六話 二度目の悪夢
辺りの家々がメラメラと燃えている。
またいつもの夢のようだ。
鼻を抜ける肉の焼ける匂いに嫌悪感を抱きながら、ほんの少しの違和感に気づく。
今回はいつもとは少し違うようだ。
いつもは壊れたレコードのように何度も繰り返し同じ映像が再生され、それを俺の意思とは無関係に夢の中の俺が動き、痛みを伴う目覚めを迎えるのだが、今日はある程度自由が効くようだ。
腹に穴が空いているのもいつもと同じで、そのせいか手足の自由は効かないが首は回るようで、動くものを精一杯使い、巡らせてみる。
辺りの家々はただ燃えてゆくばかりだが、それを見ていると胸を締め付ける感覚に襲われる。
やはりこの体は産まれた村を覚えているのだろうか。
そして俺の足元には血溜まりと遺体が数体転がっている。
あるものは首がなく、あるものは四肢がない。
見ているだけで吐き気が登ってくるが、この穴の空いた体では吐くことすら出来ない。
そしてそろそろだ。
「……」
音もなく、気配を感じる前に俺の前に現れるローブを羽織った老人。
「お前は、何者だ?」
振り絞るように声を出す。
一言喋る度に体のあちこちに激しい痛みが走り、腹が熱くなる。
よくもまぁ、夢の中の俺は流暢に喋っていたものだ。
いつものように立ち尽くす老人だったが、ローブから微かに覗いた目は驚いているように見えた。
「ほう、もう覚醒したのか?彼女が干渉したからか、想定より早いな」
嗄れた声で老人はそう言い放った。
記憶のことであるならばまだ何一つ思い出せずにいるし、他に何か変わったこともないように思う。
なんの事だかさっぱりだ。
「その様子だと違うようだな」
老人は顎に手を当てて何かを考える素振りを見せる。
俺はこの老人であれば、この恐ろしい夢の事や俺の記憶の事、何か知っているような気がした。
次、いつこうして都合よく自由の効く夢を見られるか分からないんだ。
俺は痛みに耐え、口を開いた。
「この夢、一体誰が、なんの目的で見せているんだ?」
ローブで隠れて分からないが、老人と目が合った気がした。
「この夢を見せているのはお前であってお前ではない。そしてきっとこれからも不可解な夢を幾つも見ることになるだろうが、どれもお前の記憶の一端であることを忘れるな」
俺であって、俺ではない誰か。
頭がこんがらがるその言葉を必死に飲み込もうと咀嚼する。
俺でない俺、心当たりがあるとすればきっと記憶を失う前の俺だろう。
ということはきっと、この夢の中に記憶を取り戻すヒントがあるということだろうか。
「もうあまり時間が無い。こうして質問できる機会はそう訪れないだろう。他には?」
俺の考えがまとまる前に無情にもそんなことを言われてしまう。
俺は思考回路を切り替え、急いで今聞いておきたい事を思い起こした。
「俺の記憶は、いつ戻るんだ」
「それは私にも分からない。歯車が少し狂ってしまっているようだからな」
すぐには戻らない、という解釈でいいのだろうか。
それより次だ。
俺が聞きたいこと、大事なもの……、ミア。
「ミアは、王都に着いたら少しは安全になるか?」
老人はその質問に少しだけ間を置いた。
彼の視線が俺から、その隣に移ったように見え、何かあるのかと思い俺もそちらに首を向ける。
「ミ、ア……?」
さっき見回した時は気が付かなかった。
俺の右手を触り、うつ伏せに力なく横たわるそれは血に濡れてはいたが、見間違いようのない顔だった。
「ミア……!なんで、どうして……!」
ミアが死んでいる。
その事実を飲み込んだ時、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
その度に身体中に鈍い痛みが走り、視界がクラクラとぼやけ、頭がグルグルと回る。
「落ち着け。これは夢だ」
「夢でも!俺の記憶なんだろ!ミアは、死んで……」
落ち着けるものか。
ここで死んでいると言うことは、今のミアは一体なんなのか、そんな疑問が脳裏をよぎる。
死体が動いているのではないか、はたまた誰かが入れ替わっているのではないかと、良くない考えが頭を支配する。
「よく思い出せ。夢の外でお前の弟は元気だっただろう?」
暗雲に覆われた思考に、老人の一言が聞こえた。
頭の中にはミアの笑う姿や、獲物の血に汚れながらも誇らしげにしている姿が不思議と浮んでくる。
そうだ。一緒に川に行った時やミアをおぶった時、体は暖かかった。
「もしかして、まだ、生きて……?」
「そうだ。この夢の中で意思があるのは私とお前だけだ。動くはずなかろう」
さも当然かのようにそう言い放つ。
そうならそうと早く言って欲しかった。
意味ありげな視線運びに、このエルロン村の状況、終いにはミアは眠ったように動かない。
勘違いしてもおかしくないだろう。
「まぁ、二人とも瀕死ではあるが命は保証しよう。さぁ、そろそろ時間だ」
時間、つまり夢の目覚めと言うわけだ。
目が覚めればきっと、隣には可愛らしい寝顔を浮かべたミアがいることだろう。
老人がいつもの夢のように、俺の穴の空いた腹に躊躇なく手を伸ばす中、最後に聞いておきたいことがあるのを思い出した。
「ご老人。最後に、あなたの名前と目的地を教えてくれ」
その問いに一瞬老人はシワの目立つ手を止めた。
「私は導く者、賢人ロード。お前に力を与え……いや、返すためにやってきた者だ」
その答えを聞くと同時に腹に激痛が走った。
いつもに増して鮮明なその痛みに、悲痛な叫び声をあげながら消えゆく意識を手放した。
「ーーあとは、頼んだ」
どこか悲しみが混じる老人の声を聞きながら
•*¨*•.¸¸☆*・゜
「ああ、まだ痛む……。この感覚には当分慣れそうにないな」
目を覚ますと痛みの余韻が寝起きの体を襲ってくる。
ただ、いつものように疲れが取れていない感覚や、頭が割れるような頭痛はしてこなかった。
記憶を無くしてからは初めての清々しい朝かもしれない。
ただ、考えることは山積みだ。
あの老人確か、賢人ロードと言ったか。
彼は自分の事を導く者とも、俺に何かを返しに来たとも言っていた事を思い出す。
つまりは記憶を無くした時から俺の中には何かがあるのだろう。
「ミア……」
ふと夢の中のミアの事を思い出し、隣で眠っているミアに目を向ける。
すぅすぅと穏やかな寝息を立てるその姿に俺は、夢の中の傷を負い血塗れになりながらも、俺の手を握っていたあの姿を重ねてしまう。
冷や汗が背中を伝う。
まだ死んでいないと、あの老人は言っていた。
それでも確認したくなってしまったのは、まだ彼の言葉を信頼していないからだ。
俺は少し震えるその手を、ミアの白い手に向けて進めた。
近づくにつれて鼓動が早まり、嫌な汗が身体中から吹き出すのを感じながらも、その手を止めることはしなかった。
「……良かった、暖かい」
触れたミアの手のひらには温もりがあった。
これで冷たかったら、などと最悪の自体を考えていた俺は、安堵するように小さく息をついた。
ミアの幸せそうな寝顔を見ると、やはりこの体が兄だからだろうか、守ってやらなければいけないという使命感が湧いてくる。
その為にはまずあの老人の言っていた力の事を、少し考えなければいけない。
そう思い立ち、俺はテントから出ようと、ミアに添えた自分の手を引っ込めようとしたのだが、いつの間にか手をグッと握られていた。
「兄さん……?」
「すまん。起こしたか?」
半目を開けながら俺を呼び止めたミアは、いつもの元気な姿とは程遠い、目元に涙を貯めて不安そうな顔をしていた。
「あっ、すみません。少し怖い夢を見て……」
ミアは握った俺の手を慌てた様子で手放した。
俺が初めて見るその弱々しい姿に驚いていると、それを察したように目元を袖で拭い、小さな笑みを浮かべる。
どんな夢を見たか、それを話してくれないのはきっと俺が頼りないからだろう。
「大丈夫か?」
そんな当たり障りのない言葉しか浮かんでこない。
きっと帰ってくる言葉も決まっているだろう。
「大丈夫です、兄さん」
そう言われてしまえばこれ以上踏み込むことは叶わない。
俺は自分の情けなさに嫌気を感じつつ、テントを出ることにした。
むくりと立ち上がり、隣に寝ている剣を手に取ると出口へと向かう。
「あの、兄さん。きっといつか、もっと上手く話せるようになったら、話します。だから……」
俺の去り際に、ミアが申し訳なさそうに告げた。
とはいえミアは喋りが下手な訳では無い。
どうゆう意味かは図りかねたが、それでも俺は首を縦に振った。