナの顔色が悪くなる。


「今の旦那様は例え話の親戚で、カローナさんは彼が正しいと思い込んで間違った正義の代行者と言ったところかしら」

「そんな、わ、私はそんなつもりなんて」

悄然とした面持ちで俯く様は、夏の花が枯れたようだった。

萎れたようになったカローナを見て、僅かに唇の端を持ち上げたフィオレッラは立ち上がり、テーブルをぐるりと回ってカローナの横に座る。

「そんなに落ち込まれたりしないで。

こんな可愛らしいお嬢さんを虐めたと知れたら、旦那様に叱られてしまうわ」

俯いた顎を掬い上げる。

セルジオの好きそうな平凡な顔に色を添える、焦げ茶の瞳がフィオレッラを見上げた。


「貴方達には真実の愛があるのでしょう?」

ぱちり、と音がしそうなくらいにカローナが瞬きをする。

「そこにどうしても爵位は必要なのかしら?

今は子爵家と関係無い場所で二人、愛を育んでいるでしょうに。

幸せならば、それでいいのではなくて?」

あやすように、諭すように語りかけるフィオレッラの言葉に耳を傾けるカローナの、素直なところは短所でありながらも美徳であろう。

子どもの頃に飼っていた犬を思い出して、見ていて飽きないのもいい。

あの逃げ出すしかなかった無能に返してやるのが惜しい気になるのは、ヴァルドリーニの悪い癖だ。

とはいえ、隣で熱心にカローナの言葉を書きつけていた、子爵夫人を満足させてから帰らせないといけない。


「別に私は旦那様と婚姻を続けなくてもいいの。

そのためには子爵位が必要なだけ」

暫し考えるように視線が迷うカローナだったが、思い至ったのか表情を明るくした。

「つまり、セルジオ様が子爵で無くなったら、奥様との結婚を続けなくていいんですね!」

「まあ、正解ではあるわね」

頭は悪くないが、言葉を額面通りに受け止めることしかできない。

けれど今は大変都合がいい。

多分、セルジオの個人資産からお金が引き出せないのは聞いていないか、聞いていても今の話で忘れたかのどちらか。

先に言いくるめておくことは簡単だが、それでは面白くない。


「とにかく、旦那様が帰ってこなければ話も進まなくて、私も困っているの」

ここで困っているのだといわんばかりに、眉を少し下げて微笑む。

「暫くお二人の生活を楽しまれて、そうね、一ヶ月程しても帰る素振りを見せないようだったら、一度帰るように勧めてくれるかしら?」

フィオレッラのお願いにカローナが頷く。

そうしてからカローナが勢いよく頭を下げた。

「私、奥様のことをすっかり誤解していました。

ごめんなさい、これからはもう少し考えてから行動するようにします」

本当に素直で可愛らしくて、そして御しやすい。


「いいえ、気にしないで。

旦那様と愛を誓われているのに妻がいるなんて、不安で当然でしょうに」

そっと手を取れば、かさついた感触が伝わる。

指先の荒れた手は、よく働く労働者のものだ。

ケアされた様子はないことから、セルジオはそういったことにまで気が回らないのだろう。

先日見たセルジオの手が荒れている様子は無かった。

侍女にハンドクリームを持ってくるように言い付ける。

それを土産代わりにと、カローナに持たせた。


「有意義な時間を過ごせてよかったわ。

そうそう、今日ここに来たことは旦那様には言わないでくださる?

カローナさんに何かしたのではないかと、怒られるかもしれないもの」

わかってくれるわよね、と微笑みかければ、幼子のように頷いて返す。

「大丈夫です!

今日のことは内緒にします!」

まるで幼子のような返事だ。

これにはフィオレッラも思わず笑顔になる。


侍女に玄関まで見送るよう指示し、そうしてから子爵夫人を見れば、うっとりと夢見心地な様子でカローナの後ろ姿を見ていた。

「あの子、今日だけで本では読まないような台詞を沢山言っていたわ。

物語もドキドキしたけれど、やっぱり現実に起きて体験した方が刺激的ね!」

見れば、手帳の中はみっちり書き込まれている。

おそらく会話の内容だけでなく、そのときの描写まで書いているのかもしれない。

「父はお義母様の歌声をこよなく愛しておりますので勧めませんが、もしかしたら作家にもなれるかもしれませんわね」

さすがに無理よと言いながらもまんざらでもない子爵夫人の様子に、父に恨まれそうだとこれ以上唆すのは止めようと口を噤む。


子爵夫人が大いに語る中、手帳に書き込まれていたことを思い返す。

カローナのことは、小説に登場する見当違いな聖女タイプだと書かれていた。

正義感で暴走しやすそうだと言いたいのが理解できる。

そして、確かに善性の塊なのも事実。

愚かではあるが、染まることの無い人の良さ。よく働く人の手。

少し考えてから、家令を呼ぶように近くの侍女に伝えた。


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