68. 天主による統治の譬え: 譬えで語る理由
•凡例•
( )囲み ── 訳者または編集者によるより理解しやすくするための補助、本文と一緒に読んでかまわない
[ ]囲み ── 訳者または編集者による語句の定義をより明確にする説明
『 』囲み ── 旧約聖書または会話の中の引用
さて、イェシュアが(しばらく)一人になられた時、周りにいた人たちが十二人(の弟子)と共に進み寄って、「なぜ、あの人たちには譬えをもって語られるのですか?」と尋ねた。
イェシュアは答えられた、「あなたたち(内輪の者)には、天主による統治の奥義を知ることが(すでに)許されている(のでありのままに話す)が、外におる人たちには(まだ)許されていないからだ。というのは、誰でも(理解を)持っている人は(さらに)与えられてあり余るが、(理解を)持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられてしまう。だから、あの人たちには譬えをもって話すのである。見ても見えず、聞いても聞こえず、また悟らない[気付かない]からだ。
こうして、イザヤの預言はあの人たちに成就した。──
『あなたたちは聞いても聞いても、決して悟るまい[気付かない]、
見ても見ても、決してわかるまい。
この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、
その目は閉じてしまっているのだから。
そうでなければ、彼らは目で見、耳で聞き、心で悟り[気付き]、
(心の向きを変えて)わたし[天主]に立ち帰り、
わたしに癒されるのではあるまいか。』
だが、あなたたちの目は見、耳は聞いているから幸いだ。アーメン[真実に]、わたしは言う、多くの預言者と義人とは、あなたたちが(今)見ているものを見たい見たいと思ったが見られず、あなたたちが(今)聞いているものを聞きたい聞きたいと思ったが、聞かれなかったのである。」




