82話 大野怜
「ねえ、土屋君、ちゃんといるよね?」
「いるって、背中に手が当たっているだろ」
もう何度目になるか分からない大野からの確認に、これまた同じ返事を返し影を操作して大野の背中をポンポンと叩くを繰り返している。俺の背中にある浴室のドアの向こうでは大野が風呂に入っている。・・・どうしてこうなった。
◇◇◇
「よし、これだけ離れればもう大丈夫だろ。大野ももう喋っていいぞ」
あれから1時間は移動してから街道から少し外れた所でようやく休憩する事にした。したのだが下に降ろそうとしても大野は頑なに俺から離れようとしない。若干呆れつつ発見した時の状況を思えば怖くて仕方ないのかもしれないと考え、そのまま近くの岩に腰かける。大野は相変わらず俺にしがみ付いて顔を俺の胸に埋めて震えているが、いつまでもこのままだと困る。
「ほら、大野。ここなら大丈夫だから。もう追手も来ないだろうし、安心していいぞ」
もう一度声を掛けると、ゆっくりと顔を上げて俺を見てくるがその目は怯えが残っていて未だに体が震えている。
「これ、外せる?これがあると魔法が使えないの」
大野は自分の首を指差して、何か幾何学的な文様が入った首輪を見せてくる。まあこれぐらいなら簡単に外せる。
「ほら、外したぞ」
『影収納』に入れて簡単に外してやると、手で首を触りながら首輪が外れた事を確認した大野は何やら詠唱を唱え始めた。幸い頭に警報は鳴っていないので、俺に敵対しての行動ではないようだ。
「敬愛なる女神様。癒しの奇跡で私の傷を治して下さい。『上級治癒』」
あんまり魔法の詠唱は聞いた事がないが、大野は詠唱っぽくない詠唱を唱えると、体が少し輝いた。すぐに光は消えた後、上級ポーションでも少し大野に残っていた傷跡がきれいさっぱり無くなっていた。驚いた事にバラバラに切られていた髪も水の国で会った頃のように長くてきれいな髪に戻っていた。これが回復魔法か。凄いな。
「つ、使えた。傷も無くなってる。髪も元に戻ってるよね?」
魔法が使えた事に驚いている大野だが、腕を上げたりしてさっきまで残っていた傷が無くなっている事を確認した後、自分で髪を触りながら俺にも確認してくる。
「ああ、元に戻ってるぞ。水の国で会った時と同じきれいな黒髪だ」
俺が答えてやると、一瞬何を言われたのか理解していない顔をしたが、しばらくして本当に髪が元に戻った事を理解すると同時に、自分が本当に安全な場所に避難できた事が分かったんだろう。目からボロボロ涙を零しながら、大声で泣き叫び出した。
「う、う、うわああああああああ。怖かった!もう駄目だと思った!殺されちゃうと思ったよ!あああああああ!良かった!助かったよおおおお!」
「・・・・・」
周囲の警戒をしながらも大野に胸を貸してしばらく好きに泣かせてやる。どれぐらい泣いていただろうか、ようやく落ち着いてきたようなので、先に謝らせてもらう。
「最初助けを求めてきた時に見捨てて悪かった。怖い思いさせたな」
「ううん。いいの、土屋君は本当なら私を見捨てて当然だった。それでも命の危険があるのに今、こうして私を助けてくれた。本当にありがとう」
まさか大野があれだけ酷い目に遭ってるとは思ってなかったが、見捨てようとした事は事実なので、しっかりと謝っておく。しかし、文句の一つでもくるかと思っていたけど、意外にも大野は怒りだすことはなかった。
「あと、あの水着の事件の時、土屋君の事、見捨てて逃げ出してごめんなさい。こんな事になってもう全部遅いかもしれないけど、本当に・・・すみま・・せん・・・でした」
俺に抱き着きながらもあの時の事を謝って頭を下げて、再びポロポロ泣き出し始める大野。ちゃんと謝ってくれた事だし、もうあの時の事はきれいさっぱり水に流してやる事に決めた。
「もう気にするな。今、大野が謝ってくれたから俺もあの時の事は許すよ。だからあの事はもう気にしなくてもいいぞ。ただ、現在の状況は別でもう一度謝ってもらうけどな」
そう言うと泣き声がピタリと止まり、大野はゆっくりと顔を上げて俺を見てくる。別にウソ泣きをしていた訳ではない、まだ涙の跡が残ったその顔は微妙に気恥しそうにしている。
「えっと。土屋君の所までいってる?」
「ああ、ビッチャビチャだよ」
「ご、ご、ご、ごめんなさい」
俺が正直に答えると、今度は顔を真っ赤にして俺の胸に顔を埋めながら謝ってくる。二人とも下半身はびっしょり濡れている。あれだけの目に遭ったので本当に安心して気が抜けたんだろうって事は分かるから怒る訳にもいかないが、俺にそういう趣味は無いので嬉しくもなんともない。
別に『洗浄』できれいになるが心情的に風呂に入ってきれいにしたい。大野もさっきまで寒空の下全裸だったので、一度体を温めた方がいいだろう。
『自室』
扉を目の前に出現させる。
「大野」
「無理。恥ずかしくて顔離せられない」
よいしょっと。我儘をいう大野を再び抱え上げる。
「うん?移動するの?」
少しだけ顔を離して微かに俺と目が合うぐらい顔を上げる大野だが、
「ああ、このまま運んでやるからそこの扉あけてくれ」
「扉?・・・えっ?何?・・・何でこんな所に・・・・」
俺が顎で目の前の扉を差すと、後ろに現れたドアに顔を向け、驚いた顔で俺を見る、ドアを見る。俺を見るを繰り返す大野。恥ずかしくて顔離せないんじゃなかったのか。
3往復程首の運動を繰り返すと、驚いた様子のまま俺に言われた通り、ゆっくりとドアノブを回してドアを開ける。開けてもらった所で家に入るが、入る前に二人とも『洗浄』で体、特にびしょ濡れの下半身をきれいにしてから部屋に入る。そこは勝手知ったる自分の部屋、迷うことなく浴室の折れ戸を足で空けて大野と浴室に入る。
「・・・えっ?ここ?・・・えっ?・・・あれ?」
大野はキョロキョロしながら、ものすごい混乱している。その大野を床に降ろすと混乱しているからなのか素直に俺から降りてようやく自分の足で立ってくれた。そのまま大野をそこに置いておいて、俺は浴槽にお湯を張りはじめる。
「体冷えたし、風呂も入りたいだろ?お前が先でいいぞ。ホントはお湯が溜まり終わってからだけど、まあ、体とか髪洗ってればすぐに溜まるだろ。俺はタオルとか準備して風呂の出口の所に置いたら、呼ばれるまで奥の部屋から出ないから安心して風呂に入ってくれ」
そう言って風呂から外に出ようとした所で、服を掴まれる。
「えっと。まだ怖いからお湯が溜まるまで一緒にここにいて下さい」
何故か丁寧な口調でお願いされるが、それぐらいなら別に構わないので、特に話をする事もなくお湯が溜まる。大野はその間、ずっと無言で何か考え込んでいるようだった。
「じゃあ、溜まったからのんびりしていいぞ。気になるなら最後お湯は捨ててもいいからな。・・・ああ、こっちがボディソープで、こっちがリンス入りシャンプーな。洗顔料が無いとか文句いうなよ。あと化粧水とかも持ってないからな」
「いや、これだけでもすごいんだけど・・・何これ?」
「それは後で教えてやるから、まずはゆっくり風呂に入って休め」
そう言ってから風呂から出ようとするとまた服を掴まれる。
「今度は何だ?」
「・・・えっと・・・・怖くて・・・・土屋君がいなくなるとヤバいかも」
「ヤバくても俺がここにいたら風呂に入れないだろ?どっちみちこの後俺も風呂に入るんだから少しは我慢しろ」
そう言うと分かってくれたのか名残惜しそうに俺の服から手を離す。そして浴室から出て扉を閉めた瞬間、
「ああああああああああ。無理無理。」
な、なんだ?Gでも出たか。一応部屋をキレイにして気は使ってるぞ。ノブの帰った後はキレながらも掃除はちゃんとしているし、今までGは見た事ないけど・・・と思ったが、扉が壊れたんじゃないかってくらい大きな音を立てて開くと同時に大野が俺に抱き着いてきた。足もしっかり俺に回して絶対離れないってぐらいの力強さだ。
「怖い、怖い、無理無理。一人になるのは無理です」
・・・・・・
抱き付かれた俺の下半身が再び湿りを帯びていき足元には水溜まりが広がっていく。おおお・・・マジかよ・・・2回目・・・怒りたいけど、大野の気持ちを考えたら怒るに怒れない。これどうしよう。あっ収納できる。
【大野怜の尿】別名:聖女の聖水。一部貴族から高値・・・
俺は説明を読むのをやめ、あとでちゃんとトイレに流しておこうと心に決めた。
「仕方ない、風呂は諦めるか?」
気を取り直して俺は大野に提案してみるが、首をブンブン横に振って反対する。この野郎我儘言いやがって、今も俺が全部片づけて『洗浄』もかけてやったのに。
「日本のお風呂にシャンプーとボディソープもあるのに入らないなんて無理!私半年以上もちゃんとしたシャンプーとボディソープで髪も体も洗えてないんだよ!」
教国の勇者が使う石鹸とかでも質が悪いのかな。
「じゃあ、怖いの我慢しろ」
「それも無理だよ。あんな目に遭ったばっかりだよ。怖くてまた漏らしちゃう」
「・・・・」
今日2回もやらかしているので、それは十分脅しになりますね。ただ、現役の高校生がそれを脅しに言うのはどうだろう?
「・・・・・・一緒に入って下さい」
「・・・・は?」
何ですと?
「だから一緒にお風呂入って下さい」
俺の聞き間違いじゃなかったみたいだ。
「いや、それは駄目だろ。風呂に入るんだぞ?裸になるんだぞ?」
「助けてくれた時に私の裸見られたから、まあいいかなって」
いいかなって・・・全然良くねえよ。
あの時の事は水に流したし、こんな可愛い子と一緒に風呂に入れるなんて、逆にいいんだろうかと思ってしまうぐらいだ。一番の問題は俺の理性がちゃんと持ってくれるかって事だろう。俺の理性が保てなくて、あんな目に遭った大野にもし万が一襲い掛かってしまうとかトラウマを抉って塩を塗りつける以上にヤバい。
「・・・流石にそれはマズいだろ」
よし!我慢出来た!俺偉い。俺の鋼のような固さを持つ理性をもって渋る大野を何とか説得した。したんだけど、
「ねえ、土屋君、ちゃんといるよね?」
「いるって、背中に手が当たっているだろ」
もう何度目になるか分からない大野からの確認に同じように答えて影を操作して風呂に入っている大野を安心させている。扉一枚隔てた向こうでは大野が風呂に入っている。何だろうなこの状況。
「ああ、いいお湯だった~。有難う土屋君」
風呂から上がった大野はサッパリした顔でお礼を言ってくる。大野がさっきまで着ていた俺の服は洗濯するので、今は俺の体操服を着てもらっている。それで軽く食事をしてから今日はもう寝る事にしたのだが・・・。
「助けてもらったのに我儘ばっかり言ってごめんね」
俺の隣で寝ている大野が申し訳なさそうに謝ってくる。最初は大野を布団で寝せて俺はその辺で寝ようとしたんだけど、大野が一人で寝るのを怖がったので一緒の布団で寝ている。それでも恐いようで俺の腕にしがみついた格好になっている。柔らかい感触が当たっているが、それよりも布団で3回目をやらかさないかの心配の方が強い。
「そ、そういえば、杉山君や浅野さんってどうなったの?」
俺がアホな事で不安になっている隣で、本当の命の危機を思い出して震えていた大野だったが、暫くして落ち着いてきたのか震えも収まり、今まで聞きたくても聞けなかったんだろう事を聞いてきた。
「殺した」
本当にあの二人も殺しても何も感じなかったので、何でもないように答える。
「・・・そっか」
多分大野も薄々は感じ取っていたんだろう。反応はそれだけだった。
「・・・・・」
「・・・・・」
そして会話が途切れて気まずい空気が流れる。
クラスメイトを殺した俺の事に幻滅したかな?まあ、別にそれでもいい。どれだけ非難されようがあいつらを許すつもりは無いしな。
しばらく無言が続いたので俺もそろそろ寝るかと思い目を瞑ろうとする。
「ねえ、抱きしめてくれる?」
そう言って俺の腕が大野の背中に誘導された。大野も俺の背中に手を回して抱きしめてきたので言われた通り俺も軽く力を入れて抱きしめてやる。
「・・・ウ・・・ウグッ・・・怖かった・・・ヒック・・・怖かった・・・ウウウ」
しばらくすると、大野が静かに泣き出した。大野がこっちでどれだけの経験をしてきたか分からないが、やっぱり今日の出来事は強烈過ぎたようだ。抱きしめていた片方の手を離して頭を優しく撫でる。そうして頭を撫でていると、大野は泣き止んで静かになったので寝たと判断して、俺も寝ようと目を瞑る。
「・・・・あのさ、ちょっと信じられないかもだけど、私あれだけ酷い目にあったけど、ある理由でそっち系の事はされなかったんだ」
寝てなかったようで再び唐突に話をしてくる大野だったが、俺はすぐに大野の話を噓だと思った。さすがに俺が発見したあの状態で、あれだけ酷い目に遭っておいて、性的な事をされていないはずが無い。
「そうか。そりゃあ運が良かった。」
嘘だと思った俺の口から出てきた言葉は全くの反対だった。大野の中では無かった事したいんだろうなと思ったので大野の言う事に信じたふりをしておく。顔を見られると俺が信じていない事が何故かバレそうな気がしたので、天井を見上げるように体の位置を変えてから言葉を返す。
「日本と違ってこっちだと死がかなり身近にあるからな。後悔する前にいい人見つけてさっさと経験しておいた方がいいぞ」
少し上から目線でアドバイスをしてみる。師匠とギースさんからの受け売りなんだけど・・・これアドバイスになっているのかな?
「いい人はもう見つけたよ」
大野の返事に少し驚いた。
聖女って固そうなイメージあったけど男はいるのか。・・・少し驚いたけどよく考えれば聖女と言っても結局は勇者だから出会いが多くてイケメンの知り合いとか多かったのかもな。前原も毎晩違う女と寝てるって言ってたしな。
「おお、もう彼氏いるのか。それならさっさと経験した方がいいぞ」
大野の彼氏は教国にいるよなあ、そうすると、そこまで送っていってやらないといけないのかなあ。
天井を見ながら今後の予定を考え出そうとした俺を、大野は強制的に振り向かせた。視線の先には大野が俺をしっかりと見つめていた。
「見つけたよ」
大野は俺に一言だけ言葉を発する。
「えっと。何を見つけた?」
「いい人」
大野は真っすぐ俺を見つめて真面目な顔で答えてくる。その顔がゆっくりと近づいてくる。
・・・い、いい人って、お、俺の事?ちょっと待て、この流れはマズい。
「は、ははは、大野の冗談は「冗談じゃないよ」・・・・」
はい、終了・・・ヤバいぞ、ホントにヤバい。俺の理性が弾け飛びそうだ。大丈夫、風呂は我慢できたからここも凌げるはずだ。
「あ、あれ、そうあれだ、聞いた事あるか?死を身近に感じると、子孫を残そうと性欲が強くなるらしいぞ、大野は今その状態なんだ、だからそんな気持ちでしたら絶対後悔するぞ」
「絶対後悔なんてしない」
俺の言葉を大野はきっぱり否定し、さっきから近づいてきていた大野の顔が更に近づいてきて、唇に柔らかい感触が伝わる。・・・俺の理性は鋼の固さじゃなかったらしい。
 




