店長の不在と地獄のホール
いつも通り、トウコはバイト先のドアをくぐると大声で挨拶を放つ。
「おはよーっス!」
帰ってくるはずの返事が帰ってこない。
心なしか店内の雰囲気も暗く、活気もない。
「……あれ? 年中無休、三百六十五日出社の店長はどこ行ったっスか?」
店内には同僚の姿も見えない。
ホールに誰も出ていないという異常事態だ。
少ないながらも店内に客は入っていて、呼び出しのランプが点滅している。
「あれ……なんか、ホールやばい感じっスね……?」
店の奥から、不機嫌そうな男がのそりと出てくる。
店の制服は着ていないが、何度か見たことのある顔だった。
トウコは男がこの店のオーナーであることを思い出す。
そのオーナーから声をかけられる。
「……誰だ? ああ、バイトか?」
「えっと、バイトのアソトウコです。オーナー……っスよね?」
「お前、雇用主の顔くらい覚えておけ。常識ってもんがねえのか!」
「ああ、ハイ。すいませんっス! ……でも雇用主ならバイトの顔も覚えておいてほしいっス」
と余計なことを口に出してしまう。
後半は小声にするにとどめたので、オーナーの耳には届いていなかった。
トウコの努力が実ったというよりは、怒鳴り散らすのに忙しくて聞いていなかったのだが。
「なにをごちゃごちゃ言ってる!? ちゃんとした敬語もできねえのか! もういい、はやく支度してこい!」
「……了解っス!」
着替えを済ませ、バックヤードで準備をしているトウコへ、疲れた顔の同僚が声をかける。
「おつかれ……。トウコちゃん、今日はヤバいわよ」
「おつかれっス! なんか、ホールに誰もいないっスけど、大丈夫っスかね?」
「人が全然足りてないし、店はまわってないわ」
「そうっスよねえ。……それに店長はどこっスか?」
ホールスタッフのヤマダが疲れた様子で首を振る。
「店長は辞めたってオーナーは言ってたわ。あの仕事バカの店長が辞めるなんてね」
「……は?」
理解の追い付いていないトウコへ、げんなりした様子で同僚が説明する。
「オーナーは威張り散らすばっかりで仕事しないし、中番は店長が抜けた分が補充されてないし……おかげで残業よ」
「……辞めた? 店長が? そんなバカなっ!?」
「ああ、トウコちゃんは店長と仲良かったからショックか。私も辞めようか悩んじゃうな。店長に引き留められてたから続けてたけど……まあ、ちょっと考えるわ」
「えええ? ヤマダさんも辞めちゃうんスか? ちょ、ちょっと待ってほしいっス!」
客からの呼び出しベルが鳴り、店員を呼んでいる。
「あ、オーダー行ってきて。キッチンも人足りてないから提供は遅れるって案内してね。じゃ、がんばって。ごめんなさいね……早番だし、あたしはもう上がるわね」
そう言い残して、ホールスタッフのヤマダは帰ってしまった。
「あっ……お疲れっス……行ってしまわれた……」
トウコはホールへ出る。
待たせて不機嫌になっている客対応をする。
対応を終えて戻ると、オーナーが大声をあげる。
「おい! バイト! 客をあんまり待たせるんじゃないぞ!」
「いや、オーナー。無茶っス! あたし一人じゃ回らないっス!」
「今日の遅番は遅刻か? ほかのやつはどうした!」
「……今日のホールはあたしだけで、それと店長だったはずっス」
「……あいつは居ない。居る奴でなんとかしろ! じゃあ、キッチンの遅番はどうなってる?」
「キッチンのシフトは見ないとわかんないっスけど……それも店長じゃないっスかね?」
ホールは2名か3名。キッチンスタッフも同じくらい必要だ。
オーナーが人件費を削減したせいで、ぎりぎりの人数で運営されていた。
各時間帯にホールとキッチンが1名ずつ、足りない部分は店長が一人二役で、実質二人分の作業をしていたのだ。
「なんだそれは! そんなの、成り立つわけあるか!」
「店長は年中無休、一人二役で二倍速の変態っスからね……」
ベルが鳴る。しびれを切らした客が怒りだす。
客に頭を下げ、オーナーに怒鳴られる地獄の時間だった。
しかもひとしきり怒鳴り散らすと、オーナーは帰ってしまった。
なんとか終業時間を迎える。
「えっと……じゃあ帰るっス……って、あれ?」
着替えて店に戻ってみると、誰もいない。
キッチンのスタッフも帰ってしまっている。
「あれれ……? 誰がお店閉めるんスかね? あたししかいませんけど……」
掃除して、洗い物をして、レジをしめて……やる事は多い。
一人でできる分量ではなかった。
一部の作業は、やり方すらも知らない。
トウコはレジや防犯システム、鍵の管理などは任されていない。
「……詰んだっス! そのままあたしも帰っちゃえばいいんスかね……。いやいや……うーん」
店内で、一人頭を抱えるトウコ。
そこへ、電話が着信する。
ディスプレイに映る電話番号は、辞めたはずの店長のものだった。
「もしもし! 店長! ああ、留守電残しておいてよかったっスー!」
「もしもし。俺だ。急に悪いな。いきなりクビにされてな……」
その声を聞いただけで、なんだか救われたような気がする。
電話越しにクビにされた経緯や仕事の説明をしてくれていたが、トウコの頭にはほとんど入っていなかった。
「しゃあない。ちょっと行くわ」
「来てくれるんスね! 助かるっス!」
電話を切って、しばらく放心していたトウコだったが、手のひらで顔をたたいて活を入れる。
「よし! 店長が来る前にできることはやっておくっス!」
まずは洗い物の山に手を伸ばすのだった。
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