69. 天主による統治の譬え: 種蒔きの譬えの解き明かし
•凡例•
( )囲み ── 訳者または編集者によるより理解しやすくするための補助、本文と一緒に読んでかまわない
[ ]囲み ── 訳者または編集者による語句の定義をより明確にする説明
『 』囲み ── 旧約聖書または会話の中の引用
また、弟子たちがこの(種蒔きの)譬えはどういう意味かと尋ねると、イェシュアは彼らに言われた、「この譬え(の意味)がわからないのか?それで、どうしてほかの譬えがわかろう?(では、)種蒔きの譬えを説明してあげよう。──種は天主の言葉である。種蒔く人は(天主の)言葉を蒔く。
道端に落ちた者とは、(天主による)統治の言葉が蒔かれて、それを聞いて悟らない[気付かない]と、すぐ悪魔がやって来て、彼らが信じて解放されることのないように、心の中に蒔かれた言葉をさらってゆく人たちである。
同じく岩地に蒔かれた者とは、(天主による統治の)言葉を聞く時すぐ喜んで受け入れるが、自分の中に(しっかりした信頼の)根がなく、ただ一時的であるので、後でその言葉の故に困難や迫害が起こると、その試みの時にすぐ信頼から離れ落ちてしまう人たちである。
また、茨の中に蒔かれた者とは、(天主による統治の)言葉を聞く(と、しばらくは信じている)が、途中で人生の心配や富の惑わしや快楽やそのほかの欲が入ってきて(天主の)言葉を窒息させてしまい、実らない人たちである。
しかし、良い地に蒔かれた者とは、立派な善い心で(天主による統治の)言葉を聞いて受け入れ、しっかりと保ち、忍耐をもって三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちである。」




