23. 過越の祭り: ニコデモ 場所:エルサレム
•凡例•
( )囲み ── 訳者または編集者によるより理解しやすくするための補助、本文と一緒に読んでかまわない
[ ]囲み ── 訳者または編集者による語句の定義をより明確にする説明
『 』囲み ── 旧約聖書または会話の中の引用
ところで、パリサイ人の中に名をニコデモという人がいた。彼はユダヤの(最高法院の)役人であった。ある夜、この人がイェシュアの所に来て言った、「師よ、わたしたちはあなたが天主から来られた教師であることを知っています。天主がご一緒でなければ、あなたのされるあんな徴は誰もすることはできません。」イェシュアは答えて彼に言われた、「アーメン、アーメン[真実に、真実に]、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は上から(新しく)生まれ直さなければ、天主による統治を見ることはできない。」ニコデモがイェシュアに言った、「(このように)年を取った者が、どうして生まれ直すことができましょう?まさかもう一度母の胎内に入って、生まれ直すわけにゆかないではありませんか?」イェシュアは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は水[自然出産]と霊によって生まれなければ、天主による統治に加わることはできない。肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(からだ)。『あなたたちは上から(新しく)生まれ直さねばならない』と言ったからとて、少しも不思議がることはない。風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞こえるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生まれる者も皆、そのとおりである。」
ニコデモが言葉を返した、「(霊によって生まれるなどと、)そんなことがどうしてできましょうか?」イェシュアが答えて言われた、「あなたはイスラエルの(名高い)教師でありながら、それくらいなことがわからないのか?アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしたち(天主による統治を説く者)は知っていることを話し、(自分で)見てきたことを証言している。しかし、あなたたちはその証言を受け入れない。わたしが(今)地上のことを話しても、それを信じないなら、天上のことをを話したところで、どうして信じることができよう?しかも、天から下って来た者、すなわち人の子 (わたし) のほかには、誰一人天に上った者はない。(また天上のことを知っている者はない。)そして、ちょうどモーセが荒野で(銅の)蛇を(竿の先に)高く挙げたように、人の子 (わたし) も高く挙げられ(て天に上ら)ねばならない。それは、(蛇にかまれた者がその銅の蛇を仰いで命を救われたように、)信頼する者が皆、(天に上った人の子を仰いで、)彼にあって輝き続ける命を持つためである。その故は、天主はそのひとり子を賜ったほどにこの世を愛された。これは、そのひとり子を信頼する者が一人も滅びず、輝き続ける命を持つためである。天主は世を罰するためにその子を世に遣わされたのではなく、子を通して世を解放して救うためである。彼を信頼する者は罰されない。だが、信頼しない者は(今)すでに罰されている[裁きの中に生きている]。天主のひとり子の名を信頼していないからである。その罰の判決とは、光が世に来ているのに、人々は自分たちの行いが悪い[自分の労苦から出ている]ので、光よりも闇を愛したことである。卑しいこと[程度が低いこと]をしている者は皆、光を憎み、自分の行いが明るみに出されたくないため、光に来ない。これと反対に、真理を行っている者は、自分の行いが天主にあってなされたことを現わしたいため、光に来る。」




