【SCOOP】王太子殿下には想い人がいるらしい【殿下付き侍女の取材記録】
王宮が誇る広大で美しいガーデン。この場に集められた十数名の令嬢たちは、咲き乱れる花の如く美しく、『我こそは』という自信と気概に満ち溢れている。
(あぁ、なんてツイているんだろう)
心の中でそう呟きつつ、わたしは密かにガッツポーズを浮かべる。興奮で胸が張り裂けそうなぐらいだ。
「あなた、今日が初めてでしょう? ついてないわねぇ、勤務初日がこんな忙しい日だなんて」
先輩侍女が気の毒そうに、そんな言葉を掛けてくれる。確かに、それが普通の感覚なのだろう。
けれどわたしは、ニヤリと笑いつつ、先輩侍女からお盆を受け取った。
「寧ろ好都合です。是非、わたしに行かせてください。早く仕事を覚えたいので!」
気合十分なことをアピールすると、先輩侍女は驚きつつも、快くわたしを送り出してくれる。
わたしの名前はマイリー・レファレンシア。今日からこの王城で、侍女として働くことになっている。実家は没落寸前だけど一応貴族で、印刷業を営んでいる。16歳の花盛りだ。
(んんっ、あれは!)
先輩方から離れてティーポットの準備をしていると、俄かに周囲が騒めき立つ。見ればそこには、おとぎ話から飛び出してきたかのような、見目麗しい貴公子が立っていた。
「殿下! 本日はお招きいただき、ありがとうございます」
令嬢の一人が我先にと男性に駆け寄る。
(あっ、良い感じ……! 二人とも、しばらくそのまま、そのままっ)
刹那、目頭にググっと力を込め、瞳にその光景を焼き付けた。
『念写』
わたしには、自分の目で見たものを、紙や壁といった面にそのまま写し出す能力がある。どんな精巧な技術を持った画家でも、わたしのこの能力には敵わない。事実を客観的に形に残すという点において、わたしより秀でたものに出会ったことはない。
(どちらの御令嬢だろう。早くリサーチしたい)
興奮に胸をときめかせつつ、何食わぬ顔をして仕事を続ける。その間、視界に殿下を常に入れ、念写のチャンスを逃さないように気を配った。
わたしがここで侍女として働いている目的。それは、殿下の決定的な瞬間――――恋愛事情をスクープするためだ。
わたしがお仕えすることになったアスター殿下は御年18歳。この国の第一王子で、先日、先代国王が崩御したことをキッカケに、王太子になられたばかりだ。
見目麗しく、文武両道。公務も積極的にこなしていらっしゃるということもあって、国民からの人気は高い。けれど、彼の性格や私生活は未だヴェールに包まれている。
それより何より国民が気になっているのは、彼の『結婚問題』だった。18歳になっても婚約者がいないばかりか、浮いた噂一つない。そんな殿下に国民は興味津々だ。
彼の婚約をスクープすれば、雑誌の売り上げは飛躍的に伸びる。だからわたしは、殿下の側近くで様子を伺うため、こうして侍女になったのである。
(くそぅ……ここからじゃ何を話してるかちっとも聴こえない)
先程から先輩の仕事を取り上げては、会場内を右往左往しているものの、中々殿下に近づくことができない。令嬢方は入れ代わり立ち代わり殿下と会話をしているけれど、殿下が誰に対して好感を抱いているのか、見ただけでは分からないのだ。
だけど、運だけは物凄く良いと思う。なにせ、勤務初日に殿下の婚約者達を知る機会に恵まれたんだもの。
このお茶会のことは非公表だし、きっと他社は候補者たちの情報すら手に入れることができない。参加者たちの顔は全部念写したし、父に送れば、誰が候補者なのか洗いだすことは簡単だ。今後は彼女たちの周囲に気を配っていれば、事をずっと優位に進めることが出来る。
(とはいえ、もう少し狙いは絞っておきたいなぁ。殿下のご尊顔はたくさん『念写』できたけど)
それだけじゃ意味がない――――っていうか使いようがない。大事なのは殿下と未来の婚約者のツーショットであり、情報だ。今後誰がその座を射止めるかは分からないけど、闇雲に当りを付けるのは得策とは言えないだろう。
(うーーん、どうしたものか……)
「――――君、見かけない顔だな」
その時、誰かがわたしに声を掛けてきた。振り向けば、鷹のように鋭い瞳に、ツンツンとんがった髪の毛が特徴的の、ガタイが良い男がわたしを軽く睨んでいる。
「新入り侍女か」
男はわたしのことを値踏みするように眺め、眉間に皺を寄せている。コクリと小さく頷けば、男はフンと鼻を鳴らす。普通に立っているだけで半端ない威圧感。武人なのだろうと察しがついた。
「名前は?」
「マイリーと申します。今日が初めての出仕です」
会話をしながら、男性は茶菓子を口に運ぶ。その間ずっと、鋭い視線が注がれ続け、わたしはちっとも殿下を視界に収めることができない。
(ああもう! せっかく殿下の私生活を暴く絶好のチャンスなのに!)
心の中でそう叫びつつ、ニコニコと穏やかに微笑み続ける。
(さすがに勤務初日から怪しまれるわけにはいかないもんね)
急がば回れ。追い出されるよりマシだ。
「俺はホーク。殿下の側近をしている。殿下付きの侍女ならば、今後顔を合わせることも多いだろう」
「……ホーク様! よろしくお願いいたします」
(そうか、この人が!)
殿下の右腕。近衛隊長のホークといえば、出仕前の事前調査リストに当然ながら載っていた。
殿下の2歳年上の20歳で、大将の息子。確か、どこぞの伯爵令嬢と婚約を結んでいる。絶対的に仲良くなっておいて損のない相手だ。
ホーク様の顔をさりげなく『念写』しつつ、わたしは先程よりも愛想よく笑う。
「それで、マイリーはどうして侍女を志した? 見たところ、君も貴族の令嬢だろう?」
ホーク様はそう言って軽く身を乗り出す。まるで採用面接をもう一度受け直しているかのような気分だ。
「行儀見習いと、将来の縁に繋がれば、と思いまして」
そう言ってわたしは恭しく頭を垂れる。
大丈夫、この受け答えは何十・何百回と練習を重ねてきた。簡単に尻尾を出したりしない。割と本気で命がけだし!
「……まぁ、ありきたりな理由だな」
ホーク様はそう言って、嘲るような笑みを見せる。
(これは煽られているのだろうか)
まるで圧迫面接のようだなんて思いつつ、心の中でむっと唇を尖らせる。だけどその時、ホーク様の肩がポン、と叩かれた。
「こら、うちの新人をそんな風に苛めないでよ。折角欠員が埋まった所なんだから」
穏やかで優しく、明るい声音。見ればメインターゲット、アスター殿下がわたしに向かって微笑みかけていた。
「君がマイリーだね。俺はアスター。これからよろしくね」
「よっ、よろしくお願いいたします」
正直言って、これは想定外の展開だった。殿下が新人侍女の名前を覚えているとは思っていなかったし、当分声を掛けられることは無いと思っていた。しばらくは只管、遠巻きに殿下を観察しようと思っていたのだけど。
「嬉しいなぁ。年が近い子ってあんまり採用されないから。良かったら時々、俺の話し相手になってほしいんだけど」
「……はい。殿下がお望みとあらば」
本気でも、社交辞令であっても、わたしにとっては好都合。ニコリと微笑みつつ、わたしは恭しく頭を垂れる。
「それじゃあ、またね、マイリー」
それから殿下はホーク様を伴って、令嬢方の元へと戻っていった。
***
その日、自室に戻ったわたしは、すぐに『念写』したばかりの光景を一つ一つ、紙に現像していった。
「うーーん、中々手強そうな感じだなぁ」
改めて客観的に画を見れば、殿下はどの令嬢も特別扱いはせず、全員と平等に接している様子が伺える。現段階でこの中の一人を『有力候補』と定め、張り込むことは難しそうだ。
(さすがに今日は、疲れた)
炎天下の中、先輩たちから仕事を奪ってまで給仕に勤しんだ影響が如実に出ている。随分と体力を消耗してしまったようだ。
(また明日、頑張ろう)
ふぅ、とため息を吐きつつ、わたしはベッドに倒れ込んだ。
***
二日目。
侍女の朝はめちゃくちゃ早い。
「お湯は少し冷まさなきゃいけないから、今のうちに盆に移しておいて。お持ちする間に丁度良い温度になるはずだから」
「はい、わかりました」
必死にメモを取りつつ、言われた通りの指示をこなす。殿下の起床時間が迫っているらしく、現場は鬼気迫っていた。
「殿下は優しいけど、時間を物凄く大切になさる御方だから、遅刻は厳禁。無駄は極力排除して、テキパキ動くようにしてね」
会話をしながら、先輩はわたしの腕に数枚のタオルを載せていく。最早一つ一つ立ち止まって確認する暇は無いらしく、実際に動きながら仕事を覚えていくしかない。
おまけにわたしは、殿下の私生活を暴くという密命を抱えているから、前途は多難だ。
「おはようございます、殿下」
詰め所では、鬼気迫った様相の先輩たちだったが、殿下の寝所では一転。ものすごく上品で落ち着いた佇まいに早変わりしていた。
(プロだな、皆)
わたしは感心しつつ、先輩たちと同じようにキリリと居住まいを整える。殿下は眠そうに目を細めつつ、「おはよう」なんて口にして笑っている。
(おわぁ……美人の寝起きって心臓に悪いんだなぁ)
こそこそと殿下の寝起きを念写しつつ、心臓がドキドキと鳴り響く。
少し寝ぐせのついた金髪に、覚醒しきっていないあどけない表情。白い肌に薔薇色の頬がとても映える。殿下の隣に寝ている人間はいないのに、ついつい昨夜の名残的な何かを勘繰りたくなるセクシーさがそこにはあった。
(こんな画、とても世に出せそうにないなぁ)
それでも念写してしまうのは、記者の性というもの。今後これがどんな形で記事に活きるか分からないし、ね。
「あぁ、マイリーも来ているんだね」
その時、殿下はわたしに向かって声を掛けた。思わぬことに驚きつつ、わたしは急いで殿下にタオルを差し出す。
「おはようございます、殿下」
「うん、おはよう。昨日はよく眠れた? 初日にあれだけ頑張ったんだし、疲れただろう?」
殿下はそう言って穏やかに笑う。先輩たちは何食わぬ顔をしてそれぞれの仕事を続けているが、それぞれしっかりと聞き耳を立てている。下手な発言はできそうにない。
「……えっと」
「俺が許したんだ。正直に言って良いんだよ」
殿下はそう言ってタオルからチラリと顔を見せる。楽し気な横顔に、何だか胸がキュンとした。
「昨日は少し、疲れました」
「うん。お疲れ様。昨日は正直、俺も疲れた」
先輩侍女たちが殿下の動きに合わせて、動き回る。次は着替えに移るらしい。洗面道具を片付けながら、わたしは先輩たちの動きを観察した。
殿下は侍女たちのされるがまま。寝間着を剥がれ、新しい下着を身に着けていく。
(うわぁぁあっ)
その様子は、わたしみたいな若輩者には目に毒だった。
朝日に照らされた端正な肉体。剥き出しになったのど仏や引き締まった腹筋、逞しい腕にゴクリと喉が鳴る。
(いやいや無理! もう、無理!)
この辺りで堪らなくなって、わたしはクルリと後ろを向いた。直視に堪えない。っていうか例え画であったとしても、見れる気がしなかった。平然としていられる先輩たちが不思議でならない。
(今度から朝のシフトは外してもらおうかな)
うら若き乙女に、殿下のお着替えミッションは荷が重すぎる。こっそりとため息を吐きつつ、わたしはバクバク鳴り響く心臓を宥めた。
***
五日目。
少しずつ、王宮暮らしも慣れてきた。
結局、朝のシフトから外されることは無く、わたしは毎朝、殿下の着替えを目の当たりにしている。
「えぇ? 慣れるわけないわよ、あんな身体」
思い切って先輩に聞いてみたら、意外や意外。ケラケラ笑いながら、そんな答えが返って来た。
「へっ⁉ でもでも、皆さん平気そうな顔で着替えを手伝っていらっしゃって……」
「そりゃぁマイリーみたいに顔を逸らすほどじゃないけど、ドキドキするに決まってるじゃない。……まぁ、私の場合は殿下の方が年下だし、役得って思うぐらいで済むようにはなったけどね」
ケラケラと笑いつつ、先輩の一人であるジャスミンがそんなことを口にする。
(そうか……そういうものなのかなぁ)
いつかはわたしも、殿下のあのキラキラしさに慣れる日が来るのだろうか。
もしも将来、彼と結婚する人に向けて記事を書くならば、『どうぞお気をつけて』と忠告してあげたい。多分大変な目に合うから。ドキドキして、ヤバいと思うから。
「すまない、殿下にお茶を用意して貰えるだろうか」
その時、近衛の一人が詰め所にやって来た。先程までのフランクさは何処へやら。先輩たちはすまし顔で「承知しました」と口にする。こういう時の切り替えの早さは、密偵の端くれとして見習いたいところである。
「マイリーも一緒に行く? まだ殿下の執務室には行ったことがないわよね」
ジャスミンはそう言って、テキパキとお茶の準備を進めている。
「行きます! 行かせてください!」
数日ぶりに訪れた平時と異なる展開。わたしは胸を躍らせた。
「失礼いたします」
お茶と茶菓子の準備を整え、殿下の執務室の戸を叩く。許可を貰って中に入ると、そこには殿下とホーク様、それから見知らぬ女性が一人いた。
その瞬間、記者としてのわたしの欲が、物凄い勢いで疼きだす。
(あれはどこの誰⁉ 殿下の婚約者候補⁉ でもでも、あの日のお茶会にはいなかった!)
一気に溢れ出す疑問符を呑み込みつつ、わたしは何食わぬ顔でお茶の準備を進めていく。
とはいえ、さり気なく『念写』をすることは忘れなかった。結果、上手いこと殿下と女性の二人を視界に収めることができたので、満足している。
まぁ、誰が写したか一目瞭然だから、スクープ時には使えないんだけど。
「ありがとう。珍しく煮詰まってしまってね」
「いえ、とんでもございません」
ジャスミンはそう言って朗らかに笑う。
普段殿下は、あまり休憩をなさらないらしい。だから、執務中にお茶を所望されたのも、実に数週間ぶりなんだとか。
(もっと積極的に休憩なされば良いのに)
わたしからすれば、殿下の生活を覗く機会は一分一秒でも多い方がありがたい。しかも、殿下一人の時ではなく、他の人と一緒にいる時の方が絶対的に良いのだ。
(くそぅ。もう退室しないといけないなんて)
しかし、必要以上の長居は禁物。お茶を淹れ終わったらさっさと退室せねばならない。
この間見知らぬ女性は、ニコニコと穏やかに微笑みながら、わたしのことを見つめていた。
(お願いだから、笑ってないで、なんか会話して! これじゃ記事にならないから!)
必死で念を送っても、残念ながら殿下もホーク様も、その女性も、口を開く気はないらしい。苦々しい思いを抱えつつ、殿下の執務室を後にした。
***
十日目。
そろそろ家が恋しくなってきた。だけど、ちゃんとした休みが貰えるのは残念ながら二週間後。それまではこの王宮を出ることができない。
ついでに言うと、手紙も全て検閲に回されるため、ここでの出来事はまだ、誰にも報告できていない。
婚約者選びのためのお茶会のことも、執務室にいた女性のことも、全てわたしの取材ノートに記された秘密だ。
その後の調べで、執務室にいた女性は、殿下の秘書をしているヴィヴィアン様という女性だと分かった。侯爵家の御令嬢で、殿下とも昔から仲が良く、いつ婚約に発展してもおかしくない御方なのだという。
(だったら早く婚約しちゃいなよ!)
そんなことを思うけど、実際は婚約に発展する前に記事を出さなければ、スクープにはならない。早まって誤った内容の記事を出せば、雑誌の信用問題になるし、そもそも王室の怒りを買ってしまうのは宜しくない。
あくまで王室のイメージアップに繋がり、尚且つ部数アップが見込める。そんな内容にしなければならないし、記事を書いたのがわたしだとバレないようにしなきゃならない。
ついでに言えば、ヴィヴィアン様がお相手だと意外性に欠けるため、その辺りも微妙だったりする。
「マイリー、ちょっと良い?」
その時、わたしの私室の戸が鳴った。今のわたしは休憩時間で、仕事の割振りはない。不思議に思いつつ顔を出すと、そこには先輩のジャスミンがいた。
「あのね、殿下がお茶をしたいから、マイリーを呼んできてほしいって仰るの」
「…………はぁ」
あんまり理解できなかったけど、取り敢えず承諾の意味を込めて返事をする。
(詰所の人手が足りてないのかな?)
そんなことを考えながら仕事用の服に手を伸ばすと、ジャスミンは「違う違う」と口にして、小さく首を横に振った。
「そうじゃなくて、マイリーに話し相手になって欲しいんだって」
「………………はい?」
既に日が暮れて、殿下は夕食を待っていらっしゃる時間の筈。そんな時間に敢えてお茶をするのも謎だけど、わざわざわたしなんかを話し相手に指名する理由がよく分からない。
とはいえ、お断りできるわけもなく、わたしは急いで支度をする。お仕着せではダメだというので、実家から持参したドレスを身に着けた。
「あぁ……来たね」
殿下はラフな服装に身を包み、私室のソファで寛いでいた。朝とはまた違った雰囲気の殿下に、わたしはゴクリと唾を呑む。正直言ってこの状況、心臓に物凄く宜しくなかった。
「あの、如何なさったのですか? 何か急用でも」
「ん? 前に言っただろう? 話し相手になってほしいって」
殿下はそう言って小さく笑う。いつもの大人びた表情とのギャップに、心臓がドキッて鳴った。
「仕事中に呼びつけて、俺のせいで怒られたらいけないからね。おかげでこんな時間帯になってしまったけれど、許してほしい」
「畏れ多いことです」
答えつつ、わたしは内心驚いていた。正直言って殿下が、初日に交わした約束を覚えていたことは意外だったし、わたしの仕事やその周辺にまで気を配っていたことはもっと意外だった。
王族ってのはもっと傍若無人で、好きなように振る舞っても許される生き物じゃないのだろうか。そんな風に思いつつも、殿下の好感度は上がる一方だ。
「仕事はどう? 少しは慣れた?」
「はい。おかげさまで。皆さんとてもよくしてくださいますし」
殿下と一緒に、先輩が淹れてくれたお茶を口にする。緊張で全く味がしない。お高い茶葉なのに、勿体ないなぁと心から思った。
「マイリーの家は西部に領地を持っているんだったね。あちらはどう? 俺はあまり王都を離れたことが無いから」
「そうですね……海が近くて魚介類がとても美味しいです。お酒も料理に合わせた辛口のものが多くて……」
そんな感じで、わたし達は当り障りない会話を繰り広げていく。
殿下は侍女の仕事よりも、わたしやわたしの育ってきた環境に興味があるようだった。
(正直、探るのは好きだけど、探られるのはあんまり好きじゃない)
殿下の問い掛けは、表面的なようでいて、案外鋭い。わたしが信用に足る人間なのか、見定めているように思える。
実際問題、やましいことしかないため、早くお暇したいなぁなんて思っていた所、殿下は思いがけないことを口にした。
「そういえば、マイリーは良縁を求めているんだってね」
一瞬、何を言われたのか理解できずに、わたしは目をパチクリさせる。数秒後、わたしは自分が何故侍女になったのか、その『設定』を思い出した。
「えっ……えぇ。わたしももう16歳ですし、領地に引きこもっていても出会いはありませんし。出来れば宮殿に出仕をしている間に良い人を見つけたいなぁって」
正直言ってそんな気、これっぽっちもないけど、採用試験でもホーク様にも同じ内容を伝えてしまっている。わたしは無理やり、夢見るような表情を浮かべた。
「そうか。……うん、そうだね。良い人と出会えると良いね」
殿下はそう言って小さく笑う。やましさから、全身に変な汗が流れ出た。何とか誤魔化しきれたらしい。心から安堵した。
「あぁ……でも本当は、もう出会えているのかもしれないよ?」
そう言って殿下は、ニコニコ笑いながら身を乗り出す。思わぬことに目をぱちくりさせていると、殿下はすすっとご自身を指さした。
「俺とか、ね」
「…………殿下、それ、問題発言です」
(この人、本当に王子としての自覚があるんだろうか⁉)
もしも、今の発言のお相手がわたしじゃなかったら、間違いなくすっぱ抜いてた。最有力婚約者候補としてスクープしていた。それ程の爆弾発言だというのに。
(何でよりによってわたしなのよ!)
悔しさのあまり、こっそりと地団太を踏む。
殿下がわたしを揶揄っているだけだって分かっているから、残念ながら記事にはならない。本当に本当に口惜しい。けど。
(この人、案外自分からネタを振りまいてくれるタイプかもしれない)
今後の取材に向けて気合が増したのは言うまでも無かった。
***
二十四日目。
(ついに……ついにお父様に会える!)
王宮勤めを始めてから初めての連休。わたしは大きな戦果と共に、実家への凱旋を予定していた。
この三週間ほどの間に撮り溜めた念写や、殿下の行動録なんかをリュックサックに詰め込み、意気揚々と城を後にする。重たい荷物とは裏腹に、足取りは軽やかだ。
(ん? あれは……?)
だけどその時、城の裏門から人目を忍ぶ様にして、一台の馬車が出掛けて行くのが見えた。普段出入りしているものより質素な見た目の、なんだか怪しい馬車だ。
(一体どなたが乗っているんだろう?)
王城の警備は厳しいし、許可を得ているんだろうってことは分かる。
それでも、わざわざ裏門から出入りする理由や、質素な馬車を使う理由が分からない。そこはかとなく興味を惹かれつつも、徒歩で馬車をつけるのは難しい。気を取り直して城の正門へと向かった。
王都は沢山の人で賑わっていた。活気に満ちた市場。国内外から集まった様々な品が並んでいて、見ているだけでワクワクする。
本当はわたしも一応貴族の端くれだし、あんまり市井を歩くのは良くないんだろう。でも、記者として民衆の生の声を聴くことは何より大事なことだ。城の中でじっとしていても、良い記事は一つも書けやしない。
……まあ、これまで一度も記事を採用されたこと、無いんだけどね!
石畳を歩きながら、辺りを見回す。父は今頃、王都にあるタウンハウスで、わたしの帰りを今か今かと待ちわびているはずだ。
実は、わたしの出仕に一番反対していたのは父だった。雑誌への寄稿なんて必要ない。細々と事業を続けられればそれで良いからと言って、わたしを実家に留めようとしていた。
(でも、雑誌が売れたらお父様の懐も潤うし)
親族筋の発売する雑誌を刷っているのがわたしの父だ。雑誌の売り上げが伸びれば、当然父の収入も増える。そうすれば領地の立て直しも容易いし、わたしが結婚する時の持参金にも困らないと思う。良いこと尽くしだ。
(ん?)
その時、わたしは城を出る時に見かけた、質素な馬車が停まっているのに気づいた。馬車の中は空っぽで、近くには従者らしき人物すら見当たらない。もしかしたら盗られないような魔法が掛けられているのかもしれないけど、不用心な印象は拭えなかった。
『念写』
なんとなく気になって、馬車を含めた付近の様子を念写する。だけどその時、わたしは視界の端に信じられないものを見つけた。
(殿下⁉)
町人っぽい服装をしていらっしゃるし、髪型なんかも変えていらっしゃる。だけど、あの煌びやかなオーラに、整った顔、端正な身体つきは間違いない。殿下だ。
(一体こんなところで何をしていらっしゃるのだろう?)
細心の注意を払いながら、わたしは殿下の後を追った。殿下は人目を避けるようにして裏通りを進んでいく。時折後を振り返るので、ある程度距離を取らなきゃならない。
生憎わたしには殿下のようなキラキラオーラはないし、めちゃくちゃ自然に町人に溶け込んでいる。殿下が振り返ったところで、ビクッてしなきゃ大丈夫だ。
やがて殿下は、とあるお屋敷の敷地の中に入っていった。見るからに裏口というか、入り口とも呼べないような隙間。もしかしたら、無理やり抉じ開けたのかもしれない。
しばらくの間わたしは、少し離れた所から様子を見ていた。だけど、待てど暮らせど殿下の後に続く人間は現れない。本気で護衛をつけていないのかもしれない。
(殿下ったら、護衛も付けずにこんなところで一体なにを? ……っ!)
その時、わたしの頭に一つの仮説が閃いた。
質素な馬車。護衛すら付けず、人目を憚るそのご様子。
もしやこれは……殿下は…………!
(逢引き中なのでは⁉)
千載一遇の取材チャンス。
わたしは急ぎ、殿下が使った入り口へと駆け寄る。顔を突っ込んで確認してみても、見張りがいる様子はない。わたしは迷わず、敷地の中へと潜り込んだ。
入り口から屋敷までは少しばかり距離があった。時間が経ってしまっているため、殿下の姿は見えない。わざわざ裏口を使っているあたり、玄関から屋敷の中に入っている、なんてことはないだろう。だとすれば、屋敷の裏口も存在しているのではなかろうか。
(殿下! 殿下は一体どこにいらっしゃるの!)
心の中で叫びながら、必死で庭の中を駆け回る。貴族のタウンハウスらしく、随分と趣向を凝らした造りだ。お蔭で身を隠す場所には困らない。
だけどその時、茂みの中から唐突に手が引っ張られた。そのまま口元を押さえられて、驚きと恐怖で目を見開く。
(何⁉ わたし、見つかっちゃったの⁉)
逃げなきゃ、と思いつつ、必死に手足をバタつかせる。スクープに目が眩んで、危険を顧みなかった。自分が馬鹿だってことは重々承知だけど、それでも何とかなるって思ってたんだもの!怖くて怖くて堪らない。
「ん~~~~! ん〜〜〜〜〜〜〜!」
「マイリー、俺だよ。落ち着いて」
聞き慣れた声。振り向けばそこには、アスター殿下がいた。人差し指をそっと立て、静かに、と口にする。わたしは更にパニックに陥ってしまった。
(バレた! 殿下を付けてたことがバレてしまった!)
とてもじゃないけど、落ち着くことなんてできやしない。
最早これまで。少なくとも侍女はクビだろうし、きっと国内にはいられなくなる。
この状況を誤魔化すための何十・何百もの言い訳を考えながら、わたしは殿下を見つめる。冷や汗が流れ出し、顔からサッと血の気が引く。
だけど殿下は、わたしに関心がないらしい。屋敷の一点をじっと見つめながら、神妙な表情を浮かべていた。
「――――見つけた」
「えっ?」
殿下はそう言って真っ白な紙片を一枚取り出すと、静かに目を瞑った。
(何だろう)
数秒後、白紙だった紙の上に、何処からともなく文字が浮かび上がった。
インクとは全然違う。まるで炎が燃え広がるみたいに真っ赤に光り、ややして漆黒に染まっていく。神秘的なその光景に、わたしは目が離せなかった。
『確かに受け取った』
『はい。次も宜しくお願いしますよ、大臣』
束の間、文字が刻まれていく様子ではなく、その内容の方に目を奪われた。
(えっ? 何? 何なの、これ)
少しずつ、少しずつ文字が増えていく。それはまるで、今、まさに行われている誰かの会話を、そのまま文字に起こしたかのようだった。
(もしかして)
殿下はずっと、神妙な面持ちのまま、じっと目を瞑っている。神経を一点に集中し、耳をそばだてているのが見て取れる。
(今まさに、あの屋敷で収賄が行われている⁉)
今すぐ殿下から状況を聞き出したい。けれど、邪魔になるのが分かっているから、黙って口を噤むしかない。
(もどかしい。もどかし過ぎる)
胸がバクバクと鳴り響いていた。
『国王が不急の公共工事を減らそうとしている』
『目障りなことだ。前国王はあなた様の傀儡――――言いなりだったというのに』
その途端、殿下の表情が険しくなる。
(やっぱりこれ、ただの文字じゃない)
きっと殿下にはこれと同じ内容が聞こえているんだ。
「腹立たしいことだ」
しばらく経ってから、殿下はそう口にする。眉間に皺を寄せ、鋭い眼差しをした殿下はすごく貴重だ。こんな時に言うのは何だけど、とてもカッコいい。笑顔も良いけど、怒った表情も、物凄く魅力的だった。
「ここまで分かっていて、俺にはあいつらを糾弾する術がない」
「えっ? でも、こんなに証拠が揃っているのに」
「……確かに、奴らの会話はこうして残っている。文字だけでなく、音声を他者に聞かせることも可能だ。
けれど、音声というのは証拠として、とても弱い。言い逃れがいくらでも出来てしまう」
殿下はそう言ってため息を吐いた。
(そんな……とっても素敵な能力なのに)
我が国には、魔力を持つ人間は多くいる。だけど、わたしや殿下のような特殊な能力を持つ人は数少ない。
わたし自身、自分の特別な瞳を気に入っている。だけど、同じかそれ以上に、殿下の耳を羨ましく思う。
遠くにいる人間の会話を聞き取れて、それをそのままの形で残せるなんて素敵だもの。殿下が悔しそうにしていることを、とても勿体なく思う。
「あの! このまま現場を押さえることはできないんですか?」
「……正面突破は厳しいな。それこそ幾らでも言い逃れができてしまう。
第一、現段階で父上の力は弱い。国は今、有力貴族たちに良いように牛耳られている。糾弾しようにも、重鎮たちから良いように言いくるめられてしまいかねない」
「そう、ですか」
もどかしさの余り、わたしは唇を噛む。
いつの間に、国王の力はそんなにも軽んじられていたのだろうか。正直わたしは政治のことに疎いけれど、陛下や殿下を敬っているし、なんだかとっても腹立たしい。
(なんとかしたい)
その時、一つの案が頭の中に浮かび上がった。
「あの……二人が会話をしている部屋はあそこですか?」
「……? ああ、そうだが」
(カーテンが開いていれば或いは)
わたしは急いで、近くにある大木に上り始める。
「マイリー?」
殿下は目を丸くし、小声でわたしの名前を呼んだ。困惑しているらしい。
「殿下は二人の会話に集中していてください」
口をハクハクと動かし、太くて丈夫な枝にしがみ付く。部屋からは少し遠いけれど、カーテンは開いている上、会話をしている二人の姿もバッチリ見える。
(あっ、ナイスタイミング!)
見れば、男の片方が大金の入ったアタッシュケースを閉じようとしている所だった。どうやら酒宴に向けて、会場を移そうとしているらしい。
『念写』
わたしは急いで、己の瞳にその光景を焼き付けた。何枚も何十枚も。
やがて二人が部屋からいなくなると、するすると木を降りる。胸がドキドキしていた。
***
二十五日目。
「なるほど……すごいね」
殿下は念写を見ながら、感嘆の声を上げた。気恥ずかしい。だけど何だか誇らしい。昨日とは少し違った胸の高鳴りに、わたしは大きく深呼吸をした。
「これがあれば、大臣を糾弾できるでしょうか?」
「……そうだね。音声だけの場合より、ずっと優位に話を進められると思う。でも」
殿下は迷っていらっしゃるようだった。疑惑を真っ向からぶつけ、それでも殆ど意味をなさなかったら。そうなることを恐れているのだろう。
「王家があいつを糾弾するより先に、社会的な信用を落とすことができれば、或いは」
そう口にしたのはホーク様だった。
ホーク様は昨日、何かあった時のためにと、殿下のことを上空からずっと護衛していたらしい。わたしが後を付けていることに気づいても、敢えて泳がせていたというのだから、護衛としてどうよって感じはする。
(まぁ、その辺りは今、あんまり考えたくない)
わたしへの沙汰はまだ下されていない。今日は休日だし、こうして念写をお届けするっていう使命があったから良いものの、どんな処罰が待っているか考えると、怖くて身体が竦んでしまう。
(何て言っても、殿下のスクープを狙っていた人間だもんなぁ、わたし――――)
その時、わたしの頭の中にふと、ひとつの妙案が浮かび上がった。
受け入れられるかは分からない。でも、提案するだけの価値は十分あると思う。ゴクリと唾を呑み込み、思い切って口を開く。
「あの……殿下。このネタ、雑誌でスクープする、というのは如何でしょうか?」
わたしの言葉に、殿下とホーク様は目を丸くして固まった。全く思いもよらない考えだったのだろう。二人は顔を見合わせ、わたしのことを凝視している。
「王家による制裁ではなくとも、民からの信用を失えば、大臣が今の地位に立ち続けることは難しいはずです。わたしの念写、殿下が残した音声があれば、記事は書けます」
怖い。殿下がどう思っているのか、全然分からない。ドキドキしてるし、今にも膝から崩れ落ちそうだ。
だけど、大臣たちの密会現場を念写した時の、あの興奮が今も鮮明に残っている。この事実を国中の皆に知ってもらえたら――――昨日からずっと、そう思っていたことも事実だ。
「分かった」
殿下は一言、そう口にした。ホーク様は驚いたように息を呑んだが、黙って殿下を見つめている。
「マイリーに任せてみよう」
興奮に胸が高鳴った。
***
三十日目。
大臣の汚職疑惑というスキャンダラスな見出しの雑誌が、市場を沸かせた。
まるでその場にいるかのような臨場感溢れる記事。大臣がお金を受け取る、決定的な瞬間まで掲載されている。
記事への反響は大きく、やがてそれは国王の耳にも届くこととなり。
民からの信用を失った大臣は、呆気なく辞任に至ったという。
***
六十日目。
わたしは今も、王城で侍女を続けている。
当然、殿下には洗いざらいぶちまけることになった。だけど、彼はわたしを許し、今もお側に置いてくれている。
「マイリーのおかげで汚職問題を一つ片づけられたからね。それに、前国王の重鎮たちの中には、まだまだ怪しい動きをしている人間が多いし」
不満気なホーク様を、殿下はそんな風に説得した。
つまり、わたしの念写能力が今後も役に立つと踏んで、お咎めなしとしてくれたのである。
それどころか殿下は、わたしにお礼をしたいと言ってくれた。
「何が欲しい? 俺が贈れるものなら何でも構わないよ」
そう言って殿下はニコニコと微笑み、わたしの手を恭しく握る。
「欲しいものと言われましても」
正直言って今のわたしは、スキャンダル・ハイというか。
自分が書いた記事で国や民が動いたことが嬉しくて、興奮状態から抜け出せずにいる。それだけでお腹いっぱいで、欲しいものなんて何もない。そうお答えしたのだけど。
「だったらお礼は、俺のお忍び私生活、なんて記事でどう?」
なんと殿下は、自らそんなことを提案してきた。
ビックリし過ぎて、目玉が飛び出るんじゃないかと思ったけど、どうやら本気らしい。何とも朗らかに微笑み続けている。
「どうかな? 大臣の汚職ほどの反響はないと思うけど」
「いっ……いえ! 是非、取材させてください!」
そういうわけで、わたしは、合法的に、殿下を取材できる機会をゲットした。
今日はその約束の日。
殿下は、先日とはまた違ったお忍びファッションに身を包み、わたしを出迎えてくれる。
「出掛けるんですか?」
「うん。休みの日に城に居ても、公務のことばかり考えて良くないし」
殿下はそう言って、わたしの前に手を差し出した。不思議に思って首を傾げると、殿下はクスクス笑いながら、わたしの手をギュッと握る。その瞬間、心臓がドクンと跳ねて、頬が熱くなったのが分かった。
「行こうか、マイリー」
「はっ……はい」
ドギマギと返事を返しつつ、殿下の後に続いた。
街に着くと、殿下はわたしの手を引き、楽しそうに歩き始めた。
ジェラートを買い食いしてみたり、量り売りしているフルーツを手に取ってみたり、手作りのジュエリーを眺めるその様は、実に楽しそうで。見ているだけでこちらまで楽しくなってくる。
(いけない、いけない)
殿下の笑顔に見惚れてばかりで、ついつい念写するのを忘れていた。急いで数枚念写を残す。
「ん? 今、撮った?」
「はい。この念写なら、王室の――――殿下の好感度アップ間違いなしです」
殿下の問いかけに答えながら、わたしはグッと拳を握る。きっと、殿下の念写を見た乙女たちは、彼にメロメロになるだろう。そう思うと何だか嬉しいし、ワクワクする。
「そうか。だったら、頑張ってたくさん取材してもらわないとね」
殿下は穏やかに微笑みながら、繋いだままになってる手に力を込める。
(そう……そうだよ。これは取材なんだから)
年相応の殿下の素顔が嬉しくて――――一緒に過ごすことが楽しすぎて。ついつい、当初の目的をすっかり忘れてしまっていた。
頬をペシペシ叩き己に渇を入れ直す。そんなわたしを見ながら、殿下は小さく笑った。
「実はね。俺は最初、マイリーは隣国の間者なんじゃないかって疑ってたんだ」
「えっ⁉」
思いがけない告白に、わたしは目を白黒させる。殿下はなおも笑いながら、ゆっくりと歩を進めた。
「俺を見る目が他の子と違っていたからね。だけど、話してみてすぐに違うって分かった。マイリーは素直で好奇心旺盛で、嘘が下手くそで。間者なんて務まるタイプじゃないからね」
「……それ、全く褒めてませんよね」
「ごめんごめん。でも、一緒にいると楽しいし、間者じゃないって分かってからも目が離せなかった」
何だか物凄く居たたまれない。穴があったら入りたかった。既にわたしの目的は殿下に全てバレてしまっているし、とっても今さらなんだけど。
「ねぇ。マイリーは俺の結婚相手をスクープしたいんだよね」
「へっ⁉ は……はい。そのつもりでいましたけど」
そう、そのつもりだった。
殿下がわたしを許してくれたのはひとえに、これから先、わたしの念写能力が役に立つと判断したからだ。記者であることを容認してくださったわけじゃない。
だから、この記事を書いた後は、粛々と侍女として働こうと思っていたのだけど。
「だったら、マイリーが責任もってスクープしてよ。出来る限り早く、記事に出来るように頑張るから。
タイトルは……そうだな、『王太子殿下には想い人がいる』なんてどうだろう?」
殿下はそう言って、楽しそうに笑った。その瞬間、理由もわからないまま、心臓がキュッと音を立てて軋む。
「え? ――――あの、殿下には想い人がいらっしゃるんですか?」
「うん。きっとマイリーの期待に添える大スクープになると思うよ」
わたしの気も知らず、殿下は嬉しそうに、頬を染めて笑っている。
「そう、ですか」
まさか、こんなことになるとは思いもよらなかった。けれど、殿下の表情を見る限り、わたしに断るという選択肢は無いようで。
「――――精一杯、取材させていただきます」
そう答えることしかできなかった。
***
六十一日目。
「おはよう、マイリー」
殿下の朝は、相変わらずキラキラしい。
「おはようございます、殿下」
他の侍女たちと一緒になって、わたしは殿下に頭を下げる。
侍女としての仕事に慣れてきたわたしは、最近では殿下のお召し替えもお手伝いするようになっていた。目に毒だし、めちゃくちゃドキドキするし、全く慣れそうな気配はないけど、仕事だから仕方がない。殿下から香るコロンがあまりにも扇情的で、毎回息を止め、決死の覚悟で挑んでいる。
「今日は撮らなくて良いの?」
なのに殿下は、耳元でそんなことを囁いた。
思わず息を吐きだし、それから思い切り吸い込んだせいで、咽かえるほどの色香に見事に溺れる。
必死に首を横に振って熱を逃していると、殿下はクスクスと楽しそうに笑った。
「年下を揶揄うのはお止めください」
「ん? 俺はマイリーが同い年であったとしても、同じことをしてると思うよ」
殿下は全く悪びれることなく、そんなことを口にする。
(わたしが言いたいのは、そういうことじゃありません!)
本当はそう主張したいけど、先輩たちの目もあるし、さすがに侍女の分を超えている。わたしは必死で言葉を飲み込んだ。
「あぁ、そうだ。今日は午後から来客があるんだ。マイリーにお茶を頼んでも良い?」
すると殿下は、わたしに向かって直接そう尋ねた。悪戯っぽい笑顔。含みがあるのは明白だ。
(もしかして……)
早速今日、殿下の言う想い人が来るのだろうか。だからこそ、わたしが現場を押さえられるように、取り図らってくれたのかもしれない。
「承知しました」
そう言って深々と頭を下げる。そのまましばらくの間、顔を上げることが出来なかった。
午後、殿下に言われた通りの時間にお茶を運ぶ。
けれど、応接室の中に居たのは、何故かわたしの両親だった。
「お父様! お母様まで、一体どうして?」
「それは、その……殿下にお招きいただいて」
両親に会うのは実に2か月ぶりのこと。
あの汚職事件に遭遇した日、わたしは両親との約束をすっぽかしたし、記事はホーク様を通じてやり取りをしたため、最後に会ったのは出仕の前だ。
(まさか、わたしを飛び越えて二人にお咎めが⁉)
殿下のスクープを狙うなんて馬鹿なことを考えたのは、両親だと誤認させているのかもしれない。だとすれば物凄くまずい状況だ。
「殿下! あの……両親はわたしの企みには無関係なんです! 全部全部、わたしが独断で始めたことで、その……」
「マイリー、その件はお咎めなしだと言った筈だよ? 大丈夫。二人を責めるために城に呼んだわけじゃないんだ」
殿下はそう言って、わたしの顔を上げさせる。優しい表情。嘘を吐いているわけではなさそうだ。
「あぁ……でも、君の両親が来たことはちゃんと記録しておいてね」
「へ……はぁ」
わたしは言われるがまま、殿下と両親を念写する。殿下は大層満足そうに笑った。
***
七十日目。
今日のわたしは殿下の部屋の掃除当番だった。
掃除は殿下が執務中に行われる。無駄に広く、高い調度品に囲まれたお部屋は、箒を動かすにしても、雑巾で磨き上げるにしても、大きな緊張を伴う。几帳面な殿下のお部屋はいつも、一分の隙なく、全てのものが定位置に収められているから、微妙な変化を逃さないよう、常に注意しなければならない。
(ん? これは……)
そんな殿下にしては珍しく、今日は文机に、紙や筆が出しっぱなしになっていた。見ればそこには、宝石の名前がいくつか書き並べてある。殿下の瞳の色によく似た深い青色の宝石と、赤い色の宝石ばかりだ。
(もしかして、結婚相手にお渡しするための石を選んでいらっしゃるのかな?)
もしも殿下がわたしに取材のヒントを与えようとしているのだとすれば、こうして紙を出しっぱなしにしていることも辻褄が合う。
(お相手は、赤色の瞳をした女性、なんだろうなぁ)
殿下の周りにそんな瞳の色をした女性がいただろうか。
少なくとも、普段殿下と一緒に仕事をしていらっしゃるヴィヴィアン様ではないらしい。
帰ったらこれまでの取材記録を確認しようと思いつつ、わたしは小さくため息を吐いた。
***
七十六日目。
「王妃様が?」
「ええ。マイリーをお呼びだそうよ」
侍女頭からそんなことを言われたわたしは、生きた心地がしないまま、ガーデンテラスへと連れ出されていた。
お仕着せを剥がれ、身体を磨き上げられ、どこからか持ち込まれた豪奢なドレスに着替えさせられ、お化粧を施されるというフルセットのおまけ付き。気が重いどころの話ではない。
(王妃様は当然お怒りよね)
殿下が全ての事情を話していらっしゃるかは分からないけど、自分に都合よく物事を考えるのはとても危険だ。めちゃくちゃに怒られる前提で謁見に挑んだ。
「まぁ、あなたがマイリーなのね」
けれど、わたしの予想に反して、王妃様はとても好意的だった。呆気にとられつつ、必死に挨拶を返す。
「汚職事件の件では、夫と息子が世話になりました」
王妃様はそう言って、凛とした表情で笑った。さすがは殿下のお母様。神々しいオーラが漂っているし、何だかこう、逆らえない空気がある。
(汚職事件にわたしが関わっているのをご存じってことは……)
当然、わたしが侍女になった理由も知っているはずだ。普通の侍女は、王子の後を付けたりしない。胃のあたりがキリキリと痛んだ。
「どう? その後、うちの息子の取材は進んでる?」
「……へ?」
すると、王妃様は身を乗り出し、瞳を輝かせた。その表情は若々しく、好奇心に満ち溢れている。
「わたくし楽しみにしているのよ? 先日のお忍びの記事も良かったし、きっと、とっても素敵な記事になるわ!」
「はぁ……えっと」
王妃様はその後も、殿下にまつわる色んな話をしてくれた。その表情は終始楽しそうだし、大層好意的で。
ついでとばかりに殿下の念写を頼まれたので、その場で幾つかプレゼントをした所、ビックリするぐらい喜ばれた。
(殿下のお母さまは規格外の御方だった)
また一つ、わたしの取材記録が増えた。
***
八十日目。
「マイリー、そろそろ記事は書き上がりそう?」
仕事が終わり、ソファで寛ぐ殿下に呼び出されたわたしは、そんなことを尋ねられていた。
「いえ、正直言って手がかりが少なすぎるので、全く」
殿下にお茶を淹れつつ、わたしは唇を尖らせる。すると殿下は目を丸くし、神妙な面持ちで身を乗り出した。
「手がかりが少なすぎる?」
殿下の声音は、心底不思議そうだった。コクリと大きく頷きつつ、わたしは小さくため息を吐いた。
「だってそうでしょう? お相手の女性を城に呼んでいる様子も、殿下がお会いに行かれている様子もないし。それらしき噂も全然流れないんですもの」
殿下は眉間に皺を寄せ、何事かを思案するように顎に手を当てる。
「ねぇマイリー。数日前、机にメモを置いておいたんだけど、見た?」
「……? えぇ。青色の宝石と赤色の宝石を書き並べていらっしゃった紙ですよね」
「そう、それ」
殿下はそう言って苦々しい表情を浮かべる。やっぱりあれは、わたしへのヒントだったんだなぁって再確認しつつ、何だかソワソワと落ち着かない。
殿下がチラリとわたしを見て、それからプイと視線を逸らす。心なしか頬が染まって見えた。
(何それ何それ! そんな顔したら、普通の女の子は勘違いしちゃいますって!)
ブンブンと頭を横に振りながら、わたしはそっと俯いた。
「青い宝石は、殿下の瞳の色を表しているのかなぁって思ったんですけど」
「うん、そう。その通り。――――そこまで分かっているなら、赤色の宝石が誰を示すのか、分かっても良いと思うんだけど」
殿下は少しばかり不機嫌な様子だった。口元を手のひらで覆い、拗ねたような表情でわたしを見つめている。
心臓がチクチク疼くのに気づかない振りをしながら、わたしはゆっくりと目を瞑った。
「それが、お茶会に招待されていた御令嬢の念写を見返してるんですけど、これ、という方がいなくって」
そうなのだ。
あれから何度、念写を見返しても、殿下の想い人らしき人が見当たらない。そもそも赤色の瞳は珍しいし、殿下がリストアップした色合いの娘はいないのだ。
「マイリーさぁ」
「はい」
「ちゃんと鏡見てる?」
「――――それ、一体どういう意味ですか」
残念ながら、返事はなかった。
***
八十五日目。
今日は一日お休みだ。
(はぁーーーー、疲れた)
別に休んでいないわけじゃない。だけど、ここ最近、色んなことに心を揺さぶられ過ぎだと思う。肉体的というよりも、精神的に大分疲れている。
(だって、殿下が……)
その瞬間、わたしの頬は真っ赤に染まった。
最近、殿下のことを考えるだけで、心臓がおかしくなる。目の前が真っ白になって、自分に都合よく色んなことを捉えたくなって、すごく困ってしまう。
(ダメだ……ゴロゴロしてたら寧ろ疲れる)
こういう時は外に出るに限る。そう結論付けて、わたしは部屋を飛び出した。が。
「どうしてホーク様がここに?」
「……それは殿下に聞いてくれ」
(どうしてそこで殿下が出てくるのよ!)
街に繰り出したわたしの後には、先程からホーク様がピタリとくっついて回っている。
「…………じゃあ、ホーク様も今日、お休みなんですか?」
「いや、絶賛職務中だ」
さっきの質問ははぐらかしたくせに、今度の質問には淀みなく答える。そんなホーク様に、わたしは唇を尖らせた。
なんで?って、ホーク様の発言を深読みしそうになって、ブンブン首を横に振る。これでは何のために部屋を飛び出したのか分からない。
(せっかく、殿下のことを忘れようと思っていたのに)
ホーク様が視界に入れば、嫌でも彼を思い出してしまう。だって、二人はいつも一緒に居るもの。胸の辺りがモヤモヤと疼いた。
こちらが話し掛けない限り、ホーク様はわたしと関わる気はないらしい。
それでも、カフェに入るにしても、洋服や化粧品を見るにしても、無表情でついて回られるので、気にはなる。だけど、極力視界に収めないよう気を配った。
そんなことをしている内に、日はすっかり暮れ、空が夕闇に染まり始めていた。
(そろそろ帰らないとなぁ)
明日からはまた、仕事が待っている。早起きして、殿下におはようの挨拶をして、それから心を揺さぶられる日々を送ることになる。今のうちに身体を休めておいた方が良い。
そんなことを思っていたら、一台の馬車がわたしのことを追い抜いて、それからゆっくりと停車した。見覚えのある質素な馬車。あっ、と思った時には遅かった。
「マイリー」
馬車から覗く、綺麗な顔、甘い声音。その瞬間、胸がグッと熱くなって、甘く、ぐずぐずに蕩ける。
「迎えに来たよ」
殿下に手を引かれ、わたしは馬車に乗り込んだ。
決して広くはない車内。呼吸や心臓の音まで聞こえてしまいそうだなぁって思いながら、わたしは身体を縮こませる。殿下はその間じっと、わたしのことを見つめていた。
「ねぇ」
殿下がそっと、わたしを呼ぶ。思わずビクッと震えたわたしに、殿下は穏やかに笑いかけた。
「さすがにもう、記事が書けるよね」
心臓がドキドキと鳴り響いている。気恥ずかしさと緊張で、涙が滲みそうな中、わたしはそっと殿下を見つめた。
殿下は相変わらず、わたしを見つめながら笑っている。その瞳の奥に、わたしだけに向けられた感情がある――――そんな気がして、けれど自信が持てなくて、わたしはゴクリと唾を呑む。
「殿下……殿下は……」
だけど、どれだけ否定しても、これまでの取材記録は全部、一つの事実を浮き出しにしていた。
殿下がそっと、わたしの手を握る。温かい。けれどその手は、少しだけ震えていた。
「――――スクープ記事を恋文に利用するなんて、前代未聞だと思います」
しかも、その恋文を『受取人』に代筆させようというのだから、殿下は相当悪趣味だ。
「そうだね。俺も、そう思う」
殿下はそう言って、わたしのことをギュッと抱き締めた。
上手に息が出来ない。殿下にしがみ付くようにしながら、わたしはそっと目を瞑った。
「……もしかして殿下には、わたしの心臓の音が聞こえていたりするんですか?」
「うん。でも、いつも俺の音の方が大きくて速いから、あんまり聞かないようにしてる」
「……なにそれっ」
思わずそんな言葉を漏らすと、殿下は小さく声を上げて笑う。その表情があまりにも優しくて、温かくて。瞳に、心に焼き付ける。
一生、他の誰にも見せてなんかあげない。自分だけの記録にするんだって心に決めて、わたしは殿下を抱き締める。
「好きだよ、マイリー」
それから数日後。
アスター殿下の熱愛スクープが、国中を沸かせることになったのでした。
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