誰もいない家と冷蔵庫
玄関のカギを開け、暗い部屋に明かりをつける。
「ただいま……って、誰も居ないっスね」
おかえりと迎えてくれる温かい声はない。
誰もいない家。冷え切った家族。明かりの灯らない家。
トウコの家は閑静な住宅街に建つ一軒家だ。豪邸とまではいかないが部屋数は多い。だがその部屋のほとんどには明かりが灯ることはない。
両親はめったに寄り付かない。両親は不仲で、それぞれが外に恋人を作って別に住居を構えている。とっくの昔に関係は破綻していた。
「はあ……また余計なことを言ってしまったっス……」
激しい自己嫌悪がトウコを苛む。
言いたいことを言って、店長を困らせたからと言って事態は改善しない。それはわかっていた。それでもわかってほしかった。
「あんなこと言うつもりじゃなかったのに。……ああ、明日なんて来なければいいっス……」
自室のベッドに頭から倒れこむ。
学校はつまらない。家もつまらない。
唯一の居場所だったバイト先もどうなるか分からない。
誰も自分のことを顧みないような、世界から隔絶されたような気持ちを感じて気が滅入った。
このままでは唯一のよりどころだったバイト先が、失われてしまう。
どうすればいいか考えてみても、妙案は浮かばなかった。
「なんか、何もかもどうでもよくなってきたっスね……明日学校行く気もしない。はあ、ゲームでもやってみるかな。……それすら面倒っスね」
バイトを始める前はゲームに没頭していた。
この頃はゲーム機を起動することすら面倒に思えている。
疲れているのに眠くはない。寝ようと思っても寝付けない。
頭の中で無意味な考えばかりがぐるぐるとくり返されている。
「はあ……眠れないっス。のどかわいたな……」
重い足取りで暗い廊下を進む。
キッチンの明かりをつける。
明かりはどこか、しらじらしく感じられる。
時計の針は深夜から早朝に近づいている。
冷蔵庫がぶーん、と低いうなり声を上げる音がいやに響く。
トウコは冷蔵庫を開けようとして手に力を込める。
「朝なんて来なきゃいいのに。――あれ、開かないっスね」
しかし、冷蔵庫のドアはなにかが引っ掛かったかのように開かない。
「冷蔵庫まであたしをバカにするっスか! ひらけポンコツ!」
そのとき、冷蔵庫のドアが勢いよく開く。取っ手に体重をかけていたトウコは、しりもちをつく。
「痛ぁー! もう、なんなんっスか! って、え?」
開いた冷蔵庫の中を見たトウコは言葉を失う。
冷蔵庫の中は、冷蔵庫ではなかった。
そこにあるべき食料品は跡形もなく消えている。そこにあるのは黒い空洞だ。
冷蔵庫の中からその黒い何かがふくれ上がり、あふれ出す。
あっというまに体積を増やすと、トウコを瞬時に包み込んだ。
「なっ……!?」
黒い濁流はトウコを飲み込み、そのまま冷蔵庫の中へと引き込んでいく。
誰もいなくなったキッチンで、冷蔵庫のドアがばたりと閉じた。